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小説|さいはてドライブ(第十話)【終】

chapter10. 盛岡

 高藤たかとうさんがラジオのボリュームを二段階上げた。岩手のFM局の番組が車内に響く。風景が少し単調になってきたので、気分を変えたいのかもしれない。
 最新のヒット曲が大きめのボリュームで流れて、沈黙の気まずさを紛らわしてくれる。
 寛二かんじさんもほとんどお喋りをせず、黙っている。次第に盛岡が近づいてきて、緊張しているのかもしれない。

 両側に田んぼが広がり、遠くに山並みが見える。ブルーグレー色にたたずむ、ひときわ存在感を放つ高山を見て寛二さんがつぶやく。
「今日はよく見えるこった」
岩手山いわてさんですよね」
 高藤さんに訊かれ、寛二さんは「ああ」とうなずいた。

「きれいな形ですよね、富士山みたいで――少しどっしりめの」
「心の山なのさ。岩手のもんにとっては」

 イギリス海岸をあとにして、高藤さんは何かすっきりしているように見える。私の方が面食らっていて、高藤さんと何を話したらいいのかわからない。誰かに「欲しい」なんて言われたのは初めてだから。

「ここ、もう盛岡なんですかね」
「いや、ここはまだ矢巾やはばだ――ああ医大病院、盛岡にあったのにな。こっちに移ったったのか」

 しばらくすると田園風景と山並みは見えなくなり、店舗や建物が連なる風景に変わる。盛岡に入ったようだ。
 盛岡は、建物の密度と活気がこれまでとは違う。数えきれない店や施設やその看板、ガソリンスタンドの屋根や歩道橋、目まぐるしくいろんなものが目に飛び込んでは過ぎてゆく。街の規模では仙台にはかなわないはずだが、道幅が狭い分街の営みが、なんだか濃厚に感じる。
 大きな橋が前方に見えた。下を流れるのは、イギリス海岸と同じ北上川のようだ。

 「欲しい」は「好き」と違うんだろうか。どちらが強いんだろう。どちらが確かなんだろう。そんなことを、さっきからずっと考えている。
 多分、考えても仕方のないことだ。
 両手を握り合わせると、少し震えている気がした。私も本当は、この人が欲しい。


 後部座席でスマホの着信音がした。寛二さんが、うめくような声をあげた。

「――ひろむだ。息子だ」
「息子さん!?」
「なんて……?」
 高藤さんと私は口々に言った。
 私は寛二さんの方を振り向く。

 寛二さんは震える手で、スマホのメールの画面を私に見せた。

『高松の池
白鳥が一羽いるよ』

 それだけが、書かれている。

 高松たかまつの池、と私がつぶやくのにかぶせるように、寛二さんは声を絞り出した。
「高松の池さ、行ってくれ……!」

「どこなんですか!?」
高藤さんも負けずに声を張り上げて聞き返した。
「しばらくまっすぐだ、でNHKんとこさ右……あー、案内すっから!」

 片側二車線なのに道幅の狭い四号線を、高藤さんはもどかしげに進む。交差点の右折用車線はほとんどなく、度々右折車に足止めを食らう。寛二さんはその度にあせって「ああ……」と声をあげる。高藤さんは車線変更を繰り返しながら、先を急いだ。

 やがて、左手に鉄塔が見えてきた。
「その鉄塔の信号を、右だ」
寛二さんに従って高藤さんは、ハンドルを切った。
 細い道路を進む。まもなく寛二さんが絞り出すように「ここだ」と言った。専用駐車場の表示を見つけ、すぐに駐車する。

 駐車した途端寛二さんは、転がり落ちるように車から降りて後部座席のドアをバンと乱暴に閉め、前方に広がる「高松の池」に向かって一目散に駆けて行った。勝手知ったるように走る寛二さんは還暦過ぎとも思えない足の速さで、私と高藤さんも慌てて後を追いかけた。

