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小説|さいはてドライブ(第九話)

chapter9. 花巻

 「でも、お兄さんの言うこと正しいよ。どうせ、ろくでもねえ親父だったんだべ? さっきみたいに、ちらし寿司だのなんだのって威張りくさってさ」
 笑顔で容赦ないダメ出しをするサオリさんに、寛二かんじさんは下を向いた。

「もう式なんて、出られないこと前提で帰れば? おめでとうって言うためだけでいいのさ。許してくれっかなんてわかんないけど――でも気持ちを伝えるだけでもさ」

 高藤たかとうさんは「そうだね」とうなずいた。
「おめでとうって、言うためだけでもね」
「そうそう」
 サオリさんもうなずいた。
「それでいつか、何年先かわかんないけど、許してくれっかもしんないよ。この先も、人生は続くんだからさ。息子くんも、おじさんも」

 高藤さんと私は、何度もうなずいた。

 人生は続く。息子さんも寛二さんも。
 私達も。


 サオリさんと寛二さんと私で五本ほどビールを空けた頃、高藤さんが「そろそろ休んでいいかな」と立ち上がった。寛二さんもそれに続く。
「高藤ちゃん、疲れたべな。ずっと運転し通しだもんな――どれ、俺ももう寝るべか」

 男性陣も子ども達も寝静まった居間で、私はサオリさんと二人でお茶を飲んだ。
詩映しえちゃん。お兄さん、熱い人だよね」
 サオリさんは、寛二さんや高藤さんは「おじさん」「お兄さん」なのに、私のことは名前で呼んでくれる。

「熱い? 職場では、はっきり物を言いすぎて怖いなんて言う人もいるけど。私は、クールな人だって思ってたな」
「皆が言いにくいことをはっきり言える人はさ、本当は熱いんだよ。外はクールに見えても」
 サオリさんが目で微笑む。優しそうに目尻にしわが寄るのを見て、もしかしたら私より少し歳上なのかもしれない、と思った。

「そういう人はさ、守ってあげないと」
「……守る?」
 サオリさんは「んー」と思案するように言った。
「……守るは違うな。受け止めてあげる。ワーッと熱くなってる中身を、受け止めてあげる人が必要なんだよ」

 そう言ってサオリさんは、何かをうながすように私を見た。私は首をかしげ、サオリさんを見つめた。「……まずね」はこういう時に使うのかな、と思いながら。

「高藤さん、私よりけっこう歳下なんだよね」
 サオリさんは、黙って私を見つめ返した。

「男の人の三十代前半と女の三十代後半って、十歳くらいの差に思えない?」
「……まずね」

 サオリさんはまた首をかしげ、私をじっと見つめた。酔って目の端が赤くなったサオリさんが何だかとても色っぽくて、誰にも話したことのないことまで私は、洗いざらい話したくなってしまった。
「私バツイチで。子どもできなくて別れたんだよね」

 私はサオリさんに、運動会のあの日の話をした。圭太にも自分の両親にも一生話すまいと決めていた、あのじいちゃんの言葉も。
 サオリさんは、何も言わずにただ涙を流した。まるで代わりに泣いてもらっているみたいで私は、一粒も涙を出さずに話し終えた。

「許さなくて、いいと思うよ。ずっと」
 ぽつりと、サオリさんは言った。
「私もだんなの親に、いろいろひどいこと言われてきた――女の子二人だったから『男、男』ってうるさく言われ続けてようやく授かったら『双子なんて今さら子守できっか、お前達めだちだけでやれ』とか言われて……大嫌いって思ったこともあるよ」
 サオリさんは涙をふいて、笑顔を作った。

「でも思うんだけどさ、あの人達は――母か娘以外の女と、どう接したらいいかわかんないんだよね、きっと。私のことだって、自分の孫の母親としか思ってないもの」
 ああ――私は思わず声に出して、サオリさんの言葉にうなずいた。
「許さなくて、いいと思うんだ。でも『許せない』って思って苦しくなった時そんな風に考えたら、少し楽かもよ」

