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「売らない私」がnoteをつづける理由

noteを毎日書くようになって、少しずつ見えてきたことがあります。読んでくださる方がいたり、思いがけず反応をいただいたり。とはいえ、それが「何か」に直結するわけでもありません。むしろ、つづけていくことでじわじわと輪郭を帯びてくるもののほうが多い気がしています。

きょうは、そんなnoteとの距離感について。何度か書いていることもありますが、あらためて書いてみたいと思います。


noteがじわじわと広がっている——でも、儲け話ではありません

noteをあらためて書きはじめてから、3ヶ月以上が経ちました。

2025年4月20日、少しずつ気持ちを整えるようにしてはじめた日々の執筆。

あくまで「自分のため」に、「つづける」ことそのものを目的として取り組んでいます。

ありがたいことに、毎日とは言わずとも何かしら反応をいただけることが増えました。「スキ」を押してくださる方、「フォローしました」と声をかけてくださる方、あるいはnote以外の場所で「読みました」と伝えてくださる方もいます。

一方で、「noteで儲かるの?」と尋ねられることもありました。正直に申し上げてしまうと——特に、何もないのです。儲かっていません。収益化はしておらず、有料記事も書いていません。いまのところ、その予定もありません。

「スキ」に込められたもの、読み取れないもの

noteには「スキ」というボタンがあります。ご存じの方も多いと思いますが、これはnoteにおける最もシンプルなリアクション手段です。「いいね」や「共感した」といった気持ちを、ワンタップで伝える仕組みですね。

これはこれでありがたいのですが、率直に言うと、「これは一体、どんな『スキ』なんだろう?」と首をひねってしまうような反応も少なくありません。

もちろん、きちんと読んでくださって、「これはいいな」と思って心から押してくださる「スキ」もあります。そういうときは、なんとなく伝わってくるものがあります。文脈やタイミング、あるいはその方のnoteを読んで、「ああ、何か響くものがあったのかな」と想像できることもあります。

けれど、それとは別に——少々失礼を承知で申し上げるなら——意味が読み取れない「スキ」も少なからずあるのです。たとえば、プロフィールも投稿もなく、note上での活動がまったく見えない方。あるいは、プロフィールや投稿が充実しているのに共通点が見つからない方。さらに言えば、読んだ記事に片っ端から「スキ」をつけているように見える方もいらっしゃいます。そういった「スキ」は、単なるアテンション獲得のためなのか、それとも別の意味があるのか——正直、私にはわかりません。

noteの紹介文にはよく、「創作活動で収益化を目指したい人におすすめ」と書かれています。そして実際に、「noteで副業」というテーマで活動されている方も多く見かけます。いま試しに検索してみたところ、想像以上にいらっしゃいました。自分の知識や経験を有料コンテンツとして販売したり、マネタイズの方法を指南したり——そういった形で成果を出している方もいるのでしょう。

そのような方々のなかには、エンゲージメントを高める手段として「スキ」を活用しているケースもあるようです。エンゲージメントを狙った、「働きかけ」としての「スキ」ですね。もちろん——というべきか、「エンゲージメントを『狙う』」行為にどうにも馴染めない自分がいます。

誰かとつながること自体は悪いことではありません。むしろ、noteの醍醐味のひとつとも言えるでしょう。でも、それが「売るため」の手段としてのつながりであるならば、私はやはり少し距離を置きたいと感じてしまいます。

なぜなら、私がnoteでつづけているのは、「売る」ことを目的とした活動ではないからです。noteを通じて「売れる」ことに価値を見出す気持ちは、少なくとも今の私の目的とは異なるのです。

コメント欄に、やってはいけないこと

noteには、クリエイターに向けて非公開でメッセージを送る機能があります。何かを相談したいときやお願いごとがあるときには、この機能を使えばよい仕組みになっています。とても便利な機能だと思います。

けれど、ある方が、メッセージ機能を使うのではなく、私の記事のコメント欄を使って「このコンテンツに協力してほしい」「こういうことを一緒にやりませんか?」といった内容の書き込みをされました。そのコメント内では、協力に対する「謝礼」についても具体的に言及がありました。これは私にとって非常に残念なことでした。一回だけなので大目に見る対応もあったとは思いますし、大変心苦しかったのですが、考えた末、その方については通報とブロックの対応をしました。

その方の活動や依頼内容そのものに問題があったわけではありません。コンテンツに協力したくないと思ったわけでもありません。ただ、依頼や謝礼といった繊細なやり取りを、公開されているコメント欄で行うのはやはり適切ではありません。他人の記事に、文脈とは無関係なノイズを持ち込むことになりますし、やり取りの内容によっては情報管理上の懸念も生じます。noteという場の性質を考えれば、そうしたやり取りは、きちんと非公開メッセージ機能を通じて行うのが筋ではないかと思ったのです。

noteを使って、他人を巻き込んで、価値のある発信をしていくことと、その価値に対してしっかり対価が支払われることは、悪いことではなく、よいことだと思っています。正しい目的でnoteを使っているとすら思えます。しかし、目的は手段を正当化しません。目的が正しいなら、手段も正しくある必要があります。手段が正しくなくなった瞬間に、発信した価値に対する対価は、正しくなくなるのではありませんか?

noteを始めて、よかったこと

このように、いくつかの「うーん」と感じる出来事もありました。それでもなお、noteを始めて本当によかったと感じています。

その最大の理由は、「つづける」ということへの解像度が、ぐっと上がったことです。書くという行為を、毎日の生活のなかに織り込む。体調や気分、忙しさに左右されつつも、どうにかして書きつづける。その過程で、自分の「コンディションの波」や「興味の動き方」に、これまで以上に気づけるようになりました。書くことによって、自分の内側を観察できる——そんな感覚があります。

もうひとつのよかったことは、「振り返る」ということができるようになったことです。noteの記事一覧を見返してみると、「このときはこんなことを考えていたのか」「ああ、この週は忙しかったんだな」といった具合に、自分の足跡が可視化されているのです。これは、手帳とも日記とも少し違った「振り返り」のツールだと感じています。

さらに言えば、私はnoteで文章を書くにあたり、AIの力も時折借りています。そのことによって、AIが生成する文章の癖や特徴、人間が書く文章との違いについて、少しずつ理解が深まってきました。

たとえば、「文と文のつながり」や「意味の行間」が、人間の文章には自然に存在すること。また、AIの文章には「上手ではあるけれど、どこか空虚」ということが往々にしてあること。こうしたことを、実践のなかで学べたのも、noteをつづけてきたからこそです。

これからも、淡々と

そんなわけで、私はこれからもnoteを淡々とつづけていこうと思っています。特別なbuzzや、意外な収入、劇的な出会いといったものを期待しているわけではありません。けれど、「noteをつづける」ことそのものが、自分の思考を耕し、言葉を整え、日々を調えることにつながっているのです。

スキやコメントの意味がときに読めなくても、それでも続けていく価値がある。収益化の道を歩まなくても、自分にとっての「成果」はちゃんとあるように、していきたいところです。


note質問箱をはじめました。この記事を読んで浮かんだ問いがあれば、ぜひお寄せください。

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