【小説】村雨と月時雨(一)
全ての生き物は誰しも肆有(しう)という、四つの界を巡っている。
その中のひとつ『死んでから次の生を受けるまで』の世界……中有(ちゅうう)の界は今、混乱していた。閻魔大王が裁ききれずに、さ迷う魂たちが暴走を始めたのだ。
その暴走を止めるために選ばれたのは、人間に虐待され死んだ猫の村雨と、わずか7歳で生贄として命を落とした月時雨。二人は閻魔大王の妻の命により、さ迷う魂を裁く。
短い人生だったと言えばそうかもしれない。僕は世界の何も、まだ見ていない。毎日、暗い部屋で悲しみと怒りを抱えて生きてきた。最後まで、愛されたいと、捨てられない希望を持ち、生きて、絶えた。
産まれた意味はあったのだろうか。いつも嫌な顔をしていた。何をしても、どんな声を出しても、固い表情が崩れくことはなかった。痛い、イタイと僕が泣くときだけ、笑っていた気がする。ずっとずっと、僕を笑いものにしていた。許せるものか。
ある日、幸せそうな猫を見た。人間と笑い合って、頭を撫でて、優しい声で名前を呼んで貰う。寒くもなく、痛くもない、そんな日々。そんな日々があるのだと知った。その映像は今でも忘れることが出来ない。
普通が、どういったものなのか知らない。それでも普通な日常というものを送ってみたかった。それはわがままなのだろうか。
高価なものをねだる気はない。一級品を食わせろとも言わない。朝、太陽の光を浴びて今日も良い一日であるように祈り眠る。そんな簡単なことを望んではいけなかったのか。
それも、もう終わった話。どうでも良い。今はただ、眠っていたい。もし、来世というものがあるのなら、今度こそ暖かいベッドでゆっくり眠る日々を過ごしたいものだ。そう思って目を閉じた。
そんな僕の永遠の眠りを妨げるものがいた。
「ほれ、起きよ。もう存分に休んだであろう」
聞き覚えの無い女の声に目を開ける。知らない場所であった。なんと表現すればいいのかわからないその部屋は、黒っぽいカーテンで仕切られている。ドクロのような、鬼のような飾り物の人形が数十体、そして枯れた花が生い茂っていた。ドライフラワーのようなきれいなものではない。無造作に置かれているだけ。無造作に命を奪われた僕と同じように……。
その女は、大きな椅子に座っていた。その椅子も非常に趣味が悪い。玉座を思わせるが、身体の小さい女には大きすぎるほどだ。血が固まったような黒っぽい赤に、ゴテゴテした飾りつけがしてある。西洋のお城にあるような、そんな椅子に座る女は足を組んでニヤッと笑った。
「目が覚めたのなら、起きよ」
「………」
その女は正直、非常に高圧的であった。僕を冷たい目で見ている。あいつらと、同じように僕を見下しているのがわかった。椅子の後ろにある灯籠には細く長いたくさんのロウソクが、ゆらゆらとゆらめいている。
「僕は、死んだはずじゃ」
「そのとおり、主は死んだ」
そういうと女は立ち上がり、横たわったままの僕の隣までやってきた。何重にも重なり合う影と共に女は手を顎に当てて、まるで品定めをするかのように僕のことを見て回った。そんな女を、睨んでいた。どうせまた、僕を汚し地獄へ突き落すのだろう。絶望は慣れている。しかし、女は何もせずにじっと僕を見ていた。
「……良い目じゃ」
そして、満足そうに笑って、くるっと後ろを向き再び椅子に座った。風が起こって、ロウソクの火が揺れた。たぽたぽっと蝋がたれ、つぅっと灯篭の側面を流れる。そして、聞いてもいないことを勝手に話し始めた。
「お主、復讐したい人間がおるのだろう?手を貸してやろう」
勝手に話を進めるその女に苛立ちを募らせたが、復讐という言葉に反応した。あいつら、に復讐が出来る。ドクン、と心臓の高鳴る音がした。一度だって立ち向うことのなかった、この僕が復讐。
あいつらは、僕の人生を壊した。ただ、撫でて、抱きしめて、笑って欲しかっただけなのに、全てを拒否され、享楽のためだけに生かされ続けた。抗うことも出来なかった僕が、復讐。面白い、とても面白いことを言う。
「僕に復讐が?どうやって?」
その女は、鬼のように狂った顔をした。長い髪を揺らし、高らかに笑いながら右手を差し出す。
「喰うのじゃ、負の感情を」
