【伝記②】『亡国への道』から読む高橋是清──成功した経済政策はなぜ戦争経済へ変質したのか
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◆第五章 「1円=1元=1錬金券」──通貨を支配できるという幻想
第四章では、高橋是清の死を境に、日本の財政が「景気を回復させるための財政」から「戦争を遂行するための財政」へ変質していった過程を見た。
しかし、戦争を続けるには財政だけでは足りない。
兵器を作るには鉄がいる。
航空機を作るにはアルミニウムや石油がいる。
軍隊を動かすには食料と燃料がいる。
そして、それらを海外から調達するには「外貨」が必要になる。
ここで問題になるのが「通貨」である。
松元崇氏『持たざる国』が強く問題視するのは、日本が中国大陸で複数の通貨を発行し、それらの交換比率を政策的に固定したことだ。
本章では、この主張をそのまま事実として受け取るのではなく、当時の通貨制度がどのような構造を持ち、なぜ通貨統制が外貨流出やインフレにつながり得たのかを整理していく。
ここには、現代の為替政策にも通じる非常に重要な原則がある。
為替レートを政策で決めることと、市場でその価値を維持できることは別である。
●5-1 中国大陸には「一つの通貨」しかなかったわけではない
まず、当時の中国大陸の通貨事情を理解する必要がある。
現在の日本なら、北海道でも東京でも大阪でも、基本的に同じ円が使われる。
ところが1930年代後半の中国では、そう単純ではなかった。
中国国民政府が発行する法幣が存在する一方、日本軍の進出地域では、日本側の影響下にある銀行や政権がさまざまな通貨を発行した。
さらに地域によっては、銀貨や銀本位的な決済慣行も残っていた。
つまり、
中国国民政府側の通貨
│
├─ 外貨
├─ 銀貨
└─ 地域通貨
日本側の通貨
│
├─ 円
└─ 占領・傀儡政権系の通貨という複雑な通貨空間が形成されていた。
戦争になると、この通貨問題は単なる金融政策ではなくなる。
「占領地を経済的に支配するための政策」になるからだ。
●5-2 通貨は「経済主権」そのものだった
国家にとって通貨は単なる紙切れではない。
誰が発行するのか。
誰が価値を保証するのか。
どの通貨を税金として受け取るのか。
銀行は何を準備資産として持つのか。
外国との決済には何を使うのか。
これらはすべて国家の経済主権と結びついている。
だから戦争になると、「相手国の通貨を弱体化させ、自国側の通貨を流通させる」こと自体が戦略になる。
日本も中国大陸でこうした通貨戦争を展開した。
しかし、ここには大きな問題がある。
紙幣を発行するだけなら簡単だ。
問題は、「その紙幣を誰が、どの価値で受け取るのか」である。
●5-3 「1対1」に固定することの危険性
松元氏の議論で特に重要なのが、「円と中国側の通貨、そして日本側が発行した通貨の交換比率を政策的に固定する」という問題である。
ここでは、仕組みを単純化して考えてみよう。
仮に、
1円 = 1元 = 1占領地通貨
と政府が決めたとする。
しかし市場では、
1円 > 1元 > 1占領地通貨
のように、それぞれの信用力が違っているとする。このとき何が起こるか。
当然、「安く評価されている通貨を買って、高く評価されている通貨へ交換する」という取引が成立する。
これが裁定取引である。
●5-4 「固定レート」と「市場価値」のズレ
例えば、非常に単純化して、
政府が決めたレート
1円=1A=1B
なのに、市場では
1A=0.5円相当
1B=0.25円相当
だったとする。
すると、「Bを買う →政府の固定レートでAへ交換する →Aを円へ交換する」というだけで差額を得られる。
つまり、「政府が設定した価格と市場が評価する価格の間に差があるほど、裁定機会が生まれる。」
これは経済学上、非常に基本的な現象である。
●5-5 「無限に儲かる」のではなく、「誰かが損をする」
ここは特に重要だ。
松元氏の説明では、100円を何度も回転させることで巨額に膨らむ「無限アービトラージ」のイメージが示されている。
数学的には、「100円 →200円 →400円 →800円 →1600円 ……」というような倍率効果を想定できる。
しかし現実の金融市場では、本当に無限に増えるわけではない。
なぜなら、「その利益の裏側には、必ず損失を負担する主体がいる」からだ。
固定レートで割高な通貨を受け入れる側が、その差額を負担する。
さらに、
・交換制限
・送金制限
・資本規制
・取引コスト
・決済リスク
・市場規模
・外貨準備
などの制約が存在する。
したがって、「数学的には裁定機会が存在する」という話と、「実際に100円を無限回転させれば外貨が無限に出てくる」という話は区別する必要がある。
この区別をつけたうえでも、固定レート制度が市場価格と大きく乖離すれば、通貨の弱い側から強い通貨への交換圧力が生まれるという点は変わらない。
●5-6 なぜ外貨が重要だったのか
ここで、「なぜ円や元の交換だけで問題になるのか」と思うかもしれない。
理由は簡単だ。
戦時日本にとって最も貴重だったものの一つが、「外貨」だったからである。
日本国内で円を発行することはできる。
しかしアメリカから石油を買うとき、「円を大量に発行しました」と言っても、相手が受け取ってくれるとは限らない。
海外から資源を買うには、
・ドル
・ポンド
・金
・その他の国際的に信用された決済手段
が必要になる。
したがって、「外貨準備は国家の生命線」だった。
●5-7 日本が抱えていた根本的な弱点
ここで日本の戦前経済の構造的な弱点が見えてくる。
日本は工業化を進めていた。
しかし、重要な資源を国内だけで十分に賄える国ではなかった。
特に、
・石油
・鉄鉱石
・非鉄金属
・ゴム
・その他の戦略物資
などについて海外依存が大きかった。
つまり日本は、「工業国になるほど海外資源が必要になる」という構造を抱えていた。
そのため、
輸出 →外貨獲得 →海外から資源輸入 →工業生産 →さらに輸出という循環が極めて重要だった。
外貨を失えば、この循環が止まる。
そして戦争が始まれば、貿易そのものが難しくなる。
つまり日本にとって、「外貨をどう守るか」は国家存亡に直結する問題だった。
●5-8 通貨を強く見せることと、通貨が強いことは違う
ここで現代にも通じる原則が出てくる。
政府が、「1ドル=100円にします」と宣言することはできる。
しかし市場参加者が、「いや、実際には120円の価値しかないと思います」と考えれば、その差を埋めるために外貨買い・自国通貨売りが発生する。
政府が固定レートを守ろうとすれば、「外貨準備を使って自国通貨を買い支える」必要がある。
つまり、
市場
「この通貨は安い」
↓
通貨売り
↓
政府が買い支える
↓
外貨準備減少
↓
さらに市場が疑うという循環に陥る可能性がある。
これが固定相場制の基本的な弱点だ。
●5-9 現代の為替介入との共通点
ここで2020年代の日本を見てみよう。
現在の日本は変動相場制であり、1930年代の日本とは制度がまったく違う。
したがって、「現在の為替介入=戦前の通貨政策」とするのは明確に誤りである。
ただし、構造的な共通点を一つだけ抽出することはできる。
それは、「政府が市場の為替水準を政策的に動かそうとすると、必ず市場との力関係が問題になる」ということだ。
日本政府・財務省が円買い介入を行えば、円を買うために外貨を売る。
つまり外貨準備を使う。
市場が介入を一時的なものと考えれば、円安圧力が再び戻る可能性がある。
だから為替介入は、「政府が好きな為替レートを永久に設定できる政策」ではない。
あくまで市場の需給に対して政府が一時的に力を加える政策である。
●5-10 「為替介入で国富を失う」という表現の注意点
ここも慎重に考える必要がある。
例えば政府が円買い介入を行い、外貨準備のドルを売った場合、「日本の資産を売った」という意味では正しい。
しかし、それだけで直ちに、「国富が失われた」と断定することはできない。
ドルを売って円を買ったのだから、「日本の政府部門が保有する資産の通貨構成が変わった」とも言えるからだ。
問題になるのは、「その後の為替変動によって評価損益が発生する可能性」や、「介入が市場のファンダメンタルズを変えられない場合に、どれだけ外貨準備を消耗するか」である。
つまり、「為替介入=必ず国富を失う」ではない。
むしろ正確には、「為替介入は政府のバランスシートを使って市場に介入する政策であり、持続的な需給の変化を伴わなければ、長期的な為替水準を決める力には限界がある」と表現した方がよい。
