東印度演義 第一回
水路誌一巻南海を開き 老帝国の鎖初めて綻ぶ
そもそも大海の大勢は、鎖せば必ず開かれ、開かれれば必ず鎖さる。
香料の富は独占を生み、独占は戦を生み、戦はまた新たな覇者を生む。古来、海の富を独り占めにして永らえた者はない。されど人は懲りずにこれを試み、試みるたびに、海はその者を呑んでみせるのである。
読者諸賢、まず一粒の丁子(ちょうじ)を思い浮かべられたい。釘に似た小さな蕾である。これを竈の火にくべれば芳香が立ち、肉の腐りを防ぎ、歯の痛みを鎮め、酒に落とせば冬の夜も暖まる。ヨーロッパの人々はこの小さな蕾に、同じ目方の銀を惜しまなかった。
その丁子が採れる島は、世界にほんの一握りしかない。はるか東、香料諸島(モルッカ)と呼ばれる火山の島々である。島の男が摘んだ蕾は、ジャワの商人の手に渡り、マラッカの港で唐土(もろこし)の絹と積み替えられ、インドの海を越え、アラビアの隊商に担がれ、地中海の商人に売られ、幾人もの手垢にまみれてようやくヨーロッパの食卓に届く。手が替わるたびに値は跳ね上がり、島で摘まれたときの何十倍にもなった。
この長い長い道を、一息に縮めた国がある。ポルトガルである。
一四九八年、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカの南端を回ってインドに達して以来、およそ百年。ポルトガルは喜望峰航路をわがものとし、ゴアに府を置き、マラッカを奪い、香料の道の喉元をことごとく押さえた。ローマ教皇は地球を線引きして東の海をポルトガルに与え、リスボンの王室は航路図の一枚に至るまでを国家の秘事とした。水先案内人の海図を国外に持ち出せば、死罪である。
海は、鎖された。
それでもしばらくのあいだ、北の低地の商人たちは不満を言わなかった。ポルトガル人が香料をリスボンまで運んでくれるなら、そこから先の商いは自分たちの独擅場だったからである。オランダの船はリスボンで胡椒を積み、北のバルト海へ、東のドイツへと売りさばいて肥え太った。海の鎖の、いわば外回りの番頭である。
ところが、その番頭の座が突然に危うくなった。
オランダがスペイン王フェリペ二世に叛いて独立の戦を始め、一五八五年、南ネーデルラントの大商都アントウェルペンがスペイン軍の手に落ちる。商人と職人と金貸しは大挙して北へ逃れ、アムステルダムは一夜にして欧州の富の避難所となった。そして同じ年、フェリペ二世は布告を発する——叛徒オランダの船を、スペインとポルトガルの全ての港から締め出す、と。
胡椒の蛇口が、閉められたのである。
リスボンに行けぬなら、どうするか。北の商人たちの答えは、考えてみれば単純であった。——胡椒の生る木のところまで、自分で行けばよい。
言うは易い。だが香料の島までの海の道は、王が死罪をもって鎖した秘事である。海図もなく、風も知らず、水汲み場のひとつも分からずに、地球を半周できるものではない。北の商人たちに欠けていたのは、船でも銀でも度胸でもない。ただ「知ること」——それだけであった。
されど、鎖はいつか綻びる。しかも綻びは、大砲の一撃ではなく、たった一冊の書物から始まったのである。その書物を書いた男の名を、ヤン・ハイヘン・ヴァン・リンスホーテンという。
時は一五八〇年代の半ば。ところはインドの西海岸、ポルトガル領ゴアである。
「黄金のゴア」と人は呼んだ。椰子の並木の向こうに大伽藍の鐘が鳴り、総督の館には絹をまとった貴人が出入りし、市場には阿拉比亜(アラビア)の馬、錫蘭(セイロン)の宝石、支那の陶磁が山と積まれる。東洋におけるポルトガルの都、その繁栄の頂であった。