 サオリさんは、もう一度涙を拭って顔を上げた。
「うちは、だんながちゃんと私のこと考えてくれてるから大丈夫――だから詩映ちゃんもさ、別れたことで、今度はちゃんと詩映ちゃんのことを考えてくれる人と出会えるって思えばいいのさ」

 サオリさんはそう言って、高藤さん達の寝室の方をちらっと見ながら笑った。私もそれに応えて微笑む。
 「……まずね」と言いたい気持ちも、少しあったのだけど。




 前沢まえさわの「サオリさん」の家に一晩泊めてもらい、朝早くに再び三人で出発した。
 あの風貌に最初は怖じ気おじけづいたが、いい人だった。

 きっと、シンプルに生きてきた人なんだろう。
 うれしいこともムカついたこともできるだけ正直に伝えて、ぶつかったり傷ついたりしながら今までやってきたんだろう。
 きっと何より自分のために、自分が笑っていられるように。

「おめでとうって言うだけでもいいのさ」
「気持ちを伝えるだけでもさ」
 僕はその言葉が、なぜかストンと腑に落ちた。

 シンプルに考えればいい。気持ちを伝えられればいい。
 彼女を見習わなきゃいけない。僕も、多分詩映さんも。


 水沢みずさわ金ヶ崎かねがさきと車は快調に走り、北上きたかみに差しかかる。
 前沢に来る前、詩映さんが車の中で話していた言葉を思い出す。
「北へ北へ進んで、もうここが果てだって思っても、またちゃんと人の住む街が現れるでしょう? 果てなんてないんだから。ずっと道は続いているんだから」

 七北田ななきた鬱蒼うっそうとした森を見て憂うつそうな顔をしていたのは、つい二日前だ。
 詩映さんは自分のことを、どういう人間だと思っているんだろう。控えめでおとなしそうな見た目通りの、弱い人間だと思っているんだろうか。
 そうじゃないと、そろそろ気づいてくれただろうか。
 寛二さんにじゃない、間違いなく僕は詩映さんに翻弄されながら、この旅を続けているのだから。

「もう少しで花巻はなまきかな。私、花巻で寄りたい所があって」
 詩映さんがこちらの様子を伺いながら聞いてくる。遠慮がちだが、昨日の気まずさはもうない。
「どこ?」
「『イギリス海岸』。宮沢賢治ゆかりの場所なんだよね」

「賢治か。詩映ちゃんは、賢治読むのか」
後ろから寛二さんが、口を挟んだ。
「俺は盛岡生まれだから学校でいろいろ教わったったけど、覚えてるのは『雨ニモ負ケズ』だけだじゃ」
 詩映さんはくすくすと笑った。
「私も、難しい解釈とかは全然わからないの。雰囲気を味わってるだけなのかも――でも好きで、何冊か読んでる」
 いいよ、行こうよ、と僕は答えて車を走らせた。

 花巻に入り、周囲に民家や店舗や介護施設など、様々な建物が現れ始めた。また、人の営みが濃くなってくる。
 ほうぼうに「銀河なんとか」と「銀河鉄道の夜」にちなんだようなネーミングの看板が見られ、ここは宮沢賢治の生まれた街なのだと実感する。

 詩映さんがスマホの地図アプリを見ながら、イギリス海岸へナビをしてくれる。
「この道を入るみたい」
 対向車とすれ違えないくらいの狭い道を入るとそこが、イギリス海岸だった。日差しの強い中、皆早速降り立つ。

 駐車場に説明の看板があり、それを詩映さんが読み上げた。
「『宮沢賢治は、北上川西岸に青白い凝灰質ぎょうかいしつ泥岩でいがんが川に沿って広く露出していたため、そこに立っていると”イギリスあたりの白亜の海岸を歩いている気がするのでした。”と作品に記しています。さらに第三紀と呼ばれる地質時代の終わりの頃にはこの地まで海岸が広がっていたと考えていたため、それらを呼び合わせて”イギリス海岸”と名付けました。』」

 しかし目の前にあるのは、豊かな水が時折ドウドウと音を立てて流れる、ごく普通の川だった。
「今は水量が安定してそういう岩が露出することもほとんどなくなったって、ここに書いてる」
 詩映さんは申し訳なさそうに笑ってこちらを見た。

