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【note創作大賞2024】スカートとズボンの話 〈1〉ジーンズの少女

〈あらすじ〉
 1992年、突如「女性下衣選択法じょせいかいせんたくほう」という法律が施行された。
 スカートは単筒型たんとうがた下衣かい、ズボンは複筒型ふくとうがた下衣かいと呼ばれ、女性はそのどちらかしか着用できなくなった。
 14歳の少女・はなは自らの意志で「複筒」を選択する。
 仕事や人、恋、いくつかの運命の出会いを通し華は、さまざまな現実にぶつかる。
 謎多き「女性下衣選択法」の核心は。
 華の、運命の出会いの行方は。
 思うままに、でもひたむきに生きる華の、30年あまりの物語。
(全6回)


第1話 ジーンズの少女

1992年

 栗色の髪をしたモデルは、褪せたブルーのジーンズを穿いている。
「リネンのシャツに、ウォッシュ加工されたワンサイズ上のリーバイス501。メンズサイズをルーズにまとうことで、強く女性を感じさせます」

 わたしはベッドに寝転がって、その写真を眺めた。
 「リーバイス501」は、少しルーズに、でもまっすぐに彼女の脚をつつんでいる。そしてお腹のくびれの少し下に、ウエスト部分がやんわり引っかかる。素敵。

 リビングではパパとママが、ニュースをみながら何か話している。わたしは部屋のドアを少し開けて、聞き耳をたてた。
はなはもう、14歳だ。ちゃんと意思があるだろう。意見くらい聞かなくてはね。最終的にこちらが決めるにしても」
「あなたは甘いのよ。もしあっちを選んだりしたら、華の将来がどうなってしまうかわかってるの」

 最近テレビでは、「女性カイ・センタクホウ」という言葉をよく聞く。なんのことか、わたしにはさっぱり。

 この間はニュースで、国会で、人がわぁわぁ詰めかけて大変なことになっていた。おじさん議員が「カケツします!」とか言って、赤や白や黄色のスーツを着た女の人の議員が、それに詰め寄って乱闘になっていた。よくあるやつ。

 でもわたしにも何か関係がありそうな、嫌な予感がしていた。
 わたしは、こっそり持ち出した数日前の新聞を広げた。

「女性下衣選択法」が、X日可決された。Y月Z日法案が提出され、わずか5日でのスピード可決となった。
「女性下衣選択法」は、14歳以上の女性が単筒型たんとうがた下衣かい(俗に言うスカート、以下単筒)か複筒型ふくとうがた下衣かい(俗に言うズボン、以下複筒)のいずれかを選択し、生涯に渡り選択したもののみの着用を義務付けるもの。
「幸福追求権」等をうたった憲法13条に抵触するおそれがあり、女性の権利の侵害にあたるとして野党が猛反発したが、議論が深まったとはいえず、強行採決にいたった。

1992年Y月Y日 毎朝新聞 社説(抜粋)

 うーん、なんだかむずかしい。わたしは新聞をとじてため息をついた。


 そうだ、パパの雑誌にのってるかもしれない。
 パパの鞄には、いつもおじさん向けの週刊誌が入ってる。それなら、もっとわかりやすく書いてるかもしれない。わたしは忍び足で玄関に行って、パパの鞄からそっと週刊誌を抜き取って部屋に持ち込む。開くと早速、記事を見つけた。

平成の大悪法!「女性下衣選択法」ってナンだ?
 
「女性下衣選択法」が可決された。簡単にいうと「オンナは一生、スカートかズボンかどちらかしかはくべからず」という珍法律だ。
 読者諸兄の、奥方や娘さんはどうだろうか。生涯スカートだけ?ズボンだけ?どちらかしか選べないなら、スカートを選んでほしいと思うのは、男のサガ。「ワタシは、ズボンを選ぶのよ!」と高らかに宣言され、右往左往する貴方、ご愁傷様です。
 法律は、今秋に施行の予定。街でスカートの女性が増えるかな?なんてご期待の諸兄も多いのでは。何かと意図の不明なこの法律、もしかしたら、議員のオジサン達の願望の具現化だったりして!?

