蟹工船の大型新人
昨年、夫の両親が初めてわたしの実家に遊びに来ることになった。新婚時代から何年にも渡り、「ぜひ、田舎に遊びに来てくださいね」「行ってみたいわぁ」「本当に来てくださいね」「本当に行ってみたいわぁ」というリピート再生のような会話をし続けつつ互いの遠慮がせめぎ合ってタイミングを見失っていたのだが、やっと実現することになった。
となると、実家で何が起きるか。蟹工船の稼働である。創作大賞2025でメディア賞をいただいたエッセイ『結婚挨拶とエビフライ。』にも書いたのだが、わたしの実家には揚げ物をはじめとした大量の料理でお客さんをもてなす油っこい文化があり、声の大きい母をリーダーにして準備を行う台所はちょっとブラックな労働環境。それを我が家では蟹工船と呼んでいるのである。義理の両親は県外からわざわざ来てくれるとあって、蟹工船の船長である母はやる気十分。根っからのホスピタリティを一層たぎらせているようだった。
わたしと夫と子どもは、一足早く前日から実家入りした。焼き魚がメインの夕飯を味っていたとき、夫がわたしに「明日、俺の父さんと母さんがあの揚げ物を食べるってこと?」とぽつりと耳打ちしてきて、「そういうことになるね」「それはとてもおもしろいな」とフライ攻撃に巻き込まれる夫の両親を想像してくすくすと笑い合った。
蟹工船は、いつ何時もドタバタしている。わたしももちろん乗船するが、子ども用の食事を準備しつつのため、フルで働くことができない。また祖母(父方)も、生涯現役を命じられ頑張ってくれるとはいえ、すでに90歳を超えており、負担をかけすぎるわけにはいかない。母船長が、焼いて蒸して揚げて揚げる。テイクアウトなど外注も取り入れてはいるが、この日の蟹工船はまるで現代社会の問題を映し出しているかのような人材不足なのであった。
11時半頃、料理の完成よりも先に義母と義父が到着した。「今日はわざわざ来てもらって、ありがとうございます」とわたしがお礼を伝え、父や母、祖母も愛想よく挨拶をする。食事の支度が終わるまでゆっくりしてもらおうと思い、「お義父さんお義母さん、ちょっとまだ準備が終わっていないので」と和室に案内しようとしたその瞬間、義母がはつらつとした声で「何かお手伝いしますよ!」と、まるで千尋さながらの高い労働意欲を示した。ほ!?
すると母船長、「ぜひお願いします!」とブラック企業らしいスピード感で即採用を通知。ほ!?
義母、乗船。
「お義母さん、そちらの台所は蟹工船と呼ばれておりまして」などと説明する間もなく乗船である。来るもの拒まず去ろうとするもの追いかけ回すのスタンスで毎回人手を探している船長ではあったが、義母までこんなにあっさりと乗せてしまうとは。
急展開に呆気に取られているわたしをよそに、義母は腕まくりをして手を洗い、母は「このレタスを大皿二つに分けて並べて、その上にこの揚げ物を盛り付けてください」と指示。義母は気持ちのよい返事をし、それはそれは手際よくレタスを並べ、見栄えよくフライを盛り付けていった。長年の主婦経験に裏打ちされた高い家事スキルを持つ大型新人の登場により、蟹工船は生産性を大幅に上げ、料理は一気に完成へと近づいていく。さらに、わたしがデザートに使う生クリームを泡立てていた際、「とろとろで全然固まらない…」と首を傾げていると、義母は「下のボウルの氷を増やして、もっと冷しながらかき混ぜたらいいんじゃないかしら?貸して!」と、率先して業務改善の提案を行い、プロジェクトを成功へと導いてくれたのである。逸材。これが即戦力のキャリア採用…ビズリーチ。わたしは義母の圧倒的な活躍に惚れ惚れした。
そうして出来上がった料理の数々を所狭しとテーブルに並べ、乾杯。その料理のボリュームに、義理の両親は感嘆の声を発していた。お口に合うかしら…と不安だったが、おいしい!こっちもおいしい!と二人して細かくリアクションをし、想像以上に喜んでくれた。気をよくした船長は、二人に「これもぜひ!」と、かぼちゃとハムのフライを勧める。これは実家の定番で、父の大好物。我が家の定番料理を義母と義父が食べているという奇妙なシチュエーションに、けれどこうして人はつながってゆくのだという、なんだかとても壮大で力強い感情を抱いた。そしてこの日もやはり、大皿が空になるより先にみんなの胃袋がいっぱいになった。
そのとき、義母が「片付けも手伝います!」と自ら志願した。もうずっと前からここに居たようにすっかり実家の台所に溶け込んで、スピーディかつ丁寧に皿洗い業務を遂行する義母。船長は「片付けってこんなにすぐ終わるものなんだ…」と驚きを隠せない。間違いなく義母はこの日のMVPであり、蟹工船に新しい風を吹き込んだ。義母と義父は、「本当に楽しかった」「お料理どれもおいしかった」と、大満足の表情で帰って行き、わたしは胸を撫で下ろした。
その日から一ヶ月ほど経ち、わたしが一人で友人のところへ外出しなければならない日ができた。夫はその日、子どもを連れて自身の実家へ帰ることに。義母は張り切って料理を多めに用意してくれたようで、わたしにもぜひ食べさせてあげてと、パックに詰めた多彩な料理を夫に土産として持たせてくれていた。ありがたいことですと感謝しながら、一つ一つ袋の中から取り出していく。義母の得意な具だくさんの煮物に、レーズンがアクセントの和え物、ツナとキャベツのサラダ、それから、か、唐揚げ…?パックにぱんぱん入った鶏肉の唐揚げ!義母がこれまでわたしに食べさせてくれたのは、レンコン入りのシャキシャキしたつくねであったり、味のよく染みたぶり大根であったり、胃袋に優しい料理ばかりだった。それがこのタイミングで、どかんと揚げ物。義母が揚げたのか、買ってきてくれたものなのかはわからない。けれど、これはもしかして、蟹工船で働いたあの日の経験が義母に何らかの変化をもたらしてしまったのではないか。実家のサラダ油が人に与える影響の大きさに思いを馳せながら、わたしは夫よりもガツガツと唐揚げを頬ばった。
おわり
★創作大賞でメディア賞をいただいた『結婚挨拶とエビフライ。』を書いてから約1年が経ったので、久々に蟹工船の様子を書いてみました。また船に目立った動きが見られれば書きます。
★今年の秋〜冬頃にエッセイ本刊行予定です。現在頑張って書いております。詳細が決まり次第、お知らせします!
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