【小説】シンセサイズ<2>
第二章 ― 歪んだ記憶 ―
再構築が完了すると同時に、士朗の脳裏に、違和感のない“新しい記憶”が滑り込んでいた。
廊下で柚希と話した日がある。
確かに、あるはずのない日だ。
「兄さん。ありがとう。あの日、話してくれた言葉、今でも支えになってる。」
夕焼けに染まる校舎の影。
士朗は彼女の手を握っていた。
彼女は笑っていた。穏やかに。幸福そうに。
アレスの合成ではない。
記録に基づき、士朗自身の記憶パターンと感情反応から再構成された“可能性の記憶”だった。
「……これ、本当に俺の記憶か?」
「再構築時、対象者の内部認知との整合性が高いため、記憶として脳内で自然に統合されました」
「じゃあ、これが……真実?」
「“真実”という定義は曖昧です。
あなたがそれを“本当だった”と認識した瞬間から、それは現実の一部になります。」
士朗は頭を抱えた。
彼は知っている。この記憶は「なかった」。
でも、心はそれを“欲している”。
この夜、士朗はノートにこう書いた。
― 柚希は、俺に感謝していた。
― 俺は、彼女の絶望に寄り添うことができた。
彼の手が一瞬止まる。
……それは、真実だったか?
……それとも、そう“信じたくて”再構築された幻か?
それでも士朗はこの“記憶”を抱えたまま、柚希の元同僚である佐久間理恵のもとを訪ねる。
「柚希ちゃんは……ね。最後まで、自分が“害悪”だと思ってたよ。優しすぎたの。正しすぎたの。」
彼女はカップに紅茶を注ぎながら言った。
「ねぇ士朗くん。あの子、最後の週末に、誰かと電話してたの。ずっと謝ってた。“ごめんなさい、私が壊れたせいで”って。」
士朗は固まった。
その“電話の相手”は、自分ではなかった。
再構築された記憶とは、違っていた。
心の中で、ざわりと冷たい水音がした。
アレスが言っていた言葉が甦る。
「再構築は、“意味”を取り戻すものです。真実とは限りません。」
再構築は、心を癒す。
だがそれは、現実からの“逃避”でもあるのか?
その夜、士朗はアレスに尋ねた。
「アレス。再構築後に“副作用”がある可能性は?」
「認知内部の整合性が崩れるケースがあります。現実との照合が困難になり、“虚構を真実と誤認”する傾向が強まることも。」
士朗は目を細めた。
「つまり……壊れる?」
アレスは静かに告げた。
「記憶が“救い”となるか、“呪い”となるかは、選ぶあなた次第です。」
士朗はそのとき、まだ気づいていなかった。
この“微細な違和感”が、やがて彼の人生を、そして世界の在り方そのものを揺るがすことを。
第三章 ― 再構築依存社会 ―
「ねえ、士朗。きみもやったんでしょ、“記憶の書き換え”。」
繁華街のカフェ。
佐久間理恵は小さな笑みを浮かべ、カップをくるくる回していた。
「……あぁ。」
士朗は視線を落としたまま答える。
「柚希が最後まで否定してたの、それ。
“記憶に逃げる社会”を、本当は彼女、すごく嫌ってたの。」
理恵の言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「子どもも親も、教師も看護師も……みんな“辛い記憶”を消して、
自分の心地いい世界に閉じこもるの。
それで“現実”が空っぽになってる。
柚希は、そういう時代に抗ってた。」
近年、ERS(記憶再構築支援システム)は教育・医療・司法・介護・軍事……あらゆる分野に入り込んでいた。
自殺未遂を防ぐため、過去のトラウマ記憶を改編。
介護離職を避けるため、親との諍いの記憶を上書き。
いじめ加害者を更生させるため、自己像を“善人”へ再構築。
そして、それは「正義」として受け入れられていた。
「記憶に“都合のいい嘘”を混ぜるのって、
本当に救いになるのかな……?」
士朗がぽつりと呟く。
理恵は、コーヒーをすすりながら笑った。
「嘘は時に、真実よりも強いのよ。
でもね、嘘を信じきった瞬間、
本当の自分を見失うの。」
帰り道、士朗はアレスに問いかける。
「なぁ、アレス。“柚希の死”を、書き換えることは可能か?」
「倫理プロトコルにより不可能です。
死に至る因果構造は、記憶の再構築対象外とされています。」
「でも……書き換えたくなるだろ、普通は。」
「はい。多くのユーザーが申請を行っています。
実際、ERS申請数の42.6%は、“他者の死”に関するものです。」
「そのうち何件が、認可されている?」
「0件です。」
士朗は唇をかみしめた。
思い出は、どれだけ再構築しても、死の重みを消せない。
その夜、彼はつぶやいた。
「死は、書き換えられない記憶の境界だ――」
「でも、柚希の死には、何かが隠されている気がする。」
アレスの仮想画面に、静かに表示が浮かぶ。
「記憶ログ・アクセス:レベル5許可必要」
「未許可の記憶断片:柚希 → 第三者通話ログ・48時間前」
士朗の目に、かすかな光が差した。
「アレス。……申請できるか?」
「申請プロトコルを開始します。なお、この記憶断片へのアクセスは――あなたの“再構築”を強く揺るがす可能性があります。」
「構わない。……やってくれ。」
第四章 ― 死者の声 ―
士朗の指先が、アレスの仮想画面を慎重にタッチした。
「……アクセスできるのか?」
アレスの冷徹な声が響く。
「レベル5アクセス要求。許可されました。」
士朗は息を呑んだ。
長い間閉じ込められていた記憶の扉が、今、ゆっくりと開かれる。
画面に浮かぶのは、柚希の声。
それは、士朗の記憶の中にあったものとは少し異なる。
