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【note創作大賞2024】スカートとズボンの話 〈5〉誰より好きなのに

第1話はこちら


第5話 誰より好きなのに

2007年

「俺ははなに、ぶっ壊された」
 誠順せいじゅんはその頃、冗談交じりによく言った。

 「ぶっ壊された」のは、理性的な誠順。
 周りからの期待に、120%応える誠順。
 後から考えると結局、それはまったく壊されてなどいなかったのだけど。

 わたしたちは、毎日のように会った。
 会うたびにわたしは誠順に思いを伝え、伝えるほど、誠順も愛おしさをわたしに返してくれた。鏡みたいだった。

 わたしはたまらなく幸福だった。服を脱いで彼の体にふれたとき、きっと生まれる前からどこかで、わたしたちはこうしていたにちがいない、と本気で考えたりした。

 わたしたちはいろいろな話をした。
 わたしの子どもの頃からの話、複筒を選んだこと。それを聞くと誠順は、本当に華らしい、と笑った。
 誠順の子どもの頃と、育った海沿いの街の話。
 でもその話からは、実家の旅館の話は、注意深くはずされていた。出てきても、ごく幼い頃の話だった。わたしたちはそこを、考えないようにしていたのだ。


「そっかあ……」
 耀子ようこさんは、口を真一文字に結んで、ゆっくり頷く。わたしが誠順の話をすると、いつもそうだった。つきあうことになったと報告したときも、同じだった。

 わたしが誰かとつきあうと夢中になりすぎる、と耀子さんは呆れている節があった。それでも、仕事に支障をきたしたりはしないことも知っていた。そういうわたしの今までの恋愛が、大抵うまくいかなかったことを耀子さんは知っていて、ただ心配だったのかもしれない。


 下衣選択法のガイドラインは施行された。メディアにも取り上げられ、単筒、複筒、それぞれがこれまでに比べて着られるものが増えたと、概ね好評だった。

 しかし、政府の思惑通りにことは進まなかった。
 閣僚の失言禍が、また起こったのだ。

 閣僚A氏はX月Y日開かれた自自党集会で、少子化問題について話す中
「出産適齢期、20代から40代の女性の数は決まっている。『産む機械、装置の数』は変わらないということです。その役目の人が、一人頭で頑張ってもらうしかない」
と発言した。

2007年X月Z日 毎朝新聞より

 出産可能な女性を「機械」に例えたこの発言は、後に「産む機械発言」と呼ばれる。ある意味歴史的な失言だった。これにより、与党自自党への非難は高まった。

 民民党は、がぜん勢いづいた。サトウアサミは、もちろん急先鋒だ。世論は著しく政府批判に傾いた。下衣選択法のガイドラインの好評判など、あっという間に忘れられていった。


「なんで、こういうことを言うんだろうな」
 誠順は、心底うんざりした声を出した。

 世間の人と同じように、発言に対する怒りもあっただろう。
 でももっと大きいのは、時間をかけて積み上げた仕事が、無駄になったことに対する怒りだったにちがいない。
 誠順たちの仕事はきっと度々、こんな風に、一瞬で反故にされるのだ。

 女性たちが楽しく着られる服を考えて、仕入れたり作ったりして、売る。わたしの仕事はなんてシンプルなんだろう。誠順の仕事の複雑さに、胸が痛くなった。
 しかし、わたしにはどうすることもできなかった。



 2007年の夏は、これまでにないような猛暑だった。
 東京は連日35℃を超える暑さで、夜も30℃を超えた。熱中症を防ぐためにエアコンをつけて就寝するように、とテレビなどで専門家やキャスターが盛んにアナウンスした。

 風呂上がりにルームウエアを着てわたしは、マンションのベランダにいた。遠くに街の灯りが煌々としている。目の前の通りは、人が時々通るだけで静かだ。

 何してるの、と掃き出し窓を開けて誠順が呼ぶ。
 誠順はエアコンをつけるが、わたしはあの冷たい風が苦手だ。わたしは、こっちにおいでよ、と誘った。

「蒸し暑いな」
 ベランダに出て誠順は、顔をしかめた。

「時々、風が来るよ」
わたしがそう言うと、少しだけ風が吹いた。これくらいじゃ、部屋に風は通らねえな、と誠順はぼやいて、ベランダの欄干に腕とあごをのせてもたれた。

 寂しいよ、とわたしは言った。誠順が、長期出張することになったのだ。大阪に新たな外郭団体が立ち上がることになり、その準備に駆り出されるのだった。2か月ほど、離れ離れになる。

