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2026年上半期|音楽:泉涌

2026年上半期に体験したエンタメ作品の中で特に気に入ったものを個別で書いてみました。

上半期まとめはこちら

音楽では泉涌が一番グッときました。

聴きながら思っていたことは創作はいつからが始まりなのかということでした。


最初に要約を書いておきます。
後半に感想を書いていますので、ぜひご覧ください。

要約
冥丁の音楽は、水が湧くような音や仄暗い世界観、歴史や記憶を思わせるタイトルによって、具体的な物語を語るのではなく、まだ言葉にならない風景や感覚を身体の中に立ち上げています。その状態は、脱力や重さを感じる身体訓練とも響き合い、「静けさ」から創作へ移行するための橋渡しになっています。この記録は、演劇における準備時間そのものを創作の一部として捉え直す契機でもあります。今後は、音楽だけでなく光や空間、温度、匂いなども含めた「創作前の環境設計」を研究することで、身体が自然に作品世界へ入っていくための方法論へ発展していく可能性があるでしょう。この体験を通して見えてきたのは、音楽を「作品を彩るもの」ではなく、「創作が始まる前の身体と空間を整えるもの」として捉える視点です。

想定読者
・演劇・ダンス・音楽・美術など創作活動をしている人
・ワークショップや教育の場づくりに関心がある人
・アンビエント音楽が好きな人
・「創作前の時間」を大切にしたいと考えている人


music|音楽

泉涌
作:冥丁

身体を整えるための音楽としての『泉涌』

2026年の上半期、稽古場ではよく冥丁の『泉涌』を流していた。
以前は創作中や発表の場でも音楽を使うことがあったけれど、最近はそういう使い方はほとんどしていない。

今、音楽が流れるのは稽古が始まる前だ。

脱力の体操をしたり、自分の身体の重さを感じたり、呼吸を整えたりする時間。その準備のために音楽がある。

だから『泉涌』は、なにかをつくったものを演出するための音楽ではありませんでした。創作=まだ形になっていないものを生み出す状態へ入っていくための身体を整える音楽として聴いていました。


水が湧くような音

『泉涌』を聴いてまず印象に残るのは、水が静かに湧き出るような音だ。
音楽を聴いているというより、その音の中に身体を置いている感覚になる。

脱力をするときにも、身体の重さを感じるときにも、その音は無理に気持ちを動かさない。ただ静かに、身体の感覚を開いてくれる。

『泉涌』はアンビエントミュージックに分類されると思う。
アンビエントというと背景に流れる音楽という印象がある。
だけど自分にとっては背景ではなく、身体の感覚を少しずつ変えていくための調整役になっていました。


音が風景を立ち上げる

冥丁の作品は他にも色々と聴いていました。

冥丁の作品には『黒澤明』『夜分』『八百八町』『夢十夜』『新花魁』など、不思議なタイトルが並ぶ。

仄暗いアルバムジャケットも重なって、どこか昔に残してきた景色がこの場にもう一度立ち上がってくるような感じがする。

それは実際の記憶の景色とは少し違う景色。「懐かしい」と感じるような身体感覚だけがあって、その状態に風景が生まれてくるような感覚。

だから、稽古の始まる前、まだ何も形になっていない準備の時間にこの音楽が流れると、遠いところの景色を立ち上げるのに役立ちそうな感じがしていたのかもしれない。


創作は準備時間から始まっている

最近は身体訓練の中で、静けさの調整から始めることを大切にしている。
静けさがあり、日常があり、その先に解放がある。その最初の入口として、『泉涌』は自然によく響いた。

音楽は空間を演出するためだけのものではなく、身体の状態を整えるものにもなり得る。作品世界を説明するのではなく、そこへ入っていける身体をつくる。そんな役割を音楽が果たしているなと感じた。

この考え方は演劇だけではなく、ワークショップや朗読劇、誰かと対話を始める時間にも応用できるかもしれない。

創作は、アイデアが生まれた瞬間から始まるのではない。
身体が静かに準備を始めた、その時間からすでに始まっているのだと思う。


おわりに

『泉涌』は、作品を完成へ導く音楽ではなく、その手前にある時間を豊かにしてくれる音楽だった。これからは音楽だけでなく、光や匂い、温度、空間なども含めて、「創作前の環境」を考えてみたい。

まだ何も始まっていないように見える時間。
その静かな時間の中で、私たちの身体はすでに何かを受け取り始めているのかもしれない。

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