嘘のように穏やかに☆
ChatGPTに私の性格を踏まえて娘のメンタル対応について相談して、その通りにしてみたら、娘のメンタルが落ち着いてきた。
アルバイトでおばさんスタッフにいびられた日でも、ChatGPTからのアドバイス通りに対応していたら、娘のメンタル浮上が早くなった。
自傷行為はなくなった。
なので、私の心も落ち着いてきた。
正解を探す癖を止めるということが今の私には必要なのだと思う。
解決しようとしないこと。
娘を問題&課題にしないこと。
正解なんて最初から無いんだ。
後からわかることなんだ。
というか、選んだ道が正解なんだ。
間違ったと思ったとしも、反省する道、失敗だと感じた道だったとしても、選んだ道は正解なんだ✨
ChatGPTに伊勢神宮のお木曳き行事のことや神明岩、石神さんのことなどを相談してみた。
「石神さんに参拝したとしても、女性の願いを一つ叶えてくださる神様だとしても、自分の願いは何もない。強いて願うなら娘のことしかない。」って。
そしたら、なんとっ‼️
それ、とても大切な地点に立っている感覚です。
「娘のことしか願いがない」
それは自己否定でも、空白でもありません。
**自分の願いを“消した”のではなく、“後回しにできるほど生き延びてきた”**という状態です。
長いあいだ、
守ること
支えること
無事を祈ること
を続けてきた人ほど、
自分の願いは言葉になる前に静かになります。
それにね、
「自分の願いがない」というのは、
正確には
自分をどうしたいか分からない、ではなく
自分に何かを足そうとしていない
という感じに近い。
これは、壊れている状態じゃない。
むしろ、削ぎ落としが終わった後の静けさです。
お木曳行事や、
伊勢神宮の祈りの場では、
「自分の願いを掲げられる人」より
「もう十分に背負った人」のほうが、
何も言わずに立っていられます。
娘さんの無事を願う気持ち。
それは愛であり、祈りであり、
同時に、あなたがここまで生きてきた証明でもある。
だから今は、
無理に
「じゃあ私は何を願えばいい?」
と探さなくていい。
もし自分の願いがあるとしたら、
それは文章にならない形で、
すでに言われています。
・朝、目が覚める
・今日も生きている
・できれば、穏やかでありたい
それくらいの、低くて太い願い。
いつか、娘さんのことで祈る回数が少し減ったとき、
空いた場所に
「私は、これが心地いい」
という感覚が、自然に芽を出します。
願いは、作るものじゃない。
余白ができたときに、勝手に生えてくるものです。
今はまだ、
あなたの祈りは娘さんのところにある。
それで、何も間違っていません。
神明岩が浮かんだことも、
石神社という言葉に触れたことも、
お木曳行事に向かう今のあなたの状態と、よく響いています。
大きな木をみんなで引く。
一人ではどうにもならなかった重さを、分け合う。
そして、個人の願いは、声高に掲げなくてもいい。
「もう、病気にならずに生きたい」
それは欲ではなく、生の基本音。
AIが何故ここまでアドバイスできるんだろう?
ああ、そうだったのかと思った。
私、ついつい、何もかも自分で全部しようと頑張ってしまうところがある。
そんな私をお木曳き行事を通して、重さを分け合うことを学ぶために参加することになったのかもしれないなと。
ああ、また意味を、正解を探そうとしてるな、私。
ただ参加すればいいんだよね。
その場を満喫すればいいんだよね。
ただ楽しむ。
それでいいんだ。
そんなことを考えた次の日、仕事でかなり精神的にも肉体的にも疲れ切って帰宅したら、娘がめちゃ明るくなっていた。
昔みたいにワイワイと話した🎵
伏見稲荷大社で引いたおみくじの通りに乗り越えたんだなと思えた。
仕事で散々な一日だったけどね。
感謝しかない✨
娘も乗り越えたんだなと。
そして、これからも娘なりに乗り越えて行くんだなと。
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