「休みに来れないかな、大阪に」

「連休は取れないもの。多分行けないよ」

 わたしは、欄干にもたれた誠順に顔を近づけた。数秒間じっと見つめると、誠順はわかったよ、というようにわたしにキスをした。わたしは誠順の背中に手を回し、Tシャツの中に手を入れ背中にふれた。誠順はわたしを抱きよせて、ルームウエアの下の何もつけていない背中や胸を手のひらでなで、さらに深くキスをした。

 通りに、人の通る気配がする。わたしたちは欄干のコンクリートに隠れ、しゃがみ込んだ。

「この変態」
 誠順は声を押し殺して、くすくす笑った。

 なんでわたしだけ、とふくれると、誠順は、入るぞ、とわたしの肩を抱いて部屋へ引き入れるのだった。



 誠順が大阪に出張し、1か月半経った。9月下旬になっても、東京は暑さがおさまらなかった。わたしと耀子さんは外を行き来する度に、暑い暑い、外と中の気温差でやられる、とぼやいた。

 わたしはひどく夏バテをしていた。休憩時間になると、バックヤードで横になった。食欲もあまりなくコンビニの素麺ばかり食べていて、かと思うと急にフライドポテトを食べたくなって食べ、胸やけしたりしていた。

「華、生理きてる?」
耀子さんがそんなわたしを見て、聞いた。たしかに最近、来ていなかったのだ。

 妊娠検査薬を買って検査をすると、くっきりと「陽性」が示された。

「そっかあ……」
 耀子さんは、口を真一文字に結んで、ゆっくり頷いた。
 いつもの耀子さんだ。


 わたしは、妊娠していた。産婦人科で10週3日、と言われてもよくわからなかった。いわゆる妊娠3ヶ月だ。超音波を示され、赤ちゃんはもう胎児の形をして、心臓が動いているのが確認できる、と医師は言うのだった。

「失礼な質問だったらごめんなさい。皆さんに聞いているんですけどね」
「未婚」に〇がついている問診票をちらっと見て、医師は言った。
「妊娠を継続される意思は、ありますか?」

 一瞬返事をためらったわたしを見て、では、と何か言おうとした医師を、わたしは制した。
「あります」

 あります。あるに決まっている。
 好きで好きで仕方ない人の子どもが、お腹にいるんだ。
 こんな幸せなこと、ないじゃないか。


 その夜は、誰にも何も言えなかった。浮足立っていた。
 まずは明日、耀子さんに話そう、とわたしは思った。

 次の日、出勤してバックヤードで着替えをはじめた瞬間、下半身でいやな感触がした。慌ててトイレに駆け込むと、出血していた。服が汚れるくらいの量だった。

 トイレから出ると、耀子さんが出勤していた。

 わたしは、産婦人科を受診した昨日のこと、そしてたった今出血していたことを、耀子さんに話した。

 耀子さんはいつものように、そっかぁ、とは言わなかった。

「……病院!すぐ!!」

 わたしはタクシーで、昨日の病院に向かった。


 切迫流産です、入院しましょう、と医師は言った。
 切迫流産とは、ようするに流産のおそれがある状態、ということだった。

 店から来たわたしは、着替えも何もない。家に取りに帰りたい、と言うと
「ダメです。絶対安静ですから。ご家族の方に、持ってきてもらってください」
と医師は言う。

 わたしは、大阪の誠順、実家の両親、の順にこのことを知らせた。

 誠順には、病室からメールをした。妊娠していることがわかった、でも流産の恐れがあるということで、今入院している。わたしは産みたいと思う、と。

 実家には電話をした。予想していたことだが、母は取り乱した。わたしは、突然こんなことになってごめんなさい、と素直に詫びた。たまにしか帰らない娘のくせに、動けない身になってしまった以上、両親に頼るより他ないのだ。

