「現場は回っている」の正体は、“良い人”の自己犠牲🥲
田舎の小さな組織、特に福祉業界のような場所では、「人が良い上司」や「真面目な現場」が揃っているにもかかわらず、なぜか組織全体が機能不全に陥っていく現象がよく起こる。
誰かが悪意を持っているわけではない。
それなのに、現場だけが逃げ道のない「ダブルバインド(矛盾した命令の板挟み)」に追い詰められていく。
このモヤモヤの正体について、個人の性格論ではなく、「組織の構造的なバグ」として客観的に見てみたい。
■ プレイングマネージャー問題が、すべての入口になる
問題の入り口は、役職者が「自分じゃなくてもできる実務」にリソースを割きすぎている点にある。
例えば、Excelの入力や集計。
現場でも対応可能な作業に対して、上司自身が謎のこだわりを持っていたり、「自分がやったほうが早い」と抱え込んだりしてしまう。
現場から、
「そこは任せて、目的と期日だけください」
と提案しても、権限委譲はされない。
(ちなみに、上司が集計していたのは前年度の私の領域で、既にファイルはあるのだが…信用されてないのだろうか…⁇🥲)
本来、役職者の仕事とは「意思決定をし、その責任を負うこと」のはずだ。
役職手当や権限は、実務の手数ではなく、“決断のリスク”に対して支払われている。
しかし、実務に追われた上司は、本来その立場でしかできない
・組織全体の俯瞰
・専門職としての方向性決定
・優先順位の整理
・リスク管理
といったマネジメント業務を行う時間と心理的余裕を失っていく。
結果として、場当たり的な割り込みタスクが突発的に現場へ降ってきて、その都度、現場の手が止まる。
効率化は進まず、「忙しいのに前に進まない組織」が完成する。
■ 「現場は回っている」の正体は、“良い人”の自己犠牲
この状況にあっても、上司や経営層は「現場は回っている」と判断してしまう。
ここに、現場との致命的な認知のズレがある。
なぜ上は「問題ない」と勘違いするのか。
理由は単純で、現場の“良い人”たちが、自己犠牲で組織を支えてしまうからだ。
本来業務に加え、こぼれ落ちた雑務まで引き受ける。
グレーな対応も飲み込みながら、とにかく業務を止めない。
その結果、「今日もなんとか回った」という事実だけが残る。しかし、
“今日も回った”は、“健全に回った”ではない。
現場の悲鳴は、「問題なく運営されている証拠」に変換されてしまう。
■ 共感はしても、意思決定はしない
現場がリスクを感じてアラートを上げても、上司は優しくこう言う。
「そうだなぁ」
でも、その先の
・やるのか
・やらないのか
・誰が責任を持つのか
という意思決定には進まない。
この場合の「そうだなぁ」は、共感ではなく、“思考停止のシャッター”として機能している。
対立を避けたい。
責任を負いたくない。
誰かを傷つけたくない。
その“優しさ”が、結果的に現場へ責任を押し付ける構造になってしまう。
■ ダブルバインドは、静かに現場を麻痺させる
意思決定はされない。
しかし、明日の現場は待ってくれない。
追い詰められた現場は、業務を止めないために、時にはグレーゾーンにまで踏み込んで動かざるを得なくなる。
そして恐ろしいのは、その異常事態に対して、現場自身も感覚が麻痺していくことだ。
「もうこうするしかない」
「しょうがない」
「今までもこれで問題なかったから大丈夫」
そうやって、危険な状態が“日常”になっていく。
ここに、逃げ場のないダブルバインドが完成する。
動かなければ、
「現場が回らない」と責任を問われる。
動けば、
「現場の個人が勝手にルール違反をした」
と切り離される。
この“余裕のなさ”こそが、思考を奪い、構造を固定化させる。
■ なぜ変化できないのか
なぜ、ここまで変化を拒み、リスク分散や後進育成が進まないのか。
背景には、「この組織で波風立てずに定年まで逃げ切る」という、昭和型の単一モデルしか知らない世代構造もあるのだと思う。
彼らにとって、変化はリスクでしかない。
だから、
・属人化
・抱え込み
・前例主義
・曖昧運営
が温存される。
そのツケを、現場の個人が背負わされ続ける。
■ 本当に守りたいのは、“気持ちよく働けること”
私が「無理・無駄を省いて、効率よく働きたい」と思うのは、決して楽をしたいからではない。
この仕事に、やりがいや楽しさを感じているからだ。
福祉という対人支援の仕事では、
「その人のために何がベターか」
を、多職種で考え続けるチームプレイに価値がある。
相談者から、
「相談できてよかった」
と言ってもらえる瞬間に、大きな喜びがある。
だからこそ、そのリソース(限りある、仕事の時間や集中力など)を、
・属人化したExcel入力
・突発的な雑務
・責任逃れの尻拭い
に奪われたくない。
個人に責任を押し付けられる恐怖に怯えることなく、安心して働ける環境が欲しいだけなのだ。
■ 組織への期待値を、適切に下げる
正しさだけで組織が動かないことは、もう分かりきっている。
上司個人を攻撃しても、時代遅れのシステムそのものは変わらない。
だからこそ必要なのは、
「組織への期待値を適切に下げること」
なのだと思う。
上司の「そうだなぁ」を、可能ならゼロイチの決定まで落とし込む。
変わらない組織に、自分を消耗させない。
環境を反面教師にしながら、自分が守りたい
・チームプレイのやりがい
・専門職としての誇り
・安心して働ける感覚
を、手の届く範囲で守っていく。
組織にしがみつく人のために、自分まで擦り減る必要はない。
構造を客観視する冷静さと、仕事への誇り。
それが、理不尽な現場を生き抜くための防衛線になるのかも…しれない🥲

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