見出し画像

理性は過つ、感性(直観)は過たない

人が何かを判断する時、実は二つのルートを使っているように思います。

ひとつは頭で考えるルート。もうひとつは、言葉になる前の感覚で「何か違う」「これは面白い」と感じるルートです。

この二つのうち、どちらが正しい判断を導くのか。

長く仕事をしていると、少し不思議なことが起こります。理屈で丁寧に積み上げた判断が外れて、最初に感じた違和感の方が当たっていたという経験が、何度も出てくるのです。

ゲーテの言葉に「直感は過たない。過つのは判断である」というものがあります。「理性は過つ、感性は過たない」という考え方は、まさにこの発想に近いのだと思います。

もちろん、理性は大切です。データを見て、損得を計算して、リスクを考えて、周囲の状況を踏まえて判断する。ビジネスの世界では欠かすことのできない能力です。むしろ、それができなければ経営も組織運営も成り立ちません。

ところが、この理性というものには弱点があります。

前提がズレていた場合、その上に積み上げた論理がすべてズレてしまうのです。数字も理屈も正しいのに、結果がうまくいかないというケースは、たいていここで起きています。

たとえば、誰かと仕事を組むかどうかを考える場面を想像してみてください。

条件はいい。実績もある。話も筋が通っている。周囲の評価も悪くない。理屈だけを並べると「組んだ方がいい」という結論になります。

ところが、その人と話している時に、どうにも説明できない違和感を感じることがあります。

何が問題なのかは説明できないのだけれど、どこか引っかかる。この感覚を無視して理屈で決めると、後になって「あの違和感はやはり正しかった」と気づくことが少なくありません。

採用時なんかもそうですよね。感覚的には何かが引っ掛かっているのですが、経歴だけ見たら採用すべき人材である。で、いざ採用してみると人格に問題があったりしてとんでもないことになってしまったり。

人の感性というものは、実はかなり優秀です。長年の経験や観察の積み重ねが、無意識の中に蓄積されています。そしてそれを一瞬で統合して、「これは違う」「これは可能性がある」と教えてくれるのです。

ベテランの職人や経営者が「なんとなく分かる」と言うことがあります。あれは勘でも霊感でもなく、経験が身体に染み込んでいる状態なのだと思います。頭で計算するよりも先に、身体の方が答えを出しているわけです。

ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。

それは「理性はいらない」という話ではないということです。むしろ逆で、感性と理性は役割が違うのだと思います。

感性はコンパスのようなものです。どちらの方向に進むべきかを教えてくれる。何に惹かれるのか、何に違和感を感じるのかを示してくれる。

理性は地図のようなものです。コンパスが示した方向に向かって、どう進めば現実的に辿り着けるかを考える。障害物を避けたり、遠回りをしたり、現実的なルートを設計するのが理性の役割です。

ところが、この順番が逆になることがあります。理性だけで方向を決めようとすると、損得や世間体や常識に引っ張られて、本来進むべき方向からズレてしまうのです。周囲の評価や過去の成功体験が邪魔をして、本当に大切なものを見失ってしまうこともあります。

組織でも同じことが起きます。数字や制度や効率だけで物事を決めていくと、人の気持ちとのズレが少しずつ広がっていきます。すると、理屈は正しいのに現場が動かないという現象が起きます。これは、感性が感じている違和感を無視して理屈だけで運営しようとする時に起きる典型的なパターンです。

介護の仕事でも同じです。

制度やサービスの組み合わせを理屈だけで考えていると、「この方にとって本当に必要なケアは何か」という本質が見えなくなることがあります。まず最初に働かせないといけないのは、「この方は何を望んでいるのだろう」「どうすればその人らしい生活になるのだろう」という感覚です。

その感覚をもとにして、制度やサービスをどう組み合わせるかを理性的に設計する。そうして初めて、ケアとして意味のある形になるのだと思います。

仕事でも人生でも、私たちはつい理屈を優先してしまいます。けれども、ときには立ち止まって自分の感覚に耳を傾けてみることも大切なことだと思います。

頭ではなく、自分の奥の感覚ではどう感じているのか。その感覚の中に、次の一歩のヒントが隠れているのかもしれません。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

カワスケ🍜 嬉しいです。 サポートしていただきまして、ありがとうございます。 こちらからもサポートをさせていただくことで返礼とさせていただきます。 どうぞ宜しくお願い致します。

この記事が参加している募集