「週刊ポスタル」1992年Y月X日号

 次のページをめくると、知らない女優が素っ裸でポーズを取っている。
 ふーん、これがヘアヌードなんだ。わたしは2秒だけじっと眺めて、雑誌を閉じた。おじさん週刊誌って、どうしてこう、すみからすみまで気持ち悪いんだろう。

 でも、とってもわかりやすかった。おかげでいろいろなことがわかった。

 お口直し、とつぶやきながら、わたしはまたさっきの雑誌の、リーバイスを穿いたモデルのページを広げた。
 写真の下には「ジーンズ ¥12,800(mer bleue)」と書いてある。商品の値段と、売っているお店の名前だ。

 巻末の「掲載商品お問い合わせ」のページを探すと「mer bleue メルブル」と書かれた横に、住所と電話番号がある。東京23区ではないその住所と電話番号で、わたしはピンときた。中央線に乗ってあの駅で降りれば、多分ここに行ける。


 わたしは最寄り駅から中央線に乗り、あの駅へ向かった。
 「merメル bleueブル」は、駅から少し離れた場所にあるらしい。


 あれからいろいろ調べた。「下衣かい」をどちらかに決めてそれを申し込むには、専用の書類に本人のサインと拇印(指紋)が必要らしい。

 市役所の窓口でわたしが
「女性下衣選択法の書類ください」
と言うと、窓口のお姉さんは少し怪訝な顔をした。そして、保護者の方と一緒に書いてくださいね、と言いながら書類をくれた。
「〇月〇日に、係員が書類を取りに行きますから。締め切りは厳守ですよ。お家はどこですか?……あぁその地域なら、夜の10時頃になりますね」

 書類は、係の人が家まで取りに来るのか。お姉さんは「国勢調査と同じですね」と言った。わたしはコクセイ調査なんてわからなかったけど、これは好都合だと思った。

 どうせママは、勝手にスカートを選ぶつもりに決まっている。当日ギリギリになって無理やり書類を書かせ、夜の10時に来た係員に渡してしまおうって思っているんだ。

 そうはいかない。わたしは、ズボンを選ぶ。
 1人で書類を書いて、指紋を押して、当日書類を置いて家を飛び出せばいいんだ。わたしが10時まで帰らなければ、それを提出するしかないのだから。


 わたしは「mer bleue」の前に立った。
 中が薄暗くて、男物のジーンズやGジャンがディスプレイされた、女子には取っ付きにくい感じの古着屋だった。
 おそるおそる中に入ると、女性の店員が、いらっしゃいませぇ、と挨拶した。鼻に抜けるような、のんびりした声だ。
 女性店員は、背中まである真っ黒なロングヘアの前髪をピンでとめ、おでこを出していた。20歳くらいの、若い人だ。ラッパ形の裾のジーンズは、アルバムで見たパパの若い頃の写真みたいだった。ママが「ヒッピースタイル」と言っていたっけ。

 わたしは、あの雑誌に載っていた「リーバイス501」を穿いてみたい、と女性店員に言った。彼女は目を見開いて、あなたが穿くの?というような顔をした。でもすぐに、はぁい、と歌うような暢気な声で応じ、棚からそれを取り出して来てくれた。

 ゴワついたようなそれは試着室で穿いてみると、とてもやわらかかった。フロントのボタンを1つ1つ留めると、上等のコルセットみたいにわたしの下腹を覆った。そしてわたしの脚を、やわらかくまっすぐにつつんでいた。

 カーテンを開けると店員の女性は、わぁ、と目を見開いた。そして、ねぇ見てみて、とバックヤードに声をかけた。すると、ヒゲも髪もモジャモジャの大柄な男性が出て来た。

  「シンデレラ・フィットじゃない?」
女性店員の言葉に、男性はわたしを眺めて、おぉ、と言った。
「それ、雑誌に掲載されたアイテムだけど。お姉さん若いのに似合うね。高校生?」
はい、とわたしは嘘をついた。男性はよく見ると、日本人離れした彫りの深い顔立ちだった。

 8900円。わたしは財布から、お年玉の1万円を出してお会計をすませ、店を出た。


 ここからが勝負だ。今日は「女性下衣選択法」の書類を係員が家まで取りに来る、その日なのだ。書類は仕上げて、家に置いてきた。なんとか、夜の10時まで家に帰らず、逃げ続けなければいけない。

 まだ、夕方の6時。あと4時間、中央線を行ったり来たりして過ごすのだ。東京駅まで行って、折り返して立川か高尾か、とにかく終点まで行ってまた折り返す。そうしているうちに時間は経つはずだ。

