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小説|さいはてドライブ(第七話)

chapter7. 伊豆沼

 緑深い森が続き、時々農地が見える。舗装が悪いのか、車が時折ガタガタする。

 詩映しえちゃんが泣いている。何かわからないが、よほどつらいことがあって離婚したんだろう。
 高藤たかとうちゃんは、婚約破棄されたという。二人ともいろいろ苦労しているのだ――若えのに。

 俺は、苦労させた側だ。ろくな親父じゃなかった。
 喧嘩をしては職場を次々と辞め、パニック障害のような症状が出始めてからはろくに働きもせず家にこもるようになった。
 母ちゃんは昼と夜働きに出て、いつも黙って俺を支えてくれた。俺は家事もろくにせず調子に乗って、家でいつも威張りくさっていた。

 広武ひろむが生まれた時だって、母ちゃんが漢字を「広夢」にしたいというのを
「男なのに『夢』なんてバカ言うな。『む』なら武士の『武』で決まりだべ」
と一蹴して「広武」にした。――今どきの子どもの名前見てると、こんなこと言う親考えられねえべな。

 詩映ちゃんは、ようやく泣き止んで落ち着いた。俺は後部座席でこっそり結婚式の招待状を取り出した。
 差出人は「北舘きただて広武」と、当然だが知らない女の子の名前だ。
 昨日古川ふるかわのホテルから「盛岡もりおかに向かっている」と広武にメールをしたが、まだ返事は来ない。

「子どもと父ちゃん一緒に面倒見るのは、もう無理だから」
と母ちゃんに追い出された時、広武はまだ中学生だった。どんな大人になっただろう。今、何歳なのだろうか。
 あいつは何年生まれだったか。確か九十五年生まれだ。

「なあおさんら、何年生まれの何歳なんだ」
 唐突に訊いた俺に「えっ?」と詩映ちゃんが泣き腫らした目で笑顔を作りこっちを振り向いた。そして「高藤さんは?」とうながす。
「俺は、三十三ですよ。九十二年――平成四年生まれです」

 広武より、三つ上だ。ということはあいつは――そんなことを考えていると、詩映ちゃんが「ふふ」と笑った。
「私、平成元年生まれ」
おお、と俺は反応した。
「それは、さぞかし騒がれてきたべ」
「もう、どこに行っても言われ続けてきた」

 詩映ちゃんは少し元気を取り戻し、とっておきのネタを披露するように話した。
「私しかも、早生まれだから。二月生まれで。同学年も半分以上昭和生まれで、もちろん先輩達もそう。だからどこに行っても『平成生まれが来た』って言われ続けてきたの」
 高藤ちゃんが「へえ」と笑う。
「俺はそういうのあまりなかったな。周りも皆平成生まれだったから」
 詩映ちゃんは「三、四年違うとそうなのね」とつぶやいた。

 そしてこんなことを言った。
「私も今は言われない。平成生まれだからって別にもう若くない、って皆気づいたんだろうね」
 高藤ちゃんは、特になんのフォローもせず黙っている。こういう時に気の利いた言葉でもかけてやればいいのに、意外に不器用な男だ。

 広武はもう、三十歳になるのだ。中学から三十歳になるまで、いやその前から何もしてやれなかった親父に、あいつは会いたいなんて思ってくれるのだろうか。

 築館つきだてインターを過ぎ、車は街の中を走り抜ける。道路上に「伊豆沼いずぬま」と右方向を示す表示が出た。
 伊豆沼は、日本有数の白鳥の飛来地だ。

 盛岡にも、毎年白鳥が飛来する。
 俺の住んでいた家の近くに大きな池があって――桜並木があって、春はちょっとした花見スポットだ――そこも飛来地の一つだった。

 白鳥は寒さが厳しくなる十一月頃に北の地から飛来し、春になる頃国へ帰る。しかしある年、怪我をしたのか国へ帰れず、夏中その池に住み続ける白鳥がいた。いつか広武と散歩をしていた時、それを見つけた。

「一人でかわいそう」
そう言う広武に俺は
「仕方ねえんだ。国に帰る力もないだろうし、帰っても、待つ家族がいるかどうかわかんねえべ」
――と言い聞かせた。

「なあ、伊豆沼行かねえか。白鳥の飛来地だべ」
 えっ、と高藤ちゃんが戸惑ったように反応した。
「白鳥、いませんよ。こんな暑い時期に」
「わがってるよ。でも一羽くらい、いっかもしんねえべ。怪我して帰れなくなった白鳥とかさ」
「いないと思うけど」
 高藤ちゃんは信号待ちで停車した車の運転席から、道路の分岐を眺めた。
「行ってもいいですよ。今の時期は白鳥どころか、他の鳥もいないと思うけど――はすが咲いているかも。伊豆沼、夏になると一面蓮の花が咲くんですよ」
 行ってみたい、と詩映ちゃんも乗って来て、高藤ちゃんは伊豆沼方面へハンドルを切った。

 分岐から数分車を走らせ、伊豆沼を臨む駐車場に到着した。車を降りて眺めると、大きな湖沼が見える。
「ああ、蓮の花はまだかも」
 高藤ちゃんがつぶやいた。沼の中に、まだ小さな蓮の葉がまばらに浮かんでいるのが見える。

