漫画家アシスタント物語 第2章〈3〉 劇画の弟子修業は過酷!
《 写真上:1976年頃、高円寺のアパート。四畳半一間に座卓と座椅子。》
< この2章〈3〉は、文庫本約13ページ分 >
その9
かわぐち先生の漫画は当時( 1975~ 76年 )、ややマイナー系の週刊雑誌や月刊雑誌に載っていました。 「 漫画 」というより「 劇画 」。 キャラクターの鋭いタッチは当時も今も変わらず見事です。
ただ、当時のかわぐち先生は原作付きが多く、オリジナルは1~2ヶ月に1本ぐらいしか発表されませんでした。
キャラクター、背景共に当時の劇画界の中では高いレベルにあったと思います。 ただ、残念ながらヒット作に恵まれるまでには、さらに10年近い歳月が必要だったようです。
お昼頃から仕事が始まり、3時にコーヒータイム。 全員で近くの喫茶店などで漫画談義。 その中で、意外と記憶に残っている会話のひとつ・・・・・・
アシスタントHさんがくわえタバコで話始める。
「 うちのデビュー率ってどれ位かなぁ・・・? 」
かわぐち先生が質問する。
「 デビュー率? 」
アシスタントOさんが口髭をなでながら答える。
「 辞めた人( アシスタント )の内、何人デビューしてるかっていう・・・ 」
「 ほぉ・・・ 」先生は興味深そうに。
アシスタントNさん、メガネをあげながら
「 デビューしたのはA君、・・・それにBさん・・・ 」
「 Cさんもいれると・・・ 」先生も勘定している
アシスタントHさん、長髪をかき上げながら
「 結構いますよ~ すごい! 」
アシスタントNさん、指を折りながら
「 それから、デビューしてない人が‥‥‥‥1、2、3‥‥4‥‥ 」
アシスタントOさん、髭をなでながら
「 ウォップ、ウォップ、デビュー率 3、4割? 」
アシスタントHさん、先生にニコニコと
「 すごいですよぉ、打率3割以上! 」
「 おい、おい 」( これ、かわぐち先生の口癖の感嘆符 )
かわぐち先生、まんざらでもない様子だ。 アシスタントたちも嬉しそう( 媚びたように? ) に笑う。
私は、「 3割、4割 」がそんなにすごい事なのかさっぱり分りませんでした。しかし今では、それが分る気がします。
デビュー出来るのは、アシスタント経験者の1割か2割・・・・・「 3割、4割 」というのは、確かに高率です。 ただし、デビューして10年プロとして生きていけるのは、さらにその中の1割・・・・・・
いわんやヒット作が出せるのは、さらにその中の・・・・・・・・・
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 アシスタントの中には、漫画を描かない空想家、資料ばかり集める収集家、やたらクールな達観者、背景職人気質、ひょうきん族、批評家、なまけ者、粗大ゴミ・・・・ いろいろいますが、どのタイプも( 残念ながら )大成できない。 大成できるのは、熱病のごとく漫画制作に没頭している人間だけである 』

その10
漫画背景の技術は、正確に「形をとる」ことが全てです。
複雑な自然物も建築物も、結局は、正立方体、長方体、球体、円錐、軟体‥‥ つまり、それぞれを正確に描き移せればOKなのです。
その上、重さや、質感、ツヤ感まで表現できれば上級者で、背景画で一生飯が食えます。 かわぐち先生のスタッフは、上級者が多くたまに他の作家からスカウトされる事もありました。
当時( 1975年頃 )から仕事は、比較的規則正しいものでした。 連載漫画1本( 20p位 )の制作にかかる日数は、だいたい3日+徹夜1回。
第1日目、かわぐち先生がネーム( 漫画のシナリオ )、アシスタントは大ゴマ用の漫画背景制作。
第2日目、かわぐち先生がキャラクター、アシスタントが各ページの背景を制作。
第3日目、第2日目と同じ。そして、この日は徹夜で( 翌日昼までに )仕上げる・・・・・
1日の作業パターンは、正午より始業。 3時にティータイム。 午後6時~7時に夕食。 11時に終業。 ( 実働9時間 )
3日目は徹夜と決まっていたので、深夜も仕事をつづけ、だいたい深夜3時頃に近所のサッポロラーメン店で夜食。 その後、2,3時間仮眠。 そして、朝から正午までに仕上げる。
1本の作品がこの様に3日+徹夜1晩で規則正しく制作されていました。
アシスタントは5人。交代で一人休むので、仕事はいつも4人でやっていました。 しかし・・・・・
すごいと思うのは、かわぐち先生が7日に一度休むのですが、その日は必ずロックバンドのリードギタリストとしての練習と草野球の練習に汗を流す事を習慣としていた事です。
かわぐち先生の当時の口ぐせ‥‥
『 俺の取柄は、体が頑丈な事だけなんだよ・・・・ 』
作家特有の尊大な態度がまるで無い‥‥‥‥誰に対しても誠実で謙虚な方でした。
毎週、一度か二度、徹夜仕事があったのですが‥‥‥‥これは、その時のエピソード‥‥‥‥
その日の仕事が深夜に及び、夜明け前の3時頃に夜食のラーメンを食べ、その後で仮眠をとります‥‥‥‥
朝まで3、4時間寝てから最後の仕上げをするわけです。( お昼前に編集員が原稿を受け取りに来ます )
全員がまだ仮眠している時間‥‥‥‥
かわぐち先生は、ふと目を覚まします‥‥‥‥
仕事場の方で、カリカリカリ‥‥‥‥という音が聞こえます。
『 誰か仕事を始めてるなァ‥‥起きる時間にはまだ1時間早いのに‥‥ 小池君かなぁ、まじめな奴だなぁ‥‥‥‥ 』
仕方なく先生は起き出して、仕事部屋へ入って行くのですが‥‥‥‥誰も仕事をしていません!
