[2-2.1]秦の統一と始皇帝(ドキュメントver)
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MQ:始皇帝はどのように中国を統治したのか?
みなさん、今日は中国史の大きな転換点──秦の統一と始皇帝の統治について学んでいきます。
500年近く続いた春秋・戦国の分裂期が終わり、中国がひとつの国家として再びまとまった瞬間です。
「大王」から「皇帝」へ
戦国時代には七つの大国が覇権を争い、それぞれの君主は「大王」と呼ばれていました。
しかし、秦王・政が六国を併合したとき、従来の称号では自らの立場を示しきれないと考えます。
そこで政は、新たな称号として 「皇帝」 を名乗りました。
「光り輝く神」を意味する言葉で、これ以降、中国の君主は代々「皇帝」を名乗るようになります。
政が最初の皇帝だったため、後世の人々は彼を 始皇帝 と呼ぶようになったのです。
秦の躍進と商鞅の変法
秦はもともと辺境の小国で、文化や経済の発展では他国に遅れをとっていました。
しかし、国外の人材を積極的に登用し、特に 商鞅の変法 によって国力を大きく伸ばします。
商鞅は、氏族制を解体して自作農を増やし、軍功による実力主義を導入し、法を徹底させました。
これらの改革は秦の強大化を支え、後の始皇帝の統治理念──法家思想──へと受け継がれていきます。
秦の統一
他の六国は合従策や連衡策で秦に対抗しましたが、強大化した秦の前では抗しきれませんでした。
そして前221年、秦王・政の代に中国は統一されます。
長く続いた分裂期が終わり、始皇帝による新たな国家運営が始まります。
始皇帝の統治①:中央集権化 ― 郡県制
統一後、始皇帝が最初に取り組んだのは 統治制度の再編 でした。
それまでの封建制では、地方は諸侯に任されており、中央の命令が届きにくい仕組みでした。
七国を一つにまとめるには不向きだったんですね。
そこで始皇帝は、国内を36の「郡」に分け、その下に「県」を置き、中央から官僚を派遣して統治する 郡県制 を導入します。
これによって、秦の法律や制度を全国に迅速に浸透させようとしたのです。
SQ:郡県制はそれまでの封建制と何が違うのか?
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