その大司教館の一室に、ひとりの若い異国者が机に向かっている。歳のころ二十二、三。羽根ペンを走らせては、時おり手を止め、窓の外の湾に浮かぶ帆柱の林を眺める。オランダはエンクハイゼンの生まれ、名をヤン・ハイヘンという。兄を頼ってイベリアに渡り、縁あってゴア大司教の書記に雇われた、いわば風来坊である。
ポルトガルの帝国に、オランダ人が仕える。今日の読者には奇妙に聞こえようが、当時はさして珍しいことではなかった。オランダはこのころスペイン王の支配に叛旗を翻して独立の戦のさなかにあり、そのスペイン王フェリペ二世は一五八〇年、ポルトガルの王冠をも兼ねたばかり。敵の王の、そのまた属領で禄を食む——若者の身の上そのものが、時代の捻れを映していた。
ヤン・ハイヘンの職分は書記である。大司教のもとには、東洋全域の報せが集まってくる。マラッカの守りの薄さを訴える書状。モルッカで丁子の買い付けを仕切る役人の不正を糺す訴え。そして何より——航海の記録。
ある夕、彼は一人の老水先案内人と酒を酌んでいた。ゴアの水夫町の、油の匂いのする酒場である。
「若いの、帳面ばかり相手にしておると眼が腐るぞ」
「では何を相手にすれば」
「海よ」老人は杯を干した。「わしはインドの海を四十年渡った。モンスーンというやつはな、帳面には書けん。四月に南西の風が立てば、アラビアの海は帆を孕ませて船をインドへ運ぶ。十月を過ぎれば風は裏返り、こんどは船を西へ帰す。風に逆らう船乗りは、海の藻屑よ」
「では、風に順(したが)う航路を知る者が、海を制するのですね」
老人は若者の顔をじろりと見た。
「それを知るのはポルトガルの水先案内人だけだ。航路誌(ロテイロ)は王のもの。写しを異国に売れば首が飛ぶ。……だからこそ、この老いぼれた帝国はまだ立っておるのさ」
老人は空の杯を弄びながら、ふと遠い目をした。
「若いの、ジパングを知っておるか」
「マルコ・ポーロの、黄金の国ですか」
「黄金かどうかは知らんが、銀は本物だ」老人は声を落とした。「あの国の山からは銀が湧く。わしの知る船長は、マカオで支那の生糸を積み、ジパングで銀に替えて、一航海で家を三軒建てた。世界の果てのそのまた先に、まだ誰も汲み尽くしておらぬ泉があるのよ。——もっとも、その海の道を記した紙は、ゴアの文書庫の奥で錠前の中だがな」
錠前の中。ヤン・ハイヘンは杯を見つめた。その錠前の鍵を、大司教の書記たる自分は、日ごと手にしているのではないか。
「爺さん。もしもその紙が、錠前の外に出たら、どうなります」
老人はしばらく黙っていた。それから、若者がぎょっとするほど乾いた声で笑った。
「どうなるかだと。この港が空になるのよ。ゴアも、マラッカも、モルッカもだ。……だがな、案ずるな。百年、誰にもできなかった。紙は燃える、人は吊るされる、船は沈む。秘事というものはそうやって守られてきた」
「では、燃えず、吊るされず、沈まなかったら?」
「そのときは」老人は立ち上がり、若者の肩に節くれ立った手を置いた。「世界が変わるのだろうよ。わしが死んだ後にしてくれ」
老いぼれた帝国、と老人は言った。ヤン・ハイヘンは杯を置いた。彼自身、日々の帳面のなかにそれを見ていたからである。
ゴアの栄華は、張子の虎であった。本国から送られてくる兵は年々痩せ細り、砦の石垣は崩れたまま、役人は俸給の十倍を賄賂で稼ぎ、艦隊の船は板が腐っても修理の銀がない。マラッカからの書状は毎年同じことを訴えてくる——兵をよこせ、船をよこせ、と。そして本国からの返事も毎年同じであった——追って沙汰する、と。
百年の独占は、帝国を富ませたのではない。太らせ、そして緩ませたのである。