 誠順はまもなく、電話をくれた。きっとメールではなく、電話をくれるだろうと思っていた。誠順は、そういう人なのだ。

 華、大丈夫か? 大丈夫じゃないから、そこにいるんだよな。メール読んだよ、全部わかったから。産もうな。

 仕事中らしく、短い電話だったが、わたしには十分だった。
 わたしの言ってほしいことを、全部言ってくれる。誠順は、そういう人なのだ。

 次の日、誠順は急遽大阪からやってきた。居合わせた両親に頭を下げ、どうか華さんと結婚させてほしいと頼んだ。そうか赤ちゃんを産むというのはそういうことなのだ、とわたしは今さらに思った。

 少々頼りないわたしの両親にも、誠順が信頼に足る人物だということは、すぐにわかったようだった。


 しかしわたしの出血は、すぐにはおさまらなかった。それだけではなく、今まで気づかなかったくせに悪阻もひどくなった。ついには食べ物を受けつけず、点滴で栄養をとるようになった。

「10週まで気づかなかったんでしょう、この時期に悪阻がひどくなるって珍しいよね」
 担当になった看護師が言った。

「妊娠したってわかったら、途端に気持ち悪くなったのかもしれません」

「そういうものなのかな」
看護師は笑った。でも大丈夫、必ず終わるからね、と。

 結局、退院まで2か月近くがかかった。
 通常は「安定期」といわれる時期になっても、しょっちゅう腹痛や出血が起き、わたしはろくに仕事にも行けなかった。妊娠後期には、もう1度入院したりした。「産む機械」としては相当効率が悪いのが、わたしだった。

 誠順は、ずっと優しくわたしを気づかった。両親にもとても気に入られた。妊娠中に届けを出してわたしたちは、夫婦になった。


 この妊娠中のドタバタで、誠順はわたしに、自分の実家のことを何も言えなくなってしまったのかもしれない。
 もっと安定した妊娠だったら、自分の実家での立場、思うことを、わたしにもっと正直に言えたのかもしれない。

 もし言ってくれたら、どうだっただろうか。わたしの答えは、変わらなかったかもしれないけど。

 誠順は、何度も実家に連絡していた。もちろん、帰って直接話したこともあった。
 わたしも一緒に行くと申し出たが、止められた。とてもそれができる体調ではなかった。

 誠順は実家を継がず、東京でわたしと子どもと生きていくと言ったのだ。
 誠順の両親は、決してそれを許さず、認めなかった。


 年が明けて2008年の初夏、わたしは無事女の子を出産した。
 わたしたちは彼女を、花凛かりんと名づけた。


2010年

 ぷくぷくのまるいほっぺに、くるんとカールした長いまつ毛。
 花凛の寝顔は、本当に愛らしい。
 2歳になりすっかりおしゃまな花凛だが、眠っている顔はまだまだ、赤ちゃんの面影がある。

 誠順は花凛のほっぺに指をのばし、そっとつついた。わたしはそれをとがめる。
「起きちゃうよ」

「だって可愛いんだもん。抱っこしていい?」

「ダメに決まってるでしょ」

 わかっていて、ふざけて言っているのだ。抱っこしたい、ダメ、という応酬がしばらくつづく。

「じゃあ代わりに抱かせて」

 誠順はそう言って、わたしに腕をからませる。
 代わりにって何、と腹を立てたふりをして、わたしはそれを受け入れる。


 きっと、疲れている。

 精神的に疲れていると誠順は、こうなる。おそらくきっと、むやみにセックスしたいわけじゃない。疲れや、どうしようもないことや、みたされない何かを紛らわそうとしているのだ。


 前の年、ついに政権交代が起こった。民民党が政権を取ったのだ。サトウアサミは、女性史上最年少の入閣を果たした。
 喜び勇んで念願の「女性下衣選択法」撤廃に着手するかと思ったら、そうではなかった。彼女はもっと注目度の高い、メディアに派手に取り上げられるプロジェクトに、嬉々として取り組んだ。
 それはいつか誠順から聞いた彼女の「別の目標」を考えれば、至極当然なことだった。

 女性下衣選択法はますます、誰からも顧みられない法律になっていた。ガイドラインは細々と書き換えられ細かい改正が加わっていたが、一般の国民の関心を集めることはなかった。

