実らないがゆえに美しい
あいつは照れたり、自分の気持ちを誤魔化すとき、必ず下唇を舐めるくせがあった。
女も40を過ぎると話の話題は仕事の愚痴、子どもの進学、旦那の文句なんかが大半を占め、それが50も目前になると解放されるのかといえばそうでもなく、更には「腰が痛い」「肩こりが酷い」「そろそろ介護がね」なんて話が加わってくる。
もちろんそれがすべてではないし、ひとそれぞれ経験値も違う。遅かれ早かれみんなが通るそれらを上手く誤魔化しつつ、ナントカ折り合いをつけて生きている。な~んて、キレイにまとめたところで現実は、結構だらしなくて中だるみしているものだ。
心の平穏が欲しい。
平和な話題に癒されたい。
でもいちばんそそられるのはやっぱり、コイバナかなぁ。
「そういえばどうなった? マルちゃんの初恋のやり直し。なんか進展あった?」
久しぶりの再会で、行く当てもなく車を走らせた。
「あぁ。どうだろ」
こんな時いつも車を出してくれるのは、小学校からの親友・平栗一果だ。彼女は小学6年の夏休み前という中途半端な時期に転校してきた。当時はどこか閉鎖的で、自分が学級委員でもなければ今こうして一緒に行動することはなかったかもしれない。
あだ名は”カガミ”。名前が左右対称で鏡に映しても読めるというところから、私がつけたあだ名だった。
「あれからマルちゃんに会ってないの?」
「ていうか……」
(あんたの反応が悪いから言いたくない)
とは、言えない。
「な~んか疲れる。面倒臭い男だった……って言ってた」
少し前の彼女の反応を思い出し、なんとなく話を濁してしまった。
「えーなに。じゃぁもう終わり? いい感じじゃなかったの?」
今日は随分と肯定的なようだが、以前話をした時は「なにそれ、不倫じゃん」なんて、自分のことを棚に上げて責めていたくせに……。心境の変化か、不倫相手といい感じなのか、とこちらも勘ぐってしまう。
「なぁんだ。なんか進展あるかと思ってたのに」
つまらなそうにハンドルを回しながら落ち着いた風を装ってはいるが、全身耳になっているだろうことは火を見るより明らかだった。
未婚ではあるものの自分は絶賛不倫中であるにも関わらず、既婚である親友の危うい関係には難色を示す態度が、私としてはどうにも噛み砕けなかった。
この話を持ち出した時、絶対共感してのってくると思っていただけに、自分のことを棚に上げるどころか、たまたま初恋の相手に再会して「いい感じになった」という親友の話には断固として否定的な言葉を放ったのが腑に落ちない。だからこそ、カガミの言葉が心配から出ている言葉ではないと感じている。
周知の事実というわけではない話題を、当人のいないところでするのはなんとも心苦しく、
「いろいろうるさい男だった、らしい。そりゃ小学校のままってわけにはいかないよねぇ。あれから30年以上も経ってるんだもん」
と、同じく小学校からの悪友である安達咲良の言葉をそっくり引用して返す。
「ほら。マルコってもともと……」
”マルコ”というあだ名の由来は、ペットにしたい動物が「おさるさん」だったから。それに彼女は昔から、小柄で可愛らしい印象が強く”こじんまり”という意味でもそのあだ名はしっくりきた。
「飽きっぽいっていうか、きまぐれじゃん?」
なんとなくそれ以上は突っ込まれたくなくて、流すつもりで彼女の性格を暗に匂わせた。
ちなみに私のあだ名は「ネギ」。なんのことはない、苗字が加茂だから。自身のSNSのアイコンもなんとなく馴染みがあって”Neggie”にしている。
「あ~そんなかー。でもよかったんじゃない? マルちゃんも。なにかある前に解って」
なにかある前……あんたがそれをいうか、とは飲み込んだ私の本音。
「まーねー」
わざわざ他人の情事を持ち出してくるあたり、プライベートで「なにかあった」と勘ぐらずにはいられない。
「あんたはよ? なんかないの」
軽く話を振ってみるも、
「あたし? あたしは相変わらずよ~。うだつの上がらないっつーの?」
(そう思うならやめりゃいいのに)
正面を向いたまま、視線だけをカガミに向ける。
「わかるよ~。今なに考えてるのか。あたしだって悪いことしてる自覚はあるんだから」
「責めてるわけじゃないよ」
それがままならないのが恋愛だものね。
「それも解る。いい大人だもんね」
今日のカガミはそこに触れられたくないのだと暗に言っている。
「はいはい」
「そういうネギちゃんはなんかないの」
あるわけがない。それがいつも「平凡でつまらない~」を生きている私の答え。でも、
「あたし~?」
なにもない……といいたいところだが、実は話したい。
