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2026年上半期|本:下丸子文化集団とその時代

2026年上半期に体験したエンタメ作品の中で特に気に入ったものを個別で書いてみました。

上半期まとめはこちら

本では下丸子文化集団とその時代が一番グッときました。

読みながら感じたことは小さな共同体を作るにはどうしたらいいんだろうということでした。


最初に要約を書いておきます。
後半に感想を書いていますので、ぜひご覧ください。

要約
『下丸子文化集団とその時代』は、1950年代の文化サークル運動を知る本である以上に、自身の活動全体を新しい視点から読み直す契機となった一冊です。最も大きな発見は、演劇や文化活動を作品制作ではなく「共同体をつくる実践」として捉えられるようになったことです。その気づきは、肉筆回覧誌という具体的な実践を生み、参加者同士が日常や思考を交換することで共同体の記憶が育まれる可能性を実感する経験へとつながりました。さらに、「プレフィギュラティブ」という概念との出会いによって、プレイバックシアター、漫画朗読劇、障害のある人との演劇ワークショップ、一人ひとりの記憶を扱う演劇など、これまで個別に取り組んできた実践が、「望ましい社会を先に演じ、実践する」という一つの研究テーマのもとに位置づけられるようになりました。この本は知識を増やしただけでなく、ユーザー自身の研究の軸を「作品」から「共同体」「文化実践」「社会のつくり方」へと広げる転換点になったと考えられます。

こんな人におすすめ
演劇・ワークショップ・アート・文化活動に関わる人
コミュニティづくりに関心のある人
個人で活動しているが、どこか孤立感を抱えている人
「場をつくること」に興味がある人


book|本

下丸子文化集団とその時代
著:道場親信

2026年は舞踏の本を読むところからスタートしました

2026年は舞踏関連の本を読むところから始まりました。

きっかけは、舞踏家たちがどのように身体の技法をつくり、それを他者へ伝えてきたのかを知りたかったからです。
読み進めるうちに印象に残ったのは、舞踏では身体操作だけではなく、「イメージ」を身体へ働きかける方法が数多く用いられていたことでした。

初期の舞踏は、モダンダンスの経験を有しているダンサーが参加していたようです。そこから、徐々にダンス経験のない人が加わってきました。
その時、どのようにして舞踏表現を作り上げていくか。ということが課題になりました。その流れの中でイメージを使うということになったようです。

ただ、その技法は誰にでも同じように伝えられるものではなさそうです。

例えば、ある身体表現をするのに、画家:フランシス・ベーコンの作品から発想されていたとすると、その表現を理解するには、美術への感覚や教養も共有されている必要があります。
舞踏に関心がある人たちの暗黙の了解として、そういった 美術への関心や教養があったんだろうと思われます。

1960〜70年代を知る方から、
「その場で知らなくてもいい。でも、後で必死に調べる。そうやって背伸びをすることが当たり前だった。」という話を聞いたことがあります。

技術とは身体だけの問題ではなく、美的感覚や文化的背景まで含めて共有されるものなのかもしれない。そんなことを考えながら読書を続けていました。


一番影響を受けた『下丸子文化集団とその時代』

そんな半年の読書の中で、最も自分に影響を与えたのが『下丸子文化集団とその時代』でした。

この本は1950年代の文化サークル運動や文化的同人活動、自立演劇、労働組合などを扱っています。1950年代当時、人々は職場でも家庭でもない「第三の場」として文化サークルをつくっていました。

そこで目指されていたのは、作品を発表することだけではありません。
職場で過ごしている機能的役割的な存在だけではなくて、文化を通して、人間全体を分かち合う場を育てること。この考え方が、とても新鮮でした。

詩を書く人だけでなく、詩人ではない人も参加する。
芸術家だけでなく、地域で暮らす人も一緒になる。
もちろん、そこには表現の難しさや葛藤もあったと思います。

文化活動が「作品をつくること」よりも「人と人との関係」を育てる営みとして存在していたことに強く惹かれました。


何に憧れていたのか

さいきんは、多くの集まりが「その活動だけ」で終わってしまう感覚があります。演劇なら演劇。読書会なら読書会。ワークショップならワークショップ。その時間は共有できても、お互いの人生まではなかなか見えてきません。

