マイルスとギターの世界─《第五回:ジョン スコフィールド篇》
引き続き、マイルスデイヴィス生誕100周年を記念し、過去にマイルスのバンドに参加した門下生ギタリストを紹介してまいります。
序章:80年代は本当にダメなのか?
かつて、マイルスの八〇年代は、「売れ線に走った」「往年の帝王の輝きは失われた」という言説が支配的だった。この時代、音楽シーン全体が激しいパラダイムシフトの渦中にあり、歴史が一度死んだとさえ言われるほどの猛烈な批判に晒されていた。
MTVの開局による「聴くものから見るものへ」という視覚偏重や、シンセサイザーがもたらした「人工的で画一的な響き」は、ロックが本来持っていた温かみを消し去った「軽薄で商業主義的なもの」として断罪された。九〇年代にグランジロックが台頭すると、「八〇年代=過剰装飾でダサい」という不名誉なステレオタイプが定着し、長い冬の時代が続いたのである。
ジャズ界もまた同様だった。エレクトリック化するジャズへの反動として登場した「新伝統主義(ネオ バップ)」は、八〇年代マイルスを「ジャズを裏切った」と非難され、音楽の定義を巡る排他的な論争がピークに達した。
しかし、二〇一〇年代以降、その評価は劇的に反転した。なぜ八〇年代がこれほどまでに重要な転換点だったのか。その答えは、本稿の最後である「終章」に譲りたい。
八〇年代の再評価とジョンスコの存在
かつてマイルスの八〇年代は「晩節を汚した」とまで言われてきた。しかし、ここ十数年で流れは変わった。ブートレグシリーズVol.7『That’s What Happened 1982–1985』がリリースされ、当時のアウトテイクが聴けるようになると、「やはりここにも、マイルスの実験と執念があった」と評価するレビューが急増した。とくに、ギタリストのジョン スコフィールド(以下、通称ジョンスコ)が在籍した八二年から八五年の数年間は、若手ミュージシャンのアイデアを素材にしてマイルスが音楽を「編集」していくプロセスが、もっとも生々しく見える時期だと言われている。
いま、八〇年代のマイルスはどう聴き直されているのか。その中心にいたジョンスコとの関係は、どんな意味を持っていたのか。本稿では、リアルな証言を手がかりに、この「再評価されるべき数年間」を掘り起こしてみたい。
ジョンスコはどうやってマイルスのバンドに入ったのか
ジョンスコがマイルスのバンドに加わるのは一九八二年。当時、バンドにはマイク スターンが在籍していたが、スターンには薬物と酒の問題があり、ツアーを続けるうえで不安定さも増していた。そこで、サックス奏者のビル エヴァンスの推薦もあって「スターンを支えるギタリスト」としてジョンスコを採用する流れが生まれた。加入の経緯については、ジョンスコ本人のロングインタビューがいくつか残っており、そこで彼はマイルスとの最初の接点を「突然の電話」だったと繰り返し述べている。マイルス側が新しいギタリストを探しており、周辺ミュージシャンの推薦もあって名前が挙がったのが流れである。デイヴ リーブマンがマイルスへ彼の才能を紹介し、架け橋となったことも歴史的な事実として挙げられる。
Star People期:ロックの火力と、ねじれたブルース
一九八三年に発表された『Star People』は、濃厚なブルース色をまとった作品だ。ここでのギターはマイク スターンとジョンスコの二人体制。スターンが既にバンドの主力として暴れている中に、新顔としてジョンスコが入ってくる。スターンがロック寄りの直線的なフレーズと高出力のサウンドで押すのに対し、ジョンスコは「中域がメインのザラッとしたトーン」「ちょっと引っかかるようなリズム感」「ブルースの内側からじわじわと外れていくライン」といった、ねじれたギターを持ち込んだ。この時期の作曲クレジットは公式にはマイルス名義が中心だが、「It Gets Better」など特定の曲でジョンスコの発想が大きく反映されていると推測されている。研究書や批評では、八〇年代のマイルスがリハーサルや本番のジャム、メンバーのソロやリフ、その場で生まれたグルーヴを録音し、後から切り貼りしながら曲として構成していったと指摘されている。ジョンスコは、まさにその「素材提供者」として最初に投入された。

Decoy期:即興がそのまま「曲」になる、共作者ジョンスコの時代
一九八四年に出た『Decoy』は、ジョンスコ期マイルスの中心に位置するアルバムだ。オフィシャルサイトの作品解説では、このアルバムについて「ロバート アーヴィング三世がキーボードとして和声とテクスチャを主導し、ジョン スコフィールドがベーシストのダリル ジョーンズのファンクをクロマチックな抽象性の方向に引き寄せ、マイルスがその上で全体をまとめている」と記されている。さらに、この解説には「ジョンスコがマイルスと共作した二曲はソロの断片を元にしている。特に『That’s What Happened』は『Star People』の『Speak』におけるジョンスコのソロの冒頭をもとにしている」という決定的な記述がある。ジャズ誌『Jazz Journal』の一九八四年当時のレビューでも「『Decoy』は復帰後のアルバムの中でもっともアレンジ色が強く、ジョン スコフィールドの貢献がアルバムの性格を決定づけている」と評されている。エンジニアのエリック カルヴィは「『Decoy』のレコーディングのとき、マイルスはほとんどコントロールルームに来なかった。現場の細かい形づくりは若いメンバーたちに任されていた」と語っており、そこには「ちょっと真面目そうで、ライブラリアンと呼ばれていたジョン スコフィールド」の姿が描かれている。