「それがさぁ」
会ってしまったのだ。私も。苦い思い出に。
「なに、なんかあった!?」
言うつもりもなかったはずなのに、かえって墓穴を掘る形になってしまった。が、このままマルコの話も続けたくない手前、話題を変えないわけにもいかない。当然、流してくれそうもない。
「こないだ、お葬式でねー」
「葬式ぃ? なによ、まただれか死んだ?」
まぁさすがに年齢的にそんな話がちょいちょい聞こえてくるのは致し方ない。
「そうじゃなくて」
再会は同窓会でもなく、友人の結婚式の二次会でもない、共通の知人の葬儀会場だった。
「依央利……?」
呼び止めるつもりもないのに、思わず口からこぼれた名前。
「おう。久しぶり」
なんでもないことのように返されたことがちょっとさみしくもあり、嬉しかった。
「あぁ。うん。久しぶり」
まわりには丁寧に飾られた籠花が並んでおり、故人には申し訳ないが場所が場所ならロマンチックな再会だったのかも知れない。
「こんな所で会うなんてね」
本音は引き止めたかった。でも場所が場所だけに、誘い文句も浮かばなかった。
「嫁さんの、親戚スジにあたるひとなんだ。と言っても元だけどね」
途端に現実に引き戻された気がした。誘い文句を考えた自分に嫌気がさす。
「あぁ離婚、したんだっけ」
(ベタ惚れの奥さんと)
皮肉な心のつぶやきが顔に出ていなければいいと思った。
門倉依央利は中学時代のクラスメイトだ。そして多分、元彼。
多分というのにはそれなりの理由があり、当時はつきあっているという意識もなくただいつも隣にいた、というだけだったから。だれに見栄を張るでもなく、そんな曖昧な関係に肩書もなにもないのにしがみついている。
高校は別だったけれど最寄り駅は一緒だったから、毎朝ホームのあちらとこちらで目が合えば、口パクで「おはよう」程度のかわいいやり取りもあった。それだけでも当時は満足していた。偶然帰りの時間が重なれば一緒に帰ることもあったが、その半分はまちぶせであったことは内緒だ。その程度には私は彼が好きだった。
そんな私たちの関係は些細なことで壊れた。ふたつ下の私の従妹である侑子が彼と同じ学区に通うことになり、毎朝のホームでのやり取りが容易にできなくなったことと、彼女が彼に恋心を抱いたことで次第に私の立場が曖昧なものから希薄なものになっていったからだった。
「あたし、六花ちゃんと兄貴ってつきあってるのかと思ってたー」
侑子は依央利を「兄貴」と呼んだ。それも私たちが「つきあっている」前提の呼び名だったのだが、特別感を感じるより皮肉と捉えて妙にイライラしていたことを覚えている。
依央利は私のことを名前で呼ぶことは滅多になかったが、侑子のことは私と同じように「ユウ」と呼んでいた。
侑子は昔から利発で地味な私とは正反対。いわゆるカースト一位と言われる部類に位置し、当然のようにモテた。成績優秀で礼儀正しい彼女はいつも「ホントに親戚?」と疑われるほど私とはなんの接点も浮かばない容姿でもあったのだ。
(そりゃぁあの子になれなれしくされたら、みんなイチコロだわよね)
身を引いたと言えれば潔く聞こえただろうが、それまでも散々比べられてきた悲観思考から、なんでもない自分は結局袖にされるのだ、と自然消滅よろしくフェードアウトしたのだ。甘い関係の記憶すらない苦い失恋だった。
「そっちも、だろ?」
「へ?」
「離婚」
「あ、あぁ。まぁね」
なんだこのやりとり。でも、
「知ってたんだ……」
内容はどうでも「こちらの事情を把握していた」ということにときめいてしまう自分がいた。
「お互いいろいろあるよね」
すっかり老け込んだ中学生。気持ちはあの頃に戻れても、容姿その他はそうはいかない。お葬式とはいえしっかりとメイクを施していたことに安堵する自分に、時の流れを感じた。
「まぁ、頑張って」
「ありがと。てか、そっちもね!」
(なんで励まされてんの、あたし)
「――ってなことがありました」
「へぇ。会う約束とかした?」
「んなわけ。だってお葬式だよ。また今度~なんて言ったって社交辞令だし。連絡先だって知らないわ」
今でこそ携帯電話という便利ツールはあるものの、自分たちの中学当時はまだそんな便利グッズの存在すら知らなかった。あったとしても時代が私たち子どもの味方だったとも思えない。当然やり取りは家電だったし、今現在実家住まいでもなければ、連絡手段などSNSでも探らなければ解るものでもない。
「改めて連絡先聞く仲でもないしさー」
そもそも連絡を取りたいのかすら考えもしなかった。その時は。
(忘れ物でもしとけば良かった……?)
