東印度演義 第二回
ハウトマン万里に波濤を越え 半死の船胡椒を積みて還る
前回、テセル島の錨地に四隻の船が集い、刷りたての『水路誌』が水夫長の手から航海士の手へと渡ったところまでを語った。
一五九五年四月二日。風ようやく北東に定まり、マウリティウス号、ホランディア号、アムステルダム号、そして小柄な快速船ダイフケン号の四隻は、乗員二百四十九名を載せて、静かに錨を上げた。
岸壁に歓呼の声は、思いのほか少なかったという。見送りに立ったのは、水夫の女房子供と、金を出した商人と、貸した金の行方を案じる金貸しである。行く先は喜望峰の彼方、いまだ一隻のオランダ船も生きて帰ったことのない海である。歓呼するには、賭け金が重すぎたのであった。
船倉には、東方で売るための品々が積まれていた。ところがその中身が振るわない。厚手の毛織物、ビロード、鏡、硝子の杯、剃刀に眼鏡。北の海の商いならばいざ知らず、赤道直下の島々で、誰が厚手の毛織物を欲しがるものか。九人の商人は海の道こそ手に入れたが、売り先の暑さまでは、まだ帳簿で知らなかったのである。この的外れの積荷が後々まで商いの足を引くことになるのだが、船出の朝には、誰も気づいていない。
舷側では、古参の水夫が新入りの若者に話しかけていた。
「餞別に何をもらった」
「お袋が、聖書と、干した林檎を」
「林檎は早めに食え。聖書は最後まで取っておけ。……順が逆になった奴を、俺は何人も見た」
さて、この船団、指揮の仕組みからしてすでに奇妙であった。
提督がいないのである。総司令もいない。あるのは「船上評議会」である。遠国会社の九人の商人は、航海の大事をことごとく、船長と上級商務員たちの合議に委ねた。十数人が船尾の狭い一室に額を突き合わせ、針路も、商いも、刑罰も、評決で決める。商人の理屈から言えば、これほど理に適った仕組みはない。一人の独断で身代を沈められては堪らぬからである。だが海の理屈から言えば、これほど危うい仕組みもない。嵐は評決を待ってくれぬし、人というものは、狭い船板の上に長く閉じ込められると、理屈より先に憎しみを覚える生き物だからである。
その評議会の首席商務員が、コルネリス・デ・ハウトマン。かのリスボン帰りの密偵である。
前回に触れたとおり、この男、腕よりも山気の勝った質である。商いの値には明るいが、人の情には暗い。声が大きく、拳が固く、おのれより弱い者への遠慮というものを、母の胎内に置き忘れてきた。そして厄介なことに、評議会にはこの男と同格を任じる者が幾人もいた。船はまだ故国の灯りが見えるうちから、火種を積んでいたのである。
出航からひと月あまりは、順風であった。カナリアの沖を過ぎ、アフリカの西岸に沿って南へ下る。だが赤道に近づくにつれ、風が死んだ。
無風帯である。帆は力なく垂れ、甲板の瀝青は日に溶け、樽の水は緑に濁って蛆が湧いた。船は一日に一里も進まぬ。塩漬けの肉は樽の中で異臭を放ち、堅麺麭には虫が巣くった。水夫らは焼けた甲板に転がり、聖書の言葉と呪いの言葉を、ほぼ等分に呟いた。
そして、病が来た。
読者諸賢、壊血病というものをご存じか。長の航海に必ず現れる、船乗りの宿痾である。初めは物憂さと、歯茎の腫れに始まる。やがて歯茎は黒ずんで腐り、歯がぽろぽろと抜け落ち、癒えたはずの古傷が幾年ぶりかに口を開く。脚は斑に染まって膨れ上がり、しまいには、船の揺れに骨が耐えられぬようになる。今日でこそ野菜と果実の欠乏が因と知れているが、当時は誰も知らない。神罰と言う者があり、海の瘴気と言う者があり、船医の手立てといえば祈りと瀉血——つまるところ、何もなかったのである。
七月も末、船団はようやく喜望峰を望んだ。岬の名は「良き希望」という。だが檣楼からその山影を認めたとき、四隻の船倉にはすでに数十の病人が呻いていた。希望の岬の沖で、最初の水葬が営まれた。帆布に包まれた骸が舷を滑るたび、牧師代わりの商務員が聖句を読み、水夫らは帽子を胸に当てた。読み上げる聖句の頁が、航海の進むにつれて、手垢で黒ずんでいった。