●5-11 戦前日本で起きた問題は「為替」だけではなかった
ここで再び戦前へ戻る。
日本が中国大陸で通貨を発行し、交換比率を政策的に管理した問題は、単なる為替レートの問題ではない。
より深い問題は、「政府が通貨価値を政策で決められる」という発想そのものにある。
通貨は、
・発行量
・信用
・物価
・貿易収支
・外貨準備
・金融政策
・財政政策
など、さまざまな要素によって価値が決まる。
それを行政的に、「この通貨はこの価値だ」と決めても、市場の評価まで強制的に変えることはできない。
●5-12 通貨統制が「物価統制」へつながる
そして通貨の問題は、やがて国内物価の問題へつながる。
政府が大量の支出を行う →軍需産業へ資金が流れる →軍需品を作るための資源が軍事部門へ集中する →民間向けの物資が不足する →物価が上昇するここで政府が、「物価を上げるな」と命令する。
価格を固定する。
すると統計上の価格上昇は抑えられる。しかし、「物資そのものは増えていない。」
だから、
価格統制 →表面上の物価安定 →実際には物資不足 →配給 →闇市場 →実勢価格上昇という現象が起こる。
これが戦時統制経済の典型的な問題である。
●5-13 「インフレを抑えた」のではなく、「価格を見えなくした」
これは非常に重要な区別である。
物価指数が上昇しない。
だからインフレがない。
とは限らない。
政府が価格を強制的に固定しているなら、「市場価格が統計に表れなくなっているだけ」かもしれない。
例えば、
パンの公定価格を100円に固定したとしても、店頭にパンがない。
闇市場では300円で売られている。
この場合、「パンの価格は100円だからインフレは起きていない」とは言えない。
価格統制はインフレそのものを消すのではなく、「インフレの現れ方を変える」のである。
●5-14 現代の価格補助政策との比較
ここで現代日本へ戻る。
政府は物価高対策として、
・ガソリン補助
・電気・ガス料金支援
・食料品への支援
・各種給付
などを行うことがある。
これらも、「価格上昇を抑える」という意味では戦時統制と似た面がある。
しかし、ここも「同じ」と言ってはいけない。
現在の日本では、
・市場経済が機能している
・企業が価格を自由に設定できる
・通貨の信用が維持されている
・物資の配給制ではない
・財政規模も戦時経済とは比較にならない
からだ。
それでも政策分析として注目すべきなのは、「価格を補助金で抑えると、価格そのものが発するシグナルを弱める」という点である。
例えばエネルギー価格が上昇したとき、本来なら、
「省エネしよう」
「別のエネルギー源へ転換しよう」
「設備投資をしよう」
という行動を促す。
ところが政府が価格を恒常的に補助すると、「価格上昇というシグナルが弱くなる。」
短期的には家計や企業を救える。
しかし長期的には需要調整や設備投資を遅らせる可能性がある。
だから問題は、「補助するか、しないか」の二択ではない。
重要なのは、「いつまで、どの規模で、何を目的として補助するのか」である。
●5-15 高市政権との比較──「価格を抑える政治」の危うさ
高市政権が物価高対策として補助金や減税を重視する場合も、同じ視点で評価する必要がある。
物価高によって実質所得が減っている局面では、家計を支える政策には合理性がある。
しかし、
物価上昇 →補助金 →価格を抑える →需要が維持される →供給制約が続く →財政負担増となれば、インフレ圧力を根本的に解消できない可能性がある。
だから、「価格を抑えたからインフレ対策に成功した」とは限らない。
本当に見るべきなのは、
・供給能力が増えたのか
・生産性が上がったのか
・エネルギー輸入依存が改善したのか
・賃金が持続的に上がったのか
・財政負担がどこまで続くのか
である。
ここでも、「価格を抑える政策」と「インフレの原因を解消する政策」は別物なのである。
●5-16 円キャリートレードとの比較
現代の為替市場では、「円キャリートレード」がしばしば話題になる。
「低金利の円を調達する →ドルなどの高金利資産へ投資する →金利差を得る」。
この取引が成立する背景には、「円を低コストで調達し続けられる」という市場参加者の期待がある。
もちろん、これは戦前の固定為替制度とは別物だ。
しかし共通する構造として、「政策によって作られた通貨価格と、市場参加者の行動の間にギャップが生まれると、そこに裁定・投機・資本移動が発生する」という点がある。
つまり、「市場参加者は政策当局が作った価格そのものではなく、その価格が持続可能かどうかを見る。」
ここが重要だ。
●5-17 「通貨を支配できる」という思い込み
戦前日本の問題を現代的な言葉で一言にすると、「通貨は国家が自由に設計できる」という発想と、「市場はその通貨を自由に評価する」という現実の衝突だった。
政府が通貨を発行できる。
これは事実だ。
しかし、「通貨の信用まで自由に発行できるわけではない。」
政府が紙幣を100倍に増やしたからといって、国民がその紙幣を100倍信頼するわけではない。
中央銀行が国債を買ったからといって、鉄や石油が増えるわけでもない。
為替レートを固定したからといって、外貨が無限に増えるわけでもない。
ここを混同すると、「通貨発行能力」と「経済的な実力」を取り違えることになる。
●5-18 そして財政と通貨が一体化する
戦前日本では、ここからさらに問題が深刻になる。
政府は戦争のために巨額の支出を必要とする。
税収だけでは足りない。
国債を発行する。
日銀が国債を引き受ける。
軍需産業へ資金が流れる。
物資が軍事部門へ集中する。
民間物資が不足する。
物価が上昇する。
政府は価格を統制する。
そして通貨への信認が低下する。
つまり、
財政膨張 →国債増発 →中央銀行による資金供給 →軍需拡大 →資源不足 →インフレ →価格統制 →市場機能低下 →さらに経済統制という巨大な循環が出来上がっていく。
ここまで来ると、もはや単なる「積極財政」ではない。
「国家による経済そのものの統制」である。
●5-19 高橋是清が生きていた時代との決定的な違い
高橋財政と戦時財政を比較すると、決定的な違いが見えてくる。
高橋財政では、「財政政策が民間経済を回復させるために使われた。」
戦時財政では、「民間経済そのものが国家目的のために動員された。」
同じ「政府支出」でも、意味が完全に違う。
高橋財政
政府 →需要を補う →民間経済を回復 →民間主導の成長へ
戦時財政
政府 →軍需を拡大 →資源を軍事部門へ集中 →民間経済を統制 →国家目的へ従属この違いを理解しないと、「高橋是清も財政拡大をしたのだから、戦時財政も同じだ」という誤解が生まれる。
●5-20 「積極財政」の評価は、金額だけでは決まらない
ここまでの議論を現代の政策評価に置き換えると、非常に分かりやすい。
例えば、「100兆円の財政支出」があるとする。
これだけでは良いとも悪いとも言えない。
重要なのは、
・何に使ったのか
・どの時期に使ったのか
・供給能力を増やすのか
・民間投資を促すのか
・一時的な所得補填なのか
・恒久的な支出なのか
・どこから資金を調達するのか
・インフレ率はどうなっているのか
・金利はどう動くのか
・円相場にどう影響するのか
である。
つまり、「積極財政か緊縮財政か」という二択ではなく、「どの経済状態で、どの政策を、どの規模で、どの期間行うのか」を見る必要がある。
これは高橋是清の時代から変わらない。
●5-21 高橋是清の「ブレーキ」が必要だった理由
高橋是清が恐れていたのは、「財政赤字そのもの」ではなかった。
財政支出が、「国家の生産能力を超えて膨張すること」だった。
そして戦争が始まれば、軍事支出は政治的に止めにくくなる。
「敵がいる」
「戦争中だ」
「軍事力が必要だ」
という理由があれば、支出削減は難しい。
だからこそ、高橋のようなブレーキ役が必要だった。
しかし、その高橋がいなくなった。
そして戦争という「非常事態」が、その後の財政拡大を正当化する。
ここから、「支出を止める理由」より「支出を続ける理由」の方が強い国家へ変わっていく。
●5-22 通貨の問題は、最終的に「国民の生活」に現れる
国家の通貨政策は、一見すると金融市場だけの話に見える。
しかし最後に負担するのは国民である。
通貨価値が低下する →輸入物価が上がる →生活必需品が上がる →賃金が追いつかない →実質所得が減る →さらに価格統制が入れば店頭から商品が消える →配給になる →闇市場が生まれるつまり、「通貨政策の失敗は、最後には『生活できるかどうか』という問題になる。」