 行くべ、と俺が歩き出し、二人がついて来る。道路を渡り敷地に入ると小さな池があるが、白鳥はいない。
 池の脇の、草が生い茂る道を歩く。池の周りにはあしのような草が背高く生え、水場が見えない。

 生き物の声はせず、ただ生い茂る草の間を風が吹き抜け、日差しがじりじりと照りつける。
 足元の草を踏み分け、木の板が渡された小さな橋を渡る。池沿いの葦がサワサワと音を立てる。湖沼が見えてきた。
 澄んだ灰色がかった広大な青の湖面に、点々と蓮の葉が浮かんでいる。

「白鳥、全然いねえな」
 いませんよ、と高藤ちゃんが言った。
「この暑いのに」
「蓮の花はまだみたいね」
 詩映ちゃんの言葉に、高藤ちゃんがうなずいた。

 高藤ちゃんの言った通り、白鳥どころか他の鳥すら一羽もおらず、生き物の声は聞こえない。蓮の葉が広がり始めている湖面はひたすら静かで、風の音だけがびゅうびゅうと響く。

「――さいはてみてえな所だな」
 思わずつぶやくと高藤ちゃんは、ちらっと俺を見た。
「――まあ、蓮ですもんね。本格的に花が咲くとすごいみたいですよ。極楽浄土の風景なんて言われてて」
 俺は何も答えず、黙って立ち尽くしていた。

「もう少し見てます? ――俺は先に車に戻ります。エアコンつけて、涼しくしておきますよ」
 高藤ちゃんはそういって、一人駐車場へ引き返した。

寛二かんじさん、すごい眺めだね」
 詩映ちゃんが一言つぶやいて、湖面を見つめている。
「――なじょして、生きてけばいいんだべな」
 詩映ちゃんが、こちらを振り向いた。
「今までやっとの思いで生きてきて、還暦過ぎたったけどさ。そっからまだ人生八十年だの百年だのって、一年後だって元気で働ける保証も何もねえのに。いつになったら穏やかに、こんな場所にたどり着けるんだべか」

 寛二さん、と詩映ちゃんはこちらを見た。
「そんな弱気なこと言って。これから息子さんに会いに行くんでしょう? 寛二さんのこと、待っているんでしょう?」
 風がまた、びゅうと吹いた。
「わがんねえよ――待ってるかどうか」

 広武は、真夏に一人ぼっちで残されていたあの白鳥を思い出すことはあるのだろうか。同じように、一人ぼっちで後悔に苛まれながら息子を思っている俺のことも。


 詩映ちゃんにうながされ湖沼をあとにし、俺達は元来た道をたどって駐車場に向かった。
 エンジンがかかりブルブルふるえている白いバンの後部座席に乗り込むと、待っていた高藤ちゃんがこちらを振り向いた。さっき俺が取り出した招待状の封筒を手に持っている。
「寛二さん、これ落ちてましたよ」

 差出人は「北舘広武」と知らない女の子。
 宛名は――「北舘光一こういち様」。

「『北舘光一』さんって、寛二さんのお兄さんですよね。――結婚式に招待されているのはお兄さん? 寛二さんは?」

 俺は口ごもりながら言った。
「兄貴に代わって、俺が出ることになった――」
 ふうん、と高藤ちゃんは招待状を俺に手渡し、車をバックさせ駐車場を出る。詩映ちゃんが心配そうにこちらを振り向いている。

「ちゃんと連絡は取れているんですよね? 息子さんと」
 細い道路を抜けながら高藤ちゃんは、ルームミラーで俺をちらっと見た。
 俺は何も答えられなかった。
 俺と違って社会的信用もあって、所帯を持って関東で暮らす兄貴。広武が結婚するらしいと教えてくれた兄貴に俺は、代わりに式に出席したいと頼み込んだ。

「――取れてない?」
 高藤ちゃんは容赦なくたたみかける。
「連絡は、したった。兄貴からも俺からも――でも、返事はない」

 四号線への分岐に差しかかり、高藤ちゃんはハンドルを切りながら言った。
「俺、両親いないんですよ」
 俺は顔を上げ、詩映ちゃんも助手席から隣に顔を向けた。言葉もなく、二人の視線だけが緊張感を持って運転席に注がれる。

 車は築館のどこか懐かしく、古びた建物の並ぶ街並みを走り抜ける。

「俺が二歳の頃二人とも事故で亡くなって。だから、覚えていないんです。すぐに叔父夫婦に引き取られて。分け隔てなく育てられて、不幸な生い立ちとかじゃ全然ないですよ――でも」
 交差点の信号で停車をし、高藤ちゃんは息をついた。
「生きているなら絶対会いたいし、結婚式には来てほしいって思う」

 片手をハンドルから下ろし、さらに言う。
「だから生きているのに寛二さんが呼ばれないってことは、連絡が返ってこないってことは――そういうことなんじゃないですか」

 俺は、下を向いた。何も言い返せなかった。
 俺がいかにダメな親父だったか、説明するまでもない。高藤ちゃんはすべて見抜いている。

 しばらく車内に重い沈黙が流れた。破ったのは詩映ちゃんだった。
「私は、違うと思う」
 高藤ちゃんが目だけでちらっと助手席を見たのが、ルームミラーからわかった。


〈つづく〉


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