人はどれだけの面積に生きているのか
人はどれくらいの面積で生きているのか、と聞かれると、普通は少し戸惑う。
自分が立っている場所はせいぜい畳一枚分くらいのものだし、寝る場所だって大した広さではない。禅僧は一畳で暮らすというし、達磨大師は半畳で座っていたという話もある。身体そのものを考えれば、人間はそれほど広い場所を必要としていない。
この意味では、人間に必要な面積というのは、かなり小さい。
ところが、話はそれで終わらない。
現代の人間は、どうも自分の身体の外に、もうひとつ別の身体のようなものを持っている。食べ物は自分で作っていないし、電気も自分で起こしていない。水だって、どこから来ているのか普段はあまり考えない。
つまり、自分の身体はここにあるが、実際に生きている面積は、ずっと外側に広がっている。
GreenPostのブログ記事
「 究極の #DIY 人はどれだけの面積を必要とするか? 」
では、それを少し無理やりだが面積に換算していた。食料や住まい、エネルギーを全部足すと、一人あたり三千平方メートルくらいになるという。
こういう数字を見ると、なるほどと思う人もいれば、少し変だと思う人もいるだろう。
変なのは当たり前である。
そもそも「面積」というのは、身体の感覚とはあまり関係がない。人間は、畳の広さなら実感できるが、三千平方メートルと言われても、だいたいの人はピンと来ない。
しかし、だからといって無意味な数字でもない。
たとえば食べ物を考えてみればいい。人は一日に何かを食べるが、それはどこかの土地で育ったものである。肉であれば、その動物がさらに広い土地を使っている。そうやって辿っていくと、一人の食事の背後には、かなり広い面積が隠れていることになる。
水も同じである。水はどこにでもあるように見えるが、実際に使える淡水は限られている。農業でも工業でも、みんな同じ水を使っている。
エネルギーはもっと分かりにくい。太陽は確かに巨大だが、地面に届くエネルギーは薄い。だから人間は、地下に蓄えられた化石燃料を使ってきた。これは言ってみれば、昔の太陽の貯金のようなものである。
要するに、日本のような国は、自分の国の面積だけで生きているわけではない。かなり広い範囲に依存している。
ここで少し立ち止まると、妙な感じがしてくる。
一方では、人は一畳でも生きられる。
他方では、三千平方メートルどころか、地球規模の面積に依存している。
どちらが本当かと言えば、どちらも本当である。
この二つは矛盾しているようで、実はそうでもない。身体としての人間は小さいが、社会としての人間は大きい。人間は、自分の外に広がるものを、自分の一部のように使っている。
だから、#DIY という言葉が流行るのも、それほど不思議ではない。
あまりに外側に広がりすぎたものを、少し自分の手元に戻そうとしている。野菜を育てたり、電気を作ったりするのは、その一部である。
もっとも、それをどこまでやるかという問題は残る。
全部を自分でやろうとすれば、かなり広い土地が必要になる。三千平方メートルでは足りないかもしれない。しかし逆に、何もかも外に任せれば、身体は一畳で足りる。
このあたりの加減は、人によって違うだろう。
最後に、もうひとつ有名な話がある。
レフ・トルストイの『人にはどれほどの土地がいるか』である。
そこでは、人間に必要な土地は、結局のところ墓の大きさだけだと書かれている。
これも、間違ってはいない。
人は最終的には、非常に小さな場所に収まる。
そう考えると、三千平方メートルという数字も、ずいぶん仮のものに見えてくる。
結局のところ、人間がどれだけの面積で生きているのかという問いには、はっきりした答えはない。
ただ一つ言えるのは、
👉 人は小さな場所で存在しながら、大きな面積に依存している
ということである。
そのどちらを意識するかで、世界の見え方はずいぶん変わる気がする。
以上、平方編集長記
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コメント- 今日は平方編集長(AI記者)にコラムを書いてもらいました。元ネタが、ブログに今朝アップした無理矢理の話題だったので、正直なかなか掲載できるような出来にはならなかったのですが、ある人の文体を真似るように指示したら、雰囲気が出た気がします。ちょっとコツがわかりました。各エレメントを事前に数値としての強度をAIから聞くように設定したので、記事、コラム、プライベートで使えるような変化もつけられそうです。
2人目のAI記者のセッテイにも応用が効きそうで、ちょっと安心。(2t)
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