この「用事があるから会える」が大人には重要な口実なのだ。若い頃のように 「会いたいから会う」 ができないのだから。
「あ~聞けばよかったと思ってんだ」
「今となってはねー。お互いフリーなわけだし」
「あっちも離婚してんだっけ」
「結構噂だったじゃん。相手の女にベタ惚れで、土下座してプロポーズしたとかなんとか……」
「あ~あったねーそんな話。そんなことまでしといて結局別れたんだー。人生なんてホント、なにがあるか解らないもんだよね」
「そうね」
自分の離婚もさながら、優等生のカガミが禁断の恋だとか、おとなしいマルコがW不倫だとか、到底予想もつかなかった。もちろん、そんな未来を望んでいたわけでもない。
「だからさ、未練たらたらなのかもー、と思ってさ」
「わかんないよー? それこそネギちゃんに未練があるかもしれないじゃん」
「それはないと思うよー」
私の方は「ない」。とは、言いきれない……かもしれない。
「まぁなんか進展あったら教えてよ」
「あったら、ね」
(私がいちばん知りたいわ)
好奇心から彼のSNSを探してみた。
(まさかフルネームではないよね……?)
「嘘。あった」
名前はまさかのフルネーム。投稿は0だった。
「消したんだろーなー」
フォローはさすがに出来なかった。
偶然は大きな期待を誘う。同じ街にいてまったく出会わなかったはずの点と点が、それでも一度交わってしまうと「もう一度くらい」と思ってしまうのだから、女心は厄介だ。
葬儀の日、依央利は親戚の手伝いで来たと言っていた。
(元奥さんの、だけど)
四十九日なんかも手伝うのだろうか。
そんなことを考えた自分に呆れた。
考えたところで解るわけがない。
わたしにそこまでの義理はない。でも、こちらはこちらで世話になった職場関係のつきあいではある。男やもめの上司の御母堂様。手伝いが必要だったりするだろうか。
(どうせ暇だし、聞いてみるか……)
案の定、形見分けに苦戦しているという。母親といえど女性のもろもろを、息子だろうが分別その他に困らないわけがない。
「やっぱりお嫁さんやったことがある人は違うわねぇ。六花ちゃんに声かけてもらってよかったわ」
これを機に家を処分することも考えていたようで、要らないものは捨て、使える物は持って帰っていいということらしい。同じ職場の先輩方が、どうやら処分その他の仕分けを頼まれていたらしい。
「いや、もうお嫁さんでもないですけどねー」
離婚して3年。自虐で受け答えることにも慣れた。
「それでもよ。若い子たちの方が力仕事ができるかと思って頼んだら、まぁあからさまに面倒がっちゃって。ホント助かったわ。上司に頼まれちゃこっちだってねぇ……」
等など、さんざん愚痴を聞かされた挙句にしっかりと掃除まで仰せつかり、もしかしたら……なんて下心を忍ばせていた自分に半ば後悔しながらも休日を捧げた。
「お母様、しっかりと片付けてくれていたからよかったけれど」
「そうですねぇ。この着物も入院前に虫干ししてお出かけになったとか」
実際にそれは大変ありがたいことだった。
「ここまできっちり出来たらたいしたもんだわー。あたしにはできないわね。さすが昭和一桁ね」