戦前日本では、このプロセスが戦争によって極端な形で進んでいった。
●5-23 そして日本は「物価を自由に動かせない国」になっていく
戦争が長期化すると、「物価を自由にするとインフレになる」から、「だから価格を固定しよう」となる。
しかし価格を固定すると、「市場に任せると物資が不足する」から、「だから配給しよう」となる。
さらに、「配給だけでは足りない」から、「生産も国家が指示しよう」となる。
こうして、
通貨統制 →価格統制 →配給統制 →生産統制 →労働統制 →経済全体の国家統制へと進んでいく。
これは偶然ではない。
一つの統制が別の統制を必要とする、「統制の自己増殖」である。
●5-24 『亡国への道』の核心へ
ここまで来ると、松元崇氏『持たざる国』が提示する問題意識が見えてくる。
日本は単純に、「戦争に負けたから経済が壊れた」のではない。
その前段階で、
・財政統制が弱まり
・通貨政策が市場との乖離を起こし
・中央銀行が政府財政と一体化し
・軍需が民間経済を圧迫し
・物価統制が市場機能を弱め
・国家による経済統制が拡大していった
というプロセスが存在した。
つまり敗戦時の経済崩壊は、「突然起きた事故」ではなく、「長年にわたる政策の積み重ねの帰結」として見ることができる。
ただし、ここでも慎重さが必要だ。
戦争による生産設備の破壊、海上封鎖、輸入途絶、人口動員などが戦後経済に巨大な影響を与えたことも事実である。
したがって、「戦後インフレは戦争とは無関係だった」という結論にもならない。
正確には、「戦争による供給能力の破壊だけでなく、戦争以前から進行していた財政・金融・通貨の歪みも含めて見なければ、日本のインフレと経済崩壊の全体像は説明できない。」ということになる。
●5-25 現代への教訓──「通貨発行能力」と「信用」を混同しない
ここで現代の日本に戻ろう。
日本政府は円建て国債を発行できる。
日本銀行は円を発行できる。
これは事実だ。
しかし、それは、「円をいくら発行しても経済的なコストが発生しない」という意味ではない。
重要なのは、「その円で何を買えるのか」である。
政府が100兆円を追加で支出しても、
・人手不足
・エネルギー不足
・食料供給制約
・輸入制約
・設備不足
があるなら、供給能力を超えた需要が物価を押し上げる可能性がある。
だから、「自国通貨建てだから破綻しない」という命題と、「自国通貨建てだからインフレ制約もない」という命題は、まったく違う。
前者から後者を導くことはできない。
●5-26 高市政権を見るときにも、この視点が必要になる
高市政権の積極財政を評価するときも、単純に、「財政拡大だから危険」あるいは「自国通貨建てだから問題ない」と決めつけるべきではない。
見るべきなのは、
① 何に使うのか
単なる給付なのか。
供給能力を高める投資なのか。
防衛なのか。
研究開発なのか。
インフラなのか。
② どれだけ使うのか
GDPに対してどの程度の規模なのか。
③ いつまで続けるのか
一時的なのか。
恒久化するのか。
④ 供給能力は増えるのか
支出によって将来の生産能力が増えるのか。
⑤ インフレと金利はどう動くのか
財政拡大によって物価・長期金利・為替にどんな変化が起こるのか。
⑥ 止める仕組みがあるのか
政策目標を達成したら終了するのか。
成果が出なければ見直すのか。
ここまで見て初めて、「その積極財政は持続可能なのか」を判断できる。
●5-27 歴史が教えているのは「財政を使うな」ではない
高橋是清の生涯をここまで追ってくると、むしろ逆の結論になる。
高橋は、
財政政策を使った。
金融政策も使った。
為替政策も使った。
そして日本経済を立て直した。
だから歴史から学ぶべきなのは、「政府は財政を使ってはいけない」ではない。
むしろ、「財政を使うことより、財政を止められなくなることの方が危険」ということだ。
そして、「通貨を発行できることより、通貨の価値と供給能力をどう維持するかの方が重要だ」ということでもある。
●第五章のまとめ
戦前日本の通貨政策を考えると、問題は単純な「円安」や「通貨発行」ではなかった。
より本質的だったのは、「政府が政策によって通貨価値をコントロールできると考え、その価格と市場の評価が乖離したときに、その歪みをさらに統制で押さえ込もうとしたこと」にある。
そして財政拡大と通貨政策が結びつくことで、
軍事費拡大 →国債増発 →中央銀行による資金供給 →軍需拡大 →資源不足 →インフレ →価格統制 →市場機能低下 →さらなる国家統制という循環が形成された。
ここで重要なのは、「高橋是清が行った金融緩和・財政拡大と、この戦時財政を同一視してはいけない」ということだ。
高橋財政は、デフレと需要不足から経済を救うための政策だった。
戦時財政は、国家の生産資源を軍事目的へ集中させる政策だった。
同じ「国債」「財政支出」「日銀」という言葉が登場しても、「経済環境と政策目的が違えば、結果もまったく違う。」
そして次に問題となるのが、本章の最後に触れた「中央銀行」である。
日本銀行は、本来、通貨の価値と金融システムの安定を担う存在だった。
ところが戦時体制が進むと、その役割そのものが変質していく。
「国債を発行する政府」
「それを引き受ける中央銀行」
「そこから資金を受け取る軍需産業」
この三者が一体化したとき、財政と金融の境界線は消えていく。
そして1942年。
日本銀行法が改正され、日本銀行は戦時国家の金融政策にさらに深く組み込まれていく。
◆第六章 「日銀は国家のキャッシュディスペンサーになったのか」──高橋是清が恐れた財政ファイナンスの常態化
第五章では、戦前日本の通貨政策を取り上げた。
政府が通貨価値を政策的に管理しようとすると、市場との間に乖離が生まれる。
その乖離をさらに統制で押さえ込もうとすると、価格統制や配給、生産統制へと進んでいく。
しかし、ここで一つ大きな問題が残る。
「では、膨張し続ける軍事費を、いったい誰が支払うのか。」
税金だけでは足りない。
国債を発行する。
しかし国債を民間だけで消化できなければ、中央銀行の存在が重要になる。
そして戦時日本では、ここから財政と金融の境界線が急速に崩れていった。
本章では、「高橋是清がなぜ国債の日銀引き受けを一時的な非常手段として扱ったのか」
そして、「なぜそれが戦時体制の中で恒常的な資金調達手段へ変質していったのか」を追っていく。
●6-1 まず誤解してはいけない──高橋是清も日銀引き受けを使った
ここは、このテーマを理解するうえで最も重要なポイントの一つである。
高橋是清の財政政策を批判的に見る人の中には、「高橋も日銀に国債を引き受けさせた。だから戦時財政と同じではないか」という議論がある。
しかし、これは政策の「形」だけを見た議論になりやすい。
確かに高橋財政では、日本銀行による国債引き受けが活用された。
しかし高橋が想定していたのは、「必要な時期に景気を支えるために使い、景気が回復したら抑える」という政策運営だった。つまり、
問題は「日銀引き受けを使ったかどうか」ではなく、「それを何のために、どこまで、いつまで使ったのか」である。
ここを区別しなければ、高橋財政と戦時財政の違いが見えなくなる。
●6-2 高橋財政の発想──「出口」があった
1930年代前半の日本経済は、世界恐慌の影響を受けていた。
需要が不足し、企業活動が低迷し、失業が増えていた。
この状況では、「政府が支出を増やして需要を作る」ことには合理性がある。
高橋是清は財政支出を拡大し、金融を緩和し、円の下落も受け入れることで経済を立て直した。
そして実際、日本経済は急速に回復していく。
しかし、高橋が問題視していたのは、「景気が回復しても支出を続けること」
だった。
景気が回復し、民間投資が戻ってくれば、「政府が経済を支える必要性は小さくなる。」
したがって、
不況 →財政拡大 →景気回復 →民間需要回復 →財政縮小という「出口」が必要になる。
これが高橋財政を理解するうえで重要な点である。
●6-3 ところが軍部にとって「出口」は邪魔だった
ここで、高橋と軍部の利害が衝突する。
軍部から見れば、「景気が回復したから軍事費を減らす」という論理は受け入れにくい。
むしろ、「景気が回復したのだから、もっと軍事力を増強できる」という方向に進む。
つまり、
高橋
「景気回復のために財政を使う」
軍部
「軍事力拡大のために財政を使う」
という違いが生じる。
同じ財政支出でも、目的がまったく違う。
●6-4 軍事費は「一度始めると止めにくい」
公共事業なら、「今年はここまで」と予算を区切ることができる。