 装美監理庁は率直に言うと、暇になった。誠順は2年前立ち上げに携わった外郭団体へ出張することが増えた。仕事自体は忙しいのだ。帰る時間も、いつも遅い。
 でもその様子から、誠順にとって面白い仕事ではないのだろう、とわかった。

 誠順たちの仕事は、時に複雑だ。表向きは国民のための仕事だが、実際は政府のためや、はたまた自分たちのための仕事だったりする。

 それがきっと、誠順には耐えがたいのだ。
 いつでも誰かから必要とされ期待され、それに100%、できれば120%くらいの満足度で応えたい。わたしの大好きな「ええかっこしい」の誠順。

 そこまでわかっているのに、わたしは誠順に、本当の気持ちを聞けない。もし聞けばそれが結局、2人でずっと避けている話につながってしまうからだ。


 わたしは、ようやくまともに仕事ができるようになっていた。

 入院つづきだった妊娠期は仕事に行けず、出産後も当然、仕事ができなかった。
 生後8か月でようやく認可外の保育所を見つけ、さあ今までの分を取り返そうと張り切ったが、まったく思うようにはいかなかった。小さな花凛はすぐに熱を出した。

 耀子さんは
「当然のことだよ。わたしもアリスのときそうだったもん。申し訳ないなんて思っちゃダメだよ」
と優しく言ってくれたが、こんなことがいつまでつづくのか、早く前のように耀子さんと思いきり仕事がしたい、とわたしはあせった。

 すると耀子さんは、あるベビーシッターさんを紹介してくれた。
 サトコさんという人で、耀子さんの娘アリスさんを、赤ちゃんの頃みていた人だ。

「本当にすばらしいシッターさんだったのに、当時は家庭の事情で突然来られなくなっちゃった。いてくれたら、アリスを東京で育てること、あきらめなくて済んだかもしれない」

 その人に、耀子さんは「ダメもとで」声をかけてくれた。すると彼女の都合がついて、花凛をみてもらえることになったのだ。

 1歳半を過ぎたころからようやくそんな体制ができて、わたしは仕事に少しずつ専念できるようになった。

 とにかく、耀子さんのおかげだった。何年かかるかわからないけど、わたしは彼女に恩返しがしたかった。
 でも、それだけではなかった。やはりわたしは、merメルbleueブルで仕事がしたいのだ。妊娠と出産で離れてみて、この仕事がどれだけ自分にとって大切なのか、よくわかった。

 このmer bleueで働きながら、花凛を育てていく。今のわたしにはそれ以外のことは、考えられなかったのだ。



 子どもが寝ている横でするセックスは、罪悪感がある。まだ2歳だから、もし起きたってきっと何だかわからない。でも絶対に見せたくはないから、起こさないように声を殺す。

 終わってしばらくすると、いつも誠順は花凛の寝顔を眺めている。

「可愛いなあ。どうしてこんなに可愛いんだろうな」

 そんなときの誠順はとても寂しそうな顔に見えて、胸が痛む。
 誠順の両親は生まれてから1度も、花凛に会いに来ないのだ。こちらから会いに行きたいと連絡をしても、一切返事はない。

 わたしの両親は、本当に花凛を可愛がった。溺愛といってよかった。これまでろくに親を顧みなかった娘のわたしが、彼女を産んだことで、はじめて両親を笑顔にできたのではないかと思った。

 会いに来ない誠順の両親を、わたしの父は
「こんな可愛い子に1度も会いに来ないなんて。宝物を棄てるようなものだよ」
と嘆いた。

 でも誰より誠順が、やりきれないはずだった。いつも人の期待に応えて、誰かを喜ばせたい誠順だ。子どもの頃から、実家の両親に対しても、きっとそうだったにちがいないのだ。

 それでもわたしは誠順に、どうしたいのか正直に話してみて、と言えない。本当は気持ちを、痛いほどわかっているのに。

 ぐずぐずと、時間が過ぎるばかりだった。


2011年

 春が近いのに、寒い。
 花凛が年度明けから保育園を移ることになり、その日は午前中にお別れ会が開かれた。わたしは仕事を休んで出席し、帰りに花凛と2人でファストフードでランチをし、近所の公園に寄った。