その夜、下宿に戻ったヤン・ハイヘンは、秘かに続けている手控えの束を行李の底から取り出した。そこには、彼が書記の職務のかたわら、数年をかけて書き溜めたものが眠っていた。
書き溜める、と一言でいうが、その実際は根気と怯えの積み重ねである。昼、大司教館の写字室で公文書を清書しながら、要となる数字と地名を頭に刻む。夜、下宿の蝋燭の下でそれを紙に落とす。航路誌の写しが机に載る日は滅多にないから、水先案内人の酒場話を拾い、港の荷役の口から積み荷の値を聞き、破船の生き残りから浅瀬の在り処を訊く。一夜に書けるのは、せいぜい紙の半枚。それを、五年。
窓の外を夜警の靴音が過ぎるたび、彼はペンを止めた。異端審問の府もあるゴアである。異国者の下宿から王の秘事を記した紙束が出れば、申し開きの席は法廷ではなく、火刑台の前になるやもしれぬ。それでも彼は書いた。なぜ書くのかと問われれば、当人にも判然とせぬまま、ただ、見た以上は書かずにおれぬ性(さが)であった。
インド航路の風と潮。喜望峰の回り方。モザンビークの水汲み場。ゴアからマラッカへ、マラッカから香料諸島へ、さらには支那、日本へと至る海の道筋。港ごとの水深、目印の山の形、商いの品と値、住民の気性——王が死罪をもって鎖してきた、帝国の秘事のすべてである。
盗んだのではない。彼は書記として、目の前を流れていく紙の川から、一滴ずつ掬い取っただけである。されどその一滴一滴が、やがて故国の海図となり、艦隊となり、百年の独占を突き崩す洪水となることを——このときの彼が、どこまで見通していたか。
後年、人は彼を「鍵を持ち出した男」と呼ぶ。だが本人は生涯、こう言い続けたという。
「わたしはただ、見たものを書いた。書いたものを、故郷の言葉で読めるようにしただけだ」
見たものを書く。ただそれだけのことが、国を傾ける。ペンは剣よりも強しとは後世の格言だが、この物語においては、ペンはまず剣より先に海を渡ったのである。
ところ変わって——大西洋のただなか、アゾレス諸島である。
一五八九年の初め、ヤン・ハイヘンは五年余を過ごしたゴアを離れ、胡椒を満載した帰国船団に身を投じた。大司教はすでに任を解かれて帰国の途上に没し、彼をインドに繋ぎ留めるものは、もう何もなかった。行李の底には、あの手控えの束がある。
だが海は、彼をすんなりとは帰さなかった。
アゾレス諸島テルセイラ島。ポルトガル船団が本国入りの前に風を待つ、大西洋の中継ぎの島である。ここでヤン・ハイヘンの船は積荷の胡椒に難を生じ、彼は荷主の名代として、島に足止めされることになった。ひと月やふた月ではない。実に二年余である。
されどこの足止めこそ、天の配剤であったと言わねばならぬ。
彼はこの島で、老帝国の黄昏を、桟敷から芝居を観るように眺め尽くしたのである。アゾレスの海は、イベリアの富が最後に通る隘路であった。インドの香料船も、アメリカの銀船団も、みなこの島影で風を待つ。そしてその富を狙って、イングランドの私掠船が鮫のように回遊していた。時あたかも、スペインの無敵艦隊がイングランド攻めに大敗した(一五八八年)直後である。海の力の釣り合いが、音を立てて傾きつつあった。
一五九一年の夏には、島の沖でひとつの海戦があった。イングランドの軍船リヴェンジ号がただ一隻、五十を超えるスペイン艦隊のただなかに取り残され、まる一昼夜、砲を撃ち尽くして戦い抜いた末に降った。艦長サー・リチャード・グレンヴィルは傷ついて敵艦上に死に、その船も数日を経ず嵐に呑まれて沈んだ。
島の桟橋には、引き揚げられたイングランドの捕虜たちが繋がれて座っていた。ヤン・ハイヘンは荷主名代の身分を利して桟橋に出入りし、水と麺麭(パン)を差し入れては、ぽつりぽつりと話を聞いた。潮に灼けた若い水夫が、割れた唇で言ったことばを、彼は手控えに書き留めている。
