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小説|さいはてドライブ(第三話)

chapter3. 富谷~大和

 もうあと数日しかないというのに、俺はなんの準備もできずにこんな所にいる。
 それでもいてもたってもいられなくて、職場の親切なやつに、当てずっぽうに「買い物がしてえんだ」と話してみた。すると「富谷とみやイオンでよかったら、乗せて行ってやるよ」とそいつは言って、大衡おおひらの職場からここまで乗せてくれた。

 ――さて、どうすんべ。
 職場のやつの車を降りて、俺はイオンの外壁を見た。煌々と灯りがともっていて、とてもじゃないが俺みたいなみすぼらしいやつが入れる雰囲気じゃない。

 そもそもここは、駅でもバスターミナルでもない。もしそうだとしても俺は、バスにも新幹線にも乗れないが。
 でも、ここは人だけは、いっぱいいる。

――ヒッチハイクでも、してみるべか。段ボールに「盛岡」って書いて掲げてさ。
 いや、こんな汚ねえおやじがそんなことしても、誰も乗せてくれるはずがない。

 意味もなく駐車場の端っこを歩いて、出口に歩み寄った。
 四号線の様子を見やってフラフラと、傾斜のかかった出口の通路を渡る。
 その時前方から白いバンが、俺と同じくらいフラフラと近づいてきた。運転席の姉ちゃんは俺が全く目に入っておらず、こちらにゆっくり突っ込んでくる。
 俺はとっさに、通路のアスファルトの上に転げながらバンをよけた。
 急ブレーキをかけた車の助手席には若い兄ちゃんが乗っていて、そっちが慌てて車から降りてきた。

 ――これだ。
 俺は瞬間、名案を思いついた。そして兄ちゃんを思い切り怒鳴った。
「危ねがったべえ!」

 しかし兄ちゃんはひるまず、こちらに歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか」

 ――こいつは、俺の言うことを聞くだろうか。

 すると、運転席の姉ちゃんも降りて歩み寄ってきた。真っ青な、怯えきった顔をしている。
 ――これはいける。
 俺は確信して、姉ちゃんに向かって怒鳴った。
「姉ちゃんか!?運転してらったのは」
 姉ちゃんは消え入りそうな声で「はい……」と答えた。

「そうか。怪我はしてねえよ。当だってねえもん。ギリギリんとこでよけたじゃ」
兄ちゃんが、安堵のため息をついた。
「それはよかったです。でも念のため救急車を。警察にも電話しますね」

――いや待て。それは困る。
「待て。怪我はしてねえっつってるべ」
 兄ちゃんは、驚いたように俺を見た。

「警察呼ばれたら、姉ちゃんも困るべ。警察だ救急車だ、怪我もしてねえのにそったなおおごとにされても、俺も困るだけだじゃ」
 兄ちゃんは戸惑ったようにまばたきをしながら、俺を見つめている。姉ちゃんは、怯えた顔で呆然としたままだ。組んだ両手がガタガタと震えている。
 兄ちゃんは口を開いた。
「では、どうしたら……」

 ――そう来たらこっちのもんだ。
「事故はなかったことにするべ、んだからさ。その代わり俺を乗せてってよ。盛岡もりおかまで。岩手の盛岡だよ」


 俺を後部座席に乗せて、白いバンは四号線を北向きに走り始めた。
 バンはよく見るとなんとかという社名がついていて、社用車のようだった。そういえば兄ちゃんはワイシャツを着ているし、姉ちゃんも遊びに行くような格好ではない。カップルかと思ったけど、違うのか。

 運転は、当然のように兄ちゃんに代わった。姉ちゃんは相変わらず縮み上がっていて、助手席で身じろぎもしない。
 この頭の切れそうな兄ちゃんが、俺をこのままおとなしく送り届けてくれるだろうか。安心はできない。

「盛岡に行きたいんですよね?――大和たいわインターから、高速に入りますよ」
 ああ、と俺は返事をしたが、途端に動悸が高鳴り始めた。
 もうすぐ来る交差点、酒屋が目印の交差点を右折すると、大和インターへと向かう。

――高速はやめてくれ。それじゃ、電車や新幹線と一緒だ。
 目の前がぐるぐると回り、いつもの眩暈めまいが襲ってきた。俺はうめきながら頭を抱えて、前の座席の背もたれに頭を押しつけた。
「どうしたんですか!?」
 はじめて姉ちゃんが口を開いて、こちらを振り返った。
「具合が悪い……どこかトイレさ入ってけねえか」

 酒屋の隣のスーパーに入ろう、と兄ちゃんは迷わず交差点の右折車線に入って、ハンドルを切った。

 車は、素早く滑り込むようにスーパーの駐車場に入った。
「そこの入口入ってすぐに、トイレがありますから」
「大丈夫!? 吐きたいんですか?」
 兄ちゃんと姉ちゃんは口々に言って、眩暈でまともに歩けない俺の両脇を抱えて車から降ろし、トイレに連れて行った。

