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理念がある会社と 理念が機能している会社は まったく別物である



会社にはたいてい 立派な言葉がある
誠実
挑戦
品質第一
顧客第一
人を大切にする

けれど、現場で働いていると分かってしまう
言葉があることと、その言葉が本当に働いていることは、まったく別だと

理念を掲げている会社は多い
しかし、理念が機能している会社は多くない

この差はどこに出るのか
平時ではない
理念を守ると損をする瞬間に出る

納期を守るために確認工程を削りたくなった時
大口顧客の無理筋な要求を断りにくい時
不具合を小さく見せたほうが会社にとって都合がよい時
売上を優先すれば数字は作れるが、長期の信頼を削ってしまう時

その時に何を選ぶかで、その会社に理念があるのか、それとも理念らしき文章があるだけなのかが分かる。


企業哲学とは何か


企業哲学とは、その企業の仕事への取り組み方や考え方を形にしたものだ、と言ってしまっても大きくは外れてはいない。

ただ、それだけだと少し浅い。

本当の企業哲学は、仕事のやり方の説明ではない
その企業が何を良いとみなし、何を悪いとみなし、何を優先し、何を切り捨てないのか
その判断の骨組みである

言い換えると、企業哲学とは、会社の人格に近い

どれだけ儲かる話でも、ここは譲らない
どれだけ急いでいても、ここは飛ばさない
どれだけ相手が強くても、ここは折れない

こういう線がある会社は、哲学を持っている
逆に、その線がなく、その場その場で強い圧力に押されて決めている会社は、哲学を持っていない


企業哲学がない会社とは何か


企業哲学のない会社とは、理念文が存在しない会社のことではない
価値の優先順位が共有されていない会社のことだ

そういう会社では、何が起きるか

顧客の言いなりになりやすい
ただし、これは顧客志向ではない
判断停止である

顧客の要望を聞くことと、何でも受け入れることは違う
本来なら、顧客満足より安全を優先する場面もあれば、短期利益より品質を優先する場面もある
そこに線を引けない会社は、顧客に向き合っているのではなく、顧客に揺さぶられているだけだ

会社理念も形骸化しやすい
壁には貼ってある
採用ページにも載っている
朝礼でも唱和する
だが、評価制度にも昇進にも会議にも不祥事対応にも使われていない
そうなると理念は旗ではなく壁紙になる

商品開発も安かろう悪かろうに流れやすい
なぜなら、何を価値とみなすかが曖昧だからだ
安さを価値とするのか
長持ちすることを価値とするのか
修理しやすさを価値とするのか
使っていて疲れないことを価値とするのか

この序列がない会社は、結局、売れそうなものに寄せる
すると短期では売れるかもしれないが、長期では自分が何者なのか分からなくなる


企業哲学のない会社は なぜ短期的には回るのか


ここが少し厄介だ
企業哲学がなくても、会社はしばらく回ってしまう

なぜか
外圧があるからだ

納期が迫る
顧客が怒る
今月の数字が足りない
上司が急げと言う

これだけで仕事は一応動く
何が正しいかを考えなくても、何をしないと怒られるかで人は動く
つまり、自律がなくても反射で回る

さらに、現場の善意や有能さがある
責任感の強い人が無理をする
気が利く人が先回りして穴を埋める
優秀な管理職が矛盾を自分一人で飲み込む

こうして会社は一見すると機能する
だがそれは、仕組みで回っているのではない
人柱で回っている

しかも、短期では矛盾が表面化しにくい
品質と納期の衝突
利益と信頼の衝突
現場負荷と顧客満足の衝突

こうした矛盾は、残業や我慢や先送りで一時的に埋められてしまう
だから、問題を解決していなくても、回っているように見える

だが本当は違う
回っているのではない
まだ崩れていないだけだ

さらに経済的なことを書くと企業は資金繰りが回っているうちはなかなか倒産しない。

赤字続きの企業は内部留保を取り崩しているのかというと、それだけではない。

内部では累積赤字が溜まりに溜まっている場合もあるのだ。

それでも、入金さえあれば表面上は健全なようには見えてしまう。

資金繰りとは人間で言うと血液のようなものだ。

その資金は資産なのか、純資産なのか、負債なのか

それは良い血液か悪い血液かみたいな問いでもある。

負債が全て悪だとは思わない。

同じ負債でも、コレステロール値の高い血液なのか、二酸化炭素を多く含む血液なのかでも、どう悪い血液なのかが変わってくるということだ。

ただし、それが健康上の問題に発展するのか

二酸化炭素と酸素を交換して再び栄養を毛細血管へと運ぶようになるのかは別問題というはなしだ。


理念がある会社と 理念が機能している会社


ここで大事なのは、理念がある会社と、理念が機能している会社を分けて考えることだ

理念がある会社は、言葉を持っている会社である
理念が機能している会社は、判断基準を持っている会社である

この違いは大きい

たとえば、品質第一という言葉があるとする
理念があるだけの会社は、普段は品質第一と言う
だが、納期が厳しくなると確認工程を削る
営業案件が大きいと例外を認める
不具合が出ると隠したくなる

