間借りカフェ奮闘記②〜甘かった想定と試行錯誤〜
「今日もお客さん、ひとりも来ないのかな…」
諦めかけていた閉店間際、その人はふらりと店に入ってきた。
「い、いらっしゃいませ…!」
思わず声がひっくり返る。
一瞬“本当のお客さん”かどうかの判断が遅れた分、慌ててしまった。
営業中の店に見知らぬ人が入ってくれば普通、それはお客さんだろう。
判断が遅れた原因はひとつしかない。
どうやら私は、先週の出来事を未だに引き摺っているようだ。
週に一度、私はこの場所を借りてカフェを営業している。
初めてお客さんが来たのはその三週目、つまり三営業日目の事だった。
誇らしげに“Hand Drip Coffee”の文字が踊る看板。
初日に用意し忘れたそれを、ようやく店先に掲げた二週目。
「これなら、どこからどう見てもカフェだと分かる…!」
膨らんでいく期待。
しかしその期待は、予期せぬ形で裏切られる。
この店は少し変わった造りになっていて、カウンターからは入り口が全く見えない。
お客さんが入ってきた事を知る術は“カランコロン”のみ。
扉の開閉時に鳴る、あれだ。
その音を、何度も聞いてきた。
それが全て自分の手によるものであるという事は、考えないようにしている。
カランコロン
その時私は、カウンターの内側にいた。
初めて自分以外の誰かが鳴らしたその音に、心拍数が跳ね上がる。
「いらっしゃいませ!」
努めて平静を、装い切れていない笑顔で迎える。
返ってきたのは、無常な言葉だった。
「お疲れ様です、中西です。裏に書類を取りに来ました。」
“裏”というのは、店のバックヤードの事だ。
中西と名乗るこの人物は、運営会社のスタッフらしい。
全員の顔と名前を覚えている訳ではない上に、そもそも会った事のない者も多い。
中西さんもそのひとりだった。
無常にも程がある…。
この日の“カランコロン”は、結局その一度きりだった。
紛らわしい関係者の訪問に、初めての「いらっしゃいませ」を捧げてしまった。
そのトラウマが翌週の“判断の遅れ”を招いた訳だが、そこから先も順調とは言い難いものだった。
注文や会計など必要最低限のやりとり以外に、ほとんど会話もなかった。
出来なかった。
“初めてのお客さん”に、嬉しさと緊張で気の利いた言葉も掛ける事が出来ない。
見送るまでの時間は、永遠のようにも一瞬のようにも感じられた。
待ち焦がれた一人目のお客さんの記憶は、
コーヒーのようにほろ苦いものとなった。
間借りカフェを始めて一月半が過ぎた、8月のある日のこと。
この日は“水曜日の店主”-この間借りカフェを知るきっかけになった人物-が来ていた。
「毎年この時期は、どのお店も売上が落ちるんです。」
そうでなくても人通りが多いとは言えない上に、この暑さだ。
通行人がまばらなのも頷ける。
それにしても…である。
最初のお客さんが来た日以来、毎週4〜5人が続いている。
言うまでもなく、大赤字だ。
看板だけでは十分な集客は見込めない。
そう言って始めたInstagramのフォロワーは、現在二人。
その内の一人は、職場の同僚である。
閲覧数も一桁が続き、唯一の“いいね!”は台湾からだった。
…もはや宣伝になっていない。
-美味しいものを作れば売れる-
見込みの甘さを思い知らされた、夏だった。
丁寧に淹れたハンドドリップコーヒーを推している店。
そこに来る人の大半は、当然コーヒーを注文するものと思っていた。
完全に想定外だった。
コーヒーはおろか、ドリンクのオーダーが全くと言っていいほど入らないのだ。
ほとんどのお客さんがフードだけを注文し、飲み物はお冷で済ませてしまう。
小さな個人店の多くがワンドリンク制を採用している理由を、今更ながら理解する。
「来週から、導入しよう」
“食材のロス”も、無視できない問題だった。
毎週、用意した食材の半分以上を廃棄している。
穴の開いたバケツに注ぐ水の如く、資金がゴミ箱に流れ込んでいく。
もちろん毎週の客数を見て、仕込みは減らしている。
だが、これ以上減らすと“全て売り切っても赤字”になってしまう。
「メニュー構成を見直そう」
特定のメニューにしか使わない食材を減らし、複数のメニューで共通食材を増やす。
簡単そうに聞こえるが、実際にやってみると想像以上に難しい。
“間借り”である事が難易度を劇的に押し上げているのだ。
まず、店を使える時間が決められている。
その時間内に、仕込み〜開店準備〜営業〜片付けまでを詰め込まなければならない。
必然的に、当日、短時間で仕込めるメニューに限られてくる。
毎回ひとりでバスと電車を乗り継ぎ運び込んでいる、保冷バッグに収まる範囲で…だ。
規模の小さい店ほど、ロスに占める割合が経営に大きく影響する。
自分で思っていた以上に、私は何も分かっていないのかもしれない。
契約期間は半年。
既に、折り返し地点を過ぎた。
延長も可能ではあるが、本業を減らしている事も含めて経済的に厳しいだろう。
もとより、半年で区切るつもりだ。
将来の開業に向けて、自分の現在地を知る事が一番の目的だった。
集客の難しさ
ワンドリンク制の是非
ロス問題…
この三ヶ月、たった12日の営業でこれだけの課題が見つかった。
課題だけではない。
帰り際、「美味しかった」と言ってくれる人。
たった一人のリピーター。
肩の力が抜けて“それっぽく”なってきた、カウンター越しの会話。
収穫は、確かにある。
それでもまだ、赤字続きだ。
残りの期間でどれだけ修正出来るか。
自己満足で終わらせるつもりは、ない。
-あと、半分-
必ず、満席にしてみせる。
続く