「うちの艦長は狂人さ。五十三隻を相手に、退くのを恥じたんだからな。……だがね、旦那。スペインの大船は図体ばかりで、砲の回しが遅い。俺たちの砲は三度撃つ、向こうは一度だ。一隻でこれなら、と思わないかい」
——一隻で一昼夜、堪えたのか。
その夜、ヤン・ハイヘンは丘に登り、湾に犇(ひし)めくスペイン船団の灯りを見下ろした。数だけならば、海を覆うほどにある。だがその灯りのひとつひとつが、腐った船板と、払われぬ俸給と、痩せた水夫を照らしているのを、彼はゴアの帳面で知っていた。
ならば十隻なら、どうなる。百隻なら、どうなる。イベリアの海の壁は、もはや石ではない。芝居の書割(かきわり)である。
一五九二年九月、ヤン・ハイヘンはついに故郷エンクハイゼンの土を踏んだ。旅立ちから、実に十三年が経っていた。
出て行ったときは十六の少年、帰ってきたのは陽に灼けた三十路の男である。母は倅の顔がわからず、名乗られてようやく、台所の敷居の上で泣き崩れたという。町は変わっていなかった。鰊の匂い、風車の軋み、日曜の鐘。だが変わっていないのは見かけだけで、酒場の話題は昔と違った。アントウェルペンから逃れてきた商人の羽振り。スペイン王の港湾封鎖で干上がった胡椒の値。そして、南方への航路を探るべしと説いて回る、どこぞの熱心な牧師の噂。
——待たれていたのだ、と彼は思った。おれではない。おれの行李が。
さて、ここからが本題である。
エンクハイゼンはゾイデル海に面した鰊(にしん)漁の町である。帰郷した彼を、町は温かく迎えた。だが彼の行李の中身の噂は、鰊よりも速く泳いだ。北の海の測量で名高い町の学者が訪ねてくる。アムステルダムからは地図彫りの版元が来る。そしてある日、黒衣の牧師が戸口に立った。
ペトルス・プランシウス。カルヴァン派の説教師にして、当代オランダ随一の地理学者である。日曜には神の国を説き、月曜には水夫たちに星の測り方を教えるという変わり種で、東方への航路開拓を唱えて回る、いわば燃える炭のような男であった。
「ヤン・ハイヘン殿。あなたが持ち帰ったものを、国のために刊行なさい」
「刊行、ですと」若者は苦笑した。「ポルトガル王が死罪で鎖してきたものを、印刷して市中で売れと仰る」
「左様」プランシウスは眉ひとつ動かさない。「秘事は、独りが握れば宝だが、万人が読めば道になる。あなたは宝を持ち帰ったのではない。道を持ち帰ったのです」
版元はアムステルダムのコルネリス・クラースゾーンと決まった。原稿は膨れに膨れた。東洋の国々の風土人情を記す部、ポルトガル帝国の内実を暴く部、そして肝心要の、航路と海図の部——後の世に『東方案内記(イティネラリオ)』と総称される大著である。
その紙面には、まだ誰も故郷の言葉で読んだことのない世界が並んでいた。ゴアの市場の値段表。マラッカの潮の癖。ジャワの王たちの気性と、賄賂の相場。そして東の果ての島国ジパング——住民は礼節を重んじ、誇り高く、侮辱を死をもって雪ぐこと、銀の産出が夥しいこと。日本の姿もまた、この一冊によって初めて、低地の国の炉端に届けられたのである。
ここでひとつ、注目すべきことが起こる。
版元と学者たちは、全巻の完成を待たなかった。航路の部だけを切り離し、『水路誌』として先に刷り上げてしまったのである(一五九五年)。なぜ急いだか。理由は簡単である。——船が、出るからである。
時は少し遡る——アムステルダムの商人たちは、ヤン・ハイヘンの帰国前から動いていた。リスボンに人を送り、東方の商いの内情を探らせていたのである。
