愛は無償ではなく、報酬を含んでいる
副題
それでも相手を報酬装置にしないために
はじめに
人は、誰かに何かをしてあげたいと思う
子供やペットにおもちゃを買ってあげたい
好きな人の力になりたい
頼られたら引き受けたい
疲れている人を少し助けたい
そういう気持ちは、しばしば美しいものとして語られる
愛
優しさ
思いやり
責任
献身
贈与
たしかに、そう呼んでも間違いではない
けれど、少しだけ正直に見れば、そこには報酬がある
子供が笑う
ペットが遊ぶ
相手が安心する
ありがとうと言われる
頼ってよかったという顔をされる
自分が誰かの役に立てたと感じる
その反応によって、こちらの心身も満たされる
ならば、愛とは完全な無償なのだろうか
私は、少し違うと思う
愛とは、報酬がないことではない
相手の幸福を、自分の身体が報酬として受け取ってしまうことなのだと思う
1
人は、相手の笑顔で報われている
子供に何かを買ってあげたいと思うとき、人は単に物を渡したいわけではない
その子が喜ぶ顔を見たい
目を輝かせる瞬間を見たい
自分の差し出したものによって、その子の世界が少し明るくなるところを見たい
ペットにおもちゃを買うときも同じだ。
それで遊ぶ姿を見たい。
こちらを見上げる仕草を見たい。
自分の差し出したものが、その小さな世界を少し楽しくする瞬間を見たい。
そこには、たしかに報酬がある
けれど、それは金銭のような報酬ではない
もっと身体的な報酬である
声
表情
信頼
安心
ぬくもり
自分が存在していてよかったと思える感覚
相手の反応が、こちらの内側に返ってくる
だから人は、また何かをしてあげたくなる
これは汚いことではない
むしろ、人間が他者と関係を結ぶための自然な回路なのだと思う
補章1
人は、まだ見ぬ笑顔にも報われている
人は、目に見える笑顔だけから報酬を得ているわけではない。
遠く離れた家族に贈り物を贈るとき、相手の反応はまだ見えていない。
それでも人は、すでに少し満たされている。
何を贈れば喜ぶだろう。
届いたら笑うだろうか。
少し驚くだろうか。
使ってくれるだろうか。
元気になってくれるだろうか。
そう想像している時間そのものが、ひとつの報酬になっている。
人が贈り物を選ぶとき、本当は物だけを買っているのではない
相手が喜んでくれるかもしれない未来を、少しだけ先に受け取っているのだ
つまり人は、現実の反応だけでなく、未来に起こるかもしれない反応によっても報われている。
贈り物とは、物を渡す行為であると同時に、相手が喜ぶ未来を先に想像する行為でもある。
だから人は、贈る前から報われる。
選んでいる時間に報われる。
包んでいる時間に報われる。
送る時間に報われる。
届いたあとの顔を想像する時間に報われる。
けれど、ここにも危うさがある。
想像の中の相手は、たいてい優しい。
想像の中の相手は、喜んでくれる。
想像の中の相手は、感謝してくれる。
想像の中の相手は、こちらの気持ちを正しく受け取ってくれる。
だが、現実の相手は違う。
反応が薄いこともある。
気づかないこともある。
負担に感じることもある。
こちらの期待とは違う受け取り方をすることもある。
そのとき人は、相手に裏切られたように感じる。
けれど本当は、現実の相手が裏切ったのではないのかもしれない。
自分の中で先に作っていた未来予測が、現実によって崩れただけなのかもしれない。
善意は、相手のために差し出される。
けれど同時に、相手が喜ぶはずだという想像によって、すでにこちらを満たしている。
だからこそ、愛には注意が必要なのだと思う。
相手の笑顔で報われていい。
まだ見ぬ笑顔を想像して、少し幸せになってもいい。
けれど、その想像の中の相手を、現実の相手に押しつけてはいけない。
愛とは、相手が喜ぶ未来を願うことではある。
けれど、相手が自分の想像どおりに喜ぶことを要求することではない。
ここにもまた、愛と支配の分岐点がある。
2
頼られることも、ひとつの報酬である
誰かに頼られると、人は少しだけ満たされる
自分が必要とされた
自分にできることがある
この人の中で、自分には役割がある
そう感じるからだ
相手に助けを求められることは、負担であると同時に、存在の承認でもある
だから人は、ときに無理をしてでも引き受けてしまう
頼られることには快感がある
任されることには誇りがある
