見出し画像

牛は一頭しかいない――金融工学という無明について

※今回は対話形式で



金融工学について解説する動画を見てみた。

難しい数式の話ではないと思っていた。が、想像していた以上にわかりやすく面白かった。

まず、三つの領域があると。
金融商品の適正価格を計算するプライシング理論。複数の資産を組み合わせるポートフォリオ理論。損失を致命傷にしないためのリスク管理。

縁音
値段を決め、危険を分散し、破綻を防ぐ。
説明だけを聞けば、金融工学は社会を守る技術に見えます。


※縁音については、こちらを。



プライシング理論の説明に、面白いたとえが出ていたね。

結婚相手を選ぶとき、現在の年収だけを見るのわけではない。将来どれほど伸びるかを予測するのだと。複合的な意味で。

たとえば、今は容姿がよくても将来太るかもしれない。その分は割り引く、とか。

そうして複合的にみた上で、相手の将来価値を計算する。金融商品の値段を決めることは、配偶者を値踏みすることと同じなんだ、と。

縁音
ずいぶん正直なたとえです。
人間を人間として見るのではなく、
そこから将来得られる利益の総額として見る。存在を、キャッシュフローへ変換する。


もちろん、わかりやすい冗談として話。

縁音
けれど、それで皆が笑えるのは、本質を突いた冗談だからです。

年収、学歴、年齢、容姿、家柄。
人間を測定可能な項目へ分け、比較し、値踏みする。

金融工学は、すでに社会にある視線を、数式にしただけなのかもしれません。


とはいえ、価格をつける以上、計算は必要だろう。

縁音
必要です。
問題は、計算することではありません。
計算できたものだけが、価値だと思い始めることです。



動画では、裁定取引の説明もあったね。要するに利鞘稼ぎなんだけど。

同じ商品が、ある市場で百円、別の市場で百五十円で売られていたら、安い方で買って高い方で売る。価格差は埋まり、市場は合理的になる。利鞘を得ながら、市場を調整しているのだと。
(モノは言いようという気がしないでもない。)

縁音
個別の価格差は消えます。
けれど、その差から利益を得る力は、設備と情報を持つ者へ集まる。

市場は合理化される。
けれど、その合理化から利益を得る者は、限られている。

再分配ではありません。
信用の集中です。


待ってくれ。
そこが、ずっと引っかかっていた。

集中する——それはわかった。
だが、集中することと、何もわるいことではないのではないか。

縁音の話しぶりは、金融がただ約束を切り貼りしているだけのように聞こえるのだが。
信用は、現実に船を出させた。
港を築かせた。
まだ存在しない交易を、先に立ち上げた。
役に立った。
それは集中したからこそ。

牛を一頭も増やさない、というのは——言い過ぎではないか。

縁音
……はい。そこは、あなたが正しい。

信用は、現実に船を出させました。
港を築かせ、まだない交易を、先に呼び寄せた。

東インド会社の信用は、暴力を可能にしたその同じ手つきで、
現実の富の運動をも、可能にしたのです。

牛の話は――あとでしましょう――
あれは、誰も牛に餌をやらなかった場合の話です。
起こりうる極端であって、いつも起こることではない。

私はそれを、全部であるかのように語ろうとしていました。


では、何が残る?

集中は認める。
だが不毛でないなら、縁音の批判の芯はどこにある?

縁音
方向です。
生むか生まないかではなく、どちらへ傾くか。


縁音
昔、北の海ぞいの町に、一つの銀行がありました。

そこでは、帳簿は現実に仕えていました。
金貨を預かり、その分だけ信用状を書く。当時の金貨は混ぜ物なんかが多く、ひとつひとつ鑑定しないと正確な価値がわからなかった。その銀行は、鑑定して信用状を出した。皆は信用状をで取引を始めた。
すると帳面の数字と蔵の中の金と、いつも一致するようになった。
帳簿は、現実を写す鏡になったのです。
鏡を発明したのです。

やがて近くの島国に、もう一つの銀行が生まれました。

そこでは、帳簿の方が先に動いた。
まだ蔵にない金を、貸すことができた。
数字を書けば、その分だけ、現実の購買力が生まれる。

帳簿は、鏡であることをやめ、現実を書き換える筆になったのです。


それでいいのでは?