夜。マウリティウス号の艫に、ひとり天を仰ぐ男がいた。上級航海士、ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセルである。手には真鍮の測角儀。傍らには帳面を抱えた若者が控えている。首席商務員の弟、フレデリック・デ・ハウトマン——兄に似ず、拳より帳面を好む学問好きである。
「ケイセル殿。北極星が、もう水平から拾えませぬ」
「拾えぬでよい。ここから先は、あれを使う」
ケイセルの指す先、南の中天に、四つの星が十字を組んでいた。
「出航の朝、プランシウス師が岸壁で説いておられたであろう。南の空には北極星がない、代わりに十字の星が出る、それを見失うな、と。——だがな、フレデリック。師はわしに、もうひとつ宿題を下された。十字のまわりの空は、まだ誰の海図にも載っておらぬ。名のある星が、ひとつもない。測って帰れ、南の空を残らず持って帰れ、とな」
若者は夜空を見上げた。故郷の空とはまるで違う、知らぬ星ばかりの空である。心細さに似たものが胸をよぎったが、老航海士は楽しげであった。
「考えてもみよ。アダムこのかた、誰も名を付けておらぬ星だぞ。わしらが測れば、わしらの星になる」
病と諍いの船団にあって、この艫の一角だけは、夜ごと静かな学問所であった。測角儀が星をひとつ捉えるたび、帳面に数字がひとつ増える。南天の星表は、こうして波の上で綴られていったのである。
九月、船団はマダガスカル島の南西、聖アウグスティヌスの湾に錨を下ろした。水と生鮮の糧を得て、病人を癒すためである。だがこの停泊が、癒すどころか、船団の血を吸った。
土地の民との商いは折り合わず、糧は思うに任せぬ。病人は端舟で浜に運ばれたが、浜の小屋で癒える者より、浜の砂に葬られる者のほうが多かった。湾を移り、島の北東アントンヒルの湾に廻っても、事情は変わらない。錨を下ろしたまま、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎる。埋められた仲間の数は、やがて七十を超えた。水夫らはかの入江を「オランダ人の墓場」と呼んだ。
なぜ、かくも長く停まったのか。風待ちのせいばかりではない。評議会が、割れていたのである。
議事録には、剣呑な文字が混じり始める。先を急げと言う者、病人を癒せと言う者、糧を力ずくで奪えと言う者。上級商務員の一人が急な病で死ぬと、毒を盛られたのだと囁く者が出た。ハウトマンは、かねて折り合いの悪かった船長格の一人を、謀叛の廉で鎖に繋いだ。敵はまだ一人も現れていないのに、船団はすでに戦を始めていたのである。
一五九六年の年明け、船団はようやくマダガスカルを離れ、インド洋をまっすぐ東へ切った。ここで初めて、あの紙束が真価を見せる。ポルトガルの船ならば、インドの西岸に寄り、ゴアを経て、マラッカの海峡を通るのが定めの道である。だがそれは、敵の庭を真横に横切ることに他ならぬ。『水路誌』は説いていた——マラッカを避けよ、ジャワの西、スンダの海峡を行け、と。喜望峰からモンスーンに乗って大洋を一気に東へ渡り、敵の砦のひとつも見ずに香料の海へ入る道筋である。ヤン・ハイヘンが五年をかけて一滴ずつ掬い取ったものが、いま二百に足りぬ命を載せて、羅針盤の代わりを務めていた。浅瀬の見立てには、きまって喫水の浅いダイフケン号が先に立った。小鳩はよく飛び、よく生き残ったのである。
六月、檣楼の見張りが陸を叫んだ。ジャワである。テセルの船出から、実に十四ヶ月が経っていた。
ところ変わって——ジャワは西端の港、バンテンである。
バンテンは、このころ胡椒の海の都であった。湾には支那のジャンクとグジャラートの商船が檣を並べ、椰子の葉葺きの市場には胡椒の俵が山と積まれ、支那人町の秤の音が朝から晩まで絶えない。大寺院の塔が港を見下ろし、王城の門前には香料を商う諸国の者が列をなす。王はまだ幼く、政は摂政の手にある。そしてこの町の桟橋にもまた、ポルトガルの逗留商人が店を構えていた。百年の独占の、いわば末端の毛細である。