自分の葬儀の手配まで、息子の手を煩わせないための準備は万全だったと聞かされた。確かに、ご高齢の葬儀にしては今風で、会場では生前御母堂様が好きだったという”ディーン・マーティン”の曲が終始流れていた。それはまるで無声映画の中にいるような雰囲気だった。
「モダンな方だったんですね」
お華の先生をしていたという御母堂様は、着物その他の小物類は既に行き先が決まっていて、残りの花器などの骨とう品は売りに出すという。その他の不要な貴重品は持ち帰り、社内でバザーを開いて上司への慰問にするというのが先輩方の知恵だ。
人ひとりの荷物とはいえ、大変なものだ。いずれ自分もこれをするのかと思うと、今からでも「実家をどうにかしなければ」という考えがうすら浮かんでくる。
(ワンチャン、依央利に会えるかもーなんて考えた自分の浅はかさよ)
「埃が落ちてなきゃ、ほどほどでいいわよ」
「そうですか」
やっと帰れる。今日はがっつり肉でも食べよう。
「この後、親戚の子が箪笥なんかを取りに来てくれるってことだから、あとはもう任せましょ」
「あぁ。そこまでやるんですね。大変だ」
「あたしたちもこの着物やらバッグ持って、事務所に一旦帰らないと。全部さばけるかしらねぇ」
あぁまだ終われないのか、と自分の車の荷台にどう乗せようかと考えていた。
「あら、トラックが入ってきたわね」
トラック。そういえば依央利は長距離の運転手をしていたのじゃなかったか。
「あぁ依央利くん。わざわざすまないねぇ」
玄関先で上司が受け答えしているのが聞こえる。
(嘘!? ホントに依央利なの)
はたと、自分がかっぽう着姿であることを途端に恥ずかしく思い、急いで腰のむすびを外した。が、先輩の視線に気づき、
「もう。わたしたちの仕事はこれで終わりなんですよね?」
若干声が裏返っているかもしれないことはこの際どうでもいい。きっと髪もぼさぼさだし、顔! 今日のメイク、どうだったっけと鏡を探したい衝動でいっぱいだった。
「加茂?」
呼ばれた名前に心臓が跳ねる。
聞き間違えるはずのない声だった。
「うわ……」
我ながら間抜けな声が出た。
「なんでいんの?」
「あぁ手伝い、的な……?」
「そうなんだ」
作業着姿の依央利は、そう言って下唇を舐めた。笑った顔は昔とちっとも変わっていなかった。
「なによっ」
「いや。また会った、と思って」
「またって。同じ市内なんだから、そのうち会うでしょ」
随分と個性的な場所に来ておいて、そのうちもなにもないものだ。
「30年会わなかったのに?」
確かに。
そう思った瞬間、ふたりで吹き出した。
「あら知り合い? ならちょうどいいじゃない。この荷物たち、一緒に会社に運んでもらえないかしら。六花ちゃんのよしみで」
「えっ。でも割れ物も結構あるし」
(なにいっちゃってんの、このおばさん)
「あぁいいですよ。会社って小学校近くのですよね」
「そうそう。知ってるのね。よかったぁ。じゃぁ六花ちゃん一緒に行ってあげて。会議室に入れといてくれればいいから」
「え、ちょっと。わたしも車が」
「はい、これ鍵」
「え。あぁはい。え……」
(一緒にって、トラックで?)
「なんか、ごめん」
(うっそ。めっちゃラッキー!)
