見出し画像

生まれ変わりの本当の意味とは「羽黒修験道」


自然を神と崇める「四季の峰」

山形県のほぼ中央に位置する出羽三山(でわさんざん)は山岳信仰の聖地とされる場所です。出羽三山とは、月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)の総称です。

標高1,984メートルの月山山容

月山と湯殿山は冬季閉山となるため、ふもとの集落に近い羽黒山は出羽三山の拠点として、年間を通して多くの参拝者で賑わっています。

羽黒山山頂の三神合祭殿

かねてより羽黒山では「羽黒修験道」と言う修験が盛んに行われており、私たち人間に厳しさや恵みを与える「自然」を神として畏敬の念を払い崇め敬ってきました。そのため、羽黒修験道には季節の移ろいに沿って修行を行う「四季の峰」という修験が存在していました。

出羽三山を開山した蜂子皇子(はちこのおうじ)は、世の泰平と人々の安寧を願い、人生の多くを修験に捧げ、山岳修験の祖とも呼ばれています。

神仏分離により明治五年(1872)の修験宗廃止令が発令され、現在では形を変えて受け継がれている「四季の峰」。その修験を執り行う「羽黒修験道」とは、どのようなものなのでしょうか。

死と再生を巡る「三関三渡の行」

かつて、出羽三山は羽黒山・月山・葉山(はやま=月山の山脈が東に伸びた山)をもって三山とし、湯殿山を総奥の院としていました。

月山山頂から見た葉山

ですが、天正(1573~92年)の頃、葉山が別当寺であった慈恩寺との関係を絶ったことで葉山信仰が衰退しました。以降、主峰の月山を中心に、北方の羽黒山、西南方の尾根上の湯殿山の三山が出羽三山と呼ばれるようになりました。

鶴岡市郊外から見える出羽三山
※羽黒山の位置は実際は画像外に出るほど左です。訂正した写真を差し替える予定です。

明治の神仏分離(1868)までは「三所権現」と呼んで拝していましたが、それ以降は「出羽三山神社」と改めることとなります。神仏習合の時代では、三山にある浄土の仏の加護と引導によって示される関を渡り、最終的に湯殿山へ赴くことで即身成仏することを説いていました。

羽黒山|現世の安穏を約束する観音菩薩の補陀落浄土
月 山|死者の赴く過去世にあって衆生を導く阿弥陀如来の極楽浄土
葉 山|未来永劫にわたって衆生の苦悩を除く薬師如来の瑠璃光浄土

⇩ 現在・過去・未来のすべてが凝縮された

湯殿山|大日如来の密厳浄土

従来の時間軸と、三山の山中においては全く異なる時空が流れています。

・ 通常 | 過去(=生前) ⇨ 現在 ⇨ 未来(=死後)
・ 三山 | 現在 ⇨ 過去(=死後) ⇨ 未来(再生)

このように三山を駈ける修行を「三関三渡の行(さんかんさんどのぎょう)」と言って、出羽三山を巡ることは古来より生まれ変わりの旅として一般庶民の間にも広がっていました。それでは、四季の峰について掘り下げていきます。

自己の生まれかわりと祖霊供養「夏の峰」

 自己の生命の若返りの修行

夏の峰は、全国から来た一般参詣者が三山を駈ける「夏山登拝」だと言わています。

月山を登拝する参拝者たち

一概に山を登るということではなく、参詣道者が三関三渡の行を果たすことで道者自身が擬死再生の儀礼を通し、自己の生命の若返りをはかる修行です。

夏峰における三関三渡の行

①参拝者は葬送の儀礼を郷里で済ませ、三山を目指す道中を死出の旅路とする。この時、死者の出立である白衣を身に着ける。
 ⇩
②羽黒山麓の手向(とうげ)の宿坊で一夜参籠(=一の宿)することで、父の精が母の胎内に宿った過程を通る。
 ⇩
③月山の山中での参籠(=二の宿)において、小屋の骨組みが見えるのは、胎児が胎内にあって母の肋骨に護られていることを指す。
 ⇩
④湯殿山のご神体を拝して、大網、七五三掛、大井沢、本道寺などで参籠する(三の宿)ことが新たなに誕生したことを指し、これを結縁入峰(けちえんにゅうぶ)と呼ぶ。

