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結婚挨拶とエビフライ。


わたしの実家の台所は、ときどき工場になる。せっせせっせと揚げ物をつくる、フライ工場だ。この工場は、正月やお盆など、主に客をもてなす日に稼働する。

司令塔である母の指示のもと、わたし、妹、祖母らが実働部隊となって、大量の揚げ物およびその他の料理をこしらえていく。ときに黙々と、ときに騒々しく。手を動かせど動かせどなかなか終わりの見えないブラックな労働環境が続くうち、いつしかわたしたちはこの工場を蟹工船と呼ぶようになった。

船長は人使いの荒さと声のでかさに定評がある。乗組員たちに「衣つけて!」「レタス千切って!」「タルタルソース作って!」と、矢継ぎ早に指示を飛ばす。我らはそれぞれの持ち場で、それぞれ懸命に役割を果たしてきた。高齢の祖母は嫁にこきつかわれているわけだから、誠に気の毒だなあと感じていたが、近年はむしろ「ばあさんは今日も蟹工船乗ってます!」などと自らアピールするほどの愛社精神が芽生えているので不思議なものである。


あれはまだ平成だった秋のこと。蟹工船は社運を賭けた一日を迎えていた。お盆でも正月でもない。わたしの当時の恋人であった夫が、結婚の挨拶にやって来るのである。船長は大張り切りで舵を取り、乗組員もいつも以上の緊張感をもって業務にあたる。ある者は衣をつけ、ある者は汗を流しながら揚げ、ある者は酢飯をうちわであおぎ、ある者はできあがった料理を申し訳程度のレタスの上に盛り付けてゆく。

「大皿出して!」
「ちょっ!イカリングの油飛んだ!あっっつい!!」
「あと15分で駅に着くって。迎えに行って来る」
「みんな急いで!!」

夫の到着直前、蟹工船はかつてないほどの大揺れだった。焦った船長が「ちょっと!父さんも寝転んでないで部屋片付けて!!」と声を飛ばし、父は不機嫌になりながらもしぶしぶ動き出す。

わたしはそわそわし、家族全員がそれぞれにそわそわし、けれどこの日一番そわそわしていたのは、どうやら夫であった。駅まで迎えに行くと、スーツにネクタイを締めパリッと決めた夫が立っているのだが、近づくと、ん、くんくん、ん?くさい。ニンニク臭い酒臭い!

聞くと前日の夜、人生のどんな大一番でも緊張をしたことのない強心臓の彼が初めての緊張を味わい、プレッシャーに耐えられず、「一人にしないでぇ〜!」と友達に頼み込んでもつ鍋を食べに行き、明け方までカラオケで歌っていた、つまり二日酔いだと言う。

なにやってんだい!二日酔いの胃袋で、うちの揚げ物が食べられると思っているのか!しかし、ちょっとしっかりしてよと思う反面、結婚挨拶のことをそんなに真面目に捉えてくれていたんだなという妙なうれしさもこみあげてくる。


緊張しながらうちの門を開けたのはこの日が初めてだった。全員が作業の手を止めて、玄関まで出て来てくれた。さっきまで不機嫌だった父も登場。さあ父、娘の結婚相手が来たぞ!どう出る!

「こんにちは〜どうぞどうぞ〜あがってください〜〜」
非常にへらへら、ふにゃふにゃしている。

ちょっと待ってくれ父。彼は緊張の初体験をここで使って、友だちを巻き込んで二日酔いにまでなって来たのだ。もう少しこう、堂々と、毅然と、結婚挨拶らしいやつを、そうそう威厳、威厳のある雰囲気を醸してくれないか。これでは二日酔いになった甲斐がないじゃないか。

しかしこれこそが、うちの父なのである。父は年下の母に寄りかかって生きていて、いつだって頼りない。口を開けばうんちくか、自慢話か、冗談の3択。この日は緊張からかいつもより余分にふにゃふにゃしている。


和室には次から次へと料理が運ばれて来る。エビフライやイカリング、魚のフライ、とにかくフライ、それからちらし寿司や煮物、汁物、さらに本当に蟹など、多い、茶色い、机にのりきらない!うちには小ロットという概念がないため、客がたとえ一人だろうと、大量生産。すさまじい量の料理が、二日酔いの胃袋の前へと並べられた。


「食べて食べて!」
「ビールあるよビール!」
船長がさっそく食べろ食べろ攻撃を開始した。ゼクシィによると、まずは歓談、そこからあまり先延ばしにせずほどよいタイミングで結婚の話を切り出すのが結婚挨拶のセオリー。しかしそんなものは、うちでは通用しない。何がどうあれ「いただきます!」だ。

