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質量とは何か――ものが「重い」とはどういうことか



副題

静止質量・慣性質量・重力質量から、ヒッグス場と陽子の内部まで

はじめに|「重い」という言葉には、別の現象が混ざっている


私たちは日常的に、さまざまなものを「重い」と表現する。

大きな荷物は重い。
鉄球は重い。
速く走る自動車は、急には止められない。
地球は月よりも強い重力をもつ。

しかし物理学では、これらはすべて同じ意味ではない。

物体を持ち上げたときに感じる重さと、物体を加速させにくいことと、その物体が重力を生み出すことは、それぞれ別の現象である。

質量を理解するには、まず次の問いを分けなければならない。

その物体には、どれだけの質量があるのか。

その物体は、どれほど運動を変えにくいのか。

その物体は、どれほど重力と関わるのか。

そして、その質量はどこから生まれたのか。

この記事では、質量を単なる「物質の量」としてではなく、運動・エネルギー・場・重力の関係から見ていく。


1|重さと質量は同じものではない


日常では、質量と重さはほとんど同じ意味で使われている。

しかし物理学では、両者は区別される。

質量とは、物体に備わった物理量である。

一方、重さとは、物体に働く重力の大きさである。

地表付近では、重さは次の式で表される。

重さ=質量×重力加速度

記号で書けば、

W=mg

となる。

質量1キログラムの物体でも、地球上と月面では重さが違う。

月面の重力加速度は地球のおよそ6分の1なので、その物体に働く重さも約6分の1になる。

しかし、物体そのものの質量が6分の1になったわけではない。

その物体を横方向へ押し、加速させるために必要な力は、月面でもほとんど変わらない。

変わったのは物体ではなく、その場所の重力の強さである。

また、宇宙船が自由落下しているとき、乗員は無重力のように感じる。

このとき重さは感じられなくても、乗員の質量が消えたわけではない。

体重計が直接測っているのも、厳密には質量ではない。

体重計は床から身体へ押し返される力を測り、地球上の重力加速度を前提として、それをキログラムへ換算している。

質量と重さが混同されやすいのは、地表付近では両者がほぼ一定の比率で対応しているからである。(アインシュタインオンライン)


2|静止質量――その物体に固有の質量


現代物理学で単に「質量」と言う場合、多くは静止質量、または不変質量を意味する。

静止質量とは、その物体と一緒に動く観測者から見た質量である。

言い換えれば、その物体の運動量がゼロになる座標系で定められる質量である。

これは、観測者との相対的な運動によって変化しない。

かつては、物体が光速に近づくと「質量が増える」と説明されることがあった。

これは相対論的質量と呼ばれる考え方である。

しかし現在の素粒子物理学では、物体の速度によって質量が増えるとは通常表現しない。

速度が上がることで増えるのは、物体の全エネルギーと運動量である。

質量そのものは変化しない。

特殊相対性理論におけるエネルギー・運動量・質量の関係は、

E²=p²c²+m²c⁴

と表される。

Eは全エネルギー、pは運動量、mは静止質量、cは光速である。

物体が静止している場合は運動量pがゼロになるため、

E₀=mc²

となる。

有名なE=mc²は、より正確には、物体の静止質量に対応する静止エネルギーを表している。

静止質量とは、物体がどれほど速く動いているかではなく、その物体や系が静止状態でも持っているエネルギーを示す量なのである。(NIST)

ただし、光子には静止できる座標系が存在しない。

光子の静止質量はゼロである。

それでも光子はエネルギーと運動量を持っている。

したがって、

「エネルギーを持つものは、必ず静止質量を持つ」

というわけではない。

質量とエネルギーは深く結びついているが、まったく同じ言葉として置き換えられるものではない。


3|慣性質量――運動状態を変えにくい度合い


物体に力を加えたとき、その物体は加速する。

古典力学では、この関係をニュートンの運動方程式で表す。

F=ma

Fは物体に働く合力、mは質量、aは加速度である。

同じ力を加えた場合、質量が小さい物体は大きく加速し、質量が大きい物体は少ししか加速しない。

このときの質量を、慣性質量という。

慣性質量とは、物体の運動状態を変えることの難しさを表す。

ここで注意したいのは、質量が表すのは単なる「動きにくさ」ではないということだ。

止まっている大きな物体を動かすのは難しい。

しかし、すでに高速で動いている大きな物体を止めることも難しい。

また、速度を変えずに進行方向だけを変える場合にも力が必要になる。

物体が抵抗するのは、運動そのものではない。

速度の大きさや方向が変わること、すなわち加速度に抵抗するのである。

したがって、慣性質量は、

物体が現在の運動状態を保とうとする強さ

と表現できる。

宇宙空間で小さなボールと大きな箱を同じ力で押した場合、ボールは大きく加速し、箱はわずかにしか動きを変えない。

この違いが、慣性質量の違いである。(アインシュタインオンライン)

