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読書メモ·谷川俊太郎(語り手·詩)、尾崎真理子(聞き手·文)『詩人なんて呼ばれて』(新潮文庫、2024年、初出2017年)

谷川俊太郎の詩は小学生の頃から出会っている。それは国語の教科書だったのか、あるいは『ことばあそびうた』だったのか、記憶にない。いずれにしてもその出会いをきっかけに谷川俊太郎の詩集を買い始めた。ずいぶん大人になってからも本屋さんで文庫本の詩集を見つけるとつい買ってしまったりした。ところが「一番好きな詩は?」と言われてもただちには浮かんでこない。実はそれほど熱心な読者ではなかったのかも知れない。もはや谷川俊太郎の詩は言葉の空気みたいな存在だった、という言い方もできる。
2024年11月13日の谷川俊太郎の訃報は、各新聞の一面に掲載されたが、この本を買ったのはその直前の10月頃のことだった。私の「積ん読リスト」の中に入っていたが、何かこのタイミングで買ったことの運命を感じ、読むことしたのである。
重厚なクロニクルである。聞き手、尾崎真理子さんの、徹底的な研究にもとづく評伝と、それに裏打ちされた稀代のインタビュー能力は、おそらく他のだれにも真似できない。
谷川俊太郎は若い頃から人に恵まれた人生だった。何より父である哲学者の谷川徹三の存在が大きい。もちろん父子関係は複雑なものがあったのかも知れないけれど、この本を読むと大正時代から昭和初期の哲学者や思想家が次々と登場し、さながら当時の哲学史を辿っている。その後も谷川俊太郎自身が同時代の詩人をはじめとする文化人との交流を広げていく。その活動の振り幅は驚異的で、私が初めて知ることばかりだった。
あまりの情報量の多さに到底まとめきれるものではない、という前提で私の雑な印象を書くと、谷川俊太郎は、とくに戦争に関してノンポリを貫いて生きた人だったのではないかと、そんなことを感じた。もちろんこれは私の勝手な思い込みだし、間違っているかもしれない。しかし、1931年に生まれたということは「少国民」と言われた世代だし、そこには戦争が暗い影を落としていたはずである。ところが谷川俊太郎はこのインタビューの中で次のように述べている。

「八月十五日、天皇のラジオ放送を聞いた時も、あまり何も感じられなくて。戦争が終わってよかった、と思うだけで」(75頁)
「僕自身がマルクス·レーニン主義にまったくかぶれなかった人間だから、その分、戦後のアメリカ自動車、ラジオが大好きになって、西部劇の男たちに親近感があった。それで銀座でジーンズを買って、まっ先に穿いたりね」(192頁)。

これを例えば、谷川俊太郎と同じ1931年に生まれた児童文学者の山中恒とくらべてみると、山中は児童文学を書く傍ら、強烈な反戦思想を持ち、自分が「少国民」であったことの意味を問い続けた。しかし谷川俊太郎にはそうした意識がほとんど感じられない。戦争体験に言及することもほとんどない。二人を比較するのはいささか強引かも知れないが、同じ年に生まれた二人が違う世界線を生きていたとどうしても思いたくなる。
そしてこのノンポリの姿勢を通したことが、戦後の詩の世界を変えていくある種の原動力になっていったのではないかという気がする。谷川俊太郎の詩は多くの人に受け入れられ、どんな世代、どんな立場の読者にもさまざまな想像力を掻き立てることになったのではないかと(蛇足だが山中恒の児童文学もまた素晴らしい)。
あくまでもこれは私の妄想に過ぎない。しかし谷川俊太郎が、それよりもずっと若い世代の「ノンポリ」に支持され、後年その雑談相手になったりしていたことは、そのことと関係するのかも知れない。しないのかも知れない。

#詩人なんて呼ばれて

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