 祖霊を祀り供養する

山は神域であると同時に、よみがえりの時を待つ死者の霊魂が鎮まる場所でもあります。死後の霊魂は集落に近い山へ往き、子孫の供養を受けて浄化され、年月を経て祖霊となって高い山に昇るとされています。

標高1,984メートルの月山山頂

供養された霊魂は和魂として子孫に恵みを与える一方で、祀られない霊魂は荒魂となって災いを及ぼすとされていたため、三山の各山には御霊を祭る霊祭所が設けられています。

羽黒山山頂の境内にある霊祭殿

山中の死霊を祭り、その怨霊を晴らすことで天下の平和が保たれ、ひいては豊穣をもたらすという古来からの信仰に習ったものです。

神仏習合の時代には7月13日の夜に月山本宮の採燈壇で柴燈護摩を修し、祖霊を子孫の元に送り、帰る家のない祖霊のために施餓鬼を行っていました。現在の暦では8月13日。本宮の北側で柴燈護摩を修し死霊供養を行う月山神社本宮柴燈祭(さいとうさい)が行われています。

鶴岡市街地から見た柴燈護摩の様子

このような背景から、夏峰の道者は月山で祖霊供養を行い、祖霊をまつりなぐさめる峰とも言われます。

修験者になるための「秋の峰」

 山伏が駈ける修験

自己の生まれ変わりを目的とした夏の峰に対して、秋の峰は衆生済度を目的として、修験者となるための修行です。

2012年の八朔祭での様子

山伏が秋峰を重ねることによって位階昇進の許しを受けることや、俗世間を脱するという意味から立身出世としての「出世の峰」とも呼ばれます。

夏峰とは異なる三関三渡の行

①第一関門
母の胎内=過去とされている羽黒山の南谷が「一の宿」であり、ここで修行をすることで人生の胎内修行を終える。
 ⇩
②第二関門
修験者は南谷から「二の宿」である羽黒山中腹の吹越まで大渡り道(おおわたりみち)と呼ばれる道を通る。吹越で柴燈護摩を修し、自分の葬式(逆修葬儀)をすることで死者となるり、二の宿の胎外に生まれ出て現世へ渡ることを「胎内の海を渡る」と言う。月山の北の裾野を流れる赤沢川を四十八度渡り、よみがえりのときを待つ精霊が鎮まる三鈷沢(さんこざわ)へと赴くき、己の魂を受け取ることになる。
 ⇩
③第三関門
精霊を体に込めた修験者は、現世での生における苦しみの関を乗り越え、「三の宿」である大満にて死後の世界=未来へ渡る。吹越から大満までの間にある海道坂(かいどうざか)という坂道を越えることを「生の海を渡る」と言う。
 ⇩
④新しい生命の誕生
過去・現在・未来の三世を超越して山を下ることで、新しい生命の誕生=再生を意味する。永遠の生命を得ることを「未来死海を渡る」と言い、出生と書いてデナリとも読む。

 全国から修行に挑む人が集結

現在、秋の峰は出羽三山神社と羽黒山 荒澤寺 正善院がそれぞれ執り行っています。出羽三山神社の2024年の修行では、北海道から沖縄県までの18~81歳までの6人の外国人を含む114人が7日間の行に臨みました。

2013年の八朔祭での様子

8月31日午後9時から、秋峰の修行者達が蜂子皇子に修行の報告を行う八朔祭(はっさくさい)が執り行われます。修行を終えた修験者たちによるご神事の様子は迫力満点。一般の参拝者も参列することができます。

ちなみに
かつての修行期間は75日間でしたが、いつの頃からか30日間になり、寛文9年(1669)には15日間に短縮され、明治44年(1911)には10日間となり、昭和24年(1949)には7日間となりました。

