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「白血病、ツラクナイ」〜出張カウンセリング編〜大賞応募作品

◻︎二つの虹


「タキモトさん。思い切って有給申請出して良かったです。ヨーロッパに行きます。あの時、背中を押して下さってありがとうございます。」

迷いのない清らかな顔でペコリと頭を下げる看護師さん。

「それは良かったです。」

と笑顔で返す僕。あの頃の僕は、まさか病室で感謝される自分が居るとは思ってもいなかった。

 2026年1月29日。強風が吹き荒れ、曇天のあの日。紹介状を渡した医師に、9時5分には白血病を宣告された。急性骨髄性白血病。そう宣告された時、医師の口は動いているのに、耳の奥はキーンと高い音が鳴り響き、その後の言葉は何も入ってこなかった。しかし、このまま絶望の淵に叩き落とされるかと思いきや、子供の頃家族で見た医療ドラマの”助からない白血病という呪い”は、あっさり吹き飛んだのだった。

「近頃の抗がん剤は、副作用が出ない方が本当に多いですよ。」

入院初日にした沢山の検査。身長・体表面積、肝機能・腎機能、血液検査から投与量が細かく計算されて、 オーダーメイド調製された僕用の透明の液体。これが噂に聞く抗がん剤か。僕の体を守る武器だ。それにしても毎回、憎らしい程にたっぷり入ってるな。副作用について怖いことも書いていた同意書にサインはしたが、制吐薬の進歩も目覚ましく、確かに一度も吐かない日々が続いている。

ブツリ。
切れてしまった社会との繋がり。最初の1ヶ月くらいは会社の上司や仲間から、ひっきりなしに連絡が鳴り続いた。嬉しいような迷惑のような。しかし、僕にとって一年で一番大事な会議の日に強制入院だった事もあり、後悔の裏返しか返信はどんどん短くなっていった。やり取りが妻だけの世界になった頃、驚くほど快適な闘病生活は、白血病という重々しい病名とは裏腹に、沢山の本に囲まれた穏やかな日々が淡々と流れ始めていた。

 痛みも吐き気もない。余計に奇妙だった。外の世界では、今日も仲間達が汗を流し、経済が動き、友と笑い合っている。僕の時間だけが止まり白い部屋に取り残されているみたいだ。読書にふける。ベットから動かなくなってきた分、頭だけが冴え渡る。軟禁無菌室の窓からの景色を見下ろし、自分はもう社会に必要とされていないのではないかという、ズルッと両足をドス黒い何者かに引っ張られるような、底なしの虚無感が部屋の中に時折り暴発した。

「タキモトさーん!今日の担当、久しぶりに私でーす。」

今日の人も眩しいほどに明るい。
「あ。あっ、はいよろしくお願いします。」
地元のクリニックで感じた事の無い、懐に入ってくるホスピタリティーが入院病棟にはあるのか?僕の気持ちを知ってか知らないか見当もつかないが、血液内科フロア全体に、"タキモトさんを絶対救おう"という堂々とした献身と、使命感に溢れたチーム医療が深々と染み渡っているのだ。僕は医療スタッフに次第に敬意を表した。皆さん必ず幸せになってくださいとすら強く思うようになった。雨の多かった2月が終わる頃、涙で濡れた世界を祝福するように、僕の安堵を表すような虹を見たんだ。開かない窓の日差しが優しく温かかったのを覚えている。

◻︎愛しています

母もこういう現場に30年居たのだ。
 僕の母は看護師だった。大きな病院だった。小さい頃の僕は、遊び場のように病院を出入りし、キュキュッとなる廊下を走っては、外来のベンチで母や顔見知りの看護師さん達からお菓子をもらって無邪気に過ごしていた。
母はどんな気持ちで勤め上げたんだろう。小走りでナースコールに対応する看護師さん達を見ながら思う。母の事を何も知らなかった。
 病院の現場も進化してきているだろう。献身的に働かれる看護師さん達を見ていると、母への感謝が溢れてくる。入院してから、母に電話する事が前よりは増えた。話の内容は決まって血液検査報告書の数値の話だ。
退職した今でも、色々と教えてくれる。すごい。
そして僕以上に、母を気にかけてくれる妻には感謝している。