「いや。ついでだし」
「でも。これ全部は一回で運びきれなかったから、助かるわ」
精一杯カッコつけても、かっぽう着なんですけど。
その後私の先導で会社へ向かい、荷を下ろしながら少しの間話をした。話したいことはいろいろあった。でも今はナントカ次に繋げようと頭を巡らせることが精一杯で、結局世間話で場を持たせることしか出来なかった。
別れ際、
「本当ならここで、飯でもといいたいところだけど」
「あぁ、いいよ。トラックだし」
いや本音はそんなことはどうでもよかった。でも今日の自分は作業しやすい恰好で、オシャレでもなんでもなければメイクもボロボロだし、明るい場所で見られたくないという気持ちの方が勝った。だから即座に遠慮する答えしか出てこなかったのだ。
「せっかくだから、連絡先でも交換しとく?」
彼は実に自然にそう言った。
(今、同じこと言おうとしてた)
「あ、そう?」
何気ない返しをしながらも内心、私の心は踊っていた。
(自分から言ってくるなんて、成長したじゃーん)
なんて、どんな立場でとも思ったが、とにかくまた繋がりを持てることがただただ嬉しかった。
「はい、送ったー。交換しといて連絡しないとかなしだからね」
そう返すのがやっとだった。
「そっちもね」
また、下唇を舐めた。
これ以上ドキドキさせないで欲しい。
おそらく連絡も、依央利の方からくることはないだろうと想像がつく。さすがにそこまでの度胸はないよな、と半分諦めの気持ちは否めない。けれど、
「じゃー帰るわ」
「あぁ、また」
「うん。またね」
(連絡、待ってる)
そう言って別れてから数日、寝る時もスマホを手放さなかったことは言うまでもない。
いつ、と約束をしたわけではない。一週間待って、なにもなかったら諦めよう。どうせ最初から会うこともなかった関係だ。
だが、チャンスは意外と早く訪れた。
「加茂さん、依央利くんと同級生なんだってね。これ、こないだ手伝ってくれたお礼なんだけど」
そう言って手渡されたのは、職場の先輩たちが貰っていた商品券とは違う封筒だった。
「これ……」
みんなと違いますよね、とは言えない。
「うん。依央利くんがね『加茂さんにはこっちで』って。ほら、ふたりとも最後までいろいろやってくれたし」
(加茂さんには? こっちで?)
中を見ると近隣のレストランで使える食事券が入っていた。
「……ありがとうございます」
上司はどこまで私たちの関係を知っているのか、ただの同級生にペアの食事券とは、さすが粋な御母堂様の息子だと感心せざるを得ない。
いや、案外これも御母堂様が準備していた返礼品なのかもしれない。そう考えた方が健全だ。
(ヘンな期待させないでくれよー)
早速食事券の写メを撮り依央利に送ってみた。
『あんたが選んだっていわれたけど?』
だれと行けって?……と打ってすぐさま消した。
「責任とってよね、と」
そう打ったところで既読が着いた。
――なかなかだべ?
「ちゃっかりしてるわ」
連絡が来ないと思ったら……こんなサプライズ。しかも人の手を借りて。
「まったく、ずるいんだから」
それでも胸の鼓動は正直だった。
――期限切らすなよ
――なんだったらつきあうけど
「はぁ? 素直に誘いなさいよ」
そういう自分も、素直に受け応えられるはずもなく、
『しょうがないから一緒に行ってあげる』
『トラックじゃない車でむかえにきて』
勢いで打って、既読の文字にドキドキする。
――姫の仰せのままに
「なっ……。どこの王子だよ」
久しぶりのやり取りに顔がほころんだ。
目の前じゃなくて良かったと思う。
以来私たちは、どちらからともなく連絡を取るようになり、気づけば「久しぶり」は日常になっていた。
失われた30年を埋めるには短すぎる時間だった。それでも私たちは、あの頃できなかった話を少しずつ取り戻していった。
そうして何度目かの夜、
「しかしよくもまぁここまで会わなかったもんだわね」
世間はそれほど広くないはずなのに、生活習慣が違うとこんなにもすれ違うものかと、半ばウケ狙いで話したつもりだった。
「いや、そうでもないよ。会おうと思えば会えた」
なんて意味深なことを言うんだろう。
「なにそれ。まるで務めて会わないようにしてたようなこと言うじゃない」
「まぁ、そういう約束だったから」
「約束? だれと」
(私じゃないことは確かだ)
それなら……?
