小説|さいはてドライブ(第八話)
chapter8. 前沢
「私は、違うと思う」
思わず勢いで吐いた言葉に、高藤さんがちらっとこちらを見た。正直、説得力のあることなんて何も言えない。
「返事をくれない事情はわからないけど――もしかしたら、お母さんに気を遣っていて連絡できないとか。息子さんは、会いたいと思っているかもしれないよ」
信号が青に変わり、高藤さんはアクセルを踏む。私の言葉には、何も返さない。
私は、ただ寛二さんが心配だった。伊豆沼で、「極楽浄土の風景」と言われる蓮沼を見て「なじょして生きて行けばいいんだべな」と絞り出すように言った寛二さんは完全に、人生に絶望したような顔をしていて。
今息子さんに会いに行くことが、寛二さんの生きる希望なのだ。それを失ったらこの人は、本当にどこかに飛び込んでしまうかもしれない。私は、何とかしてそれを止めたかった。
「いや詩映ちゃん、高藤ちゃんの言う通りだじゃ。俺はろくな親父じゃなかった――ここまでなのかもしんねえって、さっき伊豆沼見ながら思ったった」
やっぱり。寛二さんの今の表情を、振り向いて見ることができない。
「そんな――」
私は言葉を探して、口をぱくぱくした。
「息子さんは、寛二さんの生きる希望なんでしょう? 伊豆沼の風景見て、さいはてなんて思ってる場合じゃないよ。私なんて、富谷をさいはてだと思ってた……いや、結婚した頃なんて、七北田をさいはてだと思っていたんだから。でもそんな所軽々越えて、ここまで皆と来れたもの」
支離滅裂だ。私はただ、思いつくままに言葉を並べた。
「北へ北へ進んで、もうここが果てだって思っても、またちゃんと人の住む街が現れるでしょう? 果てなんてないんだから。ずっと道は続いているんだから。とにかく行ってみて、顔を見て気持ちを伝えればいいと思うの。もし過去何をしてきたとしても、寛二さんが息子さんを思う気持ちまでは否定できないもの」
高藤さんはかすかにため息をついて、前を向いたまま言った。
「行ってみて、会いたくなかったって言われてもいいの? ――寛二さん耐えられるんですか?」
寛二さんは、黙っている。
「このまま行くことは、別にかまわないよ。でも向こうの気持ちも、少しは考えないと。俺は、あまり期待しない方がいいと思う」
道路上の表示が岩手県に入ったことを告げた。せっかく県境を越えたのに、皆無言で車内はしんとしている。
一関を過ぎ平泉に近づいている。道路が混み合っていて流れが悪い。観光客で賑わっているのだろうか。
しばらく行くと国道らしくもなく人気のない、山が脇に迫っているような道に入る。そこを抜けると、農地やビニールハウスや民家が点々と見えてくる。その間隔は小さく、だから余計に人の営みが感じられる。
それを抜けるとまたお約束の、賑やかな飲食店やショッピングセンターが並ぶ通りに入った。
前方に跨線橋が見え、すぐに車はそこまで到達する。上からは山や店や民家や農地が一望でき、なかなかの眺めだ。
無言の状態に耐えられなくなって、その景色のことを話そうと口を開いた瞬間、後部座席からうめき声が聞こえた。寛二さんが前のシートに頭を押しつけている。私は慌てて後ろを振り返った。
「寛二さん、大丈夫? また具合悪くなったの!?」
呼びかける私に、寛二さんはうめき声で答える。
「もう少し行くとイオンがありますよ。そこまで我慢できます?」
高藤さんが、心配そうな早口で聞く。
「無理だ」
跨線橋を降りた所でちょうど対向車が途切れ、高藤さんはすばやく右にハンドルを切った。右折した先には田んぼが広がっており、民家が点々と建つ。高藤さんは築ニ、三十年くらいの大きな家の前に、車を停めた。
大和のスーパーの時と同じように、高藤さんと私で寛二さんを抱えて車から降ろす。私が家のチャイムを鳴らすとすぐに「はーい」と気だるい女性の声が返って来て、ドアが開いた。
