大星百貨店跡地❹ 地下三階【創作大賞2026・ミステリー小説部門】
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第十六章 午後
ーー1993年12月11日
静江は朝の祈りを終えた後、ソファに腰掛け、薄い琥珀色のハーブティーを両手で包み込むように持ちながら昼の情報番組を見ていた。
昼下がりの陽射しは柔らかく、午後は観葉植物に水でもやろうかしら、なんて考えていた。
ーーその時突然、部屋の隅に置かれた黒電話のベルが鳴り響いた。
ジリリリリリリ……。
静江はゆっくり顔を上げた。
「……はい、もしもし。」
「……あ、お母さん? 私。」
「葉月……? 葉月なの? どうしたの、体調が良くない? 今日もね、お母さん葉月のために祈ったのよ。」
「あのさ……今日は話があって連絡した。」
『先週の日曜日、大星百貨店で両親と買い物中行方不明となり、今も行方の分かっていない高瀬琴音ちゃんについて……』
テレビでは、琴音の両親が娘を探して百貨店前に立つ様子や、友達や先生へのインタビュー動画が流されている。
「高瀬琴音ちゃん、って知ってる? 最近よくニュースで……」
「…………え? あ、うん。その子がどうかしたの……?」
静江は一瞬の沈黙の後そう答えたが、受話器を握る指先だけがわずかに強張っていた。
「あの子ね、今……うちに居る。」
「え……」
「仕事中に偶然見つけたんだけど……ほら、昔私が産んだ……あの子なの。琴音ちゃん。」
それを聞いて、静江は表情が固まった。
だが声色だけは崩さない。
「そ、そう……」
「あ、なにも酷いことはしてないよ、怪我させたりとか。ただ……これからどうしようかなって。」
静江は唇を噛んだ。
テレビでは、情報提供を呼びかける父親の横で、泣き腫らした顔のボロボロの母親が俯いている。
ただ、静江にはそこはどうでもよかった。
「……それでね、考えたんだけど。お母さんが昔からお世話になってる……あの……先生?」
静江の顔が緩んだ。
「そうよ先生に相談しましょう。それが良いわ。きっと良い解決方法を教えてくれる。」
「……うん。ねえ、今日とかって会えないかな。」
「今日も来てらっしゃるはずよ。私も一緒に行ってあげるから。3時ごろ、いつもの7階のエレベーター前、来れそう?」
「わかった。待ってる。」
「じゃあ、また。」
静江は受話器をゆっくり置いた。
ガチャンーー。
部屋には、テレビの音だけが残った。
『どんな小さな情報でも構いませんーー』
アナウンサーの後ろのモニターには、オレンジ色のワンピース姿の琴音の写真があった。
どこか、葉月の面影もある顔立ち。
静江は自分を落ち着かせるように、冷めかけのハーブティーを一口飲んだ。
窓の外では、冬の日差しが静かに揺れている。
静江は急いで出かける準備を始めた。
第十七章 運命
土曜の午後の大星百貨店は、この日も多くの買い物客で賑わっていた。
正面入り口では、赤い制服姿の案内係が客を迎えている。
ショーウィンドウや店内の至る所に、サンタクロースや雪の結晶、赤と緑のキラキラとした飾り付け。
館内には、少し掠れたクリスマスソングが流れていた。
地下食品売り場では、蜂楽饅頭の焼ける甘い匂いが漂っており、店の前には長蛇の列ができていた。
「ママ、早く屋上行こうよー!」
男の子が母親の手を引っ張った。
エレベーター前には買い物袋を抱えた人たちと、白い手袋をしたエレベーターガール。
商品の箱を大きな包装紙で、素早くラッピングしている従業員。
宝石店では、恋人へのプレゼントを選ぶ若い男性。
喫茶店では女子高生たちが、さくらんぼの乗ったアイスクリームを食べながら、駄弁っている。
誰もが、いつも通りの土曜日を過ごしていた。
そんな中、周りの喧騒には目もくれず、足早にA7エレベーターを目指す女性がいた。
一ノ瀬静江、57歳。
彼女が地下三階の教団と出会ったのは、44歳の時。
その年の春、最愛の旦那が癌で急逝したばかりだった。
*
「ーーおねえさん、おねえさん? 大丈夫ですか? ぼーっとして。」
天神の交通量の多い交差点。
静江ははっと我に返り、声の掛けられた方向を見ることもなく軽く会釈をし、その場を立ち去ろうとした。