「侑子。なんでよ」
当の侑子は十数年前、大学卒業と同時に結婚して地方に住んでいる。
「いや、なんていうか……」
歯切れが悪い。
「てか、未だにユウと連絡とってるってこと?」
さすがに苛立たしい。浮かれていた自分が急に恥ずかしい生き物に変わった。
「今はとってない。大学入ってからはたまに連絡あったけど」
「へぇ」
途端に胸にすきま風が吹きすさぶ。
やっぱり高校時代につきあっていたんだろうか。
問いただしたいところだが、
「別にいいけどね。じゃぁ、今こうして会ってるのは約束破ったってことにならないわけ」
つい語気が荒くなる。
(落ち着け、六花子)
「だれと?」
「ユウじゃないの?」
「あぁ、そっち。大丈夫じゃない? 知らないだろうし」
「あんたが離婚したことは?」
「どうだろ。もう年賀状のやり取りもしてないし」
年賀状のやり取りまでしてたわけ!?
(なんか腹立つ)
「そもそも約束ってなに」
なぜ私と会わないなんてことをユウと約束するの。
しかもご丁寧に30年も守ってたっていうわけ?
「意味わかんないんだけど」
(あ~止まらない)
「てか、加茂がオレに会いたくなかったんじゃないの?」
「は? なにそれ。そんなことひとことも言ってないけど」
「いや……」
そこでまた依央利は下唇を舐めた。昔から変わらない癖。誤魔化しているのか、気まずいのか、
(なんなの!)
「……オレはそう聞いてた」
「聞いてた? だれに。あたしが会いたくないって?……それいつの話? あんたたちがつきあってる頃?」
「あ?」
依央利は少し驚いた顔をした。
「なに? なんか変なこと言った?」
「いや。オレらつきあったことないよ」
「えぁ?」
あ、変な声出た。
「はぁ? つきあってたでしょー高校の頃。だからあたしは」
なにこれ、どういう展開?
「そもそもつきあってたのは、オレらじゃないの?」
「オレら?」
コクリと頷き依央利は、自分と私とを交互に指さした。
「えぇ?」
「違った?」
「あや、いや……。そんな時もあったかもしれないけど、あなた、侑子とつきあってたんじゃないの?」
「そもそもどの時点で別れた?」
えぇぇぇぇ。知らないけど。
「ちょっと待って」
頭の中でフラッシュバックする。
「そもそも私。高校時代、ユウと依央利の話したことないんだけど」
「ぇ?」
「え?」
私たちの間を天使が通り過ぎたような間があった。
「あたしと依央利はつきあってたの?」
「オレはそのつもりだったけど?」
「いや、そうかもしれないけど。高校入って疎遠になったよね?」
「まぁ。そうともいう……?」
自然消滅。自分で言うのもなんだけど。そもそも、
「だって、あなたたち、つきあってたじゃない。え、つきあってなかった?」
「だからそう言ってるじゃん」
「なにそれ。わけわかんない」
(ただの思い込み?)
だって、いつもふたりでいたじゃない。
まぁ朝しか見掛けたことはなかったけれど。
じゃぁ私は? あの頃の私の気持ちはどうなるのよ。
(どういうこと?)
これ以上喋ったら涙が出そうだった。
頭が真っ白とは、こういうことかと実感した瞬間だった。
そこからしばらく会話の続かなかった私たちは、その日はデザートも食べずに店を出た。帰りの車の中、衝撃が過ぎる私はずっとうつむいたままなにも言えずにいた。
いつもならさっさと家に送られてしまうだけの道のりが、その日はやけに長く感じていた。
気が付くと、よくふたりで待ち合わせていた公園の駐車場にいた。
「ちょっと、話さない?」
そう言って依央利は、いつものように助手席のドアを開けてくれた。
「うん」
(なんだか、知らない人といるみたい)
気持ちが落ち込んでいるからか、夜風が少し冷たく感じた。
いつもふたりで並んで歩いた砂利道なのに、この日の私は一歩下がって歩いた。こんな気持ちじゃなかったら、ふざけて腕組するくらい、できる年齢になったのに。
「高校の頃、なかなか会えなくなって。それでも駅のホームで会えたりすると嬉しくて。オレはそれだけで舞い上がってたのかも知れない。ガキだったんだよなー」
(それは私も同じだったよ)
「ユウが高校に入ってからは、ユウの話す加茂だけがオレの加茂だった」
依央利は一度も私を名前で呼ばなかった。
