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【📚指針ノート①】1冊の本と2本の映画が教えてくれた、私がこれから100坪の土地で紡ぐ「小さな贈与の暮らし」

次回の第六章へ向かう前に、少しだけ寄り道をさせてください。
最近読んだ1冊の本と観た2本の映画が、これからの僕の暮らしづくりに深く関わる素晴らしい気づきをくれたので、番外編として記事に残しておこうと思います。

いま、僕の人生は大きな節目に差し掛かっています。

ずっと頭の中にぼんやりと描いていた「こんな風に生きてみたい」という理想の暮らし。
それが、東京の西側の里山エリアという豊かな自然が残る場所で、100坪の土地とBESSの家という形で、いよいよ現実に動き出そうとしています。

そんな奇跡のようなタイミングで、僕は1冊の本を読み始め、映画館で2本のドキュメンタリーを観る機会を得ました。

1冊の本とは、近内悠太さんの『世界は贈与でできている』


2本の映画とは、『杜人(もりびと)〜環境再生医 矢野智徳の挑戦〜』『人生フルーツ』

増木工務店主催の映画上映会

これらがまるで磁石のように手元に集まり、僕の中でカチリと一つに繋がりました。
これから僕が新しい土地でどんな意思を持って暮らしていくべきなのか、その「思想の背骨」のようなものを手渡された気がしたのです。

1. 「当たり前」という不合理な幸運(アノマリー)に気づくこと

日常の中で、僕たちは電気やガス、水道があり、明日も今日と同じように平和な朝が来ることを「当たり前」だと思ってしまいがちです。

けれど、本の中にあった言葉に、ハッとさせられました。

「何かがないことには気づくことができますが、何かがあることには気づきません」
「不安定のつり合いの上に置かれたこの文明が、これほどまでに安定して……昨日と変わらない今日がやってくること自体、これ以上ない不合理であり、アノマリーだ。」

世界は贈与でできてきている

今、僕たちが不便なく暮らせているのは、決して当たり前ではない。
顔も名前も知らない無数の人々(アンサング・ヒーロー=讃えられざる英雄たち)が、目に見えないところで配慮や仕事という「贈与」を差し出し続けてくれているからこそ、この奇跡的な均衡が保たれているのです。

そして、この「当たり前の中にある奇跡」に気づく力こそが、教養なのだと知りました。
社会の仕組みや歴史、自然環境を学び続けることは、世界がどれほど巨大な無償の愛や配慮の上に成り立っているかを感じ取る「受信感度」を磨くことなのだと。

2. 自然の悲鳴と、自分にできる「小さな手仕事」

その気づきを持ったまま観たドキュメンタリー映画『杜人』は、僕に深い衝撃と切なさを残しました。

人間が効率や利便性のためにコンクリートで大地を塞ぎ、水と風の通り道を詰まらせてしまった結果、自然は悲鳴をあげ、災害となって現れる。
人間だけが自然の循環に反して生きている事実に、僕自身もどれだけ加担してきたのだろうと、怖くもなりました。

映画に登場する矢野智徳さんのように、プロとして完璧に風や水脈を読むことは僕にはできません。
けれど、これから住む100坪の土地でできる「小さな手仕事」なら、僕にも試行錯誤できるはずです。
* 土地をコンクリートで覆い尽くさず、水と空気が息づく余白を残すこと
* 水が溜まる場所があれば、水と風が軽やかに流れる道を手作業で整えること
* コンポストや薪ストーブの灰を活用し、カチコチに固まった土を健康な状態に戻すこと

映画後のトークショーで「近所の神社から手直しを始めたら、周りの循環が変わった」というお話がありました。
どこか一ヶ所をよくすることで、必ず周りにも良い影響が広がる。
僕のつくる庭で吸い込まれた水や通り抜けた風が、目に見えない地下や空気を通って、周辺の自然に良い波紋を広げていく。
それこそが、僕がこれから大地へ差し出せる「名前もつかない静かな贈与」の第一歩なのだと思います。

3. 「宛先」が存在してくれるという、何よりの生命力

続いて観た『人生フルーツ』は、こちらは僕が大好きなドキュメンタリー映画です。

今回改めて観て、特に今の僕の心を揺さぶったのは、90代の建築家・津端修一さんが人生の最後に手掛けた「医療福祉施設の監修」のお仕事でした。

修一さんは高蔵寺ニュータウンの設計に携わったからこそ、かつて山だった場所を切り開いて谷を埋め、街を作った歴史を知り、「あることのありがたみ」を誰よりも深く理解されていたと想像します。

だからこそ、生涯をかけてコツコツ自らの手を動かし、土を育む「ときをためる暮らし」を実践されていたのだと思います。
そして、人生最後の仕事で「お金(報酬)はいりません。きっといいことありますよ。」と手紙を添えて無償で建築監修を引き受けた修一さん。

『いま、世界は贈与でできている』には、「贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える」と書かれていました。
まさに子育てがそうであるように、見返りなんて求めないのが贈与だと。

自分の知恵や祈りを受け取ってくれる「未来の患者さんやスタッフ」という宛先が存在してくれていることそのものが、修一さんにとって何よりの生きる喜びであり、生命力だったのだと僕は感じます。

のちにそこで過ごす人々は、修一さんの名前すら知らないかもしれない。けれど、確実に修一さんご夫妻からの「温かい贈与」に包まれて生きることになります。

これから始まる、私の「1.1」の暮らし

僕は、ゼロから一を生み出せるような圧倒的なアーティスト気質ではありません。
けれど、すでにある「1(自然の恵みや、周りの人の優しさ)」を受け取り、それに感謝し、より味わい深く、心地よい形に編集して「1.1」にするクリエイティビティなら発揮できるのではないか、と思っています。

見返りを求めず、ただ「そこに集う家族や仲間が心地よく過ごせるように」「この土地が少しでも呼吸しやすくなるように」と手を動かすこと。

差出人である僕は、受け取ってくれる大切な家族や友人、自然という「宛先」がそこにいてくれるだけで、すでに十分すぎるほどの生命力と幸福を受け取っています。

東京の西側の里山エリアに位置する100坪の土地で始まるこれからの暮らし。
今回の学びをどうやって活かし、ためていくかは引き続き過去を振り返りつつ、歩みを進めながら考えていこうと思います。

ここで自分が発信できることが誰かに届いて、何かの参考になればと願いつつ、
こつこつと「ときをためる暮らし」を紡いでいこうと思います。

今回は、1冊の本と2本の映画がくれた気づきと学びについて記事を残しました。
引き続き、これからの暮らしのイメージや進展を綴っていきますので、読んでいただけると嬉しいです。


『杜人』や『人生フルーツ』をご覧になった方、あるいは同じように「贈与」や「循環する暮らし」に関心のある方がいたら、ぜひコメントで感想を聞かせてください。

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