「 ‥‥‥‥? 」
先生は自分の気のせいだったのか・・・・と思って机に一人で向かうのです。
この話を、定刻になって、ノロノロと起き出して仕事を始めるスタッフたちに話します‥‥
「ペンの音が聞こえたんだよ‥‥ だから小池君が一人で仕事始めたのかなぁ‥‥と思って起きたら‥‥ 誰もいないんだよなぁ‥‥」
私がそれに答えます‥‥
「 風呂へ入ってないんでぇ‥‥頭かゆくってぇ‥‥ 」
「 ‥‥‥‥ 」
「 朝方、寝ながら頭かきまくってぇ‥‥ 」
かわぐち先生は、私がフケだらけの頭をかいていたのを、真面目に原稿を描いていたのと勘違いしたわけです。
「 そう‥‥‥‥そうか‥‥‥‥小池君は真面目だなぁ‥‥って思ったんだけど‥‥ 」
不潔な奴だ‥‥と、私を笑うのではなく‥‥‥‥
なんだか寂しそうに‥‥‥‥
そんな先生の表情が今も忘れられません。

その11
仕事は、午後3時の休憩時にコーヒーなどで一服するのが習慣になっていました。 確か、武蔵小金井駅の近くにあった喫茶店だったかと思います‥‥
例のごとく媚びる様にアシスタントHさんが・・・・・・
「 アシスタントなんて気楽ですよ! それに比べたら漫画家は大変ですよね~。 」
かわぐち先生は、苦笑いしながら、しかしハッキリと・・・
「 アシスタントの方が大変だよ。俺はアシスタントの方が大変だと思うよ、きっと。 」
かわぐち先生は、アシスタントの経験がありません。 でも、とてもアシスタントに気を配っておられました。
こんな、先生を私は裏切る事になります・・・・。
その話は、まだ少し先に・・・・・。
かわぐち先生のアシスタントの月給はだいたい6~7万円、当時( 1976年頃 )の私の生活費( 家賃、食費 )が4万円位ですから、十分生活は出来ました。
注) 当時の物価を参考までに・・・・・
ラーメン 200円 ギョーザ 180円 みそラーメン 350円
この給料プラス年末の一時金と、かわぐち先生の単行本が発行された時の印税の分配金( アシスタントにも分けてくれる! )があったそうですが、後に仕事場を逃げ出す私はもらっていません。
仕事中のBGMは、ほとんどロック( かわぐち先生はブルースロックが大好き! )とフォークでした。 そして、ラジオの野球中継。
一応、好きな音楽を聴ける事になっていたのですが・・・・・私がクラシック( バッハが大好き! )のテープ( 1970年代はカセットデッキが主流でした )をかけると・・・・・
アシスタントHさん、顔を歪めて立ち上がり、カセットをストップする。
「 ダメだぁ、こんなの聞きながら仕事できん! 」
アシスタントOさんがうなずきながら
「 ウォップ、ウォップ! 」( 同意の意味か )
・・・・と、躊躇なくカセットテープをロック音楽に変えられました。
この時が、後にも先にもクラシックが聞けた唯一の瞬間( 約5分 )でした。
まだ、ソニーのウォークマンが無かった時代で、各人が自由に好きなBGMを聞くことは出来ませんでした。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 TVにチャンネル権があるなら、音楽にもBGM権がある。このBGM権を奪われると、そこでの仕事は苦痛を伴う。少なくともその位、音楽や食事にこだわりが無い様では、その( クリエイターとしての )感性を疑わざるを得ない 』

その12
「 99パーセントの努力と1パーセントの才能 」この言葉は少なくとも漫画界には、通用しない。
1の努力で10結果を出す奴と10努力しても1しか結果を出せない奴もいる。 レスリングや柔道の様にクラス別けがない。才能が有ろうが無かろうが、中卒も東大卒も‥‥何千何万という新人がごちゃ混ぜでガチンコ勝負の世界‥‥
自分がどの位才能があるのか、どの位根性があるのか、どの位のレベルにあるのか・・・・・・・・・・誰にもわからない・・・・・・・・
原稿を編集部に持ち込む・・・・・
そして、10分後、編集部を出る・・・・・後ろ手にドアを閉め、神保町界隈の喧騒の中へ・・・・・・
その時、打ちのめされて「 現実 」の重量を理解する。
ちょっと、余談なのですが‥‥‥‥
