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浮上せよと活字は言う / 橋本治 橋本さんは活字を読んで学べと言った 【人生最後の本棚】

【人生最後の本棚】

まずはこの本に出会えたことに感謝です。筆者の方のご迷惑になりませんように。
おじさんがnoteを始めるに当たってメンズファッションのことを書こうと思い、ファッション関連の本を読んでみました。しかし、ファッション本を読むだけではカッコよくなれないといつも思います。中身が空っぽではカッコよくないのです。結局、いつも中身からカッコよくなるにはそれなりに本をきちんと読んでおかなければという結論に達します。昔からのものも含め、おじさんのお気に入りの本です。

浮上せよと活字は言う / 橋本治

橋本治さん第二弾

1994年刊。前回、「革命的半ズボン宣言」という本を人生最後の本棚に入れました。橋本治さん第ニ弾となります。今回は活字(本)を読むことについてです。

この数年の間、橋本治さんが亡くなられる少し前からの何冊かの時事の評論やエッセイを読みましたが、その頃から、かなり世の中の行く末を心配されているものが続いたと思います。

日本人が駄目になりつつあるという論旨です。僕自身も駄目になりつつあるグループの一員でしかありません。この何十年の日本の停滞は、やはりものを考えなくなった僕たちの世代あたりから始まっていたのだと思います。 

橋本さんは問題は提起されていますが、決して着丈高になったり、僕たちに無理強いされることはありませんでした。

若者の活字離れの”若者”とは僕たち

さて、その橋本治さんの過去の本の再読で今回読んだ本がこの「浮上せよと活字はいう」という本でした。
もう30年以上前に書かれたものですが、やはり、この30年前があったから今があるという風に歴史はダイレクトに今に繋がっています。

少し内容を引用させていただきます。

ひとは言葉によって思考し、その思考を言葉によって整理するという人間の根本を捨ててしまった。本を読まない=思考と認識を放棄する。

浮上せよと活字はいう

それが「活字離れ」であると書かれています。

「読む」ということは、学ぶことである。そして「読む」ということは、呑み下すことでもある。「学ぶ」か「吞む」か、それは読み手の態度次第だ。読み手の側に"自分"があれば、文章の形をした命令を、自分の必要に応じて解釈し直すことが出来る。読み手の側に"自分"がなければ、すべての文章は、呑み下されるべき指令・命令でしかない。

浮上せよと活字はいう

そしていつの間にか、そのやって来ない「命令」を待望することに疲れてしまい、救いを求めて、命令の意味を持たない、活字の少ない「雑誌」というものを読むようになり、それが「活字離れ」の本質になったとあります。

要するに1980年代の日本の男性たちは当時、自分を持つ必要を感じず、男性たちにとって、もう学ぶという意思や意味が無くなってしまっており、結果として「読む」という行為をしなくてよくなり、当時の雑誌「popeye」などに逃げてしまったということです。

本をあまり読んでこなかった自分も、遅ればせながら、橋本治さんの言われていることがようやく少しずつ響くようになったと思います。

では昔の方々は、僕たちの先輩方は本を読んでいたのか?と考えてみると微妙ではあります。仮に、団塊の世代の前後の方々の中で、本を読む方々の割合が僕たちと同じであっても、絶対数が違います。
また、何もないところに新しくルールを作って来た世代の方々の実務の力もあると思います。上司や先輩から叩き込まれたものも僕たちよりは多かったのではないでしょうか。
もちろん本を読まないサボリの方々の絶対数もそれなりに多数だったとも言えますが。

良書を入手しにくい現実

少し脱線します。この本は購入時、中古の程度Cで¥1565でした。今まで中古で買った本の中ではダントツのボロボロでした。(他の程度Bの在庫はもう少しは良さそうでしたが、その時点で¥8000以上のものしかありませんでした。)

本はボロボロでしたが中身は火の出るような言葉の連続でした。本自体が古いものなので、流通する状況がこういう風になることは仕方がないことかもしれませんが、しかし内容は全く古くないのです。

だとすると、こういう本はきちんと残っていくべきなのに、現状は非常に心許ないことになってしまっています。一般的には「需要」が少ないということなのでしょうか。
逆にボロボロなのに、この価格になっても売られているということは、一部にはこれを読み継ぎたい熱心な少数派も確実に存在するということも言えると思います。このバランスは微妙だと思います。こちらも新装版が復刊にならないかと願っています。

けっこう傷んでいます。

またもや未来を予想していた

僕たちの時代の若者は活字離れを言われて久しく、その活字離れが、新しいスタイルの雑誌が売れるという現象を生み出したというお話でした。
その転換点となった当時の新しい雑誌の世界にどっぷりとハマっていたのが僕たちです。今となっては取り返しのつかないことが起きていたようですが、渦中の僕たちは何も知らずにその大きな流れに流されていたということだと思います。
日本も豊かになり始めて、資本主義の成熟期の踊り場にたどり着く頃合いだったのかと思います。

今読んでも、当時の橋本さんの怒りが伝わって来ます。こういう風に社会のことを書かれていることに気づかずに、本を読まずにぼんやりと生きて来た僕たちに対して、僕が偉そうに言う事ではありませんが、「その未来は今」なのだと思います。

30年前に日本の未来を見透かしていたような橋本治さんの本でした。僕たちの世代にこういう風にものを考え、世の中に訴えることを出来る方々がどのくらいいるのか疑問に思います。

新しい世代と活字を読む

この何十年かの時代の流れで活字を読む人間を育てること自体が、僕たち自身によってずっと阻害されて来たのかもしれません。

僕も何か分からないことがあった場合に、その物事に対して、少なからぬ程度理解出来るまで色々な本を読み、いちいち納得しながら生きていかなければならないと思います。

僕たちが活字離れを言われてもう40年です。当時の20歳の僕たちが60歳、当時30歳の方々は70歳、現役を退く年齢です。政治を行なっている方々の中心に本当に「言葉」を持たれている方が残っておられますでしょうか? 
現状がいい方向に進んでいるとは思えません。今の若い世代の方々に「本を読んだ方がいいよ。」と言える立場ではありませんが、知らないふりをせずに同じ船に乗っている仲間として、本の大切さを伝えていかなければならないと思いました。

また、最近AIの事が話題になっています。マシンになにかを要約させるということが「無駄」や「遠回り」を防いで効率的だと思われているようですが「遠回り」や「道草」は常にいけないことではないと思います。
活字に触れることは重要です。みなさんそんなに時間がないのでしょうか?AIを使えることが本当に「近道」なのか考えなければならないと思います。

読んでいただきありがとうございます。

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