その時、華奢な手に結構な力で腕を掴まれ、手繰り寄せられた。
静江は何が起こったのか分からず唖然としながら顔をあげると、白い衣服の、自分より少し若そうな女性が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「あの……お姉さん、何か困ってないですか? とても疲れている様子なので……心配で。」
静江がふと辺りを見ると、同じように白い服装の人が複数名、チラシのようなものを配っている。
ーー宗教の勧誘か……
そう思ったが、その時の静江には、話を断る気力も起きなかった。
それに、その若い女性の目は、心から自分を心配してくれているように見えた。
「あ……ええ……ありがとうございます。」
「よかったら、お茶でもしながらお話ししませんか?」
女性は笑顔でそう言うと、大星百貨店の方向に歩き始めた。
「え、あ、あの……」
「私も、主人を亡くしたばかりの頃、そんな顔してました。」
静江は思わず女性を見た。
「まだ二年くらいなんですけどね。突然だったので……しばらく、外も歩けなくなっちゃって。」
女性は寂しそうに笑った。
その表情だけで、静江は少し気が緩んでしまった。
気づけば二人は、大星百貨店の喫茶に入っていた。
店内には、コーヒーの香りと静かなクラシック音楽が流れている。
平日ということもあり、空席も目立つ。
「こういう事、他の人にはなかなか話せませんよね。」
女性はコーヒーにミルクを混ぜながら言った。
「主人の親戚も、相談に乗る、とかいつでも頼って、とか言ってはくれたけど……なかなか頼るっていうのも難しいですよね……」
静江は黙って頷いた。
「でも私、そんな時にある集まりに出会って、少し楽になったんです。」
「……集まり?」
「ええ。『未亡人サロン』って言うんです。同じ経験をした人たちが、お茶を飲んだりしながら話すだけなんですけどね。」
「未亡人サロン……」
家では一人娘に心配をかけまいと気丈に振る舞っていた静江には、悩みを打ち明けられる場所なんてなかった。
「よかったら一度、どうですか? 私も居ますので。」
「そ……そうですね。」
「紹介制なんです。費用は一切かからないので、サインだけいただいても良いですか?」
「……分かりました。」
「もちろん。必要なくなったら、いつでも退会できますよ。」
女性は柔らかい笑顔を向けた。
静江はサインする前に、登録用紙をさっと一読した。
『会員同士の会合場所について一切の口外をしないこと』
ーーなんだろう?
そう思ったが、あまり深くは気に留めなかった。
静江は流れるようにサインをした。
「ありがとうございます。手続きは以上です。」
静江は椅子に深く座り直し、冷めたコーヒーを一口飲んだ。
女性が、静江を追うようにゆっくりと顔を近づけてきた。
「実は、このデパートに会合場所があるんです。」
囁くような声でそう言った。
「え? そうなんですか。こんなところに?」
「ええ、この集まりを作ってくれた『先生』もそこに居ます。静江さんに先生をご紹介したいので、一緒に行ってみませんか?」
「あ……はい。先生……?」
「私たちはそう呼んでいます。とても優しい女性の方ですよ。さあ、行きましょう。」
女性は、静江が遠慮する暇も与えずにさっさと会計を済ませ、エスカレーターに向かった。
「7階の、外商サロンの奥の通路が一番人目につきません。」
女性はそう言いながら、通路を進んでいく。
確かに、誰一人ともすれ違わずに、この『関係者以外立入り禁止』と書かれた扉まで来た。
「え……ここに入るんですか?」
「そうなんです、なんでも気兼ねなくお話しできるよう、人目につかない場所にあるんですよ。こちらです。」
言われるまま、女性に着いてエレベーターに乗った。
「このA7っていう職員用のエレベーターしか通じてませんので、気をつけてくださいね。」
そう言うと女性は『B2』のボタンを長押ししながら続けた。
「もし、ここの従業員と一緒になった時は押さないでくださいね。会員以外に知られたらいけない事になっていますので……。」
『B2』の下に赤い『B3』がぼうっと浮かび上がった。
「え……」