しかし軍事費はそう簡単ではない。
戦艦を一隻建造したら終わりではない。
航空機を増やせば、整備施設が必要になる。
兵士を増やせば、武器、弾薬、食料、宿舎が必要になる。
軍需工場を作れば、原材料の確保が必要になる。
つまり、
軍事支出には「固定費化」しやすい性質がある。
一度拡大した軍事体制は、「来年から半分にします」とは簡単にいかない。これが財政膨張を止めにくくする。
●6-5 税収だけでは追いつかなくなる
軍事費が拡大すれば、当然ながら税収だけでは足りなくなる。
そこで国債が発行される。
軍事費 →税収不足 →国債発行 →国債を民間が購入という流れなら、まだ通常の国債市場の仕組みである。
問題は、「民間だけでは国債を消化しきれなくなった場合」である。
ここで中央銀行が登場する。
●6-6 日銀が国債を引き受ける
政府が国債を発行する。
日本銀行がそれを直接引き受ける。
政府には資金が入る。
そしてその資金が軍需産業などへ流れる。
単純化すると、
政府
│
│ 国債
↓
日本銀行
│
│ 資金
↓
政府
│
↓
軍需産業
│
↓
労働者・企業
│
↓
市場という流れになる。
ここで重要なのは、「国債を誰かが既存の貯蓄で購入した」場合とは違い、「中央銀行が新たなマネーを供給して国債を引き受ける」場合には、通貨供給量が拡大しやすいことである。
●6-7 「国債を発行しただけ」ではない
ここは現代の議論でも非常に重要だ。
政府が国債を発行し、民間の投資家がその国債を購入する場合、
民間の預金 →国債 →政府支出 →民間へ資金という資金移動が起こる。
一方、中央銀行が新たにマネーを供給して国債を引き受ければ、
国債発行 →中央銀行が資金供給 →政府支出 →市場のマネー増加という経路になる。
もちろん現代の金融システムはもっと複雑であり、「国債発行=そのままマネーストックが同額増える」と単純化することもできない。
しかし、「中央銀行による国債引き受けが、財政支出を貨幣供給と強く結びつける」という点は重要である。
●6-8 問題は「供給能力」との関係
では、通貨が増えること自体が悪いのか。そうではない。
経済が成長しているなら、取引に必要な通貨量が増えるのは自然なことだ。
問題は、「市場に供給されるモノやサービスの量よりも、需要側の資金が急速に増える」ことだ。
例えば、
お金 +50%
生産 +5%なら、物価上昇圧力が強くなる可能性がある。
逆に、
お金 +10%
生産 +10%なら、必ずしも同じインフレ圧力にはならない。
つまり、
通貨の問題は「いくら発行したか」だけではなく、「その通貨で買える実物資源がどれだけあるか」で決まる。
ここが重要だ。
●6-9 戦争は「供給能力」を同時に奪う
そして戦時経済には、もう一つの問題がある。
政府が軍事支出を増やす。
しかし軍事部門が使用する鉄、石炭、燃料、労働力は、民間部門では使えなくなる。
つまり、
政府支出増加 →軍需需要増加 →資源を軍需へ集中 →民間向け供給減少ということが起きる。
需要を増やしているのに、同時に民間向けの供給能力を削ってしまう。
これが戦時インフレを非常に危険なものにする。
●6-10 だから戦時インフレは「単純な貨幣数量論」では説明できない
ここで注意したい。
戦時インフレを、「日銀が紙幣を増やしたから」だけで説明するのも不十分である。
実際には、
・軍事需要の急増
・民需向け資源の不足
・輸入制約
・労働力動員
・生産構造の軍需化
・価格統制
・配給制度
・通貨供給の拡大
が複合している。
つまり、
「需要を増やした」のと同時に「供給を軍事部門へ振り向けた」
ことが重要だった。
●6-11 それでも政府は「物価を上げるな」と命令する
ここで矛盾が発生する。
政府は、「戦争のために大量の需要を作る。」
一方で、「国民生活を守るために物価は上げない。」
この二つを同時に実現しようとする。
市場経済なら、
需要が増える →価格上昇 →需要抑制 →供給増加という調整が働く。
ところが価格を固定すると、需要が増えても価格が動かない。
すると、「物不足」という形で問題が現れる。
●6-12 インフレは「価格」だけではない
ここでインフレを見る目を少し変える必要がある。
インフレとは、単にスーパーの商品価格が上がることではない。
もっと本質的には、「通貨に対してモノ・サービスの価値が上がっていく現象」である。
だから価格を行政的に固定しても、通貨価値そのものの問題が解決するわけではない。
価格が100円のままでも、「100円では商品が買えない」なら、実質的には物価上昇圧力が存在する。
●6-13 「見えないインフレ」が始まる
戦時統制が強くなると、
公定価格 →品不足 →配給 →闇市場という二重価格構造が生まれる。
表向きは、「価格は安定している。」
しかし実際には、「その価格では商品を入手できない。」
闇市場では高値がつく。
つまり、
統計上の価格を抑えることと、国民が実際に負担する物価上昇を抑えることは別問題である。
これは現代の物価対策を見る際にも重要な視点になる。
●6-14 1942年、日本銀行法が改正される
そして戦時金融体制を理解する上で大きな転換点となるのが、1942年の日本銀行法改正である。
この改正によって、日本銀行の位置づけは大きく変化した。
日本銀行は独立した金融機関というより、「国家の経済政策、とりわけ戦時経済を遂行するための機関」としての性格を強めていく。
ここで、「中央銀行が政府から完全に独立していなかった」ことが問題になる。
●6-15 中央銀行の独立性はなぜ重要なのか
中央銀行が政府の完全な財布になってしまうと、
政府
「100兆円必要だ」
中央銀行
「分かりました」
という関係になりかねない。
しかし、政府の支出には政治的な制約が働く。
選挙がある。
国民の支持が必要になる。
軍事的な緊張がある。
景気対策を求められる。
そのため政府には、「支出を増やしたい」という強いインセンティブがある。
そこで中央銀行が独立していれば、
「その支出はインフレを招かないか」
「金融システムは耐えられるか」
「通貨の信用は維持できるか」
というブレーキをかけることができる。
●6-16 高橋是清が恐れたのは、この「ブレーキ」がなくなることだった
高橋是清の財政観を考えると、「赤字国債そのものが悪」というより、「政府が財政を拡張し続けることを止める仕組みがなくなること」の方が重要だったと考えられる。
景気対策には出口が必要。
金融緩和にも出口が必要。
財政拡大にも出口が必要。
しかし戦争は、「非常時だから仕方がない」という理由で、その出口を先送りできてしまう。
そして一度先送りされると、「まだ戦争中だから」という理由で、さらに先送りされる。
この状態が最も危険である。
●6-17 「非常時」が恒常化する
経済政策で恐ろしいのは、「一時的な例外」が、「恒久的な制度」になることだ。
例えば、「戦争中だから」という理由で、
・国債の日銀引き受け
・価格統制
・資本統制
・生産統制
・労働統制
を導入する。
本来なら戦争が終われば解除するはずだった。
しかし戦争が長引く。
すると、「今はまだ非常時だから」という状態が続く。
結果として、
例外措置が「新しい正常」になる。
これは戦時経済だけの話ではない。
現代の政策でも、危機対応として導入された補助金や基金などが、目的を失っても残り続けることがある。
だから重要なのは、「危機対応をするかどうか」だけではなく、「危機が終わったらどうやって元に戻すのか」である。
●6-18 ここで「基金」が問題になる
この点は、現代の財政制度を考えるうえでも非常に興味深い。
通常の予算では、「今年いくら使うのか」を国会で審議する。
ところが基金方式では、「複数年度にわたって使える資金を先に積んでおく」ことができる。
もちろん基金そのものが悪いわけではない。
複数年度にわたる研究開発や大型事業など、「単年度では管理しにくい政策」には合理性がある。
問題は、「なぜ通常予算ではなく基金にする必要があるのか」が明確になっているかどうかだ。
●6-19 単年度主義を壊すことの意味
戦前の臨時軍事費特別会計についても、「戦争だから複数年度で管理する必要があった」という制度上の事情は理解できる。
しかし、その結果、「通常の予算統制から外れた巨大な財布」が生まれると、国会による監視が弱くなる。
ここで問題になるのは、「複数年度か単年度か」そのものではない。
本質は、
誰が、どのタイミングで、どの程度の支出をチェックできるのか。
である。
●6-20 高市政権との比較──「単年度主義は古い」はどこまで正しいか