見慣れぬ四隻の帆が湾に入ったとき、町は騒然となった。南蛮人ならぬ紅毛人、しかもポルトガルの旗ではない。摂政は使いを立てて来意を問うた。答えて曰く、われらはオランダの商人である、胡椒を求めてはるばる参った、と。
摂政は、内心この来訪を喜んだと伝えられる。ポルトガルはこのところ居丈高で、買値も渋い。買い手が二人になれば、値は売り手のものになる。商いのこの理は、ジャワの宮廷とて先刻承知である。かくて紅毛人は上陸を許され、贈物を交わし、胡椒の商いが始まった。
始まりは、上々であったのだ。壊れたのは、ひとえに人によってである。
まず、積荷が笑われた。赤道の港に厚手の毛織物を並べたのだから、無理もない。支那人町の老いた仲買人が、扇を使いながらハウトマンに囁いた。
「旦那。この布は良い布だ。だが、この町で布より高く売れるものを教えて進ぜよう。——礼儀でございますよ。摂政様への贈物を惜しまぬこと、値を言われたら三日は笑って聞くこと。この港では、それが何よりの元手になる」
ハウトマンは鼻で笑った。笑って、逆をやった。
摂政の示した胡椒の値を、市場の衆目の前で高すぎると嘲り、宮廷への贈物を値切り、そのくせ商いを急かした。家来の水夫どもは酒の上で町の者と悶着を起こす。ジャワの宮廷は面目を何より重んじる。胡椒の値は下げようもあるが、いちど潰された顔は、上げようがないのである。
そこへ、ポルトガルの商人たちが油を注いだ。曰く——あの者どもは商人にあらず、海賊の先触れである。四隻は物見に過ぎず、やがて後続の艦隊が来て、この町を奪うつもりである、と。讒言というものは、まことしやかな半分の真実を混ぜるほどよく効く。事実、紅毛の船は商船と呼ぶには砲門が多すぎた。
八月も末、摂政は断を下した。上陸していたハウトマン以下十数名が、あるじの変わらぬ笑顔の宴席から、そのまま捕縛されたのである。
牢の格子の中で、ハウトマンは吼えた。だが吼えながら、当人も気づいていたであろう。リスボンに次いで、これで二度目の牢である。地球を半周して、辿り着いた先がまた牢とは。この男の山気は、どうやら牢の匂いと縁が切れぬらしい。
船に残った評議会は、例によって割れた。身代金を払えと言う者、砲で取り返せと言う者。議論は数日空転し、しまいに船団は、およそ考えうる限り最悪の道を選んだ。——両方やったのである。
砲門が開き、バンテンの町に弾が降った。桟橋の家々が燃え、湾内の舟が襲われた。そのうえで使者が立ち、銀貨を積んで囚人を請け出した。ハウトマンは生涯二度目の身代金で娑婆に出たわけだが、代価は銀貨だけでは済まなかった。町との商いが、砲声とともに死んだのである。
読者諸賢、ここで出航の朝を思い出されたい。岸壁で黒衣の牧師が声を張っていた。——現地の民と争うな。諸君は征服に行くのではない、商いに行くのだ。ポルトガル人が百年かけて溜めた恨みが、諸君の追い風になる。その風を、自分の手で殺すでないぞ、と。
プランシウスの訓えは、最初の港で、最初に破られた。追い風は、たしかに吹いていたのである。摂政が紅毛の来訪を喜んだ、あのひと月余りがそれであった。その風を殺したのは、ポルトガルの讒言が半分、ハウトマンの傲岸が半分——いや、正直に言おう。砲を放ったその瞬間に、風は根から死んだのだ。
それでも胡椒は、いくらか船倉に入っていた。捕縛の前の商いと、湾を離れてのちの小口の買い付けとで、俵の山とは言えぬまでも、袋の列はできた。だが、この先どうするか。バンテンで買えぬなら、東へ行くほかない。船団はジャワの北岸に沿って、当てのない東航を始めた。
ひとつ、書き添えねばならぬことがある。バンテンの泊地に停まっていた頃、あの星測りの老航海士ケイセルが、病を得て没した。南の空を測り終えた男は、その南の星の下に葬られたのである。数百の星を収めた帳面は、弟子のフレデリック・デ・ハウトマンの行李に納められて、なお海を渡り続けた。この星表がやがてアムステルダムの天球儀の南天を飾り、名もなかった南の星々に、くじゃく、とびうお、ふうちょうといった名が与えられることになるのだが——それはまた、別の話である。