 ギリギリの所で間に合い、俺はトイレの個室で盛大に戻した。
 一、二分じっとしていたらなんとか立ち上がれるようになり、個室を出た。

 すると兄ちゃんが腕組みをして、個室の外で待っていた。
「本当に、吐いてましたね」
――本当に?
 何か言い返そうとしたら、また眩暈が襲った。
「どこか、椅子はねえか」
 兄ちゃんはまた俺の脇を抱えてトイレを出て、トイレの入口にあったベンチに俺を座らせた。

「大丈夫ですか」
 ぐったりとベンチの背後の壁にもたれる俺の隣にいつの間にか姉ちゃんが座っていて、冷たく濡らしたハンカチを手に取って俺の頭や額を拭った。
 ひやっとした感触で、生き返るような気がする。ハンカチを持ったその手はしわもなく真っ白で、箸より重いものを持ったこともないような手だ。
 眩暈がおさまって、意識がはっきりしてきた。

「やっぱり救急車呼びましょう。事故の影響かもしれないし」
 ベンチに差し向かって立ったまま、腕を組んだ兄ちゃんが言った。
「――やめろ!!」
兄ちゃんもハンカチで俺を介抱する姉ちゃんも、びくっと身をこわばらせた。
「やめてくれ。これは、事故の影響なんかでねえのさ。持病だじゃ」




「持病……?」
 濡らしたハンカチをおっさんに押しあてたまま、詩映しえさんが訊いた。
「パニック障害、って知ってっか? 多分、それなのさ。専門医にかかったわけではねえけどさ」

 おっさんの顔色を見ると、ひどい土気色をしている。トイレの個室でも実際に吐いていたようだし、仮病でないことは確かだ。

 本当は、大和インター方面には向かわずあの酒屋の交差点を左折し、警察署に駆け込んでやろうと思っていた。だって、どう見ても不審人物じゃないか――でも急に具合が悪いと言うものだから慌てて右折して、スーパーに入ったのだ。社用車で吐き戻されてはたまらない。

 パニック障害と自称するおっさんの黒ずんだ作業着のようなシャツの衿元を詩映さんの手がゆるめ、ギラギラした額をハンカチで拭う。そして荒く呼吸するその背中を、壁とのすき間からさすっている。僕はうらめしいような気持ちでそれを見た。
 そうしているうちに、おっさんの顔色が回復してきた。

「脅すようなことを言って申し訳ねえ。でも盛岡まで連れてってほしいのは本当なんだ。俺がこんなだから」
おっさんは、目の前に立っている僕を見上げて言った。
「乗り物からいつ降りられるかわからねえとなると、今みたいになってしまう。そしたら、新幹線も高速バスも無理だべ?」

 見つめ返す僕に、おっさんはすがるように言った。
「息子の結婚式が、あるのさ。まだ中学の頃女房と別れて、それから会ってない息子だけどさ。結婚式やるっつって、連絡をくれた。それがもう五日後なんだ。なのに、俺はこんなだ。どうにか行ってやりたい――お願いだ。連れてってけねえか?」

 僕はおっさんから目をそらして、詩映さんを見た。おっさんと同じようなまっすぐな目で、こちらを見ている。

 どうしたらいいだろう。頭をフル回転させたが、答えは見つからない。
 仕方ない。もし判断が間違っていても、きっと何とか引き返せる。
 僕はもう一度おっさんを見て言った。
「――下道したみちで行くってことですか? 盛岡まで」
 おっさんは目を輝かせた。
「そうだ。四号線を北へ、ひたすらまっすぐ行けば着くべ?」
 僕は黙ってうなずいた。思わずため息がもれる。


 「『たかふじ・こう』か?」
 スーパーの駐車場でおっさんは、後部座席から僕の社員証に目を凝らしている。
 たかふじはともかく、と僕はエンジンをかけた。
「『こう』って読まれたのは初めてです」
「そうか、俺の兄貴が、光るに一って書いて『こういち』なのさ。だから」

 僕は、車を駐車場から出してインターへの道を引き返し、四号線に出る交差点へ向かう。
 下道で盛岡を目指すことが決まり、おっさんは人が変わったように冗舌になった。
「俺は、北舘寛二きただてかんじ。南北の北に、『やかた』でねくて、なんかよくわかんねえ方の『だて』な。んで、寛大の寛に、一・二・三の二だじゃ――あ、姉ちゃんは何て言うんだ?」
「えっ」
詩映さんは後部座席を振り返り、ためらいまじりに微笑んだ。


〈つづく〉


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