夫は戦闘力ゼロの胃袋で、必死に食らいついた。ビール一杯で顔を真っ赤にする父は、あっという間にほろ酔いになり、「これは〇〇(わたし)が作文でもらった賞状なんだ!」と、案の定娘の自慢話を始める。夫は二日酔いを外見の善人感でカバーしながら、父の話に耳を傾ける。父は話を聞いてもらえるのがうれしくて、野球のうんちくも披露。夫はにこやかに応答。消えた結婚報告。

この混沌とした空間の中で、地元のデイサービスじゃ負け知らずの大食いである祖父だけが平常心で食事をしており、多少結婚挨拶に相応しい雰囲気を演出してくれているように感じた。


「エビフライ、まだあるよ!遠慮せずに食べてよ!ビールまだあるよ!」
攻撃の手を緩めない船長。

一枚だけ残っているこの日の写真に写っているのは、両手を体の後ろについて苦しそうに座っている男の姿。忘年会で蟹鍋をたらふく食ったとしか思えない様相である。最近本人に聞いたことだが、「あのときはスーツのベルトを緩めてた。もうあれ以外の姿勢は取れなかった、後にも先にもあんな姿勢をとったのはあのときだけ」らしい。

正直な話をすると、蟹工船の揚げ物は特別おいしいものではない。油っぽくてべちゃっとしているし、すべて揚げ終えてから大皿でどーんと出すためやや冷めている。たくさん食べられるものではない。直前まで、結婚の許しをもらえるだろうかと不安になっていた夫だが、この日夫の前に立ちはだかったのは親ではなく、エビフライを筆頭とする大量のフライだった。許されるか許されないかではなく、食べきれるか食べきれないかだったのだ。


結局皿に料理は残ったまま、「娘さんと結婚させてください!!」的なシーンはまぼろしのまま、結婚挨拶は終わった。夫はぐったりしていて、わたしの家族はみな満足げな顔をしていた。


夫は忘れる才能がある人だ。「生きるのって、思い出づくりみたいなところがあるよね」と言うわたしに、彼は「俺は忘れることだと思う」と答える。過去の話をわたしが何度でも引っ張り出して語ろうとするたび、夫は「そうだったっけ?」と首をかしげる。最近では夫は「〇〇さん(わたし)に一度話したら全部覚えてくれてるから、俺は何のためらいもなく忘れられる。脳みそが空いてラッキー」と、わたしをクラウド利用することによって、その忘れる才能に磨きをかけている。

そんな夫が、「結婚の挨拶のことだけは忘れられない。茶色かった。苦しかった」と今なお語り続ける。


母からのトラウマになるほどのフライ攻撃。父の自慢とうんちく攻撃。昔から、うちの家族って変だなあと感じていたけれど、どこか不器用な家族が、不器用なまま夫を迎え、母はその船長っぷりを、父はふにゃふにゃ感を、それぞれ揺るぎないものにした一日だった。

その夜、わたしは父にメールをした。「なかなか好青年だったでしょう?」と聞くと、「そうだね!優しそうだし!いいと思うよ。父さんの次にね!」と返信があり、ほらやっぱり父の発言は3択。これは精いっぱいの冗談だったのだろう。


あれから何度もお盆が来て、正月が来た。実家ではじいちゃんが亡くなったり、父が病気になったり、ばあちゃんが詐欺に遭いかけたり、母は母で落ち込むしかないできごとがあったり、つまりいろいろあった。わたしもわたしで、会社を辞めたり、へこたれたり、もがいたり、あきらめかけたり、やっぱりあきらめられなくて手をのばしたりした。

けれど実家の家族がどうあれ、わたしがどうあれ、帰省すれば必ず蟹工船は稼働したし、とんでもない量の揚げ物と母の「食べて!」に夫は怯えた。大袈裟だけれど、その光景を見るたび、また生きてやろうと思えた。うちの揚げ物はそんなにおいしくないってけなしておきながら、けれどわたしの血管にはたしかに実家のサラダ油が流れていると思うことがある。仕方ない。わたしはずっと揚げ物を食べて生きてきたのだから。誕生日も、クリスマスも、最後の試合で何一つ爪痕が残せなかった夏も、親とけんかしてもう一生口きかないと誓った秋も、受験会場から号泣しながら帰ってきた冬も、もうすぐふるさとを離れることが決まった18の春も。



今年のお盆は、赤ちゃんを連れて帰省する。まだ揚げ物は食べられないが、夫は「よく食べる子に育てて、早く戦力になってもらおう」とすでにルーキーに期待を寄せている。「これからも家族でフライ攻撃を受け続けられたらいいね」とわたしが言うと、夫は「うげー」という顔をした。


おわり


(2026年7月追記)
★実家の蟹工船の続きを書きました。大型新人が乗船した話です。


★2026年の秋〜冬頃、エッセイ本を刊行予定です!詳細が決まり次第、お知らせします!

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