ただし、これは質量がどこから生じるかを説明しているわけではない。

慣性質量は、質量の起源ではなく、質量が運動の中でどのように現れるかを表した概念である。


4|重力質量――重力を受け、重力を生み出す度合い


ニュートン力学では、質量にはもう一つの役割がある。

質量を持つ物体同士には、万有引力が働く。

その大きさは、

F=GMm/r²

で表される。

Mとmは二つの物体の質量、rは物体間の距離、Gは万有引力定数である。

この式に現れる質量を、重力質量という。

重力質量は、さらに二つの役割に分けられる。

一つは、外部の重力をどれほど強く受けるかを表す受動的重力質量である。

もう一つは、自らがどれほど強い重力を生み出すかを表す能動的重力質量である。

地球はリンゴを引き寄せる。

同時に、リンゴも地球を引き寄せている。

ただし地球の質量が圧倒的に大きいため、リンゴの運動だけが目立つ。

ニュートン力学では、質量は重力における電荷のような役割を果たす。

電荷が電場を生み、電場から力を受けるように、重力質量は重力を生み、同時に重力から力を受ける。(アインシュタインオンライン)


5|慣性質量と重力質量は等価である


ここで、不思議な一致が現れる。

慣性質量は、物体の加速されにくさを表している。

重力質量は、物体が重力を受ける強さを表している。

本来は別の方法で定義された物理量である。

それにもかかわらず、実験では両者が同じ比率を持つ。

地球から受ける重力は、重力質量に比例する。

一方、物体の加速されにくさは、慣性質量に比例する。

物体の重力質量が二倍になれば、地球から受ける重力も二倍になる。

しかし慣性質量も二倍になるため、加速されにくさも二倍になる。

その結果、重い物体も軽い物体も、空気抵抗を無視すれば同じ加速度で落下する。

これが自由落下の普遍性である。

羽が鉄球よりもゆっくり落ちるのは、質量の違いではなく、主に空気抵抗の影響である。

真空中では、羽も鉄球も同じ加速度で落下する。

この慣性質量と受動的重力質量の比例関係を、弱い等価原理という。

アインシュタインは、この一致を単なる偶然とは考えなかった。

閉ざされた部屋の中にいる人は、その部屋が地球上で静止しているのか、重力のない宇宙空間で上向きに加速しているのかを、局所的な実験だけでは区別できない。

重力によって床へ押しつけられることと、部屋の加速によって床へ押しつけられることが、同じ現象として現れるからである。

この等価原理が、一般相対性理論への出発点になった。(アインシュタインオンライン)

ただし、一般相対性理論では、重力は物体を引く通常の力としては扱われない。

物質やエネルギーが時空を曲げ、物体はその曲がった時空の中を進む。

したがって、慣性質量と重力質量が偶然同じなのではなく、重力運動と慣性運動が同じ幾何学的構造に含まれていると考えるのである。


6|質量はエネルギーと等価である


E=mc²は、質量が静止エネルギーを持つことを示している。

質量1キログラムに対応する静止エネルギーは、非常に大きい。

これは、光速cを二乗した値が巨大だからである。

しかし、質量とエネルギーの関係は、原子力発電や核爆発だけに現れるものではない。

物体を加熱すれば、物体内部の熱運動が増える。

そのぶん、物体全体の静止エネルギーは増加する。

したがって、加熱された物体は、冷たい状態よりもごくわずかに質量が大きい。

ばねを縮めれば、ばねに弾性エネルギーが蓄えられる。

縮めたばねを含む閉じた系は、伸びきった状態よりもごくわずかに重い。

容器の中に光を閉じ込めた場合、個々の光子の静止質量はゼロであっても、光のエネルギーを含む容器全体の質量は増加する。

つまり、複合物体の質量は、その部品の静止質量を足しただけでは決まらない。

内部の運動エネルギー、熱、場のエネルギー、結合状態なども、系全体の質量に寄与する。(アインシュタインオンライン)