高市政権が単年度主義を柔軟化し、基金などを活用する場合も、「基金だから戦前と同じ」と単純に結論づけるべきではない。
現代日本には国会審議、会計検査、情報公開、予算制度など、戦前とは比較にならない統制機構が存在する。
しかし、「単年度主義を柔軟化することには何の問題もない」というのも危険だ。
なぜなら、単年度主義には、「毎年、支出の必要性を再確認する」という意味があるからだ。
複数年度で予算を確保すると、「一度決めた支出が惰性で続く」リスクが高くなる。
したがって重要なのは、「単年度主義を守るか壊すか」ではなく、「複数年度化する代わりに、どのような監視と終了条件を設けるのか」である。
●6-21 財政ファイナンスの本当の問題
ここまで整理すると、財政ファイナンスの問題点も見えてくる。
「政府が中央銀行から資金を調達する」こと自体を道徳的に悪と考える必要はない。
問題は、「政府が必要なだけ支出し、その結果生じるインフレを中央銀行が抑えられなくなること」である。
つまり、
政府
「もっと支出したい」
↓
中央銀行
「インフレが心配」
↓
政府
「でも国債を買ってほしい」
↓
中央銀行
「……」という関係になる。
ここで中央銀行が政府に逆らえなくなると、「財政政策が金融政策を支配する」状態になる。
これが財政ドミナンスである。
●6-22 財政ドミナンスが始まると何が起きるか
財政ドミナンスとは簡単に言えば、「中央銀行が物価安定よりも政府の財政維持を優先せざるを得ない状態」である。
例えば、
国債残高が膨張する →金利を上げると政府の利払い費が増える →政府が金利上昇を嫌がる →中央銀行に金融緩和継続を求める →インフレ圧力が残る →それでも金利を上げられないこの状態になると、「中央銀行が物価を安定させる」という役割そのものが弱くなる。
●6-23 日本が経験した「金融政策の従属」
戦時日本では、この構造が極端な形で進んだ。
軍事費が増える →国債が増える →中央銀行が国債を引き受ける →政府支出が拡大する →軍需産業へ資金が流れる →物資不足・インフレしかし、「戦争をやめない限り軍事費は削れない。」
だから金融引き締めも難しい。
結果として、「物価を抑えるより、戦争を継続することが優先される。」
これが財政と金融の主従関係が逆転した状態である。
●6-24 「国債は借金だから問題」ではない
ここも現代の議論で混同されやすい。
国債が増えること自体が、「すぐ国家破綻」を意味するわけではない。
自国通貨建て国債であれば、政府には償還・借換えの能力がある。
しかし、「だから国債はいくら増えても問題ない」ともならない。
国債の増加は、
・インフレ
・金利
・為替
・民間資金需要
・金融機関のバランスシート
・将来の税・歳出政策
などを通じて実体経済に影響する。
したがって、
「破綻するかどうか」と「経済的なコストがあるかどうか」は別問題である。
戦前日本が教えているのは、まさにこの点だ。
●6-25 高橋是清の死が持つ意味
高橋是清の暗殺は、単なる一人の政治家の死ではなかった。
それは、「財政拡大には限界がある」という考え方を持つ政治的なブレーキが失われたことを意味した。
もちろん、「高橋が生きていれば必ず戦争を防げた」と断定することはできない。
軍部の政治的影響力、国際情勢、日中関係、日米関係など、複数の要因が存在したからだ。
しかし少なくとも、「軍事費をどこまで拡大するのか」という問題について、強く異議を唱える人物が政治の中心から消えたことは大きい。
そして、その後の日本は、「戦争をするために経済を変える」方向へ進んでいく。
●6-26 戦争が「経済政策の目的」そのものを変えてしまった
高橋財政では、
経済を良くする →国民生活を改善する →税収を増やす →財政を正常化するという方向だった。
しかし戦時体制では、
戦争に勝つ →軍需を増やす →資源を軍事部門へ集中 →国民生活を制限 →財政をさらに拡大となる。
ここでは、「国民生活の豊かさ」が政策目標の上位から外れてしまう。
GDPが増えても、それが軍需生産なら国民の生活が豊かになるとは限らない。
これも非常に重要なポイントである。
●6-27 「GDPが増えた=成功」ではない
例えば、
戦車を100台作る。
飛行機を100機作る。
砲弾を大量に作る。
これらは生産活動だから、GDPには計上される。
しかし、それによって、
住宅が減る。
食料が不足する。
衣料品が不足する。
民間設備投資が減る。
ならば、「GDPが増えたから経済は成功した」とは言えない。
戦時経済では、「何を生産したのか」が極めて重要になる。
●6-28 現代の「成長率」だけを見る危険性
この問題は現代にもつながる。
「政府支出によってGDPが増えた。だから政策成功」という評価も不十分である。
重要なのは、「そのGDPの増加が将来の供給能力につながるのか」である。
例えば、「研究開発」「教育」「インフラ」「電力網」「半導体工場」「物流」「防災」などへの投資なら、将来の生産能力を高める可能性がある。
一方、一時的な消費補助だけなら、「今年のGDPを押し上げる」効果はあっても、「来年以降の供給能力を増やす」とは限らない。
だから、
財政政策を見るときは「GDPをどれだけ増やしたか」ではなく、「供給能力をどれだけ増やしたか」まで見る必要がある。
●6-29 戦前日本の本当の危機は「お金がなくなった」ことではない
ここで一つ重要な修正をしておきたい。
戦前日本の問題を、「政府がお金を使いすぎて、国の財布が空になった」と理解すると、本質を外してしまう。
国家は円を発行できた。
国債も発行できた。
だから「お金そのもの」が消えたわけではない。
問題は、「そのお金で買える実物資源が足りなくなった」ことだった。
石油がない。
鉄が足りない。
食料が足りない。
外貨が足りない。
輸入できない。
労働力が軍需へ動員される。
つまり、
本当の制約は「お金」ではなく「実物資源」だった。
ここに戦時インフレの本質がある。
●6-30 だから「通貨を増やせば資源問題が解決する」は成立しない
円を100兆円増やしても、石油が100万バレル増えるわけではない。
鉄鉱石が増えるわけでもない。
熟練労働者が突然増えるわけでもない。
工場が一夜で増えるわけでもない。
だから、「財政余力がある」という議論と、「供給能力がある」という議論は分けなければならない。
これは現代の積極財政を考えるときにも極めて重要なポイントになる。
●第六章のまとめ
高橋是清が日銀引き受けを活用したことと、戦時日本の財政ファイナンスを同一視してはいけない。
高橋財政には、「不況から脱出するために財政・金融を使い、経済が回復したら正常化する」という出口があった。
一方、戦時財政では、「戦争を継続するために軍事費を拡大し、その資金を中央銀行が支える」という構造へ変わった。
その結果、
軍事費拡大 →国債増発 →日銀による資金供給 →軍需拡大 →資源の軍事部門への集中 →民需供給の減少 →インフレ圧力 →価格統制 →配給・闇市場 →さらなる国家統制という循環が形成された。
そして1942年の日本銀行法改正は、中央銀行を国家の戦時経済にさらに深く組み込む転換点となった。
ここから見えてくる教訓は、
「自国通貨を発行できること」と「実物資源に制約がないこと」は、まったく別である。
ということだ。
政府が円を発行できても、
石油は発行できない。
鉄も発行できない。
食料も発行できない。
労働力も発行できない。
そして、海外からそれらを買うには外貨が必要になる。
だから最終的に国家の経済力を決めるのは、「どれだけお金を発行できるか」だけではない。
「そのお金で、どれだけのモノとサービスを生産・調達できるか」なのである。
高橋是清は、まさにこの現実を理解していた。
だからこそ、景気回復のためには大胆に財政を使った一方で、軍事費の際限ない拡大には強く抵抗した。
そして高橋の死後、日本はその「ブレーキ」を失った。
◆第七章 「インフレは敗戦後に始まった」のか──高橋是清亡き後、日本経済はいつ「詰んだ」のか
第六章では、戦時財政がどのようにして、
軍事費の拡大 →国債の増発 →中央銀行による資金供給 →軍需への資源集中 →民需の供給不足 →インフレ圧力という循環を作り出したのかを見てきた。
ここで、戦前日本の経済史を考えるうえで非常に重要な問いが出てくる。
日本のインフレは、1945年の敗戦後に始まったのか。
一般的な説明では、
「戦争で工場や都市が破壊された」
「生産設備が失われた」
「戦後に復員兵が一気に戻ってきた」
「その一方で通貨が大量に発行された」