出てきたのはカフェラテのような明るい髪色をした、小柄で色の白い女性だった。歳は私と同じくらいだろうか。足の爪がブルーやゴールドやシルバー、キラキラと何色にも塗り分けられている。その風貌に一瞬気圧されながら、私は切り出した。
「すみません、急に具合が悪くなってしまって――申し訳ないんですが、お手洗いお借りできませんか?」
ぐったりする寛二さんと両脇の私達を見た女性の顔に、戸惑いと警戒が浮かんだ。しかし次の瞬間、すぐにうなずいて私達を招き入れてくれた。
トイレには高藤さんが付き添い、私は女性と廊下で様子を伺った。
「すみません。詳しくはわからないんですけど、パニック障害じゃないかって言っていて。車に乗っていて、この近くで急に眩暈がして具合が悪くなってしまって」
女性は私のはっきりしない説明に、半分だけ理解したような、半分は解せないような顔でうなずいた。
「そっか――大変だね。パニック障害、私の友達にもいるよ」
「親子かなと思ったよ。そんな風に一緒に旅するなんてことあるんだね、面白い」
女性は気さくに笑いながら言った。私と高藤さんは遠慮がちに、出された麦茶を口にする。
寛二さんは布団を敷いてもらい、隣の和室で眠っている。私と高藤さんは女性に、昨日からの顛末を話した。
「人騒がせなおじさんだねえ、本当に」
「すみません……最初の発作の時は近くのスーパーに駆け込んだんですけど、今はそれも間に合わなくて」
「気にしないで。しかし、呼ばれてないのに息子の結婚式に押しかけようとするなんてねえ」
笑いながら言う女性に、高藤さんが硬い表情でうなずいた。
「それもさっきまで知らなかったんですけど……俺がちょっとどうかと思うって、あの人に言ったんですよね。そりゃあの人に味方したい気持ちもあるんですけど。でも子どもの気持ち考えたらどうなんだって」
女性は、うなずきながら、氷入りの麦茶のグラスをカラカラ鳴らした。私が気まずく黙っているのを、女性はちらっと見た。
「ま、とにかく皆で休んで、ご飯食べて行ったらいいよ。夕飯の準備はしてたけど、ピザでも取ろっか。そしたら、皆で食う分も間に合うべ」
部屋の隅っこで、女の子が二人こちらの様子を伺っている。上はすらっと背が高く十歳くらいで、下は小学校一、二年生くらい。下の子はひらひらと可愛らしいスカートを穿いて、立ったり座ったり落ち着かなさそうにしている。
「ママさんにそこまでしてもらっちゃったら、申し訳ないです」
私は女性の呼び方を決めかねて、そんな風に言った。
「……ママの名前は、サオリ!」
下の子がスカートをひらひらさせながら、唐突に言う。「サオリさん」は笑って女の子達を指した。
「そうそう。で、この子がエレナでこの子がリイサね」
お姉ちゃんのエレナちゃんが大人のように会釈をして、落ち着かないリイサちゃんを座らせた。
高藤さんは恐縮したように小さくなったまま、サオリさんに訊いた。
「そうだ――今さらだけど、ここってどこなんでしょうか」
サオリさんはにっこりして子ども達の方を見た。
「リイサ、ここはどこなんだっけ?」
きょとんとするリイサちゃんにエレナちゃんが「ほら、この前教えてあげたやつ」とうながす。リイサちゃんは「ああ」とうなずいて得意げに話し出した。
「ここは、ロサンゼルス・ドジャース大谷翔平選手のふるさと岩手県奥州市の、前沢です!」
「――大谷くんは、水沢の子だべ。前沢っつったら、前沢牛だべ」
ふいに、和室から声がした。寛二さんが目を覚ましたようで、ひょっこり顔を出した。何かフォローしなければと慌てていると、サオリさんが笑いながら遠慮のない口調で言い返した。
「いいんだよ、今は同じ奥州市なんだから」