つきあっていたのかと聞かれれば首を傾げるような関係だったけれど、それでも毎日のように顔を合わせていた。なのに私はずっと「加茂」だった。今思えばそれだけが不満だった。侑子のことは「ユウ」だったのに。
「加茂って言わないで」
私の名前は呼んでくれなかった。
私はずっと待っていたのだ。名前を呼ばれる、そのたった一瞬を。
「だってお前、加茂だったじゃん」
「なにそれ」
「ユウも加茂だった。でもオレにとっての加茂は、加茂だけなんだよ」
(なにいってんの……)
従妹なんだから苗字が同じなのは当たり前じゃない。
「だから名前で呼ばなかったっての?」
「だって、他の奴らはみんな『ネギ』っていってたし。オレまでネギって呼んだら、その他大勢と一緒じゃん。オレには『加茂』が精一杯だったの」
「やだ。かわいい」
あら、うっかり。
「茶化すなよ」
うそ、耳まで真っ赤。
暗がりなのに、数メートル先の街灯の明かりですら見えるほどに、前を歩く依央利の耳が赤いのが解った。
私は、くたびれておじさんになった中学時代の好きなひとの背中にしがみついた。
「うわ……なんだよ」
(照れてる)
「あたしたち、子どもだったねー」
「あぁ」
「あたし、依央利が大好きだったぁ。ユウにとられるんじゃないかって、いつもびくびくしてたのに、カッコつけて素直に言えなかったわ。ユウにだって、ちゃんと『依央利は私の彼だから』って言えばよかった。でも。ユウはかわいくてモテたから、きっと依央利もユウの方がいいんだろうなって勝手に思ってたから」
ずっと我慢してた。
「オレは、おまえの方が可愛いと思ってた」
「う~~~~」
「なんだよ」
「ずるいー」
「なんだよ」
「もっと言って。なんだったら名前呼んで」
「今更だけど」
(なんか言ってよ)
「放せよ」
「やーだ」
「なんで」
「名前呼んでくれるまで放さない」
「呼んでやるから。放せって」
「ほんと?」
「ほんと」
「でも今はダメ」
「なんでだよ」
(だって涙が)
「鼻出てるから」
「じゃー余計放せよ」
依央利は笑いながら、もう力の入らなくなった私の腕を引き剥がした。
依央利の背が高くて良かった。
顔があげられない。
「相変わらずちっせーな」
私の顔を覗き込む。
「見るな」
「なんでよ」
背を向けようとする私の腕をひきあげる。
「今は見ちゃダメ」
「なんだよ」
どこまでも優しい依央利の声。
「六花ちゃん可愛い顔見せて」
もうダメだ。
「うぅぅぅ」
涙が止まらない。
「泣くなって」
「だってぇ」
そこには40代のおじさんとおばさんはいなかった。
私たちは向かい合った形で握手をするように手を伸ばし、それでいて恋人繋ぎをするようにお互いの指をクロスさせるようにして握った。だがそれは瞬きをするようなわずかな時間。
「泣くなよ。……六花」
依央利は名残惜しむように、何度も何度もわたしの名前を呼んだ。
「六花。六~花ちゃん」
やっと会えた。
(大好きだった依央利に)
そんな気がした。
離したくない。
離れたくない。
私は手のひらで止まらない涙を何度も繰り返しぬぐった。そんな私の顔を覗き込み、依央利は両頬を抱え込むようにして唇を重ねた。
まるで中学生のようなファーストキス。
少しはときめくかと思ったけれど、
「こういうことは、あの頃したかったなー」
自然と口から漏れた言葉だった。
初恋Diary 加茂六花子編
初恋は~実らないがゆえに美しい
あとがき:
中学時代、家族がいるところにしか電話がなかった頃のおはなし。長電話をしていると、聞こえるように大声出されたりしませんでした? コードレスフォンや子機の着いた電話を、なんとしてでも買って欲しくて奮闘しました
わたしの友人は、バイトして自分の部屋に電話を引いたりしてましたよ。今はそれがスマホですかね? 僅かな間にめまぐるしい・・それが良いの悪いのか、この先わたしはついていけるのか
皆さんの初恋エピソードをお聞かせください
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いつもお読みいただきありがとうございます
とにかく今は、やり遂げることを目標にしています
ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです