小説|さいはてドライブ(第一話)
【あらすじ】
仙台で働く高藤光は、同僚の佐々木詩映が気になっている。ある日高藤は岩手への出張に向かう車に、途中まで詩映を乗せることになる。
そして二人はひょんなことから、息子に会うため盛岡へ向かっているという謎の男性・寛二を同乗させる。体にあるトラブルを抱える寛二のために下道を使い、寛二に翻弄されながら旅をすることに。
憎めない寛二だが、どこか不審な点が見え隠れする。しかし、高藤と詩映は彼の「息子の結婚式に行きたい」という切実な願いを信じ、共に盛岡を目指す。
三人の旅の行方、そして高藤と詩映の関係の行方は。
chapter1. 仙台(卸町~泉)
「緑が濃くなってる」
ケヤキ並木を眺めて、同僚の詩映さんがつぶやいた。
緑なんて、とっくに濃くなっている。今は六月で、新緑の季節は過ぎたのだから。詩映さんは普段、ここの景色を見ないのだろうか。
卸町大通りには、ケヤキ並木が植えられている。工場や卸売り業者の倉庫が並ぶこの通りを、葉を伸ばした木々が鮮やかに彩る。
「プチ杜の都」だ。初めてここを通った時そう思った。
仙台の卸町は、繁華街から五キロほど離れている。「杜の都仙台」の象徴は繫華街のケヤキ並木だと言われているが、卸町のケヤキ並木はまるでそれを、そっくり持ってきたようだ。
卸町にある会社に入社して、もう十年以上になる。通勤や外回りで、この道にももうすっかりなじんだ。
卸町交差点で停車すると詩映さんが「落ちてますよ」と運転席のダッシュボードを指した。
社用車に乗る時は、運転席に社員証を掲示しておくのが決まりだ。それが抜けてドリンクホルダーに引っかかっていた。
僕は「高藤 光」と書かれた社員証を、慌ててダッシュボードの定位置に入れ直した。
卸町交差点から、国道四号線に出た。卸町の交差点を左折し道路上にひかれた青色のドットにそって走ると、すぐに箱堤交差点の高架橋に入る。
薄いグレーに水色のラインがひかれた、真新しい高架橋。見る間に視野が広がり、コンテナや物流センターがひしめき合う若林区の風景が眼下に広がる。さっきの「プチ杜の都」から景色は一変した。
「本当に変わったな、箱堤。こんなにスムーズになって。前はひどかったのに」
助手席の詩映さんに向けるように、僕は一人言を言った。以前の箱堤交差点は渋滞でおなじみで、高架橋が完成した時会社はしばらくこの話で持ちきりだったから。
しかし詩映さんは、「ああ……」と曖昧な相槌を打つだけだった。
もしかしたら以前の箱堤交差点も、大規模工事でこの高架橋が作られたことも、よく知らないのかもしれない。
詩映さん――佐々木詩映さんは会社の事務職員の一人で、一年程前に入ってきた。佐々木さんは会社に何人かいるので、詩映さんと呼ばれている。
僕は彼女のことが、少しだけ気になっていた。
女性社員とは、あまり積極的に話す方でもない。気さくでよく喋る菊池さんという人がいて、その人とはよく話す。詮索するのが上手い人で、いつかはうっかり亜美のことを話してしまった。お喋りな人だから、きっと広まっているに違いない。
詩映さんは、多分僕と歳は同じくらい。おとなしそうで、顔や全体の佇まいは、そんなに目を引くわけでもない。
僕が彼女のことを気になり始めたのは、一か月ほど前備品棚で偶然居合わせた時だった。
頭上の棚のキングファイルに伸ばされた彼女の手が、目に入った。
指輪も何もない、まっすぐな指。マニキュアの塗られていない、控えめに輝く爪の先。真っ白い滑らかな手の甲には青い血管がうっすらと浮き出ていて、そのなまめかしさに僕は目を奪われた。
「あ……高藤さんもファイル使います?」
詩映さんは僕を振り向いてファイルを瞬時に胸に抱え込み、その手はあっけなくファイルと胸の間に隠された。
――隠さないで。
そんなことを言えるはずもなく。
「いや、取りに来たのファイルじゃないから……」
しどろもどろにそう答えて、その場は終わった。
それだけといえば、それだけのことだった。
その日課長にされた変わった提案も、そのことがあったからというわけではないけど、二つ返事で承諾した。今日から岩手へ出張する僕の車に、詩映さんを途中まで乗せて行ってほしいと言う。富谷市役所まで。
富谷?
富谷市は、仙台の北にある。卸町からは二十キロ離れていて、この四号線をまっすぐ行って一時間近くかかるだろう。
富谷イオンに、二、三度行ったことはある。それも随分前だ。あちこちに次々新しいショッピングセンターができるから、もうそっち方面へ行くことはないだろうと思っていた。詩映さんはどうして、富谷まで行くのだろう。
そもそも僕は、彼女のことを何も知らない。年齢も、どこで生まれ育ったのかも。
車は快調に走り、宮城野を過ぎて泉に入った。
詩映さんはことさらに何か話しかけてくることもなく、それでいて居心地悪くもなさそうに窓の外を眺めている。安心してラジオをAMからFMに切り替えると、最近気に入っているバンドの曲が流れてきた。
泉に入ると、四号線の風景は途端にうるさくなる。ホームセンターにカーディーラーにファミレスに大型家具屋、ディスカウントショップにファーストフード――これでもかと矢継ぎ早に、どこかで見たような店が並ぶ。
以前この辺りを車で走っていた時、亜美と喧嘩したことを思い出した。
亜美は、泉の住宅地にある実家に住んでいた。
「この辺に戻ってくると、安心するー」
遠出して帰る途中の車で、亜美が言った。
「俺は嫌い、この辺は」
何の悪意もなくそう言ったが、隣で亜美の顔色が変わるのが見なくてもわかって、僕は慌ててつけ加えた。
「別に泉が嫌いなわけじゃないよ。四号線のこの辺って、どこにでもあるようなゴタゴタした風景だから。あまり好きじゃないんだよ」
「だとしてもさ」
亜美の声色はかたかった。
「わざわざ嫌いって言わなくてもいいじゃない。この辺だって私の育った所なんだよ」
ごめん、と謝るしかなかった。
「光はたまにそういうこと言うよね」
僕は時々こうやって、亜美を怒らせた。こういうことの積み重ねだったのだろう。
「詩映さんはこの辺りの風景、好き?」
思わず僕は詩映さんに聞いた。詩映さんはこっちを見て「え?」と首をかしげた。「どうしてそんなことを聞くの」というような、かすかに笑いのまじった声で。
「好きでも、嫌いでもありません」
笑いのまじった声のまま、詩映さんは答えた。
「全国、どこにでもあるような風景だもの」
そうだよね。僕も笑って答えながら、どこか許されたような、ほっとした気持ちになっていた。
「詩映さん住んでるの、富谷だっけ」
ほっとしたついでに、僕は気になることを切り出した。
「違いますよ」
「そっか――なんでまた、富谷市役所に?」
詩映さんは瞬間、黙った。あまり聞いてほしくなかったのかもしれない。いや別にいいんだ、ごめん、と言おうとしたとき、詩映さんは口を開いた。
「離婚したんですよね、私。三か月前に」
心臓が、どきん、と鳴った。
「結婚していた頃住んでいたのが、富谷。それで、やらなきゃいけない手続きがあって行くんです」
驚きなのかショックなのか、うれしいのかわからない。でも予想しなかった「離婚」という言葉に、僕の胸は掴まれるように痛んだ。
「結婚してたんだ」
動揺しているのを悟られないように、僕はできるだけ何でもないことのように言った。
「この会社に入った頃には、もう別居していたけど。離婚成立したのが三か月前です」
「――そうだったんだ」
皆いろいろあるんだね、とどうでもいいようなことを言って僕が話を打ち切ると、詩映さんは「ふふ」と笑った。
どうでもいいようなことだけど、皆いろいろあるのは本当だ。僕だって。
泉の七北田付近に来ると店の立ち並ぶ景色が途切れ、突如、東側に鬱蒼とした森が現れる。こういうところが田舎らしいよな、と思う。気のせいか詩映さんの表情がかげっている。嫌なことを思い出させてしまったのだろうか。
信号待ちになると僕は、助手席のダッシュボード付近に目をやった。我ながらいやらしいけど、あの美しい手を少しでも見たくて。しかしその手は、膝に乗せたジャケットの下にしっかりともぐり込んでいた。まるで、決して見せまいとしているみたいに。
〈つづく〉
第二話 https://note.com/gypsoksm/n/n7721ec219c20
第三話 https://note.com/gypsoksm/n/nb210cc25b2ff
第四話 https://note.com/gypsoksm/n/ndf012b85529e
第五話 https://note.com/gypsoksm/n/n051befa2a225
第六話 https://note.com/gypsoksm/n/n61997ee8e37d
第七話 https://note.com/gypsoksm/n/nead90105b74a
第八話 https://note.com/gypsoksm/n/n53f92636a8dd
第九話 https://note.com/gypsoksm/n/na44895a21b83
第十話 https://note.com/gypsoksm/n/ne24d16c41ad0