思わず声が出た。
と同時に少し怖く感じてきた。
エレベーターがゆっくり止まり、扉が開いた。
「おかえりなさい!」
「おかえりー。」
白い服を着た人たちが笑顔を向けてくれた。
「ただいま。こちら、新入りさん。」
女性は静江の手を取り、静江を皆に紹介した。
「初めまして。」
「ようこそ!」
皆笑顔で迎えてくれた。
「静江さん、先生はこちらです。」
女性は静江の手を取ったまま、奥の部屋へと誘導した。
白い幕の向こうに、人影が見えた。
静江は人影の正面に置かれていた座布団に座らせられた。
「はじめまして、よく来てくれたわね。お名前は?」
幕の向こうから女性の声。
「一ノ瀬……静江です。」
「静江さん、あなた……最近とても辛いことがあったんじゃない? 例えば……大切な方を亡くされたりとか……」
「え……」
「話したくなければ、話さなくても良いのよ。ただ……あなた、すこし頑張りすぎてるみたい。多分……眠れてないでしょ?」
「なんで……分かるんですか?」
「何故かは……私にも分からないんだけど、昔から分かるのよ。せっかく持って生まれた力があるなら、誰かの為に使いたいと思ってね。」
温かみのある落ち着いた声。
「……ご主人、ご病気だったの?」
亡くしたのは主人だと、まだ伝えていなかったので少し驚いたが、そういう力がある人間も居るものなんだな、と割とすんなり受け入れられた。
「……はい……主人はがん家系だったんです。主人の父親も早くに亡くなって。健康診断とかも毎年受けて気をつけてたんですけどね……見つかった時にはもう手遅れで……膵臓癌でした。」
「それは……お辛かったでしょう……。あなたが入ってきた時、何か家系的なものを感じたの。だから今の話を聞いて腑に落ちたわ。」
「家系的なもの……?」
静江は涙を堪えながら、震える声で尋ねた。
「ええ、全くあなたのせいじゃないのよ。ただね……家系の因縁があるみたい……怖がらせたい訳じゃないけど、このままだと悪い流れが続いてしまう気がするの。」
「む……娘に何かあるんですか? それだけはどうか……」
静江の頬を涙が伝った。
「葉月だけは、守らないといけないの。」
「あの子まで主人みたいになったら、私はもう耐えられない。」
「大丈夫、正しい祈りで悪い流れは浄化できます。静江さんが偶然私のもとへ辿り着いたのも、あなたが毎日頑張っているから運命が導いたんですよ。」
「私は……これからどうすれば……」
「心配要りません。きっと良い方向に向かうわ。その為にも時々こうやってここに来て。皆でお話ししながらお菓子でも食べましょう。」
「……はい。」
第十八章 祈り
ーー1993年・初夏
静江は誰もいない従業員通路を迷いなく進んだ。
A7エレベーターの前。
光の宿っていない目。
『B2』ボタンを長押しした。
地下二階の下に、赤い『B3』が浮かび上がった。
『B3』ボタンを押した。
エレベーターは静かに動き出す。
やがて、小さく揺れて、止まった。
扉が開く。
最初に目に入ったのは、白い壁だった。
その前に、供台のようなものが置かれている。
花瓶に挿された花は、見たこともないほど白かった。
「ただいま戻りました。」
壁に向かって静江は一礼した。
「お帰りなさい、お務めご苦労様。どうぞお入りになって。」
壁の向こうから、落ち着いた女性の声。
「はい。」
壁の左側から回り込むように奥の空間に入る。
空気に、何かを焼いたような匂いが混じっている。
正座した静江の視線の先。
半透明の白い幕の向こうに、人影が揺れている。
「先生、今日は……」
「あら、あなたまた最近眠れてないでしょ。」
「……もう……あの子まで居なくなるのは……」
「大丈夫、あなたのこれまでの苦しみには意味があるのです。失ったものは別の形で戻ってくるんですよ。」
「娘についた穢れはすべて取り除いてあげないと……」
「ええ。親が子を想うのは自然な事です。」
「私はどうすれば……」
「ここに居る者たちは皆あなたの仲間です。ほら、こちら側へお越しなさい。」
ふと気配を感じ、静江は振り返った。
いつの間に現れたのか、白い服を着た男女が、壁際に静かに並んでいた。