この当時、かわぐち先生は「先生」と呼ばれる事を嫌っていました。 私が「先生」と呼ぶと、不快そうに「そう呼ばないで」と手で制された事もあります。
アシスタントHさんは、私に注意します。
「かわぐちさんが嫌がるから先生って呼ぶなよ」
‥‥そう何度も注意されましたが、私はいつも「先生」と読んでいました。
そして、ついに‥‥ アシスタントHさんは、私に向かって‥‥‥‥
「よう、小池先生」
などと、わざと皮肉を言うようになりました。
アシスタントHさん、私の背景画を見ながらニヤニヤと
「小池先生、もっと上手に描いてくださいよ」
しまいには大きな声で‥‥
「小池先生、こんな絵じゃ使えませんよっ!」
しかし、半年以上もたつと、スタッフの中で私だけが「先生」と読んでしまう事は、だんだんと許容されるようになっていました‥‥‥‥
これも、今から50年近くも前( かわぐち先生が有名になる前 )の話です。
現在では誰もが、「先生」と呼んでいると思います。
さて、話は1976年の夏‥‥
入ったばかりの私は、かわぐち先生の仕事場で簡単なコマの背景を指示されながら処理していました。
劇画の背景で大事な事は、「 資料写真そっくりに描く 」ことでした。 その辺のコツを少しずつ理解し出したのは、季節が変わった頃でした・・・・・
担当した背景画は、電車と駅のホーム。 ホームに当たる明るい陽射しが、電車の車体に反射する難しい背景です。
我ながらリアルに、しっかり描けたかな・・・・などと思いつつ原稿の処理していると・・・・・
アシスタントNさんがやさしく
「 小池君(私)、いいねぇ。 上手くなったねぇ!」
アシスタントOさんが私の背景画をのぞきこむ
「 ウォップ ウォップ!」( 『 まあまあだな 』の意 )
そこへ、サッと先輩のHさんが割り込んでくる。この時、Hさんはアシスタントチーフになっていた。
「 こんなの、たいした事ね~な・・・・ 」
アシスタントNさんが珍しくHさんに反論する。
「 でも、電車に反射する光がリアルでいいね・・・・ 」
アシスタントOさんも、うなずきながら
「 ウォップ ウォップ・・・・ 」 ( 『 言われてみればそうかも・・・ 』の意 )
チーフのHさん、小ばかにした様な薄笑いを浮かべながら‥‥
「 トーン使い過ぎ、暗いよ 」
アシスタントOさんは、うなずきながら
「 ウォップ ウォップ‥‥ 」( 『 言われてみればそうかも・・・ 』の意 )
毎日、こんな調子でした。
仕事もかなり慣れてきた頃、この先輩Hさんとは生涯理解し合えないと思う出来事が起きました・・・・・・
出版されたかわぐち先生の雑誌をみんなで見ている時です・・・・・
かわぐち先生が、連載漫画のあるページを指して
「 この背景いいよなぁ! 小池君だろ、これ? 」
初めてほめられたので、ニコニコ顔で掲載された絵を見ると‥‥‥‥私の絵ではない。
「 その絵は・・・・・・ 」私はガッカリしながら
その時、チーフのHさんが横からナイフでも突き刺すように・・・
「 これは、Oですよ! 小池じゃありませんよ!」
「‥‥‥‥」全員沈黙。
「小池にこんな絵描けませんよ! 」
かわぐち先生は、意外だなぁ‥‥といった表情で
「 え・・・? 小池君かと思ったよ・・・・O君か・・・・・ 」
「 ウォップ ウォップ 」( 『 私の絵です 』の意 )Oさん、はにかみながら
チーフのHさんが笑いながら
「 Oのペンタッチはスゴイですよね! ハハッ」
「‥‥‥‥」全員沈黙
「小池の絵とは全然違いますよ! アハハハッ 」
最年少で、一番下っ端の私には、じっと我慢するしかなかった。
「 遅っいなぁ~! 」
「 こんな絵に何時間かけてるんだよ! 」
「 写真そっくりに描けって言ってんだろ! 」
「 下手糞っ! 」
毎日、毎日、不愉快な事が10回位あった・・・・・・
この頃の屈辱は今でも忘れる事が出来ない・・・・・・。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 漫画家に成りたい人間は沢山いる。そして、漫画家に成ってほしくない人間も・・・・・・ 』
「 漫画家アシスタント物語 第2章〈4〉」へつづく・・・・
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