『白血病、ツラクナイ』 〜闘病寝台列車編〜大賞応募作品〜
◻︎家族花
「タキモトくん。君はここに居るべきじゃない。」
伝説の始まりのようだった。ふいに投げ込まれたルームメイトの言葉は、圧倒的な「生」へのエネルギーが凝縮していた。凍りついていた僕の心が、あの日少しずつ動き出した。
台風のNEWSが、やたら気持ちを騒がせ始めた秋の入り口。健康だけが取り柄だった僕の体が異変を訴えている。その違和感は2025年の9月末から始まった。人生初の粉瘤が右太腿の内側にできたのだ。
「ニキビかな。汗疹かな。」
痒みが抑えれず、悪戯に膨らんだ部位を潰してかいていた。10月中旬になると右足の付け根に2個目の粉瘤ができた。1個目の粉瘤が500円を2枚横に並べたくらいに成長し、歩くと服に擦れ、痛みを我慢できなくなっていた。妻のすすめで地元の小さな皮膚科に行くと、
「なんでもっと早く来なかったの?」
と先生に本気で怒られ、当日手術。これが痛いのなんの。奥歯が折れそうなくらい食いしばってもとんでもない脂汗が出た。
11月半ばには2個目の粉瘤が大きくなり、諦めてすぐ病院で手術。痛いのは痛かったが、先生が気になることを言った。
「1個目の粉瘤後の瘡蓋。治りが遅いね。触ってないよね。」
傷の治りが遅いことを指摘される。
2025年12月半ば。インフルエンザでもコロナでもない風邪を引いた後から、咳が止まらなくなる。時期に止まるだろう、と思いながら気づけば12/31。
いつもよりお酒を多く飲み、家族で今年の労を労った。ちょっと飲みすぎたかな。しかしその夜から頭痛と共に、耳元にドッ、ドッ、ドッ、ドッと心臓音が鳴るようになった。
2026年1月9日金曜日。左下の頬、銀歯のあるところがパンパンに腫れる。歯医者に行くと、
「膿が溜まったのかな。大丈夫これで治るよ。来週一応見せに来てね。」
1月15日木曜日。一旦腫れが引いたように思えたが、また歯茎が腫れだし歯医者に見せると、
「なんでだろう、不思議だな。同じ処置をしたけど1/30日にまた来てね。」
と言われる。
じわじわと体が壊れていることに僕は気づいていなかった。仕事中の息切れ、不意にぶつけたあざの治りの遅さ。男性の貧血は特に危険な症状の現れだという事を。
1月23日金曜日。会社の会議中。
「タキモトくん。顔が真っ青だよ。大丈夫?」
部長に心配されるも、全然平気ですよと答える。
1月26日月曜日。5歳の娘がいつになく登園をぐずる。仕事は休みだった。
「パパと歩いて保育園行こうか?」
「うん!いきたい!」
「パパ大丈夫なの?無理しないで。」
パジャマ姿の愛しき妻に、いつもの優しいハグをして家を出る。
園までは、歩いて15分くらいなのは分かっている。飛行機雲が冬の空に真っ直ぐ伸びていて、親子で田んぼの畦道をきゃっきゃ言いながら歩いて行く。
1月の凍った土を割って、雑草に紛れて小さな花が咲いている。ナズナを見つけた5歳は、
「パパ〜!たんぽぽ、たんぽぽ!」
と嬉しそうに、ふ〜ふ〜!と飛ばないそれに息を吹きかけていた。僕は徐々に荒れる呼吸を気にしつつ歩く。すると、そこだけ星が落ちたように青く光るハッとするほど鮮やかな、青い小さな花を娘が見つけた。
「パパ〜!しゃしんとろう。そのあとおはなのおなまえしらべよう!」
娘と何度インカメラで写真を撮ってきただろう。
お散歩コースの畦道は二人の想い出がたくさん詰まっている。
「オオイヌノフグリって花だよ。」
「きれい!わたちこのむらさきのおはなだいすき。ママにあげようよ。」
思ったよりのんびりしすぎたな、と思いながら僕は、
「ちびたん。このお花にも家族がいるんだから、ちぎって連れて行ったら可哀想だと思うな。」
「そうだね。みるだけでもしあわせになったもんね。おはなさんありがと。」
手袋に守られた小さな手の感触を愛おしく握り返して園に向かった。
「変わりありません。先生今日もよろしくお願いします。」
保育園に着くと赤い鼻の娘はぶんぶんと僕に手を振り見送ってくれた。
「寒いな。」
