さては本文は読まれていないな?

1行で言うと
この記事を最後まで読んだ人だけが、「この文章の正体」に気づけます。


【1】noteの“読まれた感”は、たいてい幻である。

投稿ボタンを押したあとの「数字」は、まるで井戸に投げ込まれた石のようだ。

水音が返ってこないまま、どこか深くへ沈んでいく。

• 「スキ」は押された。けれど、感想はない。

• 「PV」は伸びた。でも、引用はゼロ。

• 「読んだよ」は届いたが、内容には触れていない。

なあ、俺の書いた“本文”は、本当に読まれたのか?

【2】noteは“見出し”と“温度感”だけが読まれる。

noteが拡散されるとき、読まれるのはたいてい以下の三点だけだ。

• タイトル

• 冒頭3行

• アイキャッチ画像 or 書き手の温度

これはもう「noteあるある」になっている。

そして書き手側も、無意識にこう思っている。

「読まれないなら、熱量だけでも届けばいいや……」

だが本当にそれでいいのか?

【3】本文に仕掛けられた“問い”は、気づかれない。

たとえば、
この記事の中にも「読んだ人しか気づけないパスワード」が仕込まれている。

でもたぶん、ここまで読んでいない人が多い。

なぜわかるかって?

こうして「呼びかけて」も、反応が返ってこないからだ。

noteとは、呼びかけの届かない場所なのかもしれない。

【4】では、なぜ書くのか?

読まれないかもしれない。
でも書く。

なぜなら、これは言葉の錬金術だからだ。

目の前に誰もいなくても、言葉を発火させる。

たとえ読者がいなくても、
この文章は、あなた自身が「あなたを読むため」に書かれている。

【5】最後に──ここまで読んだあなたへ

ここまでたどり着いたあなたに、ひとつ頼みがある。

コメントで「読んだよ」ではなく、一文だけ抜き出してシェアしてほしい。

それが、このnoteが「読まれた」という証になる。
そしてそれは、次のnoteを書く理由になる。


(おしまい)

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