その密偵の名をコルネリス・デ・ハウトマンという。表向きは商用の逗留、その実、香料航路の値と道筋を嗅ぎ回る間諜であった。だがこの男、腕よりも山気の勝った質(たち)であったらしい。リスボンで足がつき、牢に繋がれたと伝える者がある。故郷の商人たちは身代金を積んで彼を請け出した——ただし、ただでは請け出さない。牢の中と外で見聞きしたことのすべてを、耳の穴まで浚って持ち帰ること。それが身代金の条件であった。転んでもただでは起きぬどころか、転んだ男の懐まで検(あらた)める。これがアムステルダム商人という人種である。
そして一五九四年の春、アムステルダムの一室に九人の商人が集った。毛織物で財を成した者、アントウェルペンから逃れてきた者、鰊で身代を築いた者——出自はばらばらだが、卓上の紙は一枚である。曰く、金を出し合い、船四隻を仕立て、香料の島へ直航する。会社の名は「遠国会社」。
「勝算は」と、ひとりが問うた。
「三つある」と、いちばんの年嵩が答えた。「エンクハイゼンの男が持ち帰った海の道。リスボン帰りの男が持ち帰った商いの値。そして——ポルトガルがもはや、百年前のポルトガルではないことだ」
ポルトガルの百年の独占への、正面からの挑戦である。
かくて一五九五年の春、テセル島の錨地に四隻の船が集った。マウリティウス号、ホランディア号、アムステルダム号、そして小柄な快速船ダイフケン号——「小鳩」の名を持つこの末の船が、後の世にいかなる海を飛ぶことになるかは、いずれ語る折もあろう。
積み込まれる樽と大砲のあいだを、刷りたての『水路誌』が水夫長の手から航海士の手へと渡ってゆく。インクの匂いも新しいその紙束こそ、百年のあいだ王の金庫に眠っていた海の鍵、その複製であった。
鍵は、もはや一本ではない。刷られた数だけ、ある。
集った乗員の顔ぶれは、正直に言って、粒揃いとは言い難かった。鰊船あがりの水夫、借金から逃げてきた男、牢と船とどちらがましかで船を選んだ与太者。地球を半周する大事業に、名のある船乗りはまだ命を賭けない。賭けるのは、失うもののない者と、失うものを数えない者だけである。
岸壁には黒衣のプランシウスが立ち、星の測り方を最後まで航海士に説いていた。
「南の空にはな、北極星がない。代わりに十字の形の星が出る。それを見失うな。——それから、これがいちばん肝要だが」牧師は声を張った。「現地の民と、争うな。諸君は征服に行くのではない。商いに行くのだ。ポルトガル人が百年かけて溜めた恨みが、諸君の追い風になる。その風を、自分の手で殺すでないぞ」
航海士たちは神妙に頷いた。この訓(おし)えがどれほど守られなかったかは、次回に見るとおりである。
人垣の後ろには、エンクハイゼンから出てきたヤン・ハイヘン・ヴァン・リンスホーテンの姿もあったと、伝える者がある。自らは二度と東洋の土を踏むことのなかったこの男は、出てゆく帆を見ながら何を思ったか。
四隻、乗員二百四十九名。率いるは、かのリスボン帰りの密偵コルネリス・デ・ハウトマン。だが読者諸賢、あらかじめ申し上げておかねばなるまい。この船出は、栄光の門出とはならぬ。飢えと、壊血病と、仲間割れと、抜き身の刃が、四隻を待ち受けている。二年半ののち故国の岸に帰り着く者は、三人にひとり。
されど歴史とは皮肉なものである。この惨憺たる航海こそが、オランダの黄金の世紀の、産声となるのだ。
四隻の船はいかなる地獄を巡り、いかにして胡椒を持ち帰るのか。そしてリスボンの牢を知る男ハウトマンの正体やいかに。次回「ハウトマン万里に波濤を越え 半死の船胡椒を積みて還る」を待たれよ。
(第一回 了)

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