行きに20分かかった道を、今度は壁に支えられながら27分かけてとぼとぼ帰宅する。
「苦しい。なんで?」
下を向き大きく息を吐き出し、次の10メートル分の酸素を大きく吸い込む。こめかみに向かって激しい悪魔の足音がドッ、ドッ、ドッ、ドッと永遠に走っていた。
1月27日火曜日。妻に促され仕事を早退して、有名な呼吸器内科へ。喘息と診断されるも先生は悩んでいた。会計直前、
「タキモトさん。ごめんね、血液検査していいかな。」
1月28日水曜日。朝9時。昨日の呼吸器内科の先生から電話。
「タキモトさん。紹介状を書きますので血液内科の先生を尋ねてください。」
紹介状を取りに行った。妻は嫌な予感がする、と言っていた。
1月29日木曜日。今日は今年の命運をかけた大切な戦略発表の日。2ヶ月かけて用意した資料を社長にプレゼンする日だ。バチっとスーツに着替え、会議前に病院へ。
「どうぞ。」
「失礼します。」
僕が椅子に座って3秒経った頃合いに、先生は言った。
「単刀直入に申し上げます。タキモトさんは白血病です。」
「えっ。」
「即入院です。お仕事の都合もあるでしょうが緊急を要します。 だいぶ無理をされていませんでしたか?」
「、、、。」
「いつ倒れてもおかしくない状況で今日まで来ましたね。奥様にご連絡をとってください。もう一つ大きな病院に移動です。」
サンドバッグの気分。事実という言葉で殴られ呼吸も忘れる。口をぽかんと開けていた僕は、会計中の間スマホを握り締め、妻になんて言おうと震えていた。診察を終えた後から院内の景色が変わった。テレビのニュースでタレントが意見を言っている。声がだんだん聞こえなくなる。笑ってる顔が不愉快で下を向いた。
「ここに座っていてください。私が会計してきます。」
看護師さんは僕の診断を知ってか知らないか、とんでも無く優しい。妻になんて言おう。上手く言わなきゃ。なんて言おう。驚かせないように。コール音の2回目が鳴る前に妻は出た。
「パパ。どうだった?」
「、、、、。なんかね、白血病みたい。」
ガタンッ!と鳴る音がして妻の動揺が僕に返ってくる。
しまった!
「分かった。入院かな?何がいるって言われたの?」
冷静を保とうとする妻の声に人目を気にせずグスグス泣いた。子供みたいに泣いた。
「タキモトさん。タクシー来ました!」
看護師さんに案内され、ごめんまた病院で、と電話を終えた。
とんでもなく大きな病院に着いた。消えかかった蝋燭の火のような命だと思っていた僕だが、着くや否や、数えきれない採血、輸血、点滴のおかわり、
MRI、CT、レントゲン、心電図と検査はスムーズに進む。血液内科で交わされるポジティブな発言、チーム力の高い動きは目を見張るものがあった。
「治しに行きましょう。」
おしゃれパーマの30代。いかにも修羅場を潜り抜けてきたエースという感じの担当医林先生。
「タキモトさんは娘さんいらっしゃるんですね。僕は娘が3人います。必ず帰りましょう。」
治るのか?絶望から戦い(希望)への扉が開いた瞬間だった。

必ず守るから
個室入院は快適に過ごせた。妻と娘が毎週土曜に差し入れを持って来てくれる。週の167時間30分の孤独。家族と過ごす30分が次の1週間の活力を与えてくれる。娘が来る度にたくさんの折り紙をし、部屋には鶴やカブト、チューリップがたくさん咲き誇った。
桜が5分咲きの3月最後の土曜日。1日だけの退院だったが、娘の卒園式に行けたのは幸せだった。
新一年生の生活も始まり、妻との話題は学校の事が増えてきた。晴れ男の僕は、参加できなかった雨の日の入学式を悔やんでいたが、今では一人で登校し、お友達とも仲良くできているようだ。本当に良かった。
気になる抗がん剤の副作用としては、味覚が一時的に無くなった事、治療開始して20日過ぎた頃から髪の毛が抜けた事があげられる。吐き気や腹痛は思ったほど無かった。現代医学の進歩は、想像した恐怖を優しい現実で軽々と超えていったのだ。