こうした要因が重なって、戦後インフレが発生した、と説明される。
もちろん、これらは重要な要因である。
しかし松元崇氏『持たざる国』が突きつけているのは、もっと根本的な問題だ。
「そもそも敗戦する前から、日本の通貨・財政システムはインフレを制御できなくなっていたのではないか」
もしこれが正しければ、「空襲で日本経済が壊れたからインフレになった」という説明だけでは、因果関係が逆になってしまう。
本章では、高橋是清暗殺後から太平洋戦争開戦、そして戦争末期へと時間を進めながら、日本経済がいつ、どの段階で「正常化できない状態」に入ったのかを追っていく。
●7-1 1936年──日本は「成功していた」
まず、ここを忘れてはいけない。
1930年代半ばの日本は、決して経済的に絶望していた国ではなかった。
むしろ、世界恐慌からの回復という点では、非常に成功した国の一つだった。
金本位制から離脱し、
円相場を柔軟化し、
財政を拡大し、
金融を緩和する。
その結果、国内需要が回復し、生産が増加し、輸出も伸びた。
都市部では消費文化が花開き、銀座や大阪の街にはモダンガールが闊歩する。
つまり、「日本は貧しくて、戦争しか選択肢がなかった」という単純な歴史観では説明できない。
むしろ重要なのは、
「戦争直前の日本には、戦争以外の経済的な成功ルートが存在していた」
という事実である。
●7-2 高橋是清が作った「正常な出口」
高橋財政の特徴は、「景気を回復させるために財政を使った」ことだけではない。
むしろ重要なのは、景気が回復した後に財政を縮小しようとしたことである。
ここが後の戦時財政との決定的な違いになる。
高橋の考え方を単純化すると、
不況 →財政・金融による景気刺激 →生産回復 →民間需要回復 →財政縮小 →通常経済へ復帰という流れだった。
つまり、財政拡大は目的ではなく手段だった。
ところが軍部にとっては、「景気が良くなったなら、軍備をさらに増やせる」という別の論理が成立していた。
ここから日本経済の方向性が変わっていく。
●7-3 1936年2月26日──高橋是清暗殺
そして1936年、二・二六事件が起きる。
高橋是清は青年将校らによって殺害された。
これは日本の政治史だけでなく、財政政策の分岐点としても見る必要がある。
高橋は軍事費の拡大に歯止めをかけようとしていた。
その人物が政治の舞台から消える。
すると軍部の財政要求に対して、「どこまでなら持続可能なのか」という制約を主張する力が弱くなる。
もちろん、「高橋が死んだから日本は戦争へ向かった」と単純化することはできない。
しかし、「財政規律を守ろうとする強力な政治的ブレーキが失われた」という意味では、極めて重要な転換点だった。
●7-4 1937年──日中戦争が始まる
翌1937年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化する。
ここから日本経済の性格が変わる。
それまでの財政拡大は、「景気を回復させるため」という意味合いが強かった。
しかしここからは、「戦争を遂行するため」の財政拡大になる。
この違いは非常に大きい。
景気対策なら、「景気が回復したらやめる」という出口がある。
しかし戦争の場合、「勝つまでやめられない」という論理になる。
●7-5 軍事費が急増する
戦争が始まれば軍事費は急増する。
兵士を動員する。
武器を作る。
航空機を作る。
艦船を作る。
弾薬を作る。
輸送船を用意する。
燃料を確保する。
軍需工場を拡張する。
当然、そのためには莫大な資金が必要になる。
そして問題は、軍事費には「自然な上限」が存在しないことだ。
敵国が軍備を増やせば、「こちらも増やさなければならない」となる。
その結果、
軍備増強 →相手国の警戒 →相手国も軍備増強 →さらに軍備増強 →さらに財政支出という循環が生まれる。
●7-6 1937年──インフレ率はすでに上昇していた
ここが今回の重要ポイントである。
松元氏の議論では、インフレは戦争が終わってから突然発生したのではない。
日中戦争の拡大とともに、すでに物価上昇圧力が強まっていた。
元資料では、盧溝橋事件の時点でインフレ率は約6%、
そして高橋是清暗殺後の1937年には、年率二桁の物価上昇に達していたとされる。
つまり、「1945年の敗戦」 →「工場が破壊」 →「供給不足」 →「インフレ」という一本線だけでは説明できない。
実際には、
軍事支出拡大 →需要拡大 →軍需への資源集中 →民需供給減少 →物価上昇というプロセスが、戦争のかなり早い段階から始まっていたということである。
●7-7 1939年──政府自身が危機を認識する
さらに重要なのが1939年である。
この頃には政府自身も、「このままでは戦争を続ける前に国内経済が崩壊する」という危機感を持つようになる。
これは非常に重い。
なぜなら、「戦後になって経済学者が後から分析した」のではなく、戦争中の政府自身がインフレ・物資不足の危険を認識していたからである。
つまり、「敗戦後の空襲がインフレの原因だった」という説明だけでは足りない。
日本政府は、戦争を続けている途中ですでに経済の持続可能性に危機感を抱いていた。
●7-8 そこで「価格を固定する」
インフレが進む →政府が危機感を持つ →市場価格を抑えるそこで、物価・賃金・為替などを行政的に固定する方向へ進む。
これは一見すると非常に合理的に見える。
「物価が上がるなら、物価を上げなければいい。」
しかし、経済は命令だけでは動かない。
●7-9 価格統制の最大の問題
例えば、ある商品の市場価格が100円だったとする。
需要が増えて供給が不足すると、市場価格は120円、150円と上昇する。
ところが政府が、「100円に固定する」と命令する。
すると、
需要 ↑
供給 ↓
価格 固定となる。
価格が上がらない代わりに、商品そのものが市場から消える。
これが価格統制の典型的な問題である。
●7-10 「物価が上がっていない」は「インフレがない」ではない
ここは現代の経済政策を見るときにも重要だ。
例えば政府が、「ガソリン価格を補助金で抑える」とする。
統計上の販売価格は下がる。
しかし、ガソリンそのものを作る原油価格や輸送コストが消えたわけではない。差額を政府が負担しているだけだ。
つまり、
本来の価格 →市場価格 →政府が補助 →消費者価格となっている。
価格が低いことと、「経済全体のコストが低いこと」は別である。
●7-11 戦前の価格統制も同じ問題を抱えた
戦時日本でも、「価格を固定する」ことによって表面的な物価上昇を抑えようとした。
しかし、
原材料が不足する →生産コストが上がる →それでも公定価格は上げられない →企業が正式な市場では採算を取れなくなる →商品が不足する →闇市場が発生するという現象が起こる。
つまり、価格を消したのではなく、価格上昇を別の場所へ移したのである。
●7-12 「闇価格」は市場からの警告だった
闇市場で公定価格よりはるかに高い価格がつく。
これは単なる「悪徳商人」の問題ではない。
経済学的に見れば、市場が発しているシグナルでもある。
「その価格では供給できません」という信号だ。
政府がその信号を法律で消しても、資源不足そのものは消えない。
だから、「公定価格 →品不足 →闇価格上昇」という二重価格が生まれる。
●7-13 そして「見えないインフレ」が蓄積する
ここまで来ると、「公式統計だけを見る」ことが危険になる。
物価が固定されている。
しかし、
・配給される
・商品が手に入らない
・品質が低下する
・闇価格が上昇する
・待ち時間が増える
・物々交換が増える
こうした現象が出てくる。
これは、通貨の購買力が実質的に低下していることを示している。
だからインフレを見るときには、「価格指数だけ」ではなく、その価格で本当に商品を買えるのかまで見る必要がある。
●7-14 ここで「敗戦後インフレ説」を考え直す
ここまでの流れを整理してみよう。
1936年
高橋財政による景気回復
↓
1936年
高橋是清暗殺
↓
1937年
日中戦争拡大
↓
軍事費急増
↓
需要拡大・資源軍需化
↓
物価上昇
↓
1939年頃
政府がインフレ・経済崩壊を警戒
↓
価格・賃金・為替などの統制
↓
物不足・闇市場
↓
1941年
太平洋戦争開始
↓
さらに軍事支出拡大
↓
中央銀行による資金供給
↓
さらに物資不足
↓
1945年
敗戦
↓
戦後インフレ激化この流れを見ると、1945年は「インフレの始点」ではなく、「それまで蓄積していた問題が一気に表面化した時点」と見ることができる。
●7-15 では、空襲は関係ないのか?