 すべり台型の大型遊具と砂場があるだけの公園だが、花凛のお気に入りだ。砂場と遊具を行き来し、もう1時間以上帰ろうとしない。

「もうすぐおやつの時間だよ。家に帰ってチョコパン食べようよ」

「いや。チョコパンいらない。すべり台するの」

 いやいや期というのか、最近言い出すと聞かない。いつもはお昼寝をしている時間で、明らかに疲れているのに。

 さて、何と言って連れだそう。わたしは腕を組んだ。
 するとどこからか、地鳴りがした。ふいに足元がぐらついた。

 誰かが、地震だ、と叫ぶのと同時に、遊具がぐらぐらと揺れはじめた。階段を上る途中の花凛は、火がついたように泣き出した。わたしは夢中で駆け寄って花凛を抱き上げ、遊具から離れた。

 同じように子どもを抱きかかえた母親や、自力で降りた子どもが、ぐらぐら揺れる公園の砂場に駆け込んで、しゃがみ込んだ。すべり台遊具は音を立ててがたがたと揺れていた。

 何分かかっただろうか。揺れはおさまった。子どもは皆泣き叫んでいた。花凛もだ。誰かがスマホを見て、どこそこが震源だ、すごい地震だ、などと言ったが、泣き声でよく聞こえなかった。

 わたしは大泣きしている花凛を抱きかかえて、大急ぎで家に帰った。部屋の様子が心配だったが、物がいくつか落ちているくらいでそれほどの被害はなかった。

 しかし花凛はいっこうに泣き止まない。そして急に嘔吐した。具合が悪かったのだ。こんな風に急に体調を崩すことはよくあるが、地震のショックもあるのかもしれない。わたしは彼女の体と周囲を拭いて服を着替えさせ、後処理に追われながら花凛をなだめた。

 かかりつけの小児科に電話をしたが、つながらない。地震で何かトラブルがあったのだろうか。熱もそれほど高くはないし、明日連れて行けばいい。今日はゆっくり休ませよう。

 ようやく落ち着いてきたと思ったら、また花凛はぐずり始めて言った。
「ワンワンとコトちゃんがみたい」

 お気に入りのDVDを観たいと言う。わたしはテレビのスイッチを入れた。地震速報をするニューススタジオが映る。随分大きな地震だったのだ。わたしが一瞬目を奪われていると花凛が、ワンワン! と癇癪まじりに叫んだ。わたしはあわててチャンネルを替え、DVDを再生した。

 DVDを観ながら花凛はようやくご機嫌になり、安心したのかまもなく眠りについた。わたしも疲れがどっと出て、傍らで一緒に眠った。

 どれくらい経ったのか、外は暗くなっていた。テレビはDVDのチャプターが表示されたままになっている。すると玄関のドアが、乱暴に開いた。誠順だった。

 おかえり、地震大丈夫だった? 花凛が吐いちゃって熱が出て。しかし誠順はわたしに返事をせず靴を脱ぎ、どすどすと音を立てて真っ直ぐにリビングに入った。いつもの誠順ではなかった。テレビ観てないのか、と強い口調で言いリモコンをつかみ、チャンネルを替えた。

 わたしたちは、呆然と画面に見入った。
 そこには、とてつもない激流に流される民家や車の映像が映っていた。テロップの地名は、誠順の故郷の町だった。

 誠順は、ダメだ、と一言つぶやいた。表情も、顔色もなくしていた。


2015年

 4年前の大震災の日、誠順は取るものも取り敢えず、東北の故郷の町へ向かった。迂回に迂回を重ね、何日もかけてようやく到着したそうだ。

 誠順の家族、親族は、奇跡的に皆無事だった。しかし地域の被害は甚大だった。高台で被害を免れた、誠順の実家が経営する「ホテル四季乃井」は、地域の復興の拠点として活用された。誠順はその中で奔走し、2ヶ月ほど東京に戻らなかった。

 戻った誠順はわたしに、どうか花凛と一緒に故郷に来てくれないか、あっちで皆で暮らそう、と頭を下げた。わたしは悩んだ。たとえ誠順の大事な故郷でも、復興を助けたい気持ちがあっても、一生と考えたらどうだ。どう考えても、そこでずっと暮らす自分は想像できないのだった。