僕の病気は、急性骨髄性白血病【AML】という。日本では人口10万人あたり年間約4人の割合で発症するようだ。日本で1年間に白血病と診断される人が約14000人も驚きだが、AMLは全体の約60%を占めている。40歳以上の男性に多いが、小児にも発生するから年齢層は一概に言えない。“急性”という名の通り、がん化した細胞の増殖速度が非常に速い。夏の健康診断で全く問題なかった僕が、冬にガタガタと崩れたのも分かる気がする。
◻︎ルームメイトは御乱心
「タキモトさん、おはようございます。大部屋へご移動お願いしてもいいですか?」
「わかりました!」
ふらふらと立ちくらみに気をつけながら荷造りをする。体力落ちたな。3週間の抗がん剤が終わった次の日の朝。突然僕の大部屋行きが決まる。僕は体力を戻すフェーズに入った。白血球の数値が1000を超え、好中球が6割を超えてくると一時退院できる。この時点では白血球が200しか無く、薬がしっかり効いてる証拠だ。
「ベッドごと移動しますから、荷物乗せていいですよ。」
少ない荷物を乗せて看護師さんと二人でベッドを押して行く。少し緊張しながら。
部屋の自動ドアが開くと僕のベッドスペースが左奥だとすぐ理解した。右奥、左手前は無菌カーテンが閉められ、テリトリーを感じさせる。右手前はスペースが、がらんと空いていて3人部屋と分かる。
「それではタキモトさん、トイレと洗面所はこちらです。シャワーは1日1回15分でお願いします。希望時間は毎朝10時の検温の時にお聞きします。」
「狭いな。」
最初に出た感想はこれだ。カーテンの真ん中にパラマウントベッドを配置。左手には大きな開かない窓。ベッドから距離にして1メートル。窓のそばに幅60センチ縦3メートルの扉付き収納が設置さてれはいる。右手には床頭台(テレビ冷蔵庫、引き出しテーブルがついた多機能収納家具)がある。冷蔵庫はテレビカードで有料だ。天井は4メートルほど。一人一人天井にファンフィルターユニットというカビを除去する空気清浄機が備え付けられている。半径2.5メートルぐらいの僕の世界の紹介は以上だ。
「へっくしょん!」
くしゃみに驚く。個室と違い人の気配がびんびんに感じる。耳を澄まさなくても、心電図や点滴の機械音が各々から聞こえる。シェフ時代ニューヨーク。6人でルームシェアしていた僕には、どうって事ないはずだったが、、。
それから1週間ほど経ち、少しづつルームメイトの人となりが透けてきた。カーテン越しでも分かる。なぜなら皆さん声が大きく筒抜けだから。性格、看護師さんへの態度、1日のタイムプラン。
左手前ラムさん。60代男性。身長180センチ。運送業。北九州弁が強い。漫画うる星やつらのラムちゃん語のおじさんだ。看護師さんに高圧的。言いたい事は全部言いたい人なんだろうな。リハビリは頻繁にしていて体は強そう。白血球が1500くらいあるようで、1階のコンビニが許されている。心底羨ましい。1日3回はコンビニに行っているようで、ヘッドフォンをしてテレビを見ながら煎餅をボリボリ食べている。咀嚼音。ため息。独り言。とても大きい。
右奥キツツキさん。この人も60代男性。身長165センチ。前回の一時退院で
1週間で8キロ太ったらしく、担当医に怒られていた。昨年まで居酒屋を経営していて、店を閉めたタイミングで白血病が分かったようだ。ナースコールを一番鳴らす。
そして僕はというと毎週10冊単位で本を読む引きこもり君。
教師でもある兄に、
「どうせ暇なら本を読めば良い。」
活字が苦手な僕に合わせて、小話、タレント本、エッセイ、哲学名言集、小説、民俗学と徐々にレベルを上げて読む楽しみを教えてくれた。
ベッドの上で1日の95%を過ごす。時間にすれば、1日約22時間40分。全く大袈裟ではない。リハビリ自電車は1台のみ無菌廊下にあるが、僕は2人のルームメイトのタイムプランを刷り込み、乗る時間を決めた。朝食後の8時30分から9時までと、みんながシャワーを浴びた後の15時から15時30分までとした。あとは自身のシャワータイムと1日6回の歯磨き、10回のトイレは忍者のように耳を澄まして、周りのカーテンの開け閉めを聞きながら実行する。20歳くらい年上の先輩達に無意識に気を使ってしまう。