もちろん、関係ないわけではない。
ここは慎重に区別しなければならない。
空襲による工場・住宅・インフラの破壊は、戦後の供給能力を大きく低下させた。
これは間違いなく重要な要因である。
問題は、「それだけが原因だった」とすることだ。
もし戦争前から、
・財政膨張
・通貨供給拡大
・軍需への資源集中
・物資不足
・価格統制
が進んでいたなら、戦後インフレは、ゼロから始まった現象ではない。
●7-16 ここでMMT的な説明との違いが出てくる
この問題は現代の経済論争にもつながる。
MMT的な議論では、「自国通貨建て政府債務には、財政破綻よりもインフレが実質的な制約になる」という考え方がある。
この部分には重要な示唆がある。
つまり、「政府にお金があるか」ではなく、「実物資源に余裕があるか」を見るべきだということだ。
しかし、ここから、「供給能力が破壊されるまでは、財政拡大をいくらしても問題ない」と考えるなら、それは危険である。
なぜなら、インフレは供給能力が完全に破壊されてから始まるわけではないからだ。
需要が供給能力を上回れば、供給制約は生じる。
戦前日本は、その典型例として見ることができる。
●7-17 「供給能力が破壊されたから」ではなく「供給能力を軍事に奪われた」
ここがさらに重要である。
戦争では、「工場が空襲で破壊された」だけではない。
その前から、
鉄を軍需に回す。
石炭を軍需に回す。
労働力を軍需に回す。
工場を軍需品生産に転換する。
輸送能力を軍に優先する。
こうして、民間経済の供給能力そのものが軍事部門へ移される。
つまり、「供給能力がなくなった」というより、「供給能力の使い道を国家が変えた」
という側面がある。
●7-18 戦争は「需要ショック」と「供給ショック」を同時に起こす
一般的な経済危機では、「需要が落ちる」あるいは、「供給が落ちる」という片方のショックが中心になることが多い。
しかし戦争では、
軍事需要 ↑↑
+
民需供給 ↓↓という二重のショックが起こる。
政府は軍事需要を猛烈に増やす。
一方で、民間向け供給能力は軍事部門へ移る。
だからインフレ圧力が非常に強くなる。
●7-19 1941年──太平洋戦争へ
そして1941年、日本は米英との戦争へ突入する。
ここから経済制約はさらに厳しくなる。
日本は資源に乏しい。
特に石油への依存は大きかった。
対外関係が悪化し、輸入が制限される。
つまり、戦争をするために必要な資源を、戦争によってさらに入手しにくくするという矛盾が発生する。
●7-20 「持たざる国」になったのは資源だけではない
戦前日本は、「持たざる国」という自己認識を強めていった。
しかし興味深いのは、日本が最初から「持たざる国」だったわけではないことだ。
1930年代前半には、輸出が伸び、工業生産が回復し、国際競争力も高まっていた。
つまり、経済的な成功によって「持てる国」になる可能性があった。
ところが、
軍事拡大 →資源確保 →対外膨張 →国際関係悪化 →輸入制約 →さらに軍事拡大という循環に入っていく。
結果として、「資源がないから戦争する」という論理が、「戦争するから資源がさらに不足する」という自己破壊的な構造に変わっていく。
●7-21 日本経済は「外から壊された」のか
もちろん戦争によって外部から大きな打撃を受けた。
しかし、「日本経済は外敵によって一方的に破壊された」とだけ考えると、重要な部分を見失う。
なぜなら、外からのショックを受ける前に、国内の政策によって経済構造そのものを戦時化していたからだ。
そしてその結果、民間経済の柔軟性を失っていった。
●7-22 「政策の失敗」と「戦争の被害」は分けて考える
ここは歴史を冷静に分析するためにも重要である。
戦争による被害は、外部ショックである。
一方、
・財政ルールを壊す
・中央銀行を政府に従属させる
・軍需を優先する
・価格統制を強化する
・通貨価値を政策的に固定する
というのは、政策選択である。
外部ショックがあったとしても、「そのショックに対して、どのような政策を選んだのか」は別途評価できる。
●7-23 高市政権を考えるときも、この区別が必要になる
現代の日本についても、「積極財政だから戦前と同じ」と短絡してはいけない。
現代日本は、
・民主主義
・国会
・選挙
・中央銀行制度
・会計検査
・情報公開
・市場経済
という、戦前とは全く異なる制度の中にある。
だから、政策規模だけを比較することには意味がない。
比較すべきなのは、「政策の方向性」ではなく、「制約をどう認識し、どのようなブレーキを残しているか」である。
●7-24 現代にもある「価格を抑えれば解決」という発想
例えば、
ガソリン価格が上がる →補助金を出す
電気料金が上がる →補助金を出す
食料品価格が上がる →減税するこうした政策には、当然ながら短期的な家計支援としての意味がある。
問題は、「その政策によって供給制約が解決するのか」である。
原油そのものが増えるわけではない。
電力供給能力が突然増えるわけでもない。
農業生産量が翌月から増えるわけでもない。
だから、価格を抑える政策と、供給能力を増やす政策は別物である。
●7-25 補助金は「悪」ではない。しかし出口が必要
ここでも重要なのは、「補助金は全部ダメ」という話ではない。
急激な物価上昇から家計を守るために、一時的な補助が必要な局面はある。
しかし、
一時的な措置 →延長 →さらに延長 →恒久化となると、「価格シグナルを政府が継続的に歪める」ことになる。
戦時統制の教訓は、価格を抑えること自体ではなく、価格を抑え続けることで市場からの警告を無視してしまうことにある。
●7-26 戦前日本の最大の問題は「間違った数字を見続けたこと」
ここまでの話をさらに抽象化すると、
政府は、「公定価格」「公式統計」「予算」を見て政策を決める。
しかし現実には、
「商品が手に入らない」
「闇価格が上がる」
「民間生産が落ちる」
「輸入できない」
という現象が起きている。
つまり、政策当局が見ている数字と、国民が実際に感じている経済状況が乖離する。
これは非常に危険だ。
●7-27 経済政策で最も怖いのは「制約を消すこと」ではなく「制約を見えなくすること」
市場価格が上がれば、「何かが足りない」と分かる。
金利が上がれば、「資金が不足している」と分かる。
為替が下落すれば、「海外から見た円の価値が下がっている」と分かる。
ところが、「補助金」「価格統制」「「為替介入」「規制」などによってシグナルを抑え込むと、問題そのものが消えたように見える。
しかし実物経済の制約は残る。
●7-28 高橋是清なら何を見ただろうか
高橋是清の財政運営から学べるのは、「財政を使うな」ではない。
むしろ逆だ。
必要なときには大胆に使う。
しかし、
経済が回復したら、政策を正常化する。
そして、「政府が市場を完全にコントロールできる」とは考えない。
景気、為替、物価、金利、民間投資。
これらの反応を見ながら政策を調整する。
だからこそ高橋財政には、「政策には出口が必要」という思想があった。
●7-29 そして高橋亡き後、「出口」が消えた
高橋是清が死んだ。
軍事費が増えた。
戦争が始まった。
国債が増えた。
日銀がそれを支えた。
物価が上がった。
価格を統制した。
物資が不足した。
さらに統制した。
そして、「戦争が終わるまで仕方がない」となった。
ここに戦前日本の悲劇がある。
一つ一つの政策には、「今だけなら仕方がない」という理由があった。
しかし、その「今だけ」が積み重なって、国家の経済システムそのものになった。
●7-30 そして1945年、すべてが表面化する
1945年、日本は敗戦する。
ここで初めて、それまで抑え込まれていた問題が一気に表面化する。
価格統制が機能しなくなる。
配給制度が崩れる。
軍需産業が停止する。
復員兵が戻ってくる。
戦時中に蓄積された通貨が市場へ流れる。
生産設備は破壊されている。
輸入能力も低下している。
つまり、
大量の通貨 + 低下した供給能力 + 戦時中に蓄積した需要
↓
戦後インフレとなる。
だから、敗戦がインフレを「作った」のではなく、敗戦がそれまで隠れていたインフレ圧力を一気に露出させたと見ることができる。
●7-31 ここに「亡国への道」の核心がある
もし松元崇『持たざる国』の問題提起を一言でまとめるなら、こうなる。
日本は1945年に経済的に敗北したのではない。1945年以前に、経済を正常化できる仕組みを自ら失っていた。
敗戦は、その結果を確定させた出来事だった。
空襲は、供給能力をさらに破壊した。