 わたしは、電車に乗った人たちを眺めた。思い思いの服を着た女性たち。もうすぐ自由に穿くものを選ぶことができなくなるなんて、信じられない。わたしは、膝に乗せた紙袋の中のリーバイスをそっと抱えた。わたしはこれが穿ければいい。これを穿くためだったら、どんな不都合があったって「複筒」とやらを選ぶんだ。

 電車が東京駅で折り返して、やがてわたしの最寄り駅にさしかかった。するとなんとホームに、パパの姿が見えた。駅員さんやいろいろな人に声をかけながら、血相を変えて走り回っている。わたしは胸が痛んだけど、まだ9時過ぎだった。体を縮こまらせていると、電車は発車した。わたしはほっとした。次の駅で、大量に乗客が増えた。大混雑の車両は、わたしを確実に隠してくれた。

 ぎゅうぎゅう詰めの中央線が再び東京駅に着いた頃、腕時計が夜10時を知らせた。

 わたしの、勝ちだ。


1996年

 わたしは、都立高校の3年生になった。学校に制服はない。
 高校受験のときママはお嬢様私立にわたしを入れたがったけど、とんでもなくダサいズボン制服を見て一瞬にしてあきらめてくれた。泣きながら、ぐずぐず言われたけど。

 4年前「下衣選択法」申請の日にプチ家出をした後は、ひどい騒ぎだった。パパはわたしをひっぱたき、ママは半狂乱で泣き叫んでわたしを責めた。
「あなたはこれでもう、きちんと女として認められなくなるのよ」
 ママはそんなことを言った。今でもときどき似たようなことを言われる。

 「女性下衣選択法」は、すっかりおなじみになった。スカートが「単筒型下衣」、ズボンが「複筒型下衣」だから、今は略して「単筒タントー」「複筒フクトー」なんて皆呼んでいる。今のクラスで複筒の女子は、わたしだけだ。


「華ちゃん、明日予備校ある?」
 サヤカに聞かれた。クラスで一番仲のいい子だ。ないよ、と答えるとサヤカはにっこり笑って、じゃ放課後渋谷に行こうよ、と誘った。
109-2イチマルキューツーとタワレコに行きたいの。あとカラオケも」
 いいね、全部行こうよ、とわたしは言った。

「華ちゃん、この前着てきたスリップドレス、覚えてる?青系の」
 あれを着ていこうかな、とサヤカは言う。肩紐が細くてひざ上丈の、下着のスリップのような形のワンピース。

 いいじゃない。あれ、可愛かったね、とわたしは言った。白いシンプルなTシャツの上に重ねて着るととても可憐で、サヤカによく似合っていた。

 それがね、とサヤカが言った。
「先月かな、華ちゃんが休んだ日にも同じの着てきたんだけど、その時は下にTシャツを着ていなかったの。上にカーディガンは着ていたけど、少し露出多めだったかも。そうしたらヨシカワがね、そんな格好してたらお前、いつ犯されても文句言えねえからな、って」

 わたしは笑ってしまった。ヨシカワは、クラスのナンパキャラを一手に引き受ける男だ。かわいい女子に次々、つきあおうよ、とか今度遊んでよ、とか、どこまで本気かわからないような声をいつもかけている。わたしは、1度も言われたことがないけど。

 あいつ最悪、と言いながらサヤカも笑っている。ヨシカワはそういうやつ、という感じで皆に許されているのだ。

「学校にはTシャツ着てくるよ。ヨシカワにまた言われたくないもん。でも渋谷に着いたら駅でTシャツを脱ぐの」
 渋谷ならいいよね、とサヤカは言った。たしかにミニスカートと厚底靴のギャルが闊歩する渋谷なら、上品すぎるくらいだ。
 それなら、わたしも駅で着替えようかな。厚底ギャルたちの迫力にも、負けないような服がいい。


「そのジーンズ、新しいやつ?」
 その日の放課後、ヒロヤが声をかけてきた。彼も同じクラスで、最近よく話す。
「ノーウォッシュじゃん。いつもかなり『育った』やつ穿いてるのに」
 男子の間では「ジーンズを育てる」ことが流行っている。同じジーンズを長く穿きつづけ、やがて自然なシワや色落ちができることを楽しむのだ。華はこういう話が通じるからいい、とヒロヤにも他の男子にもよく言われる。