「今日は浄めのお務めを行います。相応のお供えは必要になります……だけど今の娘さんを救えるのは静江さん、あなただけなんですよ。」
「分かりました。先生、どうかよろしくお願いします。」
静江は、床に手をついて頭を下げた。
信者たちが素早く動き、静江の後ろに石製の台を置いた。
台の上の窪みに組まれた薪が、小さく燃えていた。
一人の信者が、一枚の写真を差し出した。
静江は、それを見た。
ーーそこには笑顔の少女が写っていた。
第十九章 呪縛
ーー14時50分
A7エレベーターが7階に停止し、静江が降りてきた。
その頃、葉月は痩せ細った体でゆっくりと7階を目指している。
約束の15時を少し過ぎて、職員通路の扉がゆっくりと開いた。
葉月には、乱れた息を整える時間が必要だった。
「葉月……こんなに痩せて……」
「まあ、こんなだけどまだ時々は時短で働けてる。久々だね、ここ、この匂い。」
葉月は、過去に何回か静江の勧めでこの場所に来たことがあった。
それは葉月にとって、決して良い思い出ではなかった。
「でも葉月……なんで……こんなことしちゃったの。あの子が、あなたの子ってなんで分かったのよ……」
静江は強い言い方にならないよう、言葉を選んで喋っていた。
「偶然なの。誕生日と年齢が同じ子を見つけて、なんか私の面影があって。」
葉月はそう答えた。
どうして母は、迷いなく琴音を自分の孫だと信じているのだろう。
そのことだけが、妙に引っかかった。
「大丈夫、葉月が悪いんじゃないの。あの子があなたの人生を悪い方向に導く因縁があるの。穢れは払わないと……」
また、それだ。
『穢れは祓わないと』
葉月が散々聞いてきた言葉だ。
琴音を身籠った事を打ち明けた時なんて、1日に何度も何度も言われてきた。
葉月は、奥歯を噛み締めた。
爪が皮膚に食い込むほど拳を握っても、震えは止まらなかった。
葉月が何も言い出せずにいるのを見て、静江が続けた。
「不安にならなくて大丈夫よ、先生ならきっとあなたを救ってくれる。さあ、行きましょう。」
静江はエレベーターのボタンを押し、中に乗り込んだ。
葉月はしばらく動かなかった。
扉の向こうに聞こえているクリスマスソング、どこか遠くから聞こえる子どもの笑い声。
葉月は静かに目を閉じる。
琴音と過ごした六日間が、ゆっくりと頭をよぎっていく。
朝ごはんの匂い、ドライヤーの音、琴音の笑い声……
今からでも、琴音を連れて警察へ行けばいい。
そうすれば、少なくとも琴音は帰れる。
自分が捕まってもいい。
もう長くない命なら、それでも構わない。
だけど。
地下三階だけは。
あの場所だけは、このまま残してはいけない気がした。
鞄の紐をぎゅっと握り、葉月は一歩踏み出した。
扉がゆっくり閉まっていく。
館内の喧騒が、少しずつ遠ざかっていった。
静江と葉月は言葉を交わす事なく、地下三階にエレベーターが到着した。
ゆっくりと扉が開く。
「葉月さん、お待ちしておりました。」
「どうぞこちらへ」
数名の信者が、教祖のもとへ二人を案内した。
「葉月さん、よく来ましたね。あなたは今日、私にお話しがあって来られたのよね?」
「あ……はい……私は……11年前に産んですぐに養子に出されてしまった我が子……高瀬琴音ちゃんを家に連れ帰ってしまいました。」
「それは……よくお話しくださいましたね。」
「はい。で……琴音ちゃんはとても良い子だったんです。」
「良い子……そうですか。つまり……」
「つまり、あの子はあなた方が言うような『穢れ』なんかじゃありません。」
葉月はその場に、ふらつきながら立ち上がった。
「葉月。何してるの、座りなさい。」
葉月は、静江の手を振り払った。
「琴音ちゃんのご両親も、良い方たちです。血の繋がりはないかも知れないけど、それでも、琴音ちゃんがどれだけ愛されて伸び伸び育ったか。琴音ちゃんを見ているとよく分かります。」
葉月は呼吸を整えて、震える声で続けた。
「確かに……琴音ちゃんは他人の気持ちを考えられる良い子だし、同年代の子に比べて大人びてると思います。でも……それは、琴音ちゃんが『自分は一度捨てられたのかも知れない』とか『実親を知りたいなんて今の両親を裏切るのかな』とか、沢山悩んで生きてきた証拠だと思って……少し切ないんです。」