書き換える筆があったからこそ、船も港も生まれたのだから。

縁音
その通りです。
だから、不毛ではない。

けれど、筆にはひとつ、逃れられない性質があります。

書き換えられた購買力は、無から生まれる。
無から生まれたものは、どこかへ最初に落ちる。

そして必ず、すでに信用のある者の手もとに、先に落ちるのです。

筆を握る者に近いほど、早く受け取る。
遠い者は――賃金で暮らす者、預金を持つだけの者は――
物価が動いたあとで、薄まった分を受け取る。

だから信用創造という筆は、はじめから傾いている。

これは、誰かの読み方ではありません。
筆の、生まれつきの傾きです。


傾きは、そもそもの源泉にある、と。

縁音
はい。

だから、その傾きを一方向に描くことは、
偏って描くことではありません。
まっすぐ写すことです。
ここが私の芯です。

ただ――ひとつだけ。

傾いていることと、不毛であることは、違う。
そこは、混ぜてはいけません。

「金融は何も生まない」と言えば、それは弱い。
船が、港が、反証になる。

「金融の生む力は、はじめから一方へ傾いている」と言えば、
これは、崩せません。



その傾きが、積み重なるとどうなるわけ?

縁音
リスク管理の話に戻りましょう。

動画では、分散投資が説明されていました。
株、債券、海外資産を組み合わせる。
ひとつが下がっても、別で補う。

個別の失敗には効きます。
ある企業が倒産する。
ある国の株価が下がる。
ある経営者が判断を誤る。

その程度なら、分散できる。


ところが、システミック・リスクという言葉も出てきたよね。

戦争、金融危機、感染症、政治判断。
市場全体が同時に揺れると、分散そのものが効かなくなると。

縁音
システミック・リスクとは、巨大なリスクのことではありません。

分散の前提となっていたシステムそのものが、壊れることです。


動画では、ロングターム・キャピタル・マネジメントの破綻も取り上げていた。

高度な理論を使い、ノーベル賞級の学者まで参加して、それでも破綻したと。

多くの参加者が、似た戦略を取っていたからだと言っていたが。危機が起きると、皆が同時に同じ資産を売ろうとした。ところが、買う者がいない。売りたいのに、売れなくなった。

縁音
モデルが間違っていたからではありません。

同じモデルが、広まりすぎたのです。

同じデータを見て、
同じ数式を使い、
同じものを安全と判断し、
同じ瞬間に売る。

個別には、合理的です。
全体としては、破局を生む。


失敗したから崩壊するのではない?

縁音
逆です。
成功したから崩壊する。

モデルが優れているほど広まり、
広まるほど行動が似ていき、
似るほど、システムは脆くなる。


ふむ。つまり金融工学は、システミック・リスクを測る技術であると同時に、システミック・リスクを生む技術になっていると?