 まっさらなインディゴのやつがほしかったの、とわたしは言った。
「俺も、まっさらなやつ1本買おうかな。ちゃんと洗濯してよ、なんていつも言われるんだ」
 洗濯してよ、という台詞の主はヒロヤの彼女だろう。隣のクラスの子で、いつも可愛らしいスカートやワンピースを着ている。お嬢さまタイプだ。

「華、あとさ、放送室に持って行くCDどれがいいかな」
 ヒロヤは今度は、CDを何枚か取り出した。わたしの高校では、持ち込んだCDを昼休みや放課後にかけてもらえる。
「最近邦楽ばっかじゃん。小室ファミリー、もう飽きた」

 ヒロヤは、持ってきたCDを目の前に広げた。全て洋楽で、ほとんどが放送委員の女子には受けが悪そうだ。
 これがいいんじゃない?ノリいいし意外と聴きやすいし、とわたしはレニー・クラヴィッツのアルバムを指した。あと、これかこれを一緒に持って行ってよ、とわたしは自分のCDを取り出した。マライア・キャリーとジャミロクワイ。ヒロヤは、ジャミロクワイを選んだ。
「あいつ、洋楽に全然興味なくてさ。華は話がわかるからいいな」

 わたしは、ヒロヤが気になっていた。話が合うし、見た目もタイプだ。話がわかる、なんてほめられるとうれしくなってしまう。我ながら、単純だ。隣のクラスの彼女とは全然ちがうタイプだけど、ヒロヤも本当はわたしの方がいい、なんて思っているのかもしれない。


 教室を出てから、渡さなかった方のマライアのCDを忘れたことに気づき、わたしは教室に戻った。すると、男子が5,6人集まって騒いでいた。なんだか楽しそうで立ち入れない雰囲気を感じ、わたしは入口ドアの陰に隠れた。

「ヒロヤさぁ、華とつきあうの?」
 ヒロヤがいるんだ。しかもわたしの話だ。ドキッとした。聞いたのは、ヨシカワ。
 いや、なんで?とヒロヤが答える。俺もつきあうのかと思った、最近仲いいじゃん、と他の誰かが言った。ヒロヤの返事はよく聞こえない。

「華さぁ、あのケツたまんねぇんだけど」
 ふいにヨシカワが言う。男子たちはどっと笑った。わたしは顔がかぁっと熱くなった。ヨシカワは続ける。
「よくリーバイスはいてくるじゃん。あれがもうたまんないの」
「複筒だと目が行くよな」
 誰かが言う。そう、複筒ならではなんだよ、ヨシカワは食いつくように言った。
「単筒であのラインは出ねえじゃん。渋谷の汚いギャルとかのミニスカだったらあるかもしれないけど……そういうんじゃねえんだよな。あいつ、ケツも胸も決して大きくはないよ、でもあの腰からのラインが」
 お前ちょっと落ち着けよ、これでも飲め、とさえぎったのはヒロヤの声だった。

 飲み物をすすめられて、ヨシカワはごくごくと何かを飲んでいる。自分がこんな風に言われていることが信じられなくて、わたしはしびれたようにぼうっとなった。
 じゃあヨシカワ、華に行ってみればいいじゃん、と誰かに言われ、ヨシカワは何かモゴモゴ言っている。ヨシカワはきっと、そんなんじゃない。わたしにだってわかる。

 ヒロヤはどうなんだよ、と聞く声があって、返事はない。わたしは秘かに息を止める。

「でも、複筒の人とつきあうってのはなぁ」
 誰かが言った。
「そうなんだよね」
 ヒロヤは即座に答えた。少しだけ、残念そうに。
 惜しいなぁ、と誰かが言った。

 わたしは物音をたてないようにそっと、教室を離れた。ヒロヤの持ち込んだレニー・クラヴィッツが、廊下のスピーカーから聴こえてくる。


「華が複筒でよかったって、初めて思ったわ」
 テレビを観ながら、ママが言った。

 映っているのは、下着が見えそうなミニスカートの女子高生たち。
「自分の着た制服や下着を売る『ブルセラ』女子高生」
「中年男性と『援助交際』してお小遣い稼ぎをする女子高生」
 テレビの向こうで大人たちが寄ってたかって深刻な顔で、そんな話をしている。