質量とは、単に物質が何個集まっているかを数えた値ではない。

その系を静止させたとき、内部にどれだけのエネルギーが含まれているかを表す物理量でもある。


7|ヒッグス場は何を説明するのか


では、電子やクォークのような素粒子は、なぜ静止質量を持っているのだろうか。

標準模型では、その一部をヒッグス機構によって説明する。

宇宙には、真空中にもヒッグス場が存在する。

電子、クォーク、W粒子、Z粒子などは、このヒッグス場と相互作用することで質量を持つ。

相互作用が強い粒子ほど質量が大きく、相互作用しない光子は静止質量を持たない。(CERN)

ただし、ヒッグス場を粘性のある液体のように考えるのは正確ではない。

ヒッグス場は、粒子を摩擦で減速させるものではない。

粒子が空間を進むたびにエネルギーを奪われるわけでもない。

もしヒッグス場が通常の摩擦であれば、等速運動している粒子も徐々に止まるはずである。

しかし、実際にはそのようなことは起こらない。

ヒッグス場との相互作用は、粒子の運動を邪魔する抵抗ではなく、その粒子の静止エネルギーを決める仕組みである。

その静止エネルギーが、慣性として現れる。

また、ヒッグス粒子とヒッグス場は同じものではない。

ヒッグス場は宇宙全体に存在する場であり、ヒッグス粒子は、その場に生じた振動や励起として観測される粒子である。

2012年にCERNで発見された粒子は、ヒッグス場の存在を実験的に確認する重要な証拠となった。(CERN)

ただし、ヒッグス機構が「すべての質量問題」を解決したわけではない。

なぜ電子とクォークでヒッグス場との結合の強さが違うのか。

なぜ素粒子の質量には大きなばらつきがあるのか。

ニュートリノがどのような仕組みで小さな質量を得ているのか。

これらには、まだ分かっていない部分が残されている。特にニュートリノの質量は、最小構成の標準模型だけでは説明できない。(CERN)


8|私たちの質量の大部分は、ヒッグス場から直接来ていない


電子やクォーク自身の静止質量には、ヒッグス場が関わっている。

しかし、私たちの身体や身の回りの物質の質量の大部分は、電子やクォークの静止質量を単純に足したものではない。

原子の質量の大部分は、原子核にある。

原子核は陽子と中性子からできている。

陽子と中性子は、クォークとグルーオンから構成される複合粒子である。

陽子には、基本的な構成として二つのアップクォークと一つのダウンクォークがある。

しかし、それら三つのクォークの静止質量を足しても、陽子全体の質量のごく一部にしかならない。

陽子の質量の大部分は、

クォークの運動、

グルーオンの場のエネルギー、

クォークと反クォークの量子的な生成と消滅、

強い相互作用による閉じ込め、

といった量子色力学の内部構造から生じている。(JLab)

したがって、

「ヒッグス場が、私たちの身体の質量をすべて直接つくっている」

という説明は正確ではない。

より正確には、

ヒッグス場は、電子やクォークなどの素粒子に基礎的な質量を与える。

一方、陽子や中性子の質量の大部分は、クォークとグルーオンが織りなす強い相互作用のエネルギーから創発する。

という二段階になっている。

なお、陽子質量を「クォークの運動が何%、グルーオンが何%」と分ける方法は一つではない。

どの理論的な分解法を使うか、どのエネルギースケールで評価するかによって、それぞれの寄与の表し方は変わる。

したがって、「残りの99%はすべて結合エネルギーである」と単純に断定するよりも、陽子の質量の大部分は量子色力学的な運動と相互作用から生じる、とするほうが科学的に正確である。(arXiv)


