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母が好きだった

今回noteで、私は自分の好きを書くことにしたのだけど。
自分の好きを深ぼると、その先の好きも見えてきて。
どうやら私、母に凄い影響を受けてたし。
母が好きだったんだなぁということに気付きました。
今更だけど🤣


noteでちょこちょこふれてるのだけど、母はコロナで大騒ぎになる年に亡くなりました。
享年64歳の若さでした。

不幸中の幸いだったのは。
2020年のコロナで大騒ぎになる前。
1月の始めに亡くなった事。
ちゃんと看取れたし、最後まで好きなだけお見舞いもしたし、お葬式もしっかりしてあげれた。
それだけは、本当に良かったなーと今でも思う。

母の死因は、乳がんです。
発見は亡くなる、4ヶ月前。
その時点でステージ4でした。

勿論、母はずっと辛かったのだろうけど。
私が1番辛かったのは、やっぱり告知された時が1番苦しかった。

忘れもしない、幼稚園の夏休みが終わったばかりの日。
ようやくのんびり出来るわとくつろいでた時。
午前中、母から急に電話がかかってきた。

「お母さん、乳がんだった」

体調が悪いから、近々検査に行くよと聞いてはいたけれど。
まさかそんな報告を受けるなんて。
あの日ほど頭が真っ白でおかしくなった日はなかったと思う。
元気が取り柄の母だったから、母に何かあるなんて考えたこともなかったから。
想像なんかもつかなくて頭が全然働かなかった。

詳しい話をこれから聞くというから。
急いで病院に向かった。
病院への道中、訳がわからなくて。
ふわふわして現実じゃないんじゃないか?って。
夢であってくれと。
とにかく人目も気にせず泣きながら、電車で病院に向かったことを思い出します。

母の主治医は、とにかく悲しそうに話す人で。
母が癌だというのを凄く悲しく伝えてきました。
いや悲しいけどさ。
あんな悲しそうに言われたら、こっちだって前向きに治療するぞ!なんて気持ちになれなくて。
そんなかわいそうな人を見るみたいな顔。
先生がしないでよ。

そんな風に宣告されたから。
私も母も父も弟も、絶望感しかなかった。
母は、すっかりそれ聞いてから弱りきって目に見えるスピードで弱っていった。

病の進行もあったんだろうけど。
私は今でもあの先生のことは嫌いだ。
言霊ってやっぱりあると思う。
そういう話は、ある程度感情もいるけど。
告知をする人は、淡々としないとならないのだなと身を持って感じた。

放射線治療を最初予定してたのだけど。
治療前に、急変。
癌は脳に転移してしまい。
脳梗塞をおこして、治療は中断せざる得なくなった。

治療出来ないのであれば、ここの病院では無理といわれ。
緩和治療の病院にうつることになりました。

転院した、ホスピス病院は良い病院で🩷
満足いく看取りが出来たので☺️
凄い感謝しています✨️

ここの病院にいる時に、私は母からお節のレシピを聞き取りしたりしてました。
レシピは頭の中にある人だから、本当に大変だった。


ご飯を作るのも食べるのも好きだった母。
病院食が美味しくないって文句言ってたな🤣
まだ食事が出来た時、好物の鯖寿司を買っていってあげたら凄く喜んでいたっけ😊

最後は何も食べれなくなり。
まるまると太ってた母は、すっかりスマートなってしまったけど。
母はずっと母で、頑張り屋で世話焼きで。
孫が大好きな優しい母のまま亡くなっていきました。

かけ結び帯にメッセージを書く息子(年長)