「ズボンじゃ、売りたくたって売れないものね。……それにしても援助交際だなんて。こんなの売春よ。いい?華。女として大事にされるってことと、こんな風にいやらしい目で見られるってことは全然違うのよ」

 途端に、顔が真っ赤になった。つい数時間前聞いた、男子たちの会話がよみがえったのだ。
 ケツがたまんねぇ、なんて言われてしまった。ヒロヤに失恋したショックより、そちらの方がよほど頭に残っていた。

 ママは、いつも生意気なわたしのそんな反応を見て、あら、という表情をした。そして
「華、彼氏はいないの?」
 そんなことを急に聞いてきた。わたしはびっくりして、いないよ、と答えた。
 ママはにっこり笑った。
「そうよね。複筒じゃ、彼氏つくるのは大変よ。せっかくこんなに可愛く生んだのにね。もったいないわ」
 私の頬を優しくつねって、ママはそんなことを言った。

 ママはわたしに、ずっと子どもでいてほしいのかもしれない。

 テレビでは今度は、へそ出しスタイルのギャルが街を闊歩している。まあ、おへそなんか出して、親御さんは何も言わないのかしら、とママはぼやいた。


 今日のことは、もう全部忘れよう。
 明日はサヤカと渋谷だ。大好きないつものリーバイスを穿いて、へそ出しのノースリーブを着て行くんだ。わたしはひそかに、心に決めた。 


1997年

 わたしは高校を卒業して、ある女子大に進んだ。
 パパが勧めた大学で、複筒の学生が多かった。単筒が圧倒的多数の世の中で、わたしが肩身の狭い思いをしているとパパは思っていたのだ。

 それは全く的外れな心配だったけど、わたしはその大学を喜んで目指した。女子大には珍しく、保育や家政とかでなく学術的な専攻科が多いのが気に入った。
 社会学を専攻できる学部を、わたしは選んだ。新聞や雑誌でニュースを読むのが好きな自分には、きっと合っていると思ったのだ。

 でも大学生活は、しっくり来なかった。
 1年生のゼミは30人ほどで、全くまとまりがなかった。派手な雰囲気の子とそうでない子に分かれ、派手な子は皆似たようなミニスカートを穿き、似たようなプラダの黒いショルダーバッグを持って、気だるそうに教室に陣取っていた。

 ゼミリーダーになったのは、サトウさんという複筒の学生だった。いつも地味なチノパンを穿いて、おしゃれとは程遠い人だった。
 しかし彼女は、そんなことまったく頓着しないとでもいうように、いつも声がよく通り自信満々だった。似た雰囲気をした彼女のシンパが2,3人おり、彼女らはいつもゼミで声高に発言をしていた。

 派手なプラダさん達は、それをいつも冷ややかに見下した。他の地味な学生たちは、おどおどと見守っていた。わたしはどこにも属せなかった。
 可愛らしくてスパイシーな、高校の親友のサヤカのような子はどこにも見当たらなかった。


 入学から3か月ほど経ったある日。ゼミで、何かテーマを決めてディスカッションするように、という課題が出た。

「女性下衣選択法と、女性の権利について」
 提案したのは、もちろんサトウさんだ。

 ディスカッションが始まり、彼女は声高らかに話し始めた。
「私達が中学生の頃、女性下衣選択法が施行されました。皆さんはどういう動機で、単筒もしくは複筒を選択しましたか?」
 そこまで言ってサトウさんは、まるで法廷の弁護士のように教室を見回した。

 教室は「プラダさん達」を中心に、冷ややかでシラッとした雰囲気になった。ものともせず、サトウさんはつづけた。
「私は当時この法律に、女性はすべからく単筒を選択し、女性らしく振る舞うべし、という、非常に恣意的なものを感じました! そして反発の意思表示として、複筒を選択しました!」

 身振り手振りと抑揚をまじえ朗々と語り、最後に、抑えた芝居がかったトーンで付け足した。
「皆さんはいかがでしょうか? ……単筒、複筒。それぞれのお立場から、忌憚のないご意見をお聞かせください」

