見出し画像

小説|さいはてドライブ(第六話)

chapter6. 古川~築館

 天気が良く、薄い青色の空に小さな雲が浮かんでいる。相変わらずどこかで見たような店が並ぶ四号線の風景をぼんやり眺めていると、高藤たかとうさんがつぶやいた。
「しばらく禁酒しようかな」

 私が返事に困っていると、寛二かんじさんが後ろで「フン」と笑う。
「昨日のことか? ――まあ独身同士なら、とやかく言うあれではねがったかもしんねえけどな」

 私は「――あっ」と顔を上げて、運転席の高藤さんを見た。
「高藤さんそういえば、結婚するって」

 高藤さんは「えっ」と眉を上げて苦笑いした。
「……菊池きくちさんから聞いた?」
 なんだか懐かしいような名前が出てきて、私は思わず吹き出した。
「そう、菊池さんから。学院大の後輩で、南光台なんこうだいの子だって」
「……そんなことまでバラされてるの!?」

 高藤さんはおかしそうに吹き出してクスクス笑い、信号待ちで停車すると真顔になった。
「――それね、ダメになった」

 私は、ぽかんと高藤さんを見た。高藤さんは私の方をちらっと見て微笑んだ。

「その子とは結婚の約束をしていたけど、解消になった。もう二か月くらい前かな。こちらが振られる形で」

 信号が青になり、高藤さんはアクセルを踏んだ。

「――まあ、喧嘩は絶えなかったんだけど。俺が昨日みたいに酔っ払うと、いつも嫌な顔をしていたし。何か決定的なことがあったわけではないけど、多分。小さいことの積み重ねだったのかなって。そんなにショックでもないというか、意外に淡々としていて。なんでだろうな」

 車は大きな川を渡る。看板を見ると「江合川えあいがわ」というらしい。見渡す限りの平原で、晴れた空に浮かぶ雲がとても低く見える。私はそれを眺めながらうなずいた。高藤さんはまぶしそうな顔をしている。

 四号線はいつの間にかまた、片側一車線になっている。
詩映しえさんも、いろいろあったんでしょ?」
 私に順番が回ってきた。高藤さんは「ごめん、聞いちゃいけなかった?」とこちらを見て笑う。私は首を振った。

「えっと」
 相変わらず低く見える雲を眺めながら、私は切り出した。明るく話すんだ。そう思いながら。
「私東京生まれなんだけど、四年前に結婚して初めて宮城に来て、富谷とみやに住むようになって――」

 東京生まれ、と言ったところで、高藤さんは「へえ」と驚いた表情をした。私の話なんて全くしたことがなかったのだから、当然だ。
「だけどまあ、いろいろあってうまく行かずに、一年くらい前に家出同然で飛び出して」
「……家出!?」
高藤さんも寛二さんも、目を見開いて驚いている。

 いろいろあって――あったといえばあったし、なかったといえばなかった。あのこと以外は。でもそこまで、話す気にはなれない。

「――うん。でもそうなると逆に開き直ってなんでもできるような気がして、東京には帰らずにここで一人でやっていくんだ、なんて決意しちゃって。東京で勤めてた所の系列会社に思いきって連絡してみたら面接を受けられて、運良く採用になって――それが、今の会社。ですぐに河原町かわらまちに部屋を借りて……東京と違って家賃が安いからびっくりしちゃった」

 私は少し早口になった。高藤さんはハンドルを握り、黙ってうなずいている。ちゃんと明るく話せているよね? 私は、話を続けた。

「でも会社に入った頃には、全然まだ話し合いができてなくて。結婚したままで、住所も富谷のままで。通勤費のこともあるから、課長にだけは事情を話していたの。それから何度か元だんなと話し合いをして、ようやく三か月前に離婚することになって」
「なかなか別れてくれねがったのか?」
助手席にもたれかかって聞いていた寛二さんが心配そうに、口を挟んだ。

「うん――でも戻って来てほしいっていうよりは、家出した私にあきれて、納得していなくて。何が不満なんだ、実家の家族も皆あきれてる……みたいな感じで」
 私は大きく深呼吸をした。
「結局、元だんなは私と一緒にいたいっていうより、家を建てて結婚して家族を安心させて――そういう表向きの形を守ることの方が大事になっちゃってたんじゃないかな。でも私もきっと、そう」

「市役所でやろうと思ってた手続きって……?」
一息ついた私に、高藤さんが割って入った。
「あ、それはね」と私は背筋を伸ばした。もう、「ですます」調の敬語を使うことも忘れてしまっている。

「『佐々木ささき』は元だんなの姓で――まだ結婚している時に入社したから。それで三か月前離婚した時、旧姓に戻すか悩んだの。姓が変わると、周りにいろいろあったことを知られちゃうから。三か月以内なら届けを出せば、ずっと佐々木を名乗り続けられるらしいから、どうしようって。でも会社でいろいろ言われたくないためだけに、出ていった家の名前を名乗り続けるのもどうなの? ってギリギリまで悩み続けて……」

「でも結局、やっぱり佐々木で行こう、って決めたのが昨日だったのか」
高藤さんは「やっと疑問が解決した」という顔をしたので、私も大きくうなずいた。

「……手続きはできたのか?」
 寛二さんが身を乗り出して聞いてきて、私と高藤さんは顔を見合わせて吹き出した。
 二人で首を振ると、寛二さんは「えっ」と驚いて、後ろから私と高藤さんをキョロキョロと見比べた。

