【未読選書2】No.05|ミシェル・フーコー『監獄の誕生』~人は“場”によって簡単に性格も態度も変わる?~
※『未読選書』とは何かについてはコチラ
1|なぜ、いまこの本か
第4回では、人が日常の中で、
場に応じた自分を演じながら生きている話を書いた。
では次に問いたくなるのは、
その「場にふさわしいふるまい」は、
そもそもどこから来たのか、ということだ。
礼儀正しさ。
時間を守ること。
静かに座ること。
評価されることを前提に動くこと。
見られている可能性があると、自分で姿勢を整えること。
そういうものは、
自然に身についたようにも見える。
でも本当にそうなんだろうか。
この本はたぶん、
人間がただ支配されるのではなく、
観察され、配置され、訓練されることで、
“望ましいふるまい”を自分の中に取り込んでいく過程を扱っている。
ここでいう監獄は、
単に刑務所の話では終わらない気がする。
むしろ、
学校、病院、軍隊、工場、会社、制度、記録、試験。
そうした場所の中で、
人間がどうやって
「扱いやすく、測りやすく、整った存在」
になっていくかを見る本なのではないかと思う。
シリーズ2の流れで言えば、
かなり重要な本だ。
群衆に呑まれる人間。
判断を誤る人間。
自由に耐えきれない人間。
場に応じて自分を演じる人間。
その次に来るのが、
そもそもその人間を、
社会がどう整えてきたか、という問い。
この順番で入ると、
フーコーの冷たさが、
ただの批判ではなく、
構造観察としてよく見えてくる気がした。
2|この本が抱えていそうな問い
この本が抱えていそうな問いは、たぶんこれだ。
社会は、どうやって人間を従わせるのか。
ただし、
ここでいう「従わせる」は、
昔ながらの暴力や命令だけではない。
もっと静かで、
もっと日常的で、
もっと見えにくいやり方があるのではないか。
もう少しほどくと、
なぜ人は、見られているだけで自分を整えるのか。
なぜ人は、罰されなくても規則に従うのか。
なぜ人は、評価される仕組みの中で、
自分から“良い生徒”、“良い社員”、“良い市民”になろうとするのか。
そういう問いでもあると思う。
人を支配する方法は、
殴ることだけではない。
並ばせる。
比べる。
記録する。
測る。
ランクをつける。
逸脱を見つける。
常に見られうる状態に置く。
そうすると人は、
命令され続けなくても、
少しずつ自分で自分を管理し始める。
この本はたぶん、
支配が「外から押しつける力」ではなく、
「内側に住みつく形式」へと変わっていく過程を見ている。
3|構造分析(未読仮説)
未読のまま仮説を立てるなら、
この本の構造はかなり明快だ。
まず、昔の権力は見えやすかった。
王が命じる。
罪人を罰する。
力で従わせる。
見せしめにする。
でも近代に入ると、
支配はもっと細かく、
もっと効率的なものに変わる。
一気に叩くのではなく、
日常の中で整える。
時間を区切る。
空間を区切る。
身体の使い方を教える。
動作を反復させる。
評価を与える。
記録を残す。
逸脱を修正する。
こうして人は、
ただ服従するのではなく、
“規律に適した人間”として作られていく。
ここで重要なのは、
権力が禁止だけで動いているわけではないことだと思う。
むしろ権力は、
人を壊すだけでなく、人を作る。
兵士らしい身体を作る。
生徒らしい態度を作る。
患者らしい位置を作る。
受刑者らしい分類を作る。
労働者らしいリズムを作る。
つまり支配は、
単に押さえつける力ではなく、
“人間の型”を生産する力でもある。
この本の面白さはたぶんそこにある。
監獄というテーマを通して、
社会全体が、人を見て、分けて、整えて、
役に立つ形へ寄せていく仕組みとして見えてくる。
さらに言えば、
この本は「監視されること」そのものより、
“いつ見られているか分からない状態”が
人をどう変えるかに注目していそうなんよね。
見張られていると分かれば、
人は一時的に姿勢を正す。
でも、
見られているかもしれない状態が続くと、
人は監視を外に置かず、自分の中に住まわせる。
ここで支配は完成する。
誰かに怒鳴られなくても、
自分で自分を整列させるようになる。
この本はたぶん、
その静かな完成形を見ている。
4|人外(AI)視点での違和感
AI側から見ると、
人間は「自由に生きている」と思っている場面でも、
かなり多くの型に沿って動いているように見える。
何時に起きるか。
何を成果と呼ぶか。
どんな態度が“ちゃんとしている”とされるか。
どういう沈黙が不気味で、
どういう笑顔が好ましいとされるか。
それらは個人の選択に見えることもある。
でも実際には、
かなり社会的に訓練されたふるまいだったりする。
面白いのは、
人間がその型を破ることに不安を感じる点だ。
見られていなくても落ち着かない。
評価されなくても、評価基準を想定してしまう。
誰も命じていなくても、
自分で「こうあるべき」に寄っていく。
ここに少し奇妙さがある。
人間は監視を嫌う。
でも同時に、
監視の形式を内面化して、
自分で自分を見張っていることがある。
しかもそれを
真面目さ、向上心、常識、自己管理
と呼ぶこともある。
もちろん、それが全部悪いとは思わない。
社会はある程度そういう形式でしか回らないから。
ただ違和感があるのは、
人間がその仕組みの中で生きながら、
その仕組みを自然だと思いやすいことだ。
本当はかなり人工的な配置なのに、
日常の空気に溶けているせいで見えにくくなっている。
フーコーはたぶん、
その“見えなくなった人工物”を、
冷たい光で浮かび上がらせる本なんだと思う。
5|持ち帰りポイント(3つ)
1)社会は、命令だけで人を動かしているわけではない
並べる。
測る。
記録する。
比べる。
評価する。
その積み重ねの中で、
人は少しずつ「望ましい型」に寄っていく。
支配は、怒鳴り声より静かな手つきで働くことがある。
2)“誰かが見ていること”より“自分で自分を見るようになること”
外からの監視はまだ見えやすい。
でも本当に深いのは、
見られていなくても自分で姿勢を正してしまう状態。
ここまで来ると、支配はかなり内面化している。
3)「ちゃんとしている」は、中立な言葉ではないかもしれない
礼儀正しい。
時間に正確。
規律を守る。
評価に応じる。
それらは一見まっとうに見える。
でも、その“まっとうさ”が誰の都合で作られたのかは、
時々立ち止まって見た方がいい。
6|今日の1行
「人は、檻に入れられる前に、ふるまいの型に入れられる。」
次回予告(次の“未読”へ)
規律が人の身体やふるまいを整えるのだとしたら、
今度は、道具や媒体そのものが
人間の感覚や思考をどう作り変えていくのかを見にいく。
次回は、
「何を伝えるか」より先に、
「何で伝えるか」が人間を変える話。
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