 サトウさんシンパから、拍手が起こった。

 シンパの1人が挙手をして、発言をし始めた。
「ええっと、私もサトウさんと全く同じ動機で、複筒を選択しました。私も単筒を選択するべきだという、ええっと、見えない圧力を感じたのです。若干補足して言うなら、ええっと、ジェ、ジェンダーロールの強要です。女性は単筒を選択し、女性らしくふるまい、男性に付属する存在であれという、ええっと、圧力です」

 早口で「ええっと」を連発するので、聞きづらい。そして彼女は、最後にこう付け足した。
「単筒を選択した方々は、どのような動機で選択されたか、ええっと、お聞かせ願いたいです!」

 これで、教室はざわついた。クラスの学生の半分以上は単筒なのだ。
 すると1人が、弱々しく挙手した。おとなしそうな子だ。

「私は、両親の勧めで単筒を選択しました」
 声が震えている。
「両親には、将来配偶者を見つけ家庭を築くには、この選択がベストなんだということを言い聞かせられました。お2人が今言ったような、女性らしくふるまうとか、男性に付属するという意味があったと思います。でも中学生の当時はそこまで思いがいたらず、両親の意向に従うしかありませんでした……」
 そこまで言って、その子は泣き出してしまった。見ると、同じようにすすり泣いている子が何人かいる。

 なんなんだ、これは。

 わたしは呆然として、どうか発言を求められませんように、と願った。お気に入りのジーンズを穿きたくて複筒にしました、などと言ったら、どんなつるし上げを食らうかわからない。

 プラダさん達は、怒り心頭だ。

「圧力とかないし。普通にスカート穿きたいだけだって」
「ジェンダーロールとか何なの、超意味不明」
「ていうか何泣いてんの。うちらと一緒にしないでほしいんだけど」

 発言する気はなく、口々にそんなことを野次る。その矛先はサトウさんたちだけでなく、泣いているおとなしい単筒の子たちにも向かっていた。

 収拾がつかなくなってきたので、ゼミの担当教授が立ち上がって何事か交通整理を始めた。そのままその日のゼミは終わり、わたしはなんとかつるし上げを免れた。


 わたしはふらふらと帰り道を歩いた。今にも雨が降りそうだ。あまりに放心状態で歩いていたので、いつもと違う道を歩いていたようだった。

 すると、ふいにそれは目の前に現れた。

 あまりに唐突に目に入ったので、わたしは一瞬、自分がどこにいるかわからなくなった。

 merメル bleueブルという店。14歳のあの日、わたしがリーバイス501を買った店だった。
 考えてみたら、大学とこの店は最寄り駅が同じなのだ。そのことを今まで、1度も思い出さなかったことが不思議だった。あの日のことはどこか夢のように、特別なものだったからかもしれない。

 わたしは、店内に入った。

 店内はあのときとは、だいぶ様子が違っていた。あのときはジーンズばかりの店だったが、今は、女性ものの可愛らしい服が並ぶ店に変身していた。

「いらっしゃいませぇ」
 奥からのんびりとした声が聞こえ、タイトなTシャツとジーンズ姿の店員が現れた。あのときの人だ。背すじの伸びた小柄な体と、ぱっちりとした目元。すぐにわかった。

 黒髪ストレートは、オレンジブラウンのくるくるウェーブヘアに変わっていた。PUFFYパフィー亜美あみちゃんか由美ゆみちゃんみたいだ、とわたしは思った。

 何か話しかけようか。悩むわたしに、店員は先に口を開いた。
「それっ。うちで買ったものじゃないですか?」
 わたしは、はっとして彼女の方を見た。彼女はわたしの腰あたりを指さし、501、と言った。わたしはあの日買ったリーバイスを穿いていたのだ。

 あなたのことよく覚えてるよ、高校生くらいだったでしょ、1人で店に来て、501この子ご指名で。わたし、実はすごくこれ気に入っていて、本当は売りたくなかったの。でもあなたが試着室から出てきた姿が、あまりにお似合いで。あのときもう1人いた、ヒゲもじゃの大男覚えてる? あなたが帰ってから2人で、きっと501あれはあの子を待っていたんだね、って話してたんだよ……

 彼女はそんな風に一気に話して、わたしのリーバイスをもう1度眺めた。
「ずっと、大事に着てくれていたんだね。すごくいい味出てる」
 わたしは、うれしさや懐かしさやいろいろな感情がないまぜになり、彼女の話に、ただただ頷いた。

