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サヨナラノツバサはシェリルを宿命にはりつけた


 
マクロスFの劇場版が制作されると聞いた時、「愛・おぼえていますか」ほどのクオリティではないにしても、完全新作を期待していた。しかし、当時のプレスリリースでは「新規カットを入れた再編集版」になるという。

 これは「マクロスプラスの劇場版に近い構成なのか。まあ、伝説の5秒のような神作画シーンがあればいい」程度にしか思っていなかった。しかし、いざ蓋を開けて公開されれば、後半はほぼ新作じゃないか。


 河森正治監督いわく、前編の『虚空歌姫(イツワリノウタヒメ)』は「当初、七割テレビ版、三割新規作画のつもりだったが、実際は新規作画が七割、テレビ版が三割」になってしまったという。しかも、完結編となる後編『恋離飛翼(サヨナラノツバサ)』は、完全新作となった。

​ それにともない、シェリルの運命もレールの交差を変えたように大きく変化することになる。

​緋色の花が描く、命を削るステージ


  前回の「マクロスFとシェリルが刻んだ爪痕」では、テレビ版からイツワリノウタヒメまでのシェリルの苦悩と、私とのリンクを書いた。今回はサヨナラノツバサでのそれを書きたいと思います。


 オープニング早々、妖艶な映像で紡がれる「禁断のエリクシア」でパフォーマンスしていたシェリルは、突然吐血してステージ上で倒れてしまう。胸元に落ちた血は、白いドレスというキャンバスに禍々しい緋色の花を描いた。


    私は一瞬、これもライブの演出なのかと思ったが、シェリルが起き上がることはない。その戸惑いが画面内の観客とリンクすることで、私もこの物語に引き込まれてしまった。なんとも効果的な演出じゃないか。


​ 不謹慎は承知しているが、吐血というのはその様が美しければ美しいほど、キャラの置かれた悲惨さを雄弁に物語るものだ。ちなみに、この時のシェリルはV型感染症(バジュラウィルス)に喉を侵されていた。激しいライブパフォーマンスで喉を酷使すれば、炎症で弱くなった部位が破綻して出血する可能性は十分にあるんだよ。

​ この場合、胃を通らないから血液は酸化されず、鮮紅色のまま吐き出されることになる。あの圧倒的な歌唱エネルギーで粘膜が裂けて鮮血が飛び散るという描写は、むしろ彼女の命を削るような生き様をリアルに表現していると言えます。


​宿命にはりつけられた北極星の叫び

​ しかし、この出来事がシェリルの覚悟を決定づけたように感じた。アルトへの想いを隠すことなく、たとえ逮捕されても歌うことへの希望を捨てない。ランカの身代わりで宇宙空間へ放り出され、惑星バジュラの大地で、瓦礫に囲まれたアイランド1に最後の歌声を響かせる。


​誰か空虚の輪郭を そっと撫でてくれないか

胸の鼓動にけとばされて 転がり出た愛のことば

だけど 困ったナ 応えがない

宿命にはりつけられた 北極星が燃えてる

君を掻きむしって濁らせた なのに 可憐に笑うとこ 好きだったよ

  ――「ノーザンクロスーー


 この曲は、まんまシェリルのことなんだよ。自分には未来がないと知っている虚無感、叫びたい愛の言葉、残りの命を燃やすほどの意志。

​ ここでまた、私はシェリルに自分を投影してしまった。この映画を観ていた頃は、自分が自分でないと思うほどに、現実から乖離してしまっていたんだ。燃え尽きて、空虚で、先が見えない。映画館を出る時には気力と集中力を使い果たしていたほどだった。

​ でもね、シェリルに歌があるように、燃え尽きてもいいと思えるほどの「何か」があれば、まだ立ち上がれると思ったんです。

​生存本能を超えた、現実とのリンク



​ 人はそう簡単に自ら命を手放すことができない。それは「生存本能」という、意思では抗えないセーフティに守られているからだ。自分ではどんなに消えたいと思っても、消えることへの恐怖がそれを押しとどめるんだよ。

​ ただし、どんな危険があろうと、何かをやり遂げた結果として灯火が消えてしまうことはある。私はそれを知っていたし、シェリルがそれを見せてくれたことは「現実とアニメーションを超えたリンク」として、今でも心から消えない。

​ 遠くない未来、YFー29の残骸が見える緑の丘でランカと共に、取り戻した命の歌声を響かせるシェリル。そして、それを見守る青年の姿を見てみたいものです。

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山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。