「つうかおじさん、起きてたの。もう具合いいの?」
ああ、と寛二さんはまるで昔からの知り合いのようにサオリさんに言い、のっそりと和室から出て来て皆の輪に加わった。サオリさんも私も高藤さんも、あきれてそれを眺めていた。
「何か食えそう? ピザ取るけど」
「ピザはきついな。ちらし寿司とか食いてえ」
「――ねえよちらし寿司なんか。元気になった途端図々しいな」
思わず笑ってしまった。こっちがフォローするまでもなく、サオリさんがポンポン言い返してくれる。高藤さんは恐縮して「すみません」と謝った。
「いいんだよ――で、ここはおじさんの言う通り、前沢牛の前沢。うちは牛じゃなく、米農家だけどね」
「農家……だんなさんは今、外でお仕事?」
私の言葉にサオリさんは首を振った。
「農家をやってるのは、だんなの親。兼業農家っていうの? だんなは団体職員。で、今日は出張してていないんだ。私と子どもだけ。だからこうやって大人と喋ってご飯食べられるのがうれしいのさ。良かったら泊まってけば? もう夕方だし、今日中に下道で盛岡はしんどいよ」
思わず顔を見合わせる私と高藤さんに、サオリさんはにっこり笑って言う。
「気を遣うことないよ。田植えの時期とか、手伝いで来る親戚らのために布団もいっぱいあるからさ。おじさんがまた具合悪くしたら困るし、泊まっていきな」
エレナちゃんとリイサちゃんはいつの間にか、ゲームをしたり走り回ったり、思い思いに遊び始めた。エレナちゃんが「フウマ達、なかなか起きてこないなあ」とつぶやいた。
夕食の支度をしながら、サオリさんが言う。
「そうそう、うちまだちっちゃいのが二人いるから。二歳の双子ね。男の子の」
「フウマとトウマっていうんだよ」
リイサちゃんが教えてくれた。お子さん四人、と目を丸くする私に、サオリさんは苦笑してうなずいた。
「だんなの親に、もっと農作業を手伝えとか言われるけどさあ、無理だっつの。ほぼワンオペで四人面倒みて、下は二歳の双子でさ」
まもなくフウマくんとトウマくんが、寛二さんのいた部屋とは別の和室から、ふすまを開けて起きてきた。よちよちと歩く、そっくり同じような二人の姿が愛らしい。
「あんら、めんこいこった。ママそっくりだ」
「……まずね」
寛二さんが目を細めながら言うと、サオリさんが照れたように笑った。
フウマくんが高藤さんの膝の上に、トウマくんが私の膝の上に、なんの抵抗もなく座る。小さい子がいると、大した会話もなく途端に場が和んでしまうから不思議だ。佐々木の家はどんな風だったっけ――そんな風に思い返したのも一瞬だ。
唐揚げやサラダ、サオリさんの手料理に、届いたピザが並ぶ。大人と子どもが食卓を囲んで宴会が始まった。
「ビール飲むでしょ?」
俺禁酒中なので、と断る高藤さんに、サオリさんは「えー」と笑った。
「高藤ちゃんはこう見えて、酒飲むと変わるんだじゃ」
やめてくださいよ、と眉をひそめる高藤さんに、寛二さんは悪ノリして続ける。
「俺はその点、見かけによらず紳士よ」
「……まずね」
サオリさんは苦笑いしながら言った。
「『まずね』って、どういう意味?」
さっきから気になっていたことを、私は訊いた。サオリさんはきょとんとした顔をした。
「どういう意味……? うーん、『そうだね』っていうような、『そうでもないよ』っていうような」
「『そうだね』の方が強めだべな?」
サオリさんはまた苦笑いをして「場合による」ときっぱり答え、そして調子づく寛二さんに差し向かい表情をひきしめた。
「おじさんはさ――いろいろ事情聞いたよ。とりあえず、盛岡に帰ったらいいんじゃない。私はそう思う」
私と高藤さんは箸を止めて、サオリさんが次に何を言うか固唾をのんだ。寛二さんも急に、怒られた子どものように姿勢を正している。
〈つづく〉