 入口を駆け上がるとそこには、湖と言いたくなるくらい広大な池が広がっていた。傾きかけた日の光が水面を照らして、青々と葉を広げた大きな桜の木々が、池の周りをぐるっと囲んでいる。
「すげえ」
 池を見渡し、高藤さんがつぶやいた。

 一瞬キョロキョロして寛二さんは、遊歩道が整備された右の方向へと駆け出した。
 高藤さんがその後を追う。私も追いかけたが遅れを取ってきた。高藤さんは振り向いて私の手を取った。二人で再び駆け出す。

 のんびり泳ぐ、池の淵のアヒルや鴨が目に入る。遠くには、スワンボートや手漕ぎボートが何そうか漂っている。
 ウォーキングをする人、犬の散歩をする人、小さな子どもを連れた人。思い思いに遊歩道を歩く人々をすり抜けるように寛二さんは走る。私は高藤さんに手を引かれ息を切らしながら、懸命に追いかけた。

 半周近く回り、向こう岸に大きな学校のような建物が見えた。
 池を眺めるTシャツ姿の青年を見つけて、寛二さんは立ち止まった。
「ひろむ……!」

 青年は、こちらを振り向いた。
 堅そうな髪の毛とギョロッと大きな目が、寛二さんによく似ている。

「白鳥いるだろ。ほら」
 彼が指差した先には、少し痩せた白鳥が一羽泳いでいる。
「寂しそうだなって――父ちゃんを思い出した」

 寛二さんは、何かよく聞き取れないことを叫びながら息子さんに駆け寄り、抱きついた。
 おいおい泣き出した寛二さんを、息子さんの腕はしっかり抱きしめる。そして涙を流しながら、寛二さんが何か言うのに「うん」「うん」と答える。

 私は数メートル離れた所で、高藤さんと並んでそれを見つめた。気づいたら私も、あたたかい涙がぼろぼろと頬を伝っている。


「邪魔者は去ろうぜ」
 満足そうに笑って、高藤さんは今走ってきた方へ、私の手を取ったまま歩き出した。

「寛二さん、結婚式出られるかな」
「どうだろうね」
 高藤さんは笑いながら言った。

 寛二さんと息子さんが連れ立って、私達とは逆の方向へ歩き始めたのが見えた。家に帰るのだろうか。
 良かったね――どちらからともなく、そんな言葉が出る。

「俺は明日、北上きたかみで仕事だから。これからすぐ向かって、今日は北上に泊まるよ」
 神妙な顔でうなずく私に、高藤さんは笑って言う。
「高速乗ったら、すぐだよ。詩映しえさんは盛岡駅まで送るから。北上駅でもいいけど」
 この後のことなんて何も考えていなかった私は、一瞬どうしたらいいのかと考えた。少しでも長く、一緒にいられたらいい。
「……北上駅がいいかな」
 OK、と高藤さんはうれしそうに答える。

 賑わっていた人の流れが途切れ、静かになった。高藤さんは立ち止まって池とその周りの景色を見渡した。
「――そういえば白鳥、いたなあ。こんな人気ひとけの多い所に白鳥飛来するんだ。すげえな盛岡」
「スワンボートと白鳥が、一緒に泳ぐのかな」
 間の抜けたことを言う私に、高藤さんは笑った。
「冬場は出ないんじゃない、スワンボート」

 高藤さんは、私の手をしっかり握っている。
「手、隠すのやめたね」
 どきんと心臓が鳴った。高藤さんの大きくて力の強い手が、古川のホテルのことを思い出させる。

「詩映さんらしい手」と高藤さんはつぶやいた。
「だから、嫌だったの」
 高藤さんは私を見つめた。何だか駄々っ子のようで、自分の言ったことが急に恥ずかしくなった。
「でも、もういいんだ」

 日がだいぶ傾いてきて、頬に涼しい風が当たる。涙がいつの間にかすっかり乾いたと思っていたら、涙よりあたたかいものが近づいてきて唇に触れた。


〈了〉


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