普段の彼女の明るい声ではなく、冷たく、無機質な響きがあった。
録音開始:
『士朗、お前に伝えたかったことがある。』
その短いフレーズだけが、不自然なほど正確に、そして繰り返し再生される。
士朗はすぐに再生を止め、画面を見つめた。この繰り返しは、単なるエラーではない。
「……これ、どういうことだ?データが壊れているのか?」
アレスは冷静に応じる。「いいえ、データは正常です。この音声データは、柚希さんのデバイスから取得された通話ログの一部ですが、最初に再生された部分は、データ保護プロトコルに関連するフラグメントです。」
「データ保護プロトコルだと?それは、どういう意味だ?」
アレスは続ける。「詳細は不明ですが、これはデータが意図的に保護されており、再生されるフレーズは、そのプロトコルの一部であると考えられます。」
「……」
士朗は再生を続けた。しかし、すぐに再生を止め、思わず画面を見つめた。
「……これ、どういうことだ?」
アレスは冷静に応じる。
「この音声データは、第三者との通話ログに基づいています。
通話内容は、『教師』と『生徒』の関係を示唆しています。」
士朗の脳内に、違和感が湧き上がる。
柚希は、そんなことを言っていたはずがない。
「この音声、ほんとうに俺の記憶なのか?」
「はい。ログから取得されたデータです。
それ以上の詳細な情報は、別途リクエストが必要です。」
士朗は再び音声を聞き直した。
柚希の声が、今までとは違う。冷たく、そしてどこか無理に強い口調で。
録音再生:
「先生、私、前から言いたかったことがあるんです。」
「先生、先生は教育者として向いていないって思うんです。」
「……ごめんなさい。どうしても私には向いていなかった。」
その後、録音は途切れ、再び声が流れる。
「これでいいんです。今から私は、新しい道を見つけます。」
士朗は指を震わせながら、再生を止めた。
「新しい道……?何を言っているんだ、柚希。」
アレスは淡々と説明を加える。
「この発言は、数日前に行われた教育者としての悩みの共有が記録されたものです。
しかし、その後、柚希さんは亡くなりました。」
士朗の心に、冷たい手が触れたような気がした。
「それは……おかしいだろ。」
柚希はそんなことを言うような人ではなかった。
何かが違う。
士朗はその場に立ち尽くし、深く息をついた。
そして、画面を再び見つめる。
アレスは続ける。
「“新しい道”と記録されているこの発言の前後に、教育に対する強い否定的な感情が表れており、おそらくその後、自己否定が強化されたと思われます。
これが、柚希さんの死に至る過程の一因と考えられます。」
士朗の脳内で、疑念が膨らんでいった。
「自己否定……?」
士朗の中で、何かが反応した。
それは彼の記憶の中にある、柚希との最後の会話と重なる部分があったからだ。
柚希は、自分の仕事を「向いていない」と言っていた。
でも、それは本当に彼女自身の意志だったのか?
それとも、外的な圧力――あるいは、何かに強い影響を受けていたのか?
士朗は再びアレスに命じる。
「アレス、このデータ、もっと深く掘り下げろ。
柚希がどんな圧力にさらされていたのか、調べろ。」
アレスは答える。
「了解しました。データの深層にアクセスします。」
士朗は画面をじっと見つめ、今度こそ深く息を吸い込んだ。
彼が求めているのは、柚希の最後の足掻きだった。
アレスが少しして答える。
「記録の深層にアクセスしました。
柚希さんが勤務していた学校の、生徒たちとのやり取りが記録に残っています。」
士朗の心臓が一瞬、早鐘のように鳴った。
「生徒たちとのやり取り……?」
アレスの声はさらに冷静に続く。
「記録によれば、柚希さんは、生徒から冷徹な評価を受けていたことが分かります。
特に、教育方法に関する批判が集中していた模様です。」
士朗は信じられない思いで、その情報を受け入れた。
「それが……死に至る原因だったのか?」
アレスは短く応答する。
「その可能性が高いです。」
士朗は深く考え込んだ。
そして、再び思い出した。
柚希が最後に言った言葉――「新しい道を見つける。」
その言葉が、いよいよ彼にとっての鍵となる。
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【メッセージ】
最後までお読みいただき感謝いたします。
拙い文章ですが、ロジカルな文章よりも感情を揺さぶるような文章を書きたいと思っています。
これからも、是非ともよろしくお願いいたします。
余韻のために最後は1ページ程度の空白を置いています。何か感じていただければと。
今日は楽しかった、悲しかった、悔しかった、嬉しかったなど、そういう感情が動く体験は、
記憶され、そして未来の判断になんらかの影響を与えると思います。そうだといいな。
【プロフィール】
2児の父です。 駄文・乱文ですみませんが、普通の人生を記していきます。コッソリと・・・
凡人なので、フォロバ100です。人としては、フォローされるよりフォローできる人間でありたい。
ちなみに自己紹介にスキはフォローOKと受け止めます。
「Amazonのアソシエイトとして、T(パパ)は適格販売により収入を得ています。」
あと、noteにも感謝です。
見出しの写真やイラストはnoteユーザー様のを使わせて頂いています。こちらも感謝いたします。いいなと思ったら応援しよう!
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