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【企画SS#片想い文芸部】めんどくさい

(約2,000字)

「めんどくさいよねーこれ」
 にっこりと笑って言われた言葉に、一瞬思考が停止する。
「め、めんどくさい?」
「うん。俺、担当者の時超やだったもんこれ」
 あれ、間宮さんはこういう作業好きなタイプ?と、香山さんーー上司、は口の端をきゅっと引き上げて目を眇める。
 イタズラ好きな子どものような。
 いつ見ても笑っているような瞳。
「好きかと訊かれるとなんとも……そもそも好きな仕事とかないので」
「はは、正直」
「でもたぶん苦手ではないというか……」
「みたいだね、数字強そう。検証も固いし」
 助かるなぁ、精査が楽で。そう呟くと、上司はチラリと見たペーパーを返してきた。
「おっけ、体裁だけ整えたら提出しよっか」
「え!?」
「え」
「もう提出しちゃうんですか?」
「え、うん……数字合ってたし。なんで?」
 なんで、って。
 え?
「て、手直しとか……」
 恐る恐る訊いたわたしに、上司は不思議そうに首を傾げる。
「なんで?数字も論旨も合ってるし、直す必要ないと思うけど」
 なんてことだ。
「でもえっと……ブラッシュアップ、とかは」
「やりたかったらやってくれてもいいけど……それより早く帰ったら?」
 なんだって?
 耳を疑う言葉に、わたしは目の前の上司の顔を凝視する。揶揄われ……てはいないにしても、試されているのではないか、と。
 けれど上司は、不思議そうな目をするだけだ。
「大勢に影響なければ、さっさと終わらせて帰りたくない?ちなみに、俺は帰りたい」
 困ったように微笑む顔を見ながら、再び心のなかで呟く。

 なんてことだ。


 フロアの喫茶スペース。自販機のカフェオレを飲みながら思う。
 違う。
 なにもかもが、木戸さんとは……元上司とは違う。
 この作業、めんどくさいよね。
 さっさと終わらせて帰りたい。
 どれも、元上司からは聞いたことのない言葉だ。
 信じられない。同じ管理職でも、こんなに仕事に対するスタンスが違うなんて。
 
 木戸さんなら。
 そんなことをつい考える。
 たぶんあのペーパーは今ごろ真っ赤で、提出期限の明後日までに、まだ何度もストロークが必要で。
 わたしはいつも、もうなんでもいいよと思いながら、あのキラキラした瞳が満足するまで何度でもペーパーを直して。
 ただ、「これで行きましょう」って嬉しそうに笑う顔が……

「あ、お疲れさまです」
「うわ?!お、お疲れさまです……」
 思い描いていた本人の登場に、文字どおり飛び上がりそうになった。木戸さんは明らかに物問いたげな表情をしたものの、特に言及せずコーヒーを買う。
 そしてそのまま、缶を開けた。
 ……これは。
 すすす、と壁際で気配を消しつつ、心のなかで唸る。
 完全に、立ち去るタイミングを逃したやつだ。
「いかがですか、香山さんのチームは」
「えー……業務の内容が全然違うなぁ、と……」
 まぁそうなるよね、という状況。お互い手にした缶を弄びつつ、言葉を探す。
 どうしてたんだっけ、こういう時。なにを話してたんだっけ?
 つい先月まで、雑談なんかあたりまえにしていたのに。
「香山さんご本人の印象は?」
 なんだか面接みたいだな、と思いながら、わたしは先程の衝撃を振り返る。
 仕事へのスタンスは全然違う、けれど。
「管理職として……とても優秀な方なんだな、と思います」
 木戸さんの瞳がキラリと光る。どんなところが、という更問いに、わたしは新上司の、イタズラっ子のような顔を思い浮かべた。
「判断が早くて、とにかくさくさく進むというか……仕事への情熱は正直感じられませんが、チームはみんな残業時間が少なくて、生産性が高いんだな、と」
 仕事へのスタンスは、この人とは全然違う。
 けれど。
「マネジメントには、こんなやり方もあるんだなぁ……と思ってます」
「……なるほど」
 呟いて、木戸さんは困ったように眉を下げた。
 え。
 なに、その表情かお
「間宮さんと香山さん、気が合いそうですね」
「え?」
「仕事に特段の熱意はないのに、求められる業務をきちんと完遂させるところとか。そっくりだと思います」
「そう……ですか?」
 フランクな笑顔の新上司。
 めんどくさいよね。
 帰りたい。
 帰りなよ。
 目から鱗の言葉の数々と、それでも回るマネジメント。
 この人の傍で見るものとは、全然違う景色。
「……居心地、良さそうですね」
 呟くように言って、木戸さんは飲み終わったコーヒーの缶をゴミ箱に捨てた。
 その横顔が遠く感じて、不意に胸がぎゅっと痛む。
 なにそれ。
 なにそれ?
「わ、ワーカホリックの下が、長かったので。……定時退社は、時間を持ち余しちゃいます」
 思わず口にした言葉に、木戸さんはパチパチと瞬きをする。
 それから、ふわりと微笑んだ。
 え。

「物足りなければ、いつでも戻ってきてください」
 いやほんとに。
 なんなの、その表情。


 手放したくせに、という呟きは、去っていく背中には届かない。
 飲み切ったカフェオレが、苦くて甘い。

 
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