それに対して、この本に描かれていた文化サークルには、人間全体で関わろうとする空気がありました。
そこに、自分が求めていたものを見つけた気がしました。

この本は上半期読んでいる本の中で一番影響を与えてくれました。
そして、本の中に書かれていた肉筆回覧誌というものを作ってみました。


肉筆回覧誌を作ってみました。

肉筆回覧誌
1冊の手作り冊子を作り、それを仲間内で回し読みをして、知識や情報を交換するというもの。

一冊の冊子を作り、仲間が順番に書き込みながら回していく。
今では珍しい、とても素朴な仕組みです。
それを知った瞬間、ワクワクしました。ひとつの冊子に色々の人の人生や活動が載っていて、それが集まった人たちの中で交換されるってのは、自分が孤立した存在なのではなくて、ある繋がりの中にいるっていうことを感じさせるものだろうと思えるんじゃないかと思いました。

そこでルーズリーフ形式の肉筆回覧誌を作り、知人たちへ回し始めました。

そこで書いている内容は、本当にささやかなものです。
今度の企画のこと。新婚旅行のこと。観た映画の感想。最近考えていること。友人との出会い。募集している催し。どれも小さな出来事です。

でも、それを読んだ人から、
「知らなかった。」「私もそう思う。」そんな反応が返ってきました。

情報を交換しているというより、お互いの暮らしを少しずつ開いている感覚がありました。この小さな経験の交換・暮らしの交換が共同体を育てるのではないかと思うようになりました。

小さな経験を重ねている集団同士が交流をとることで、それぞれの関心ごとだけではなくて、広がりを持った共有される問いや考えが生まれるんじゃないか、そして、その問いを主体にしたゆるやかな共同体ができるんじゃないか。なんていう思いが出来てきました。

この肉筆回覧誌は、小さなものですが、小さいからこそ試しながら細かなチューニングをして今年1年間を過ごしていきたいと思います。


作品から共同体へ

この本を読んだことで、演劇を作ることそれよりも人と人との関わりを生み出すこと。そのことに関心が向いていきました。

さらに、「プレフィギュラティブ」という概念にも出会いました。
未来に望む社会を、まず小さく実践してみるという考え方です。
この言葉を知ったとき、これまで取り組んできた活動がひとつにつながっていくような感覚がありました。

プレイバックシアター。
漫画朗読劇。
障害のある人との演劇ワークショップ。
一人ひとりの経験を扱う演劇。

それぞれ違う活動だと思っていましたが、どれも「こういう社会があったらいい」という願いを、小さく先取りして実践していたのだと気づきました。

演劇とは作品を作ることではなく、未来の社会を少しだけ先に生きることなのかもしれません。


小さな共同体は作れるのだろうか

最近は、個人で活動することの自由さが以前より大きくなりました。
SNSもあり、自分ひとりで発信し、活動することもできます。
一方で、「自分はどこかに属している」という感覚は、以前より得にくくなったようにも感じます。

だからこそ、作品ではなく「問い」を共有する共同体に可能性を感じています。
同じ趣味だから集まるのではなく、同じ問いを持っているから集まる。そして、その問いについて、日常の出来事を少しずつ持ち寄る。そんな小さな文化実践が、孤立しがちな現代に必要なのではないか。この本は、そんなことを考えさせてくれました。


おわりに

最近の読書は、「全部理解してから次へ進む」のではなく、その時の自分に必要な部分が自然と目に入るような読み方をしています。それでも、この本は間違いなく今年一番、自分の行動を変えた本でした。

肉筆回覧誌が生まれたこと。活動全体を社会実践として捉え直せたこと。演劇よりも、その土台となる共同体へ関心が向いたこと。
どれも、この一冊から始まりました。

本を読み終えた今でも、自分の中には一つの問いが残っています。
作品を作ることよりも先に、作品が生まれる共同体を育てることはできるのだろうか。これからしばらくは、その問いを抱えながら活動を続けていきたいと思います。

この本を通して起きた変化は、
「良い作品を作りたい」という関心から、「人が文化を通してつながり続けられる場をどう育てるか」という問いへの移行でした。

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