「は?からかってんの?そんなこと、出来るわけ……」
「出来るのじゃ、肆有の番人となれ」
「しう?」
「まあ、正確には中有の道の番人じゃが……どちらでも良い」
質問に答える気はないようだ。何がなんだかわからないが『しうのばんにん』になれは、復讐ができる。それは事実のようだ。僕は気がつくと笑っていた。その表情を見た女も、ニヤリと笑いながら顔の目の前に手をかざしていた。
「答えは、出ているな?今からお前に、中有の道の番人を命ずる。心してかかれよ」
その手の中は赤く光り輝いていた。心地よい。ふわっと水の中で泳ぐような心地よい感じだ。こんな気分の良い気持ち、初めてかもしれない。僕の顔はきっとほぅっと赤らんでいる。全てが洗い流された、そんな気がした。
しばらくしてそっと目を開けると、五本の指の手が見えた。驚いて、他の身体も見回すと、すらっと長い脚も生えている。
これは、まるで人間だ。
「おい、どういうことだよ!この姿は?!」
「畜生は良く吠えるのぅ……そんなに人の姿は嫌か?」
「当たり前だ!おまえは僕が……僕がどうやって死んだかっ!」
「ああ知っておる。だからその姿にした。番人に必要なのは負の感情なのじゃ」
この女は、悪魔である。少しでも良いヤツかもしれないと思ったのを後悔した。僕の過去を、知っていて、わざと人間の姿にかえたのだ。心でさえも弄ぶ。あいつらと同じだ。
この女が何者であるかはわからない。わかりたくもない。復讐という言葉に踊らされたことを悔やんだ。
「この、クソ婆が!」
「ほほほ、我をクソ婆とな。やはり畜生は面白い。そういえば、名を名乗っていなかったな。我は奪衣婆、閻魔大王が嫡妻じゃ」
閻魔大王だかなんだか知らない。もう声も聞きたくなくて、僕はくるっと後ろを向いた。怒りで頭がおかしくなりそうだ。
僕はアイツらしか知らない。だから、他の人間がどんなものなのか知らない。僕にとって人間は敵。ずっとひとりぼっちだった。ずっと、ずっと小さな部屋の中にいた。だから知らない。
そんな僕のご機嫌を取るように、クソ婆は優しく頭を撫でた。
「そう、怒るでない。形など所詮は器。主が憎むべきは全ての人ではない『アイツら』であろう?」
「…………」
頭を撫でるそのクソ婆の手は、正直心地よかった。見透かされているのだろうか。僕は、こんな風にただ撫でて欲しかっただけだ。ただ、笑って欲しかった。それだけなのだ。
気に食わない。このクソ婆に踊らされているようで気に食わない。
「クソっ!」
「いい返事だな。さて、行くのじゃ村雨。主の初仕事しかと見届けようぞ」
「…………」
「なんだ?まだ不満が?」
「……むらさめって?」
「ああ……」
クソ婆はニヤリとまた笑って、僕の頬に触れた。そして「我は主をそう呼ぶ」と、言ったのだ。
風が吹いたわけでもないのにロウソクの火が揺れたのが見えた。
気に食わない。本当にこのクソ婆は気に食わない。全部知っていて、僕が何をしてほしいのかも全部知っている。本当に意地が悪い。心の中の奥までも見透かされて、いい気がするわけもない。
でも、それでも……。絶対に手に入れられないものを貰ってしまった。僕は猫だった。人間に飼われている名も無い孤独な猫の、欲しかった『たったひとつのもの』を。この短時間で。
悔しい気持ちが大半だ。このまま闇の中に戻っても、悔しさでいっぱいだろう。僕を弄んだこのクソ婆に一発お見舞いしなければ気がすまない。
だから全て利用してやる。『しうのばんにん』だが『ちゅううのみち』だか知らないが、何にでもなってやる。そして、クソ婆と、あいつらを地獄とやらに突き落とす。
それが僕の感情の全てだ。
生き物は誰しも『肆有』という四つの界を絶えず巡っている。生を受けた瞬間を生有、生を受けてから死ぬまでを本有、死の瞬間を死有、そして死してから次の生を受けるまでの間を、中有という。
そしてここは、中有。生と死の狭間。死んだ魂はまず三途の川を渡る。そして、閻魔大王の裁きを受けるのが通例だ。しかし、中有は今、混沌としている。裁ききれれずに『何者にも成りきれない物』たちが暴走を始めた。
その暴走を阻止する番人が村雨と月時雨とよばれる者なのである。
いいなと思ったら応援しよう!
110円の缶コーヒー1本で私が救われます