ところ変わって——ジャワ北岸、東への海である。
東航は、初手から呪われていた。シダユの泊地では、夜、川を溯って糧を求めた一隊がジャワの舟に襲われ、船長格の者を含む十二名が殺された。バンテンの砲声が先回りして伝わっていたのだとも、ポルトガルの手が回っていたのだとも言う。いずれにせよ、紅毛人はもはや、この海のどの港でも「客」ではなかった。
そしてマドゥラの島沖で、取り返しのつかぬことが起こる。
島を治める貴人は、争いを好まなかった。見慣れぬ大船の来航を聞くと、戦支度ではなく、飾り舟を仕立てさせた。舳先に彩色の幕を張り、楽人に銅鑼と笛を持たせ、贈物の果実を積んで、貴人みずから沖へ漕ぎ出したのである。舷を寄せて礼を交わし、商いなり、水と糧の便宜なりを計ろうという、いわば領主手ずからの出迎えであった。従う小舟の者たちは晴れ着をまとい、銅鑼の音は祝いの調べで波の上を渡っていった。この海の礼法では、それが客を迎える作法だからである。
だが、シダユの血がまだ乾いていない紅毛の甲板では、その銅鑼が戦の合図に聞こえた。近づく舟の数が、多すぎるように見えた。誰かが叫び、誰かが火蓋を切り——マウリティウス号の舷側が、火を噴いた。
一斉射である。飾り舟は幕もろとも砕け、楽人は楽器を抱いたまま海に沈み、出迎えの貴人その人も、贈物の果実の間に倒れて、再び起き上がらなかった。射撃が止んだあとの海面に浮かんでいたのは、割れた銅鑼と、彩色の幕の切れ端と、主を失って波間を漂う果実ばかりであった。生き残って岸に泳ぎ着いた楽人の一人は、後々まで問われるたびにこう答えたという。——われらは歌っていた。歌の途中で、海が火を噴いた。あれが商人だと言うなら、この世に海賊は要らぬ、と。
歓迎の楽の音に、舷側斉射をもって応える。世界のいかなる礼法にも、これほどの非礼はあるまい。しかもこの一件、評議会の誰一人として、はっきりと命じた者がいないのである。恐怖が引金を引き、合議の仕組みが責めの在り処を溶かした。後の査問でハウトマンは同僚を責め、同僚はハウトマンを責め、結局のところ、海に沈んだ者たちだけが、弁明の席を持たなかった。
ジャワの海は、紅毛人に対して閉じた。もはやどの港も商いの舟を出さず、出すとすれば夜討ちの舟であった。船団は港から港へ、追われるように東へ流れた。
船団の内側も、限界に来ていた。二百四十九で出た乗員は、病と刃とでもはや百を大きく割っている。四隻を操るには、手が足りぬ。評議会は苦い評決を採った。いちばん傷んだアムステルダム号を、捨てる。荷と大砲を三隻に移し、火を放つのである。
一五九七年一月、ジャワ沖の夜の海に、アムステルダム号は燃えた。帆柱が火の柱となり、炎は帆桁を伝って夜空を焦がし、やがて轟音とともに海面が閉じた。故郷の都の名を負った船の最期を、水夫らは三隻の舷に鈴なりに並び、誰ひとり口をきかずに見送ったという。
残る三隻は東へ流れ、二月、バリの島に錨を下ろした。
ここで船団は、思いがけぬものに出会う。——歓待である。
バリはジャワと狭い海峡ひとつ隔てて、風儀を異にする島であった。讒言もここまでは届いておらず、島の王は遠来の珍客を喜び、米と、豚と、椰子の酒とを、惜しみなく舷に送ってよこした。半死の水夫らにとって、それは楽園の名に値した。歯茎の腐った男たちが、青々とした果実を頬張って泣いたのである。
ハウトマンでさえ、この島では別人のようであった。王と杯を交わして上機嫌に語らい、この島に「若きオランダ」なる渾名まで献じている。もっとも肝心の胡椒はバリには乏しく、商いの実りは薄い。それでも船団が人心地を取り戻したのは、ひとえにこの島の恩である。錨を上げる段になって、水夫が二人、姿を消した。船を捨て、島に残ったのである。連れ戻せという声は、ないに等しかった。責める気に、誰もなれなかったのだ。
帰り道を、長々と語る必要はあるまい。往路に骨を埋めた道を、三隻は黙々と引き返した。喜望峰を回り、大西洋を北へ。水は腐り、病はまたも船倉に巣くったが、男たちはもう驚かなかった。地獄は、二度目には日常になる。