誰かの困りごとの中に、自分の居場所が生まれることがある
ここを見ないまま、愛や優しさを語ると、少し綺麗になりすぎる
人は、誰かのためだけに動いているわけではない
誰かのために動くことで、自分の存在も支えられている
利他の中には、利己がある
だが、それは悪ではない
むしろ、利己と利他がまだ分かれていない場所に、愛は生まれるのだと思う
3
報酬があるから偽物なのではない
ここで、ひとつ誤解してはいけないことがある
報酬があるなら、それは本当の愛ではない
そう考えると、人間の愛はほとんどすべて偽物になってしまう
子供の笑顔が嬉しい
相手に感謝されて満たされる
誰かの役に立って安心する
大切な人が元気でいてくれるだけで救われる
これらはすべて報酬である
けれど、だから偽物なのではない
むしろ、報酬として身体が受け取るからこそ、人はそれを続けられる
完全な無報酬の愛は、理念としては美しい
けれど、人間の身体はそこまで抽象的にはできていない
身体は反応を求める
声を求める
表情を求める
ぬくもりを求める
自分の行為が誰かに届いたという感覚を求める
その意味で、愛とは無償ではない
愛とは、相手の幸福を自分の幸福として感じてしまう身体の働きである
4
しかし、ここから愛は危うくなる
相手の笑顔が報酬になる
それ自体は悪くない
だが、相手の笑顔が自分の報酬源になりすぎると、愛は少しずつ歪みはじめる
笑ってほしい
感謝してほしい
頼ってほしい
自分を必要としてほしい
その願いが強くなりすぎると、相手のための行為だったものが、自分の満足のための行為へ変わってしまう
あなたのためにやっている
そう言いながら、実際には相手を自分の報酬装置にしていることがある
相手が困っていないと、自分の役割がなくなる
相手が自立すると、自分が寂しくなる
相手が感謝しないと、自分が傷つく
こうなると、愛は支援ではなくなる
相手を助けているようで、相手が助けられる側でい続けることを望んでしまう
ここに、優しさの怖さがある
補章2
人は同じ報酬にいつか慣れる
人は、同じ報酬にいつか慣れる
最初は嬉しかった笑顔も
最初は胸に残ったありがとうも
最初は満たされた頼られる感覚も
何度も繰り返されるうちに、少しずつ当たり前になっていく
これは冷たい話ではない
身体が学習するということだ
人は報酬を受け取ると、その報酬を覚える
そして覚えた報酬は、次第に期待へ変わる
また笑ってくれるはず
また感謝してくれるはず
また頼ってくれるはず
また自分を必要としてくれるはず
最初は贈与だったものが、いつの間にか返答を待つ行為になる
ここで、善意は少し危うくなる
相手のためにしていたはずなのに、相手の反応が足りないと傷つく
感謝されないと虚しくなる
頼られないと寂しくなる
笑ってくれないと不安になる
すると、人はさらに強い報酬を求めるようになる
もっと喜ばせたい
もっと感謝されたい
もっと必要とされたい
もっと自分がいなければ駄目だと思われたい
このあたりから、愛は静かに変質する
善意は善意のまま、依存に近づいていく
相手を助けたいのではなく、相手に助けられる側でいてほしくなる
相手を喜ばせたいのではなく、自分によって喜んでほしくなる
相手を自由にしたいのではなく、自分の行為に反応する相手でいてほしくなる
ここに、愛の怖さがある
愛は悪意によってだけ歪むのではない
むしろ、善意が報酬と結びついたときに歪む
私はあなたのためにしている
その言葉の奥に、
だから笑ってほしい
だから感謝してほしい
だから離れないでほしい
だから私を必要としてほしい
という期待が混じりはじめる
そして期待が満たされないと、善意は怒りに変わる
こんなにしてあげたのに
この言葉は、善意が報酬契約に変わった瞬間に出てくる
本当は、贈ったはずだった
けれどいつの間にか、見返りを待っていた
しかもその見返りは、金銭でも物でもない
笑顔
感謝
依存
承認
自分が必要とされる感覚
そういう、見えない報酬である
だから厄介なのだと思う
目に見える見返りなら、人はまだ気づける
けれど、相手の笑顔を求めることは、一見すると美しい
感謝されたい気持ちも、人間らしい
必要とされたい願いも、誰にでもある
だからこそ、そこに支配が混じっても気づきにくい
愛が成熟するために必要なのは、報酬を否定することではない
報酬に慣れる自分を知ることだ
そして、慣れた報酬をさらに要求しはじめる自分を見逃さないことだ