「だ〜か〜ら!俺は茄子が好かん!っち前も言うたやろう。あと白飯が足らんけ大盛りにしてっちゃ。昨日の研修医の姉ちゃんやけど、骨髄採血(マルク)が下手やけ俺にはつけんじょって。」
ラムさんのデカい声が今日もこだまする。よく食べる人だから、病院食じゃ足りないのだろう。いつも駄々をこねている。クレームを全部看護師さんに言っているが、だいたい朝の回診で林先生に却下をくらう。
「先生お願いしますっちゃ〜。点滴多過ぎやせんかね。管もぎょうさん繋がっちょるしトイレに行くのも大変なんよ。水も1日2リットル飲みなさいちゅうのも辛いっちゃ。」
「ダメです。水責めは止めません。頑張ってください。」
バサリッ!流石っ!林先生。彼を止めれるのは先生だけである。
「はーい。」
ナースコールで呼ばれた看護師さんの声が隣でする。
「1階のコンビニでコーヒー買ってきてくれる?俺は部屋から出られないからさぁ。別に行っていいなら自分で行くけどさぁ。」
ねちゃ〜っとした粘着質な喋り方をするキツツキさんだ。
「そうそうこの前さぁ、財布とポイントカード渡して新人の看護師さんにお使い頼んだらさぁ、ポイント使われたから気をつけてよ〜。」
「申し訳ありません。再発防止に勤めます。」
「いいけどさぁ〜。シャワーの後、背中と頭に保湿剤塗ってくれる〜?」
嘘である。
ポイントで買ってきて、と言ったのを隣で僕は聞いていたから。ちょこちょこ嘘をついて看護師さんを困らせているから嘘つきさんだ。弱みの懐を狙うような会話が多く、聞いていて辛い。長い闘病生活は心までも病んでしまうのか。反面教師にしよう。
「タキモトさん。昨日のレントゲン見たけど。蛸壺心臓になってるね。」
「えっ、何ですかそれは?」
大部屋に移動してしばらく経った頃。林先生から告げられた蛸壺心臓。全身に血液を送り出すポンプの左心室が、ストレスで動きが悪くなり、先端ぷっくり、根元がキュッのまさに蛸壺に変形してしまった様だ。2週間くらいで治るそう。
こんなルームメイトの話を聞きながら、いつまで入院生活は続くのか。まるで、どんな人が乗ってくるか分からない闘病寝台列車じゃないか。すでに降りたい。
◻︎闘病寝台列車
いつから乗っているのか。降りる駅はどこなのか。乗客はみんな、パジャマ姿の患者たち。みんな気づけ。観光列車では無い。カーテンの向こうでは時折、乗客達が子供のように駄々をこねる声が聞こえる。朝の回診になれば、車掌の林先生が、ちゃんと席に座っているか、体調は悪くないかと声をかけてくれる。切符の確認だ。けれど僕の切符には、まだ降りる駅の名前が書かれていない。終着駅は人生の再スタートを意味する「寛解・退院駅」。行き先の分からない不安の中、列車は進んでいく。
妻と娘に週1回30分しか会えない僕は、かなり追い込まれていた。すぐに始めた絵日記。方眼ノートの真ん中に左から右へ中心線を引く。マスの中に狂ってしまいそうな自分の理性や、バラバラになりそうな時間を1マスずつ繋ぎ止め、時系列で正方形の中に閉じ込めていく。意外と何も変化のない闘病生活。ささやかな抵抗のように綴った日記を読み返し、いつか娘に読んで欲しいなと。上の空白スペースにつたない絵を描いていく。それにしても下手。
そんなある日三人目のルームメイトが右手前に搭乗してきた。座頭市さん。70代男性。170センチ。杖をついている。物静かで看護師にも敬意を示している親分肌。個室から移動されてきた。部屋からほとんど出てこない謎の多い人だ。あまりにも静かで気配が無い。座頭市さんの情報を掴むことが出来ず数日経った。
朝食が終わり、そそくさと歯磨きを済ませ、無菌廊下のリハビリバイクへ。
20分負荷6キロで漕いで行く。
「タキモトくんおはよう。」
急に後ろから話かけられたもんだから、僕は少し声が詰まったが、
「はい!おはようございます。」
座頭市さんだ。彼は廊下の窓際椅子に座る。点滴を引き連れている。距離にして横2メートル。
