わたしの愛するメタバース :まだ沈まないクジラの背から
斜陽の光の中に、人の営みが静かに息づいている。
これはメタバースの成熟を見つめた小さな記録。
※これはメタバース経済:ソーシャルVRライフスタイル調査2025を読んだ感想です。
ーー斜陽を、愛せるだろうか。
かつて最先端と呼ばれたメタバースは、今や静けさの中にある。
けれどその静寂の奥には、確かに人の営みのぬくもりがある。
これは大きなクジラの背にある、変化する街の記録。
斜陽の街から
メタバースという言葉は、一時期メディアの見出しを飾り、
「未来のインターネット」や「新たな経済圏」と語られてきた。
今、その熱は落ち着き、静かな日常の中に溶け込んでいる。
わたしはこの変化を、成熟だと感じている。
季節がゆるやかに移ろい、風の向きが少しずつ変わるように。
万物は流転する。(panta rhei)
同じ流れの中で静かに姿を変えていくだけなのだ。
XRの現在──VRは主流ではない
現在、XR(extended reality:現実拡張技術)の中心は、AR(拡張現実)とMR(複合現実)に移っている。
現実空間に情報を重ね、操作し、仕事や教育に活用するこの「現実に寄り添う拡張」こそ、現在のXR技術の主戦場だ。
最近、イマーシブ(immersive:没入感)という言葉を聞くようになったのは、「入り込み、動き回り、実際に触れる」体験を、AR・MRの助けを借りて実現を目指すという、より現実との接点を持てそうな技術へ関心が移ってるという市場の動きを示している。
ーーその一方で、VR(仮想現実)はその対極にある。
現実を閉じ、没入する。
これこそがVRの魅力であり、本質でもある。
その没入の力は、現実では出会えない人や世界、想像の景色を体験させてくれる。
だが、その魅力の多くは創作や交流の領域に留まっている。
意外かもしれないが、家庭用のHMD(Head-Mounted Display:頭に装着するディスプレイ)を購入している層の多くは、フライトシミュレーターやレースゲーム、あるいは産業用シミュレーションの利用者たちだ。
これは、コンシュマー向けの安価な製品が、ビジネス用途に転用されているという事でもある。
純粋にVR空間で過ごすためにゴーグルを買う層は、市場全体から見れば小さな存在にすぎない。
けれど、その小さな光が、文化や技術の想像力を支える火種でもある。
この仮想空間でしか生まれない出会いや表現が、ここにはあるのだ。
クジラの背に住む人々
経済の世界ではときに、巨大な資本や投資家を「クジラ」と呼ぶ。
その動きひとつひとつが、市場全体を揺らすほどの力を持つからだ。
メタバースという小さな街は、その背の上に建っている。
投資家、テック企業群、巨大ファンドたち。
それらが総体として、この世界の浮力を支えてきた。
たとえばMeta Platforms, Inc.(旧Facebook)もその一角にある。
VRデバイスで直接利益を得ているわけではなく、実際の収益源はハードやアプリ販売ではなく、データの活用にある。
わたしたちは、そのクジラの背の上に作られた都市で暮らしている。
技術と資本のうねりが交錯する場所に、小さな街を築き、日々を過ごしている。
背の上からは、見えにくいかもしれない。
けれど、確実にわたしたちの足元でクジラは静かに息を潜めている。
クジラの背に咲く花
それでも、この世界を支えているのはビジネスの構造だけではない。
ここには人のあたたかさや、思いやりが静かに息づいている。
クジラの背の上には、小さな街がある。
ここで人々がアバターを通じて出会い、語り、創り、別れていく。
ここに行き交う人びとの思いが、美しい花を咲かせている。
様々な花が咲き、やがて散り、また別の季節に、新たな色を見せるように。
この世界もまた、連続する変化の中で呼吸している。
その姿こそが、わたしの愛する街の風景である。
メタバースはもう、最先端のフェーズは過ぎた。
けれど、クジラの背には、いまも人々の営みが確かに息づいている。
この美しい花々に彩られた街が、いまわたしの立つ場所だ。

ワールド:Ephemeris
制作者名:Fins
ゲーム内のカメラ機能を通してしか見ることできない、大きなクジラが空を回遊する美しいワールドです。
ーーぜひ、訪れてみてください。
↑続きを書きました。宜しければ合わせてご覧下さい。
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