 川原には草が高く生い茂り、水際まで行くことはできない。草むらを隔てた所に遊歩道が設けられていて、寛二さんが先頭切ってぶらぶらと遊歩道に繰り出した。

「そんなに変わった地形の川原だったのかねえ――んでも、いい所だこった。盛岡を思い出すねえ」
 南北に流れる川沿いに設けられている遊歩道の、北の方向に寛二さんは歩く。
 南側は、高く上る昼前の太陽が川面を照らしている。僕と詩映さんはそちらの方向に向かって歩き出した。

「普通の川原だったね」
 詩映さんが、わざわざ寄らせて申し訳ないというように笑った。
「うん。でもいい所じゃん」
「ありがとう。来れてよかった。昔は違った姿だったんだろうし――イギリス海岸って名づけちゃうセンスが素敵なんだよね、宮沢賢治は。こういう人が、百年前の東北に生きていたんだなって」

 より高くなってきた太陽に向かって歩く。時折ウグイスの声が聞こえる。

「ねえ高藤さん、ごめんね。私あまり深く考えずに寛二さんの味方をして来たけど。高藤さんは息子さんのことまでいろいろ考えていて――私、高藤さんの事情も知らなかったし」
 昨日僕が、両親の話をしたことを言っている。僕は首を振った。

「――本当に分け隔てなく育てられたし、普通に幸せな家庭だったから。弟……従弟いとこなんだけど、弟とも本当の兄弟みたいに育ったし。親父は、俺が物心ついた時から『お前には本当のお父さんお母さんがいた』って話してくれて、毎年一緒に墓参りにも行って。でも、だからって家族の中で疎外感を感じたことはなかったし」
 詩映さんは僕の隣で、何も言わずにうなずいている。まるで「もっと話して」とうながされているようで、僕は乗せられるように話し続けた。

「でも高校の時――進路を考える時に『あれ、俺大学行っていいのかな』って、なぜかわからないけど気にかかって。だけどちょうどその時、親父が『お前、志望校どこなんだ』って聞いてくれて『ああいいんだな』って。で結局、私立に行かせてもらったし」
 詩映さんは、黙ってうなずいている。川の流れる音が日差しの強さと張り合うように激しくなってきた。

「弟が進学の時、あそこに行きたい、ここに行きたい、留学もしたいだのって言っているのを聞いて、ああやっぱり違うんだななんて思ったけど――まあでも、ただの長男長女にありがちな遠慮で、本当の子どもじゃないとかそういうこととは関係なかったのかもしれない」
 詩映さんはいつの間にか、僕を見つめながら話を聞いていた。何だか恥ずかしくなって僕は、川の方に目をやった。
「……まあ、そんな程度のこと」

「結婚の約束をしていた彼女には、そのことは?」
 詩映さんは初めて、口をはさんだ。
「もちろん。なんか、初めて聞いた時は泣いていたな」
 天真爛漫だった亜美あみを思い出して、僕は少し笑った。
「もっと弱音を吐いていいのに、とか言われたけど」

「吐いてって言われて吐くものでもないもんね、弱音って」
 さっきより高くなった太陽の光に、詩映さんは右手をかざした。美しい魚のような白い手に、強い光が当たる。日射しが痛いくらい体中に刺さって、僕はどうしようもなく喉が乾いた。

「俺詩映さんが欲しい」
 何の脈絡もなく、心の中からそのまま言葉が出た。
 詩映さんはこちらを向き、表情を変えずに僕のことをじっと見た。

「――やめといた方がいいよ」
「なんで」
詩映さんは、前に向き直った。
「高藤さん若いから。もう少し若い人欲しがった方がいいと思う」

「歳、大して変わらないじゃん」
「変わるんだよ」
 詩映さんは、戸惑ったようにまばたきをした。

 遊歩道の逆側へ進んでいた寛二さんがこちらに歩み寄ってくる。詩映さんは寛二さんを振り向いて「そろそろ行く?」と声をかけ、駐車場へと踵を返した。


〈つづく〉


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