一方、理念が機能している会社は、納期が厳しいほど品質基準を確認する
大口案件でも危険な要求は断る
不具合を隠すこと自体を理念違反として扱う

つまり、理念が機能している会社は、理念に反する利益を断れる会社なのだ

ここが本質だと思う

理念がある会社は、立派なことを語れる
理念が機能している会社は、立派なことを守るために損を引き受けられる

この差は、文章の美しさでは埋まらない


理念はいつ壊れるのか


理念は、平時には壊れにくい
問題は、理念を守ると不利になる局面だ

創業時
この時期の理念は純粋だが、制度になっていないことが多い
創業者の人格そのものが理念の代わりをしている
だから人が少ないうちは機能しているように見える
だが、拡大すると解釈が割れる
理念ではなく、創業者の気分を読む組織になりやすい

成長期
ここでは速度が正義になりやすい
採用を急ぐ
拠点を増やす
案件を増やす
管理職を量産する
その結果、理念を共有している人と、成果だけで動く人が混ざり始める
さらに、今回は特別という例外が増える
この例外の累積が理念を壊す

大企業化
人数が増え、部門が増え、階層が増える
この段階では、理念は熱意だけでは持たない
採用、評価、昇進、品質基準、懲戒、会議設計にまで落とし込まれなければならない
それができないと、理念は共有されるものではなく、掲示されるものになる

不況時
ここでは生存の恐怖が前面に出る
人を大切にすると言いながら真っ先に現場を削るのか
品質第一と言いながら検査を削るのか
誠実と言いながら下請けにしわ寄せするのか
苦しい時に守られた理念だけが、本物の理念だと思う

不祥事時
ここは最後の試験場だ
平時の理念は、自社紹介に使える
だが不祥事の最中には、理念は自己裁判の基準になる
ここで都合よく言い換え始めた時、理念は最大に空洞化する

品質改善にこそ 会社の本音が出る

新しい商品を作る時には、その会社の夢が出る
だが、品質問題が起きた時には、その会社の本音が出る

ここが面白いところだ

理念があるだけの会社は、不具合が出た時に責任者探しを始めやすい
誰が悪かったのか
なぜ見逃したのか
どうして報告しなかったのか

もちろん責任は必要だ
だが、それだけでは再発防止にはならない
構造の問題が、個人の問題に押し込められて終わるからだ

理念が機能している会社は、責任を曖昧にするのではなく、構造原因を見る
なぜ言い出しにくかったのか
なぜ異常が共有されなかったのか
なぜ納期と品質が対立した時に、品質側が負ける空気になっていたのか

つまり、品質改善とは単なる技術改善ではない
その会社が、何を見過ごせないと考えているかの表明でもある

異常を言いやすい空気を守るのか
不具合を隠さず共有するのか
短期の損を飲んででも再発防止を優先するのか

ここに理念の実物が出る


問いを立て直せる人間が必要になる


ここで少しだけ、問いを立てる人の役割にも触れておきたい

問いを立てる人は、技術が足りない時に呼ばれる人ではない
問いが浅い時に必要になる人だ

たとえば、商品開発なら、何が作れるかの前に、何を作るべきかを問う
品質改善なら、誰が悪いかの前に、なぜこの構造がこの失敗を生みやすかったのかを問う

つまり、問いを立てる人は答えを出す人というより、問いの骨格を整える人に近い

ただし、ここで問いを立てる人は現場から嫌われやすい

なぜなら、進めるための人ではなく、立ち止まって問い直す人に見えるからだ

今それを言うのか
きれいごとではないか
で、結局どうするのか

こう思われやすいのは当然だと思う

それでも必要とされのしたら、それは抽象を仕様や改善条件に翻訳できる人だろう

人間の自律を守る
ではなく
依存を煽る導線を減らす

誠実である
ではなく
不具合を二十四時間以内に共有する

品質第一
ではなく
納期が厳しい案件ほど確認工程を省略しない

こうやって理念を実務に落とせるなら、哲学は飾りではなくなる

理念とは 損を引き受ける覚悟である

結局のところ、理念とは、美しい言葉ではない
損を引き受ける覚悟の形だと思う

利益を一部捨てても守るものがある
速度を落としてでも譲らないものがある
面倒でも続ける基準がある

そこまで行ってはじめて、理念は文章ではなく、会社の背骨になる

逆に言えば、理念があるのに機能していない会社とは、言葉は持っているが、痛みを伴う選択には使わない会社だ

それは理念を持っているのではない
理念らしきものを所有しているだけだ

そしてたぶん、人間も同じなのだと思う

大事にしている価値観があると言うのは簡単だ
だが、自分が不利になる局面でもそれを守れるかどうかで、その価値観が本物かどうかが分かる

会社もまた、人間の集まりである以上、その延長線上にある

理念があるかどうかではなく
理念を守ると損をする時に、なお守れるかどうか

そこに、その会社の正体が出る。


哲学とは肩書きではなくて生き方なのかもしれない。

ここまで書いてくると、哲学とは肩書きではなく、生き方の中に現れる判断の癖なのかもしれないと思えてくる。

それでは哲学者を商品開発や品質改善の会議に呼べばよいのかと思った人もいるかもしれない。

もちろん、そういう企業もあるだろうが、それが全てではない。

むしろ現場には、すでに哲学の芽が散っていることがある。

会議中の空気を読まないちょっとした発言や

ベテラン社員の直訴にも似た抗議

効率よりも、見過ごしてはいけない何かを守ろうとする声。

そういう一見厄介なものの中に、その会社がまだ失っていない哲学が眠っていることがある。


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