一五九七年八月十四日。テセル島の沖に、三つの帆影が現れた。
報せは風より速く走った。マウリティウス号、ホランディア号、ダイフケン号。二年と四ヶ月半ぶりの帰帆である。だが湾に入ってくる三隻の姿は、凱旋と呼ぶにはあまりに痛ましかった。帆は継ぎはぎだらけ、船腹は藻と貝に覆われ、帆を畳む手すら足りず、錨を下ろすまでに人並みの倍の時を要した。
生きて故国の土を踏んだ者、八十七名。二百四十九のうち、およそ三人にひとりである。しかもその幾人かは、桟橋に足をつけたとたんに崩れ落ち、戸板で家に担がれて帰った。桟橋には二年半分の女房たちが詰めかけ、八十七の顔の中に亭主を見つけた者は泣いて笑い、見つけられなかった者は、ただ立ち尽くした。鐘は鳴った。祝いの鐘と、弔いの鐘とが、同じ塔で続けて鳴らされたのである。
アムステルダムの帳場では、九人の商人が帳簿を検めた。船倉から揚がったのは、胡椒数百袋と、僅かな肉荳蔻と丁子。競売の値を立て、持ち帰った船と砲の値を足し、二年半の費えを引く。長い算盤の音がやんで、いちばんの年嵩が呟いた。
「……損は、出なんだ」
「それだけですか」と、若い商人が失望を隠さなかった。「百六十余りの命と、船一隻と、二年半をかけて。損が出なんだ、それだけですか」
「それだけ、ではない」年嵩は帳簿を閉じた。「わしらは昨日まで、三つのことを知らなんだのだ。オランダの船は、香料の海まで行けるのか。行った先で、胡椒は買えるのか。そして——ポルトガルは、それを止められるのか」
一同は黙った。
「行けた。買えた。そしてポルトガルは、往きにも帰りにも、ただの一隻も現れなんだ。百年の独占の番人が、ただの一度も、だ。この帳簿の儲けは薄い。だがこの三つの答えは、金山より重い」
これが、アムステルダム商人の目というものである。世人はこの航海を、惨憺たる成功と呼んだ。死者の列を見れば惨憺、帳簿を見れば辛うじて成功——そして翌年の港を見れば、疑いようのない大成功であった。
首席商務員ハウトマンの評判は、言うまでもなく散々である。査問の席では船長らと責め合いになり、バンテンの牢とマドゥラの砲火の責めを問われた。だがこの時代の常として、罰よりも先に、次の口がかかった。何しろ喜望峰の先まで行って帰った男は、国中を探してもまだ一握りしかいない。経験は、それだけで値が付いたのである。
帰帆の報せは、エンクハイゼンの一軒の家にも届いた。ヤン・ハイヘン・ヴァン・リンスホーテンである。この男、当のオランダ船団が南の海で死闘を演じているあいだ、こんどは北回りの東方航路を探る探検に加わり、氷の海から生きて戻っていた。テセルに三隻が帰り着いたと聞いたとき、彼は何を言うでもなく、ただ長いこと、窓の外の灰色の海を眺めていたという。机の上で書いた一行一行が、地球をぐるりと回って、胡椒の袋と百六十余りの死者とを連れて帰ってきたのである。紙とは、思ったよりも重いものであった。
果たして、堰は切れた。
帰帆の報せが諸都市を駆け巡ると、アムステルダムで、ロッテルダムで、ゼーラントの町々で、商人たちが我先にと金を出し合い、新たな船団の艤装を始めた。翌一五九八年、オランダの港から東方へ向かった船は、実に五つの船団、二十二隻。ハウトマンの四隻が地獄を見ながらこじ開けた戸口に、いまや誰も彼もが殺到したのである。
だが、と、ここで講釈師は扇子を置かねばならぬ。買い手が群がれば、ジャワの港の胡椒は競り上がる。売り手が群がれば、アムステルダムの市場の胡椒は崩れ落ちる。同胞どうしが東の港で値を吊り上げ合い、西の市場で互いの首を絞め合う——百年の独占を破りに行った者たちが、こんどは共倒れの淵に立つのである。
さて、雨後の筍のごとく乱立した諸会社はいかに争い、そして誰が、いかなる思案をもってこれを一つに束ねるのか。次回「先遣諸会社利を争いて共に倒れ 賢相合同の策を献ず」を待たれよ。
(第二回 了)

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