「タキモトくん。君はここに居るべきじゃない。」
「えっ。」
「カーテン越しに聞かせてもらったが、小さい娘さんと奥様が家で待っているんだろう。移植はするのかい?」
「は、はい。ドナーさんが一人は見つかったんですが、兄が手を上げてくれたので、兄から移植をさせてもらいます。7月の予定です。」
「そうかそうか。私は移植できない年齢だから、一生この病気と付き合うよ。治りそうなら良かった。」
自分の事のように座頭市さんは喜んでくれた。その後5分ほど話した。僕はリハビリバイクを漕ぎ続けながら。入院して初めて患者さんと話したので上手く喋れたかは分からない。
「ありがとう。楽しかったよ。ただ前を向いて走りなさい。」
僕は前を向いてリハビリバイクを残り10分漕いだ。病院の景色が自宅までの帰り道へ変わっていくような気がした。

◻︎優しいカタルシス
僕はその日から少しづつ闘病意識を変え始めた。病院の健康な食事は、美味しいとは言えないが薬だと思って完食する。
妻に「肌が綺麗になったね」「歯綺麗になったね」と褒められたいと、乾燥防止にボディクリームを塗りまくる。リップもしっかり、ちゅるりん。頭はつるりん。家族とはほとんど会えないため、心のエクササイズにSNSを始める。真摯に、誠実に。
時間だけは無駄にあるので、コメントをたくさん丁寧にしてるうちに日に日に戦友が増えていき寂しさが無くなった。病室という狭い世界に閉じ込められたはずなのに、世界はむしろ広がっていく。見ず知らずの僕を毎日励ましてくれる人。同じ病と向き合う人。コメント欄はいつも優しい。人のリアクションは自分の鏡だと。SNSが病室の冷たい壁を彩るように、孤独がかき消されていく。

22時の消灯時間。寝息が合わさり、いびきになって、合唱が始まる頃。僕は静かに床頭台の読書灯を点ける。チカツ。闘病寝台列車が走り出す。
ヘッドフォンを被りNujabesのLuv(sic)をかける。キックとスネア、シンバルのリズムが、ドンツ、タンツ、ドンツ、タンツとキープされ、まるで規則正しくレールを走る夜行列車の様。ふと目をやると、窓に反射する僕は嬉しそうに笑っていて、絶対に開くはずのない頑丈な窓ガラスは、下半分が軽く開くのだ。何ヶ月も感じていない春の風が僕を包む。優しい良い匂いだ。
ガタン、ゴトン、ゴトン、ガタン。ガタン、ゴトン、ゴトン、ガタン。
走りすぎていく景色。はるか遠くの街には、無数のマンションの灯りが星屑のように点滅している。リズム良くチカッ、チカッと。ヘッドフォンの音楽とのシンクロは続く、外の街の光をしばらく見た後、満足げに目線をパソコンに移し、僕は記事を書き出すのだ。そうだ、同じ列車に乗り合わせた人達がどんな人であろうと関係無い。この無菌室の大部屋にやってきた当初、僕は同室の2名が毎日のように無理な駄々をこね、愚痴をこぼし病室の静寂を乱すから、ただ耳を塞ぎ、関わらないように避けよう避けようと必死だった。彼らは僕の平穏を脅かすノイズだと決めつけていた。そんな僕の頑なな心を壊したのは、最後に遅れて搭乗した座頭市さんだった。
彼は、絶望に沈みかけていた僕に向かって掠れた芯のある声でこう言ってくれたのだ。
「前だけを向くんだ。タキモトくん、君はまだまだ先があるだろう。」
冷え切った僕の心は猛烈に燃え出した。僕のなかの創作意欲は倍増し、自分がインプットできる事、発信できる事を日々継続しようと、強く前を向くことができた。彼らだって、好き好んでここにいるわけじゃない。すべてはいつ降りられるかも分からないこの「闘病寝台列車」の恐怖に、必死で耐えるための彼らなりの悲鳴だったと思えば、 僕が夜中にパソコンを開いて世界を変えようと足掻いているように、彼らもまた、それぞれの方法で、この過酷な夜行列車を生き抜こうとしているんじゃないかと思えるようになった。同じ列車に乗った、旅の道連れだ。怯えながら過ごすより共に等しく重い命の時間を走らせていけたらと考えられるようになっていった。
「おはようございます!」