秋峰の修行の内容は家族にも語ってはいけないとされているそうですが、これは「胎内でのことは記憶にはないはず」なので、本来は語ることができないという意味を指すようです。

もっとも格式の高い「冬の峰」

 山伏の最高位「松聖」

夏峰が一般の参拝者が生まれ変わりを果たし、秋峰は修験を重ねて世の中の安寧を願う修行に対して、冬の峰では山伏の最高位である「松聖(まつひじり)」と呼ばれる2名の山伏が修験を執り行います。

大晦日の綱まき神事に向かう松聖一行(2024年)

松聖は、羽黒山の麓に広がる手向(とうげ)地区の中から2名の山伏が選ばれ、100日間の行に入ります。任命を受けるのは、大晦日から遡って100日前にあたる9月24日の幣立祭(へいたてさい)です。

修行の間、松聖は五穀を断ち、一俵の種籾に稲倉神の魂を移します。翌年の五穀豊穣と人々の平穏な暮らしを祈り、稲を主とする五穀に穀霊の発現を待つための物忌みの行です。四季の峰の中で、冬の峰はもっとも格式が高い修行とされます。

 100日間の祈りの結集「松例祭」

明治以降、冬の峰の結願行事は松例祭(しょうれいさい)と呼ばれ、現在も12月31日の年越し神事として受け継がれています。松例祭については、別途で記事を掲載します。

【リンク準備中】

作物の恵みをもたらす「春の峰」

 唯一、姿を消した修験

夏・秋・冬の修験が現在も形を変えながらも継承されているのに対して、春の峰は明治時代の神仏分離によって廃絶しました。

月山のお地蔵様

その理由は、羽黒山内にあった28寺のうち、山上の格式高い4寺の大先達寺の僧侶たちのみによって行われてきましたが、寺院が姿を消したためです。春の峰の目的は、冬の峰で育てた穀霊を祀り、稲作の豊作を祈願する新春を寿ぐ儀式として欠かせないものでした。

 2018年に復活を果たす

2018年1月5日、山伏の星野文紘氏の呼びかけによって、150年ぶりに儀式が復活しました。まだ雪深い出羽三山神社の境内にある蜂子神社において、神官の山伏9名と既修松聖の9名によって春の峰が執り行われました。

蜂子神社 写真は9月の八朔祭の様子

松例祭で松聖たちが99日間の祈りによってお稲霊(いなだま)をうつした五穀のもみ「御判立(ごはんだて)」を、厄よけの護符「牛玉宝印(ごおうほういん)」に入れて、希望する檀家の農家らに頒布。各農家で祭られたのち、春になると稲霊が田全体に行き渡り豊かな恵みをもたらすように苗代の水口に立てられます。

米どころ庄内平野の田んぼと月山

農作が盛んな日本において、このように稲作が無事に育つようにと願いの込められたご神事は日本各地に存在していたと思いますが、その伝統が途絶えてしまったものも多くあると思います。

羽黒山ではこうした貴重な伝統や文化が継承されていることに敬意を払い、これからもその伝統が受け継がれていくことを願っています。

出羽三山を巡ることは「生まれ変わりの旅」として様々なメディア媒体が取り上げています。実際は三山を巡るだけではなく、厳しい修行のもとに生まれ変わりを果たす役割があったんですね。

Instagramでは写真や動画を発信しています ▼ ▼

・記事はご自由にリンクしていただけます。報告不要です。
・記事の中にある写真は筆者が撮影したものであり、著作権は筆者に帰属します。写真を使用したい場合はメッセージで連絡をお願いします。

記事を作成するにあたり参考にさせていただきました。
四季の峰(出羽三山神社)
150年ぶり「春の峰」(荘内日報)
出羽三山神社で「秋の峰入り」山伏の修行を行う(TBS系列)
出羽三山神社 山伏修行「秋の峰入り」始まる(日テレ系列)
「秋の峰」始まる 出羽三山神社(荘内日報)


いいなと思ったら応援しよう!