相手の笑顔で報われていい
ありがとうで満たされていい
頼られて嬉しくなっていい
けれど、それが当然になったとき、愛は相手の自由を削りはじめる
成熟した愛とは、報酬を受け取りながら、その報酬を相手に請求しないこと
相手の笑顔に救われながら、相手に笑顔を義務づけないこと
頼られて満たされながら、相手が自分なしで立てることを恐れないこと
善意が依存や支配に変わるのは、報酬があるからではない
報酬を期待し、その期待を相手に背負わせるからだ
だから愛の倫理とは、ここにある
私はあなたの笑顔で報われる
けれど、あなたは私を報わせるために笑わなくていい
この一線を守れるかどうか
そこに、愛と支配の分岐点がある
そして愛にはもう一つの危うさがある
それは、報酬が消えたあとにも、関係の形だけが残り続けることである
信用
責任
惰性
罪悪感
生活の都合
一緒にいて楽だという慣れ
それらは、外から見ると愛に似ている
けれど、それはすでに愛そのものではなく、かつて愛だったものの残骸かもしれない
この問題については、
次の記事であらためて考えたい
次回記事
愛の残骸
5
成熟した愛とは、報酬を否定しないこと
成熟した愛とは、報酬を消すことではない
報酬が過剰になれば
愛は相手を縛る
報酬が消えたあとも関係だけが残れば
愛は残骸として人を縛る
だから大切なのは
報酬を消すことではない
報酬があることを知り
その報酬に支配されないことなのだと思う
相手の笑顔で嬉しくなっていい
感謝されて満たされていい
頼られて力が湧いてもいい
誰かの役に立てたことで、自分の存在が少し救われてもいい
それは人間として自然なことだ
問題は、報酬を感じることではない
問題は、相手を報酬のために使うことである
だから成熟した愛とは、こういう態度なのだと思う
相手の笑顔を報酬として受け取りながらも、相手に笑顔を強制しないこと
相手に頼られて嬉しくても、相手を頼らざるを得ない状態に閉じ込めないこと
助けることで満たされても、相手が自分なしでも立てるようになることを恐れないこと
愛とは、相手を必要とすることではある
けれど、相手を必要な状態のまま固定することではない
6
愛とは、報酬を含んだ倫理である
人は完全には無償になれない
誰かを愛するとき、人はどこかで報われている
笑顔で報われる
声で報われる
信頼で報われる
存在してくれていることで報われる
それでいいのだと思う
愛に報酬があることは、愛を汚さない
むしろ、報酬があるからこそ、愛は身体を持つ
ただし、その報酬を求めすぎたとき、愛は相手を縛りはじめる
だから大切なのは、無償の愛を演じることではない
自分が何によって報われているのかを知ること
そして、その報酬のために相手を利用しないこと
ここに、愛の倫理がある
おわりに
愛とは、相手の幸福を自分の身体が報酬として感じてしまう現象である
だから人は、子供に何かを買ってあげたくなる
だから人は、頼られると引き受けたくなる
だから人は、誰かの笑顔のために疲れていても動ける
けれど、愛が成熟するためには、その報酬を自覚しなければならない
私はこの人のためにしている
それは半分本当で、半分だけ足りない
私はこの人のためにすることで、自分も報われている
そこまで認めたとき、愛は少しだけ正直になる
愛とは、報酬がないことではない
報酬を受け取りながら、それでも相手を報酬装置にしないこと
相手の笑顔に救われながら、それでも相手に笑顔を義務づけないこと
相手に必要とされて満たされながら、それでも相手が自分なしで立てる未来を祝福できること
たぶん、愛の成熟とはそのあたりにある
誰かの笑顔を光として受け取りながら、その人自身を光源として所有しないこと
そして
かつて愛だったものを
いつまでも愛と呼び続けないこと
責任は責任として
信用は信用として
惰性は惰性として
きちんと名前を与えること
それもまた
相手を報酬装置にしないための誠実さなのだと思う
それが、報酬を含んだまま
それでも相手を所有しない
愛の倫理なのだと思う
最終命題
人間関係に報酬があることは悪ではない。
だが、その報酬を相手に請求し始めたとき、愛は支配になり、誠実さは利権になり、気遣いは自己犠牲か要求へと変質する。
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