超初心者が詠進歌を紡ぐまで⑤巨匠のお話
このシリーズは、超初心者の私が年始に宮内庁が開催する「歌会始の儀」へ短歌を差し出す(詠進)することを目指して書き綴るものです。
今回はついに「短歌」について書きはじめます。
五七五七七の形式は言わずもがな。
とりあえず目に留まった情報を扱います。
色々調べていると、面白い記事がいくつも出てくるものですね。
まずは俵万智さん。
最初に学校で短歌に触れるとこの方を避けては通れません。
~巨匠の記事~
短歌とは何か、数日考える中でこの記事、この部分に惹かれました。
「あの有名な桜の短歌、海外での反応は?」のパートでのお話。
俵さん:理解してもらうというよりは、違いを知ってもらうという感じですかね。デンマークの学生たちに「私たちは短歌を通して、100年前、1000年前の人とも心を通い合わせることができる」と話したことがあります。在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は、「この世に桜がなかったら、春はのんびり過ごせるのになぁ」という歌です。いまの私たちも、毎年、桜が咲くとわくわくして、咲いたら咲いたでいつ散るかはらはらします。そう説明すると、「なぜあのような花がそんなに気になるのか」と言うわけです。薄ぼんやりした桜の中途半端な色が、あまりきれいに感じられないらしいんですよね。
「春になると、桜前線を毎日のように報道するんですよ」と言うと、「花が咲いたかどうかをニュースにするなんて、ある意味心豊かな、しかし、なんてのんきなお国柄なんだろう」という感じで。桜に対する思いを説明するのは難しいですが、短歌を通して日本人の独特な桜への思いを伝えることはできます。
恥ずかしながら超初心者の私はこの在原業平の短歌さえも覚えがありませんでした(うっすら)。
短歌には自然を生き生きと描く要素と、私たちの内面の機微な動きを表す「間」のようなものがあるような感じがしました。
~触発されて~
ところで、在原業平に何十年ぶりかで再会した私。
私も桜が大好きでして、稚拙ながらに一句詠んでみたいと思います。
仕事から帰る途中で思いつきメモしました。
先達の 思い纏いし 八重桜
散るも残るは 甘き香りか
桜を見ると樹皮の具合や枝ぶりにいつもその桜らしさや歴史を感じます。
いつも鉢植えの桜はすぐに枯らしてしまう私。桜が咲き誇るのに必要な年月を感じずにはいられません。
数日後、散り始める花びら。
切ない気持ちがほんのりわいてきます。
でも嫌な感覚ではなくて、どこか甘いというか。
(実際には甘い香りしませんよね)
植えた人だったり、いつも眺めていた昔の人たちだったりがこの桜をどんな思いで見ていただろうかと。
きっと同じような優しい気持ちで見ていたのだろうなと思うと脈々とつながる縁のようなものを感じます。
〜時間を詠む〜
今回のまとめです。
短歌は時間の切り取り方にコツがあるように思いました。
一瞬を詠む、しかしその背景にはとても長い時間の流れがあって、さりげなくそれを匂わせるような。
気がつけばもう6月。
桜を詠むには遅いけど
駆け込みセーフということで^_^
【⏳締め切りまであと121日】