子供独特のメッセージがお葬式会場を笑顔にしてくれた。

さて母の闘病話はこれくらいにして。
母はどんな人だったか書こうと思う。

母は今思うと、パワフルな人だった🤔
働きながら、家事もしっかりこなす。
なんでも、そつなくこなす器用な人にみえた。

料理が得意で。
私が料理が好きなのも、母が色々と作ってくれたのが影響してると思うし。

小さい頃は、服をよく作ってくれて。
洋服の道を進もうと思った原点には、子供の頃に作ってもらった喜びがあったんだと思う🙄
この事も、今度深掘りして書きたいな。

小さい頃、絵本を読んでくれたことも凄い記憶に残ってる。

不思議なもので、やはり母にしてもらったことって。
息子にもしてあげたいと思うもので。
私の子育てへの根底には、母がいる。

昔、ある人が人格形成は父親より母親の影響が強くかかわってくるって話を聞いたことがある。
子供の頃、1番近くにいたのが母だったものなー。

そうなると、息子にとっても私が母な訳だから。
身が引き締まる気持ちになる🤣
適当な私に育ってられた息子は、どういう大人になってくんだろう。

私がこうやって母にしてもらったことを思い出しながら、育てているように。
いつか息子も、お母さんこんなことしてくれてたなぁーなんて思い出してくれるといいのだけど。


凄い世話好きだった母。
家族は勿論。
親戚や近所の人の世話も焼いてた。

よく親戚から電話きて、何かあったら助けにいってたし。
頼られてた。

近所の町内会でも役職について仕事をしていた。
押しに弱いから、頼まれて断れなかったと言っていた。
お祭りとか会合とか色々手伝いにいってたみたい。
お葬式には、町内会の方がたくさん来てくださっていた。

そして何より私が、凄い頼ってた🤣

妊娠期のつわりの時、切迫早産の危険があり。
絶対安静で自宅で静養したり、入院してた時も。
すぐ駆けつけてくれて、ご飯支度や家事をしてくれた。
用事で出かける時も付き添ってくれてた。

まぁ見張られてたんだけどね🤣
私がちゃんと安静にしてるかって。
トイレ入った時、ドアの前で仁王立ちで待ってたのは笑ったww
なんかあったら困るでしょって言ってたけどww
ドアあけたら、仁王立ちだから凄い怖かった😱

息子が生まれてからも風邪ひいたり、困ったことがあるとすぐ母にヘルプした。
大量のお惣菜を持ってきてくれて、家事をして用事がすむと。
じゃあ弟に夕飯作らないとならないから!
と言って、颯爽と帰っていった。

長期休みでヘトヘトな時も、母にヘルプ!
息子の相手してもらったり、気晴らしに一緒にお出かけしたり。

旦那が長期出張でワンオペの時も、母にヘルプ!
速攻、実家に帰ってた🤣

そうそう私達東京に旅行に行った時、3人仲良く胃腸炎になったことがあって😱😱
その時も空港まで迎えに来てくれて助けてもらったっけ。
あれは本当に助かった。

とにかく、幼児期の子育ては母に助けてもらった。
母も孫大好きだったし🩷
父と険悪だったので🤣
気分転換になると思ったのもあり、すぐ母に連絡して頼ってた。

本当に感謝!
お母さんありがとう🩷

私も自分の孫のためこんなに動けるだろうか😅


母は、息子が年長の時に亡くなっているので。

息子が大好きだった母の事、息子を育てる上で助けてくれた母の事。
息子には覚えてて欲しいなぁと思い。

忘れないように、母の話はよくしてる。
おばあちゃんこんな人だったんだよ。
おばあちゃんこんな事してたんだよ。

息子の幼児期の記憶は、おぼろげになってきたけど。
こうやって母の事を定期的に話してるので、今のところなんとか覚えてくれてる😊

息子にとっても、たった一人のおばあちゃんだからね。
こうやって話にだしていくのが、私なりの供養です。


そんな訳で、なんか脱線に脱線を重ねてるようなきがするけど🤣

私は、すごく母に助けてもらってたし。
影響もすごくうけていました。

本当は元気な時に言えば良かったんだけどね🥹
私は母が好きだったし、今も母が好きです🩷

改めてそこに気づくことが出来て、noteに好きなことを書いて良かったなぁと思います。

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