9|結合すると、質量は増えるのか、減るのか


内部エネルギーが質量になると聞くと、物体同士を結びつければ、質量は必ず増えるように思える。

しかし実際には、結合によって質量が減る場合もある。

原子核を構成する陽子と中性子を、完全にばらばらの状態にするにはエネルギーが必要である。

逆に、ばらばらの陽子と中性子が安定した原子核をつくるときには、エネルギーが外部へ放出される。

その結果、完成した原子核の質量は、材料となった自由な陽子と中性子の質量の合計よりも小さくなる。

この差を質量欠損という。

結合によってエネルギーが外へ出たため、結合後の系に残る静止エネルギーが減り、質量も小さくなったのである。

一方、陽子内部のクォークについては事情が異なる。

クォークは単独では取り出せず、強い相互作用によって陽子内部に閉じ込められている。

この内部の激しい運動と場のエネルギーが、陽子の大きな質量として現れる。

つまり、

質量が増えるか減るかは、結合したという言葉だけでは決まらない。

重要なのは、その系全体のエネルギーが、結合の前後でどのように変化したかである。

質量とは、物体を構成する部品の個数だけでなく、その部品がどのような状態で結びついているかによって変化する。


10|核融合と核分裂で何がエネルギーになるのか


太陽では、水素原子核が融合し、最終的にヘリウム原子核がつくられる。

このとき、反応後の粒子全体の静止質量は、反応前の粒子全体の静止質量よりも小さい。

その質量差に相当するエネルギーが、光や粒子の運動エネルギーとして放出される。

核分裂でも同じである。

重い原子核が複数の原子核へ分裂するとき、生成物全体がより低いエネルギー状態へ移る場合がある。

その差が、熱や放射線、生成物の運動エネルギーとして現れる。

日常的には、これを「質量がエネルギーに変わった」と表現する。

しかし厳密には、質量という物質が消えて、エネルギーという別の物質になったわけではない。

反応前の系に含まれていた静止エネルギーの一部が、光や運動エネルギーとして系の外へ出たのである。

質量だけを取り出して見れば、反応前後で保存されない。

しかし、静止エネルギー、運動エネルギー、光、熱などをすべて含めた全エネルギーは保存される。

したがって、

質量保存則は近似的な法則であり、より根本にあるのはエネルギー保存則である。

化学反応では質量差があまりにも小さいため、質量が保存されているように見える。

核反応では質量差が大きいため、E=mc²の効果が目に見える規模で現れる。


11|光には質量がないのに、なぜ重力で曲がるのか


光子の静止質量はゼロである。

それにもかかわらず、光は太陽やブラックホールの近くで進路を曲げる。

これは、光が隠れた質量を持っているからではない。

一般相対性理論では、重力は質量を持つ物体だけを引っ張る力ではない。

質量やエネルギーによって時空が曲がり、光はその曲がった時空の中を進む。

光は局所的には常に直進している。

しかし、その直進する舞台である時空そのものが曲がっているため、遠くから見ると光の経路が曲線になる。

また、一般相対性理論で重力源となるのは、静止質量だけではない。

エネルギー密度、運動量、圧力、応力なども時空の曲がりに寄与する。

熱い物体は冷たい物体よりも、理論上わずかに大きな重力を持つ。

内部に光を閉じ込めた容器も、空の容器よりわずかに大きな重力源となる。

一般相対性理論では、「質量が重力を生む」というニュートン的な説明は近似であり、より正確には、エネルギーと運動量の分布が時空を曲げるのである。(アインシュタインオンライン)


12|結論――質量とは何か


質量は、一つの短い比喩だけでは説明できない。

物体を加速させようとしたときには、慣性として現れる。

重力場の中では、落下や重さとして現れる。

特殊相対性理論では、系の静止エネルギーを表す不変量として現れる。

素粒子の世界では、ヒッグス場との相互作用によって基礎的な質量が生じる。

陽子や中性子の内部では、クォークとグルーオンの運動や強い相互作用のエネルギーから、大部分の質量が創発する。

そして一般相対性理論では、質量だけでなく、エネルギー、運動量、圧力までが時空を曲げる。

したがって、質量の正体を一文でまとめるなら、次のようになる。

質量とは、物体や系が持つ静止エネルギーを表し、運動に対しては加速されにくさとして、重力に対しては時空との関わりとして現れる物理量である。

質量は、物質の中に詰め込まれた「重さの素」ではない。

それは、粒子と場の結びつきであり、内部運動と相互作用の総体であり、一つの系がどれだけのエネルギーを抱えているかを示す尺度である。

ものが重いということは、単に中身が多いということではない。

その物体が、現在の運動状態を変えにくく、内部に静止エネルギーを持ち、宇宙の時空と関わっているということなのである。

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