 強い雨が降り出した。彼女は、雨宿りして行って、とわたしをバックヤードに招き入れた。わたしは小さなソファに座って、彼女と向かいあった。

 彼女は、耀子ようこさんといった。
 わたしは思わず耀子さんに、今日ゼミで起こったことを話した。耀子さんは目を丸くして、あの大学、いろんな人がいるんだねえ、と笑った。

 でもね、と耀子さんは何かを思い出すように言った。
「あの法律はたしかに、いろんな人の運命を狂わせたと思うよ。あたしもそう」

 Ace of Baseの同じ曲がリピートで、CDラジカセからずっと流れている。
耀子さんは、ぽつぽつと話し始めた。

 以前このmer bleueは、あのときいたヒゲもじゃの男性の店だった。彼はレオさんといい、「フランス人のパパと日本人のママ」の間に生まれ、フランスで育った。日本の大学に入りこちらで暮らし始め、洋服好きが高じて古着屋を始め、このmer bleueを開店した。

 そこで働き始めた耀子さんは、やがてレオさんの恋人になり、一緒に暮らし始めた。そしてまもなく、女性下衣選択法が施行された。耀子さんは「悩んだけど、ジーンズ屋なんだから」、「粛々と」複筒を選んだ。

 腹に据えかねたのは、レオさんだった。耀子さんにではなく、この法律に対してだ。

「我々日本人はなんだかんだ言っても、お上には黙って従うじゃない。でも革命の国おフランスで育ったレオには、それが信じられなかったみたい」

 PUFFYの亜美ちゃんみたいな耀子さんが、淡々と「お上」「おフランス」なんて言うのがおかしくて、わたしは現実の話を聞いている気がしなかった。

 でもたしかに、現実の話らしかった。
 レオさんは、どうして皆黙って従うんだ、日本人は狂ってる、と憤り、「署名を集めたり、デモの計画を立てたり」自分なりに活動を始めた。次第に仲間が増えてきた。

「でも、この仲間が曲者だったんだよねえ」
 最初はわからなかったが、仲間の一部は、とある犯罪グループとつながった組織の者だった。手を切ろうとしたが、彼らはレオさんの周囲をうろうろするようになった。

 ついに、レオさんはフランスへの帰国を決めた。

 娘がいたんだよね、と耀子さんはふいに言い、わたしは驚いた。
 一緒に暮らし始めまもなく、2人は赤ちゃんを授かっていた。生まれたのは女の子で、アリスと名づけられた。

「レオは、こんな国にアリスをおいて行けない、フランスむこうで3人で一緒に暮らそう、って。でも、あたしはここに残るって言った。離れたいなんて思ったことないもん。日本を、というか東京を」

 子どもはお母さんが育てるもの、というイメージがあったわたしは、少し驚いた。どう伝えていいかわからなくて、寂しくなかったですか、と耀子さんに聞いた。

「寂しかったけど、アリスもむこうで暮らしたほうが幸せかなって思ったの。だって養育能力ないんだもん、あたしには」
 運動神経ないんだもん、とでもいうような軽い調子で、耀子さんは言った。

「レオとの間もぎくしゃくしてきて、それでアリスのお世話もお店もあって。あたしも疲れてたの。全部もういい、ってなっちゃったんだよね。あたしには母親もきょうだいもいなくて、頼れる人がいない。仕事やりながら1人でアリスを育てるなんて、できっこない。あっちに帰ればレオのママとかきょうだいとか、支えてくれる人がたくさんいるもの。アリスのためにもその方がよかったの」

 耀子さんは手帳を取り出し、中にはさまった写真を見せてくれた。
「年に1回会いに行くんだよ。買いつけついでにね。これは昨年の写真」
 そこには耀子さんと、頬を寄せた5歳くらいの美しい少女が写っていた。横にはわたしの記憶にもあるヒゲのレオさんが、よちよち歩きくらいの子を抱きよせ座っている。
 この子は? とわたしが聞くと耀子さんは、ああ、レオの今の奥さんとの子、とあっさり答えた。
「あっちに帰ってすぐ、一緒になったみたいよ。フランス人ってそんなものなのよ」

 奥さんはルイーズっていってね、この写真撮ってるのも彼女だよ。行くと皆で、ヨーコ!!って大歓迎してくれるよ。アリスだってヨーコって呼ぶもんね。苦笑しながら耀子さんは言った。わたしはなんだかわけがわからなくなってきた。Ace of Baseの「All That She Wants」がまた頭から始まる。