しかし、「なぜそこまでインフレ圧力が蓄積したのか」という問いは、それ以前に戻らなければ答えられない。
●7-32 戦争は「最後の一撃」だった
この見方を整理すると、「高橋財政 →経済回復」までは、「再建」だった。
「高橋暗殺 →軍事費拡大 →日中戦争 →財政ファイナンス →価格統制 →資源不足」は、「自己破壊」へ向かう過程だった。
そして、「太平洋戦争 →空襲 →敗戦」は、その自己破壊を完成させた最後の一撃と見ることができる。
●7-33 だから「戦後インフレ」は戦後だけの問題ではない
戦後インフレを理解するためには、1945年だけを見てはいけない。
少なくとも、1936年の高橋是清暗殺まで戻る必要がある。
そこから、「景気回復のための財政」が、「戦争継続のための財政」へ変わっていく。
さらに、「一時的な金融緩和」が、「恒常的な財政ファイナンス」へ変わる。
そして、「一時的な価格統制」が、「国家による経済統制」へ変わる。
この一連の変化こそが、日本経済の「詰み」を形成した。
●7-34 なぜ、インフレを認識しながら止められなかったのか
ここまでを見ると、一つの疑問が残る。
日本政府は、物価上昇や物資不足を認識していた。
それにもかかわらず、なぜ政策を転換できなかったのか。
その理由を考えるうえで重要なのが、「経済の正常化」より「戦争の継続」が優先されるようになったことである。
不況から脱出するための財政拡大なら、景気が回復すれば縮小する、という出口がある。
しかし戦争の場合、「戦争を続けるために必要だから支出する」という論理が働く。
すると、経済状態が悪化しても、「だから支出を減らす」とはならない。
むしろ、「戦争を続けるために、さらに資金が必要だ」となる。
●7-35 経済の悪化そのものが、戦争継続の理由になる
ここに戦時経済の危険な循環が生まれる。
戦争拡大 →軍事費増加 →資源・労働力を軍需へ集中 →民需不足・物価上昇 →経済統制を強化 →民間経済の自由度低下 →さらに国家による資源配分 →戦争継続への依存が強まるつまり、戦争によって経済が歪み、その歪みを解消するために、さらに国家統制を強めるという構造である。
最初は非常措置だったものが、いつの間にか通常の経済運営そのものになっていく。
●7-36 「非常時」が永続化すると、政策の失敗を修正できなくなる
これは戦前日本を考えるうえで重要なポイントだ。
通常の政策なら、「効果がなかったからやめる」という判断ができる。
しかし、「戦争中だから」という理由が加わると、政策の失敗を認めること自体が難しくなる。
価格統制がうまくいかない →さらに統制する。
物資が不足する →さらに配給を強化する。
財政が膨張する →さらに国債を発行する。
インフレが進む →さらに価格を固定する。
このように、一つの失敗を別の政策で覆い隠す方向へ進んでいく。
●7-37 政策の「修正」ではなく「上塗り」になった
ここが日本経済の転換点だった。
本来なら、
「軍事支出を抑える」
「財政を正常化する」
「資源配分を見直す」
という根本的な修正が必要になる。
しかし戦争を継続するという前提を変えなければ、それはできない。
そこで、価格統制、配給、資材統制、賃金統制、企業統制、金融統制と、新しい統制を次々に積み重ねることになる。
こうして日本経済は、市場の価格や需要を通じて資源を配分する仕組みから、
国家が優先順位を決めて資源を配分する仕組みへと変わっていった。
●7-38 高橋是清が守ろうとしたものとの決定的な違い
ここで、冒頭の高橋是清に戻る。
高橋財政は、政府が経済を直接支配することを目的としていたわけではない。
財政と金融を使って景気を回復させ、民間経済を再び動かすことが目的だった。
ところが高橋亡き後の戦時財政では、政府が経済を動かすこと自体が目的になっていく。
つまり、「経済を立て直すために政府が動く」から、「国家目的のために経済を動員する」へと変わった。
この違いは非常に大きい。
●7-39 そして、戦争が終わるまで戻れなくなった
こうして日本経済は、「一時的な戦時措置」から、「戦争を前提とした経済システム」
へ変質していった。
ここまで来ると、戦争をやめることは、単に軍事政策を変更することではない。
経済システムそのものを組み替えることになる。
そのため、経済が悪化していることが、戦争をやめる理由になるどころか、戦争を続けるための統制を強化する理由になってしまう。
この逆転こそが、日本が「戻れなくなった」大きな要因だった。
●7-40 第七章の結論──インフレより怖かったもの
ここまでの分析から見えてくるのは、戦前日本の問題が単純な「インフレ」ではなかったということだ。
インフレは、政策の歪みを知らせる警告だった。
しかし日本は、その警告を受けて政策を修正するのではなく、価格統制や経済統制によって、警告そのものを見えにくくしていった。
その結果、市場から発せられる情報が政策決定に戻ってこなくなった。
そして、「経済が悪化しているから政策を変える」のではなく、「政策を維持するために経済をさらに統制する」という逆転が起きた。
これこそが、高橋是清亡き後の日本経済が、単なる財政赤字や物価上昇を超えて、制度として「戻れない道」へ入っていった本質だった。
次章では、この統制がさらに進み、価格・賃金・配給・企業活動まで国家が管理する「統制経済」が、実際に国民生活と生産現場をどう変えていったのかを追う。
参考文献・引用資料
松元崇『「持たざる国」への道――「あの戦争」と大日本帝国の破綻』
大木毅『日独伊三国同盟――「根拠なき確信」と「無責任」の果てに』
日本銀行・日本銀行金融研究所 戦前期の金融政策、国債の日銀引き受け、高橋財政、日本銀行制度に関する資料
財務省・大蔵省関係資料 戦時財政、国債、臨時軍事費特別会計、外国為替・外貨管理に関する資料
国立国会図書館 昭和戦前期の財政・金融・統制経済・戦時体制に関する資料
内閣統計局等の戦前期物価・生産・貿易統計資料
※本文では、上記資料をもとに、戦前日本における通貨統制、占領地通貨、固定為替、外貨不足、国債の日銀引き受け、戦時インフレ、価格統制、配給制度、財政ファイナンス、中央銀行と政府の関係などについて整理・考察しています。
※松元崇氏『「持たざる国」への道』からは、中国大陸における通貨政策と固定交換比率、外貨流出、戦時財政の膨張、軍需への資源集中、戦前から進行したインフレ圧力、価格統制と闇市場、敗戦前から蓄積していた財政・金融・通貨上の歪みなどの議論を主に参照しています。
※特に本文中の、日本が「持たざる国」として抱えていた資源・外貨面の制約、通貨価値を政策的に固定することの危険性、戦時中から進行していたインフレと統制経済、そして敗戦後のインフレを戦前からの連続した過程として捉える視点については、松元氏の問題提起を出発点として検討しています。
※大木毅氏『日独伊三国同盟』からは、日本が戦争へ傾斜していく過程における政策決定、軍部と政治の関係、国際情勢に対する判断、政策を支えた「根拠なき確信」、意思決定における責任の所在とその曖昧化について主に参照しています。
※大木氏の議論については、財政・金融政策そのものの根拠というより、「なぜ経済的な制約が認識されながら政策転換できなかったのか」「なぜ戦争継続という前提を修正できなかったのか」という政治的・制度的背景を考察する際の参考としています。
※日本銀行および日本銀行金融研究所の資料からは、高橋財政における国債の日銀引き受け、戦時期の金融政策、日本銀行の制度的位置づけ、1942年の日本銀行法制定・戦時金融体制などについて参照しています。
※財政・金融に関する記述では、「国債の日銀引き受け=直ちに無制限の通貨発行」「国債増加=直ちに国家破綻」といった単純化を避け、当時の経済状況、供給能力、軍需への資源移転、物価統制、外貨制約などを含めて分析しています。
※本文中の「1円=1元=1占領地通貨」や裁定取引の数値例は、固定レートと市場価値が乖離した場合に生じる経済的な仕組みを説明するために単純化したモデルであり、当時存在したすべての通貨について一律に同一交換比率が維持されていたことを意味するものではありません。
※また、戦前の統制経済と現代日本の為替介入、物価補助、基金、積極財政などとの比較は、両者を同一視するものではありません。制度・政治体制・市場環境が大きく異なることを前提に、「価格シグナル」「財政の出口」「中央銀行と政府の関係」「供給能力という制約」といった共通する経済原理を抽出する目的で比較しています。
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