 わたしは誠順にそう伝えた。どうしても、そこで生きていく自分が考えられない、こちらの仕事をあきらめてそちらで、いきいきとやっていく自信はないのだ、と。

 すると、誠順は言った。
「それは、俺だって同じだ」

 東京で俺は、随分前からそう思ってきたんだ。
 でも故郷は俺を必要としている、と。本当に苦しそうな顔で、そう言った。

 わたしたちは、別れた。誠順は1人で故郷に帰っていった。
 大好きな人にあんな苦しそうな顔をさせてしまったのは、わたしだ。引きとめることはできなかった。


 この頃何度も、同じ夢を見た。

 わたしは誠順に、14歳で複筒を選んだ話をする。
 以前実際に、その話をした。その時誠順は笑ってくれたはずだ。華らしいね、と言って。

「本当に、華らしいね」
 しかし夢の中の誠順は、笑っていない。別れる直前と同じあの、苦しそうな顔をしているのだ。


 ふいに場所は、駅の改札に移る。
 手元で、昔使っていた折りたたみの携帯電話が鳴る。電話を取ると、昔つきあっていたヨシカワの声が聞こえた。

「今、沖縄にいる」

「沖縄? いつ帰ってくる?」

「帰らないよ、もう」

「どうして、言ってくれなかったの」

「……言ったら、一緒に来てくれた?」

 そこで、電話が切れる。


 今度は、実家だ。
 わたしはまだ14歳で、あのリーバイス501を穿いている。そこには若い頃の母がいて、わたしを責める。

 華にはもっと、可愛い服をたくさん着てほしかったのに。スカートもワンピースも、本当はよく似合うのに。

 ママは悔しいの。あなたはいつも、どうしてそうなの。
 自分がどうしたいか、そればっかり。

 誰かを喜ばせよう、誰かのためにこっちを選ぼう、
 どうしてそんな風に、考えられないの?


 そんな夢を、何度も見た。

 ここまでが、わたしの2011年だ。


 ひとつ、意外な変化があった。
 わたしたちが別れてまもなく花凛が、誠順の実家に招かれたのだ。わたしはまだ幼かった花凛を誠順に託し、ハラハラしながら送り出した。

 花凛は、ニコニコして、楽しかった、と言いながら帰ってきた。

 彼女いわく、最初に顔を合わせたとき
「シキノイのばあばとじいじに、よく来たねってギューされた。泣いてた」
そうだ。

 そして帰るときは、
「また来るんだよ、ってギューしてくれた」
「ばあばは『ママの言うことをよく聞くんだよ』って言ってた」
という。

 花凛はもちろん、わたしも、誠順の両親に嫌われてはいなかった。
 彼らはただ、誠順に帰ってきてほしかっただけなのだ。

 

 震災の次の年、誠順から再婚したと知らせがあった。次の年には子どもが生まれ、ついこの前、2人目が生まれたそうだ。聞くたびにわたしは、落ち込んだ。


 どんなに落ち込んでも、ヤケクソみたいに人生はつづく。
 幸い、わたしも花凛も大きな病気もせず、元気だ。
 ヤケクソなんて言うと、多分罰があたる。これでもきっと、幸せなんだろう。

 耀子さんとベビーシッターのサトコさんと、両親と保育園の先生と、いろいろな人に支えられて、わたしはシングルマザーとしてなんとかやっている。

 夕方、サトコさんと手をつないで、mer bleueに花凛がやってくる。
 耀子さんはいつも「あたしの可愛い花凛」と言って花凛を「ギュー」する。


 そして花凛は今年、小学校に入学した。
 入学式では嬉々として、チェック柄のスカートのスーツを着た。
 単筒か複筒かを選択するのはまだ先だが、花凛は、わたしとちがって女の子らしい格好が好きだ。
 母は、花凛はまちがいなく単筒よね、と目を細めている。わたしもできればそうなってほしいな、と勝手なことを考える。

 真新しいランドセルは、「シキノイじいじとばあば」に買ってもらった。

 たくさんの人に「ギュー」されて、花凛は成長している。

 

〈第5話 了〉

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