You’re Under Arrest期:ポップスをねじるアレンジャー、ジョンスコ
一九八五年の『You’re Under Arrest』は、マイケル ジャクソンの「Human Nature」、シンディ ローパーの「Time After Time」などのカバーを含む、ポップ寄りの作品だ。ジョンスコはギタリストとして全体に参加しつつ、一部でアレンジにも名を連ねている。八〇年代マイルスを扱った論考では、マイルスがカバーしたい曲やコンセプトを提示し、若手ミュージシャンたちがアレンジを練り、マイルスが最終的な形を決める分業的な構造があったと説明される。ジョンスコはその中で「ポップなコード進行の上に、さりげなくひねったテンションを足す」「歌メロの隙間に、小さくアウトサイド寄りのラインを忍ばせる」といった役割を担った。Bootleg Seriesに収録されたテイクを聴いた批評では「ジョンスコはブルースにしっかり根ざしながら、『Decoy』のアルバムバージョンよりもマイルスを激しいブルースプレイへと押し上げている」といったコメントも見られる。

マイルスが見ていたジョンスコと「唯一無二の学校」
マイルス自身がジョンスコについて語った発言は少ないが、公式サイトの解説や八〇年代を扱った書籍では、ジョンスコがダリル ジョーンズのファンクを「クロマチックな抽象性の方向へ引き寄せた」と評価されている。一方で、ジョンスコ自身による証言は非常に具体的だ。
公式サイトのFAQで「マイルスと演奏したのはどんな感じだったか」と聞かれた際、彼は「いろんな意味での学校のようだった。唯一無二の人だった」と回答している。マイルスからの具体的な教えについて、ジョンスコはインタビュー等で「もっとスペースを使え」と言われたことを度々語っている。「音の隙間を使え」「休符をプレイの中心にしろ」という教えが強く印象に残っていると語っており、これはフレーズ単位の指導ではなく、音楽の軸だけを示し、現場で試させるタイプのリーダーシップであった。
使用機材:八〇年代前半のシステム
ジョンスコがマイルス バンド在籍時に主に使用していた機材は以下の通りである。
ギター: Ibanez AS200(当時のメイン愛器)
ディストーション: ProCo RAT(初期型)
コーラス: BOSS CE-2
ディレイ: Ibanez Analog Delay AD-80
アンプ: Mesa/Boogie Markシリーズ

終章:「80年代は本当にダメなのか?」への答え
八〇年代という時代は、長いあいだ「過剰で、商業的で、ダサい」というレッテルを貼られてきた。特にグランジ ロックが台頭した九〇年代以降、ローファイで内省的なサウンドが「真実」とされる中で、八〇年代の分厚いシンセ、ゲートリバーブのドラム、テクニカルなギターは「偽物」として切り捨てられた。しかし、今この時代を再検証すると、かつての「批判材料」こそが、現代音楽の核心を突く贅沢な資産であったことがわかる。
再評価の決定的な要因は、インターネットとアルゴリズムの力である。国境を超えてシティポップが世界を席巻し、ローファイ ヒップホップ等のジャンルが八〇年代のAORやフュージョンのサウンドをサンプリングで再構築した。徹底して作り込まれたシンセの音色や緻密なアレンジは、耳の肥えた現代のリスナーにとって「奇跡的なほど贅沢なサウンド」として響いている。打ち込みのビートと生演奏のグルーヴを同居させ、そこに現代的なローファイ加工を施す手法は、相反すると思われていた美学をミックスし、八〇年代の「かっこいい部分」だけを抽出した新しいポップスを生み出した。
特筆すべきは、八〇年代のMTVが確立した「音楽と映像を一体のコンテンツとして売り出す」という戦略が、現代のSNS消費における最適解となった点だ。キャッチーなフックを持つ八〇年代サウンドは、TikTokやYouTubeといった短尺動画との相性が抜群であり、ネオン調のビジュアルやビデオテープ風の質感は、現代のクリエイターにとって「記号化された最強の素材」となっている。かつて「商業的」と嫌悪されたMTV的戦略こそが、実はSNS時代の音楽消費の基本形であったことは皮肉であり、それゆえに八〇年代は今、最もエモーショナルでクールな「最前線」へと帰還したのである。
さらに特筆すべきは、八〇年代マイルスやハービー ハンコックが、シンセやドラムマシン、ロックやR&Bのビートを積極的に取り入れたことが、現在の「ポップ寄りジャズ」の源流となったという点だ。ロバート グラスパーはインタビューで「自分は明らかにマイルスの影響を受けている」と語り、特に「その時代の音をそのまま受け入れて反映する」というマインドセットこそをマイルスから学んだと明言している。この姿勢は、当時ニューウェーブやテクノの要素をいち早く取り入れ、独自の東京的アイデンティティをジャズに昇華した渡辺香津美の先駆的な試みとも共鳴する。若手ミュージシャンにとって、この時代のマイルスや彼らと共振した先人たちは、常に時代の音を取り込み続ける姿勢そのものがロールモデルとなっているのである。
マイルスにとって八〇年代は「終わり」ではなく、常に時代の最前線をアップデートし続けるための場所であった。ジョンスコを迎え入れ、ポップスのフォーマットをブルースと即興でねじり上げたこの三年間は、当時批判されたからこそ、今の時代にこれほど強く響くのである。過去の栄光を守るのではなく、常に「今」を鳴らし続けたマイルスの執念。それこそが、時代を超えて八〇年代が再評価される、最大の理由ではないだろうか。
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