「もういいの。やっぱり、家出同然で別れた元だんなの姓を名乗り続けるなんて、不自然だもの。子どももいないのに。もう会社の人にいろいろ知られたって、噂されたっていいやって。旧姓に戻って、心機一転やり直すから」

 早口で、一気に話し終えた。
 車はいつの間にか、森の中を走っている。視界をすり抜ける緑の木々を眺めながら、私は深呼吸をした。

 二人は私の勢いに押されて、呆気にとられたようにうなずいている。
「……まあ、よっぽどのことがあったんだべな。それだけ固い決意で別れるってことは」

 寛二さんの言葉に私は「うん」とうなずいた。

 よっぽどのこと。
 もう一度「うん」とうなずくとふいに、一年前のことがよみがえってきた。


 昨年の春、圭太けいたの兄の子ども――姪っ子の小学校の運動会に行った。東北の運動会は、五月に開かれる。
 圭太は仕事で来れず、私は圭太の母や兄一家と一緒に小学校の校庭にレジャーシートを敷いて、運動会を観戦した。
 子どもの写真を撮りに行ったり、ママ友を見つけて話しに行ったりと皆出払っていて、レジャーシートの上は私と圭太の母だけだった。

「徒競走と、大玉転がししかねえからなあ」
 圭太の母は、ぼやくように言った。コロナの頃からそうなったのか、運動会は短縮開催で午前中に終わる。競技は一学年あたり二競技だけだった。
「午前中で終わっちゃいますもんね。お弁当もなくて」
 んだあ、と圭太の母は言った。

「昔はお弁当持って、一日がかりでしたよね――私も小学校の頃、母がお弁当作ってきてくれて、唐揚げとおにぎりとお稲荷さんと。でもお稲荷さんに梅が入っているのが嫌いで、母に『やめて』なんて言って。子どもだから酸っぱいのダメだったんですよね。今は大好きなのに」

 圭太の母は前を向いて競技を眺めたまま最初は「ああ」と相槌を打っていたが、途中から黙って何の返事もしなくなった。二人の間はしんとして、流行りのJポップの軽快なBGMと、歓声だけが聴こえる。

 私はこうやって時々、空気を読まずにくだらないお喋りをしては後悔した。
 私の子どもの頃の話なんて、この人達にとってはどうでもいいのに。子ども――圭太の子ども、自分たちの孫――の話なら、もう少し聞いてくれたのかもしれないけど。
 ここは自分の実家とは違う、誰も私自身に興味なんかないのに。

 私は、トイレに行くと言ってその場を離れた。トイレは体育館の中にあった。
 すると体育館脇で「じいちゃん」が近所の親しい仲間と話しているのを見つけた。きっと、少年野球チームのコーチ仲間だった人だ。

「……ああ、圭太の嫁だ。東京から来た」
 私のことを話しているのが聞こえた。心臓がどくんと波打って、慌てて物陰に隠れた。
 仲間の人も何かを返し、二人で何かしきりに喋っているが、声がくぐもっていてよく聞き取れない。

「――馴染なじまねえのしゃ。子どももできねえから。もう二、三年経つんでねえか」
 やっとはっきり聞き取れた言葉が、胸に突き刺さった。やっぱり、そんな風に思われているんだ。

 仲間の人が、何か相槌を打つ。それに「んだんだ」と調子よくうなずいてじいちゃんは、次の言葉を口に出した。
「――三年子なきは去れ、なんづこと今どき言えねえっちゃ」

 聞いた瞬間血の気が引いて、軽快なBGMも何も聴こえなくなった。
 何がおかしいのか、じいちゃんと仲間の人は機嫌よく笑い合っている。
 私はふらふらとその場を離れてレジャーシートに戻り、圭太の母に「具合が悪くなったから帰る」と告げた。
 ふらふらしているけど、妙に足取りは軽かった。

 もう、ここにいることはない。いたって、皆不幸になるだけじゃない。

 軽快なBGMを背に校庭の砂埃にまかれながら、私はまっすぐに家に戻った。スーツケースに最低限の荷物を入れ、家を出た。家の外で小さな子ども達を遊ばせながらお喋りしていた近所の若いママ達が、不思議そうにこちらを見る。私は挨拶もせず彼女達の目の前を通り抜け、砂埃の匂いのする髪のまま、スーツケースを引っ張って家をあとにした。

 さようなら。

 ニュータウンのあの家には、その日を最後に帰っていない。


 あの時の砂埃の匂いと、軽快なBGMがよみがえった。
 記憶の奥底に押し込めて固く蓋をしていた、あのじいちゃんの言葉も。私は気がついたら、ぼろぼろと涙を流していた。

「……詩映ちゃん!?」
 涙に気がついた寛二さんが、おろおろと声をかけた。
 高藤さんは何も言わず、ハンドルを持たない方の手でガサゴソと慌ててバッグを探った。そして厚手のタオルハンカチを取り出し、黙って私に差し出した。
 今治いまばりタオルのタグが付いた、ポップなストライプ柄のハンカチ。ふんわりとした優しい感触。
 きっと元彼女からプレゼントされたハンカチに違いないと思ったけど、高藤さんの気持ちがうれしくて私は「ありがとう」とつぶやいた。


〈つづく〉


いいなと思ったら応援しよう!