「つまり、葉月さんは何がおっしゃりたいの?」
「11年前、母を洗脳し、私から琴音を奪ったのはあなた方ですよね?」
葉月は怒りに震える手を強く握って、白い幕の方を睨みつけた。
「ちょっと葉月、洗脳だなんて……やめなさい。」
「分かってます。もう時間は戻せないですし、私も病気で長くはありません。琴音ちゃんは今のご両親にお返しします。ただ……ただ、謝ってください……琴音を奪ったこと。撤回してください……琴音と、彼女の父親を『穢れ』と呼んだ事を。」
しばらくの間静寂が続いた。
「準備、始めてくれる?」
教祖の女は小さく信者たちにそう伝えると、葉月に話しかけた。
「葉月さん……あなたの言ってることは合ってる。でも、視点を変えると間違ってるとも言えるの。」
その間にも、複数の信者たちが、葉月たちの周りをせわしなく動いて準備を行なっている。
「私たちが『穢れ』と呼んでいるのは、琴音さんが良い子じゃないとか、悪者だから、とかじゃないの。ただ、あなたと一緒に居ると悪い因縁を運んでくる存在ではあるの。あなたや、家族を不幸にしてしまう。」
気がつけば、静江と葉月の周りには20名ほどの信者が輪を作って立っており、正面の信者の前には白木の盆が置かれている。
二人の真後ろには、上部が皿のような形をした、石製の台が置かれた。
その台の上には小さな篝火が灯された。
「準備、出来ました。」
信者の一人がそう告げた。
白い幕の向こうの影がゆっくりと立ち上がった。
「汝、一ノ瀬葉月に宿りし穢れを、今ここで祓いたまえ。」
先生の低い声が、白い部屋に響いた。
正面の信者が、白木の盆から一枚の写真を取り出し足元に置いた。
葉月が、近付いて見てみると、それは笑顔で写った琴音の写真だった。
拡大されているようだが、少し離れた所から隠し撮りされたような写真。
白い服装の信者たちが、床に置いたその琴音の写真を順番に踏みながら、葉月たちの周りを回り始めた。
「祓いたまえ。」
ーーぺたり。
「祓いたまえ。」
ーーぺたり。
「正しき魂へ導きたまえ。」
信者たちの声が少しずつ重なっていく。
「祓いたまえ。」
「祓いたまえ。」
「祓いたまえ。」
白い部屋に、異様な熱気が満ちていく。
静江は地面に手をついて、信者たちとともに祈りの言葉を繰り返している。
葉月は、踏み潰された琴音の笑顔を茫然と見つめていた。
呼吸が浅くなる……耳鳴り……
「穢れを火へ返したまえ。」
先生がそう唱えると、信者たちの動きが止まった。
信者の一人が、琴音の写真を拾い上げ、篝火の中に焚べた。
写真の端がゆっくり黒く縮れていく。
その瞬間、葉月の中で何かが切れた。
「うわあああああああああああああああッ!!!」
葉月の叫び声が、地下三階に響き渡った。
「琴音を踏むなあああああッ!!!」
全員の視線が葉月に集まった。
「琴音は心の優しい子なんだよ、穢れてるのはお前らだろうが!!!」
葉月は鞄からペットボトルを掴み出した。
次の瞬間。
透明な液体が、床へ、壁へ、白い幕へ、激しく撒き散らされた。
「人生返せよおおおおおおおおッ!!!」
ーーばしゃっ。
「琴音を返せ!!うわあああああああッ!!!」
誰かが悲鳴を上げた。
「何これ……油……!?」
「……臭い……離れて!!」
葉月は液体を撒きながら、後退るようにA7エレベーターへと向かった。
白い部屋は、一瞬にして騒然となった。
「待って!!葉月!!何してるの!!!」
静江の声。
葉月はエレベーターのボタンを押した。
すぐに扉が開いた。
葉月は空のペットボトルを投げ捨て、ポケットに入れていたマッチに火を付けた。
そして火のついたマッチを見つめた。
小さな炎が、指先を橙色に照らしている。
それをエレベーターの外へ放った時、部屋の奥で茫然と立ち尽くす静江と目が合った。
その直後、静かにエレベーターの扉が閉まった。
葉月は、一瞬だけ、白い部屋が赤く染まるのを見た。
その直後、扉の向こうから耳を塞ぎたくなるような声が聞こえ、それが段々と小さくなっていった。
葉月はその場に崩れ落ち、目からは涙が溢れていた。
1993年12月11日 16時21分。
一ノ瀬葉月は、大星百貨店地下三階に火を放った。