「パパが病気して、鹿児島から来てくれて面会行った夜。今まで気丈なお母さんと思っていたけど、お母さんショックで泣いていたんよ。」

まじか。

「手紙書こうよ。チビたんの書いたじぃじとばぁばの似顔絵も入れてさ。パパも何か書いて。」

渡された便箋に僕は、
"父さん、母さん。必ず病気に打ち勝つよ。僕が孫を抱きしめるまで絶対死なない。二人の事を心から尊敬し、愛しています。いつもありがとう。"と。

◻︎出張カウンセリング室

 社会との繋がりは途絶えてしまったと思っていたが、自分の力でもう一度手繰り寄せたいと思い始めた。 活気ある医療の現場に、虚無だった僕もあらがい始めた。すがるように手を伸ばしたのが、積み上げられていく「本」だった。それは、本当に小さなきっかけだった。
 パジャマを着た坊さん。そんな見た目の僕は、ベッドの上であぐらをかき、むさぼるように本を読み続けていた。忙しく動き回る看護師さん達の目にどう映ったかはわからないが、「いつもたくさん本を読んでいますね。」と、一人の看護師さんが声をかけてくれた。ただの世間話のつもりだったのだろう。けれど、社会との繋がりに飢えていた僕は、読んだ本の話を無意識に、まるで体全身の血液から感想を発するように、せきを切って語ってしまった。やっちまった。
入院するまでちゃんと本を読んでなかった。教師の兄から宿題のように積み上げられた本達は、今の僕の世界そのものだから。エセマニアックな語り。
ごめんなさい。
煙たがられるかと思ったが、彼女は驚くほど、うんうんと真剣に耳を傾けてくれた。 それもそのはず、彼女たちこそ、張り詰めた命の現場で、誰よりも「無駄な力み」と戦い、心と体をすり減らしている当事者だったからだ。

「すごく楽しかったです。今度は何か相談させてくださいね。」

不思議と一人、また一人と、バイタルを測りに来るたびに、看護師さん達が「ちょっと一息」つくようになっていった。最初は病状の確認だったはずの時間が、いつの間にか、彼女たちの悩み相談や、心を開放する時間へと変わっていく。

「私、本当にこのまま看護師を続けていいのかなって思うんです」

日々命と向き合う責任の重さに、心が少しだけ削れてしまった看護師さんには、僕の一番キツかったニューヨークシェフ下積み時代を話した。
英語も通じない部下に料理をトレーニング。納品業者に舐められる。仕入れすらまともにできない。休みが月に1回しか無い。マイナス23℃の日にアクシデントで凍死しかける。ホームレスに毎日追っかけられる。築100年以上のビルの店だからネズミが出て営業停止された話もした。今じゃ笑い話だけど、それでも今があるのは、

「その時踏ん張ったからです。」

そこまで聞いてくれた彼女は、泣き笑いしながらガッツポーズをくれた。

「勇気がでました!まず今日頑張ります。」

 ある看護師さんは、

「いつかどこか、遠い国へ行ってみたい。」

と言った。自分に優しくしたい、客観的に自分を見つめ直す時間が欲しい。

「じゃあ行くべきですよ!僕も命をさらして美しい物をたくさん見ました。」

彼女の背中を、言葉でぐんっと押した。
 彼女達が僕に話すのは、「ただの患者」である以上に、立場から見れば外を知る「社会の一片」だったからかも知れない。病室という緊張と閉鎖的な空間の中で、彼女達の心をふっと緩める「窓」の役割をさせてもらえて良かったし、看護師として30年以上勤め上げた母との対話を、今ここでさせてもらってる気がして嬉しかった。

 病人は耐えるだけの存在じゃない。体が不自由でも、言葉を交わし、誰かの夢に耳を傾け一緒に笑うことはできる。
彼女たちが少しだけ足取りを軽くしてナースステーションに戻っていく。
その姿を見ることは、僕にとっても大きな薬で、復帰への心のリハビリだ。

「また相談に来てもいいですか?」

「もちろんです。」

気がつけば、僕の床頭台の周りは、ただの病室の一角では無くなっていた。 娘がクレヨンで描いてくれた家族の絵が見守るその場所は、過酷な現場を戦う彼女達が、ふっと鎧を脱いで「澄んだ顔」を取り戻す、
"小さな出張カウンセリング室"のようになっていたのだ。

社会との繋がりを失ったと思っていた僕は、救われるのを待つだけの存在だと思い込んでいた。 しかし、本から得た気づきを言葉にし、目の前の誰かの心を少しだけ軽くする事ができた今、それこそが僕がこの白い部屋の中で見つけた、新しい社会との繋がりだ。更なるインプット&アウトプットの始まりとなっていく。
7月中旬の移植に向けて、兄がドナーになってくれた。移植は必ず成功する。今の時間は、人生をより深く、強く生きるための、与えられたとても壮大な「稽古」の場だ。
怖い?辛い?
いやっ、徹底的に力みを消して、澄んだ顔で移植に臨みます。
それでは行ってきます。大丈夫、この戦いはツラクナイ。
(出張カウンセリング編 完)



こちらは闘病寝台列車編です。良かったら読んでくださいね☺️🌈

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