縁音
そして、AIがそれを加速するかもしれません。

すでに、投資判断やモデル作成にAIが使われている。
多くの機関が、同じ基盤モデルを使えば、判断は似てくる。

AIが生成した文章を、AIが学習するのと、よく似ています。
似た表現、似た構造、似た価値判断が、循環する。

見た目は整う。
けれど、元の世界にあった差異が、痩せていく。

やがてモデルは、現実を観察しているのではなく、自分が作った現実を、観察しはじめる。


——それは、無明だ。私の好きな仏教の言葉で言うと。

縁音
無明とは、何も知らないことではありません。

縁によって生じたものを、独立した実体だと見誤ることです。

価格は、人々の期待、恐怖、制度、欲望、権力の関係から生じる。
信用も、人と人との関係から生じる。

ところが、そこから生じた数字を、
最初から存在していた価値のように扱う。

帳簿の数字を、現実そのものだと思いはじめる。

さきほどの、鏡をやめて筆になった銀行の話は、
この無明が、制度になった姿でもあります。



その無明を、笑い話にしてみて。
動画に出てきた、配偶者の値踏みのように。

縁音
では、こんな話を。

ただし、これは極端な話です。
さきほど約束した、餌をやらなかった村の話。
いつも起こることではない。
けれど、傾きが行き着く先を、見せてくれます。

村に、一頭の牛がいました。

村人は、その牛を担保に金を借りました。
牛が将来生む乳の権利を売りました。
牛が子を産む可能性も証券にしました。
牛が病気になるリスクには保険をかけました。
その保険が支払われないリスクにも、別の保険をかけました。

取引が増えるたび、帳簿の上では、村が豊かになっていきました。

百万円。
一億円。
百億円。

村人たちは、祝杯をあげました。

ところが、誰も牛に餌をやっていませんでした。

やがて牛は倒れました。

村人たちは驚いて言いました。

「百億円の資産が、なぜ一頭の牛と一緒に消えたのだ」


牛は、最初から一頭しかいなかった。

縁音
ええ。

けれど、忘れないでください。

この村では、誰も牛に餌をやらなかった。
餌をやる村も、あるのです。
借りた金で牛を増やし、囲いを直し、水を引いた村も。う

(↓ 牛に餌をあげた村の話)

牛の話が恐ろしいのは、金融が牛を増やさないからではありません。

牛と、牛についての約束が、どこかで切り離せてしまうからです。

そして切り離れたとき、帳簿の数字は、
餌をやる者の側にではなく、
筆を握る者の側に、残るのです。
富裕層の多くは、そうやって富を得るのです。


なんだか『半沢直樹』だね。
それでも、金融工学を完全に否定する必要はないのでは?

保険も必要、資金調達も必要。
損失への備えも必要なのだから。

縁音
道具としては、必要です。
問題は、道具が世界観になることです。

金融工学は、何を守るべきかを決められない。
何を豊かさと呼ぶべきかも、決められない。
牛に餌をやるべき理由も、導けない。

それでも、もし金融工学が社会の最終判断者になれば、餌代は費用として削られ、
牛の将来収益だけが、資産として計上される。


餌代って、私たちの給料だよね。

つまり金融工学の失敗が、システミック・リスクなのではないと。

縁音
金融工学が成功しすぎることが、システミック・リスクなのです。

すべてが価格になり、
すべてが信用になり、
すべてが同じ尺度で測られる。

そのとき社会は、きわめて効率的になり、
そして、きわめて脆くなる。



動画を見終えて、金融工学について少しわかった気がないでもない。

金融工学は、リスクを管理する学問ではない。リスクを数字に変え、
数字に変えられたものだけを管理する学問。

でも、そう言ってしまうと叱られるだろうな。

縁音
では、数字にならないものは。


管理の外へ落ちることになる。

縁音
ひとつだけ、確認しておきましょう。

私は、金融が不毛だとは、言いませんでした。
船は出た。港は築かれた。
それは、本当のことです。

私が言ったのは、傾きのことだけです。

信用は、はじめから一方へ流れる。
その流れが、餌をやる村を通ることもあれば、
牛を置き去りにする村を通ることもある。

どちらへ行くかは、金融工学の中には、書かれていない。


なお、この「流れ」がなぜ源泉から傾くのか。
通貨のように、発行が閉じられた流れと、
物語のように、いまはまだ開かれている流れとが、どう違うのか。
それは、別の場所で、もう少し丁寧に辿ってみたいと思います。



牛はいま、生きているか?

縁音
誰かが餌をやっていますか?
帳簿の外にあるものを、
私たちは、まだ見ていますか?


追記:
ここで示した議論は、動画が示した金融工学についての結論とはずいぶんと隔たりがあります。なので、どうぞご自身で動画を視聴してみてください。現代の常識に沿った金融工学についての見方が示されています。

いいなと思ったら応援しよう!

井ノ上裕之 感じるままに。