避けるために把握していた行動パターンを逆手に取り、彼らのタイミングの歯磨きやリハビリ時間に廊下へ出てみた。
「おっ、びびったぁ。元気に挨拶してくれて気持ちかぁね。俺も嬉しいっちゃ。最近調子はどげんね?」
自然と会話が弾んだ。ラムさんは威張った感じは無く、娘さん二人の父親で
孫に会うために早く病気を治したいという焦りがあるそうだった。
「あらっ、おはよぉう。初めて話すね。いつも騒がしくてごめんねぇ。」
キツツキさんは、奥様が可愛いくて仕方がない事、50過ぎてできた息子さんが大切だという事。息子さんが学校へ行けてない事を相談してくれた。不信感の防波堤は挨拶ひとつで砕け散り優しいカタルシスとなった。
それからの日々は、まるでオセロの石が次々とひっくり返っていくように、病室の景色を変えていった。共同のトイレもシャワーも、なんとなくみんなが意識して綺麗に使い始めたような気がする。僕は窓の外の空想の景色ばかり追わなくなっていった。
「今日お粥に、妻の差し入れのゆかりふりかけに、海苔をちぎり入れて食べたら3つ星級に美味しくなりましたよ。ゆかり回しましょうか?」
冗談混じりに声をかけると、部屋の中にドッと笑い声が弾けた。
◻︎光の射す終着駅へ
愛すべき旅の道連れと過ごす日々。もちろん、現実の病状は決して甘いものじゃない。僕の白血病は移植が必要な変異タイプ。病気のターゲットを林先生が狙いを定め、手を替え品を替えて投薬をし、コントロールしてきた。
これまで寛解には5ヶ月の闘病生活の中で、2回失敗している。
寛解の重要な指標となるのは、骨髄の中の白血病細胞(芽球)の割合が5%以下になること。裏切られるたびに激しい絶望が頭をよぎり、胸の「たこつぼ」が悲鳴をあげそうになった けど、
「タキモトさん。ターゲットは確実に絞れてきています。6月に必ず寛解させて家に一時帰宅しましょう。大丈夫です。」
おしゃれパーマの林先生の瞳は真っ直ぐで力強い。先生を信じる。

そして、僕にはもう一つの大きな「確信」がある。5月27日。僕の誕生日。兄弟間で一度も誕生日プレゼントのやり取りをしなかった兄から、初めてプレゼントを受け取った。 それは、リボンのかかった箱でもなければ、洒落た時計でもない。 僕の命をもう一度動かすための、骨髄ドナーとしての『造血幹細胞』だった。頼もしい兄がくれた、僕の身体を新しく生まれ変わらせるための命のバトン。これ以上のプレゼントが、この世にあるだろうか。
移植の予定は、7月中旬。 これから先、強い化学療法や放射線治療が待っている。その後にやってくる激しい副作用が、怖くないと言えば嘘になる。身体がボロボロになる恐怖に、足がすくみそうになる夜もある。
だけど、今の僕はもう一人じゃない。僕の帰りを待つ愛しき妻。凧揚げが大好きな愛おしい娘。前を見るんだと背中を叩いてくれたあのルームメイト。
そして毎朝「おはよう。」と笑い合い、僕をこの部屋のオアシスにしてくれた、寝台列車に乗り合わせた大切な仲間たち。最新医療で徹底したチーム力を見せる看護師さんや先生達。たくさんの温かい手が僕の背中を力強く押してくれている。だから、僕は絶対に乗り切ってみせる。
ドンツ、タンツ、ドンツ、タンツ、と夜を刻むのビートは、もう闇を進む音じゃない。光に満ちた終着駅へとひた走る、希望のファンファーレだ。
僕が一日中本を読み、毎晩寝台列車でブログを3本仕上げる理由。
それは、世界を変えたいから。
愛してるものを、愛してると叫びたいから。
そして、僕の言葉を読んでくれる全ての人に、心からの「ありがとう。」を届けたいから。
夏が近づく事を知らせるように、日に日に朝は早く僕を迎えに来る。
僕らの列車は、もうすぐ眩しい光の射す駅へと滑り込む。
ヘッドフォンを外すと、顔を少し左手で覆い、笑みを浮かべた。
「うん。大丈夫、ツラクナイ。」
あの朝日のように命を燃やして。
(闘病寝台列車編 完)
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