 あっ、同じ曲リピートにしてたあ、話に夢中で全然気がつかなかった、と急に耀子さんは立ち上がって、CDラジカセのボタンを押した。ラジカセは、ふう、と一息つくみたいにキュルキュル音を立てて、アルバムの1曲目を奏ではじめた。

「ありがとうね聞いてくれて。この話をしたの久しぶり。レオを知ってる人に会うのが、久しぶりなんだもん」

 今は1人ぼっちだけどすごく幸せなの、と耀子さんは言った。
 レオから譲り受けたこの店で、好きな服に囲まれて。この店があるし友達もたくさんいるし、東京にいて本当によかった。
 耀子さんは、バックヤードから誰もいない売り場をしみじみ眺めて、そんなことをつぶやいた。


 いつでも遊びに来てね、と言われたのを真に受け、わたしはしょっちゅうmer bleueに顔を出すようになった。アルバイトとして耀子さんを手伝い始めるまで、そんなに時間はかからなかった。


2000年

 わたしは大学4年生になった。1年生からずっとmer bleueでのアルバイトに夢中で、大学は相変わらずだった。あの店でバイトしているんだね、と声をかけてくれる人は多かったが、大学はわたしにとって、ただ淡々と授業やゼミをこなす場所だった。それでよかった。

 mer bleueでわたしが店番をする間、耀子さんは仕入れたフランスの古着をせっせとリメイクした。専門学校で洋裁やデザインを学んだ耀子さんは、リメイクが上手だった。日本人の体型や今の流行に合わせたリメイクをすることで、ポップで鮮やかな60~80年代の古着はいっそう輝いた。雑誌にもたびたび掲載され評判を呼ぶようになった。
 わたしは新しくネット販売に着手し、そちらも好調だった。mer bleueファンは地方にも広がって行った。

 一方で私は、もう就職を決めなくてはいけない時期だった。3年生の冬から就活をしていたが、世の中はどん底の就職氷河期だった。第一志望の大手や中堅のアパレル、両親に勧められた大手や中堅の商社、メーカーを受けても、かすりもしなかった。周りも似たようなもので、名の知れた会社から内定をもらえる子は、1人もいなかった。

 「持ち駒」がひと通り出尽くして、わたしはどうしようかと考えていた。あまり世間知があるとは思えないママが当てずっぽうに「ここを受けてみたら」などと言うが、見込みはなさそうだった。もう少しあてになりそうなパパや指導教授さえも、「こんなに厳しいとは思わなかったな」などと言うばかりで、これといった妙案もアドバイスも持ちあわせていないのだった。


「ねえ、ここで働いてもらうのはダメかな。来年からもずっと」
 わたしは驚いて、耀子さんの顔を見た。アルバイト中、いつものように就活のことを愚痴っていたときだ。
 思わず、いいの? と口をついて出た。
「もちろん。本当は、華がいなくなったらどうしようって思ってたの。今みたいにリメイクもできなくなるかもしれないし、ネット販売も」

 あと、新しく募集して変な人が来たら嫌だよ、と耀子さんらしいとぼけた言い草がおかしくて、わたしは笑ってしまった。そして耀子さんは、アルバイトじゃなくなるんだからこっちもちゃんとしないとね、と親指と人差し指でマルを作ってみせたりするのだった。

「ありがとう、耀子さん」

 わたしは思わず、耀子さんの手を取って言った。
 就職が決まった安堵もあったが、耀子さんの気持ちが何よりうれしかったのだ。


 思いがけず急に、来年からの「社会人生活」が形になった。わたしはただそのことに、ワクワクしていた。

〈第1話 了〉


【他話へのリンクはこちらです】

第2話 ブロークンユース
https://note.com/gypsoksm/n/n14c5a3fd2042
第3話 メンチカツと脱法行為
https://note.com/gypsoksm/n/n02c4c722bf15
第4話 霞が関コンフィデンシャル
https://note.com/gypsoksm/n/n839f24447d5c
第5話 誰より好きなのに
https://note.com/gypsoksm/n/ndbb3462f33ee
第6話 蒼い海
https://note.com/gypsoksm/n/n981db02e0dbd

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