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何でも反対、困れば抗議――共産党はいつまで“反対芸”を続けるのか

日米首脳会談後の田村委員長の会見を見て、率直に思った。
ああ、共産党はもう「反対」が仕事なのではない。「反対」が趣味になっている。

何が決まっても反対。
何を説明しても反対。
何も決まっていなくても先回りして反対。
そして会談が終われば、案の定「最悪だった」と言う。

ここまで来ると、政権を監視する政党というより、反対のために存在している党に見えてしまう。


最初から結論が決まっているから、何を見ても「最悪」になる

今回の会見で田村委員長が繰り返したのは、
「最悪の会談」
「対米追随」
「厳しく抗議」
「撤回を求める」
という、いつもの強い言葉だった。

威勢はいい。
だが、威勢のよさと中身の強さは別物である。

本来なら首脳会談の評価は、論点ごとに切り分けて行うべきだ。
安全保障は安全保障。
エネルギーはエネルギー。
中東情勢は中東情勢。
拉致問題は拉致問題。
それぞれ重さも性質も違う。

ところが共産党の会見は、それらを全部ひとまとめにして、最後は
「対米追随だからダメ」
の一言で処理してしまう。

便利な言葉だ。
便利すぎる言葉でもある。
なぜなら、それを言えばどんな複雑な話でも、あっという間に“悪”として片づけられるからだ。

だが、それは分析ではない。
雑な一括処理である。

「説明しろ」は連呼するのに、自分たちの説明は霧の中

今回の会見で何度も出てきたのが「説明しろ」だった。
何を伝えたのか説明しろ。
何を示したのか説明しろ。
何ができると言ったのか説明しろ。

もちろん、それ自体は分かる。
政府に説明責任を求めるのは当然だ。

だが、問題はその次だ。
では、共産党はどうするのか。

アメリカにどう迫るのか。
イラン情勢の沈静化に向けて日本はどことどう組むのか。
ホルムズ海峡の緊張が続く中で、日本のエネルギー供給をどう守るのか。
自衛隊を出さないとして、何を代替策として出すのか。
日米同盟を批判するなら、抑止や邦人保護をどう組み立てるのか。

ここに入った瞬間、共産党の言葉は急にふわふわし始める。
「平和の連帯を広げる」
「包括的に議論する」
「外交方針を示せ」

いや、そこなんですよ、である。
その“ふわっとした理想語”を、現実の政策に翻訳して見せるのが政治だろう。

相手には具体策を求める。
自分たちは抽象論で逃げる。
それで「厳しく追及した」という顔をされても、見ている側は冷める。
それは追及ではない。
口調だけ強い、説明不足の批判である。

何でも反対する共産党は、結局何にも責任を持たない

今回の会見の本質はここだと思う。
共産党は、反対のコストを自分で払う気がない。

イラン攻撃には反対。
日米同盟強化にも反対。
ミサイル共同開発にも反対。
石油開発投資にも反対。
小型原子炉にも反対。

見事なまでの反対ぶりである。
まるで反対の百貨店だ。
どの売り場に行っても、きれいに反対が並んでいる。

だが、政治は「嫌です」で終わらない。
エネルギーは要る。
安全保障は要る。
海上輸送の安全確保は要る。
外交の窓口も要る。
国民生活への打撃を抑える責任も要る。

そこを全部飛ばして「抗議します」「撤回を求めます」と言うのは簡単だ。
責任を持たなくていい立場からなら、誰でも正義の顔ができる。

しかし、その“立派そうな顔”の裏で見えているのは、
現実を引き受ける覚悟のなさである。

拉致問題まで政権批判の材料にする薄っぺらさ

会見では拉致問題についての質問も出た。
だが、そこでも結局は「アメリカ頼みでいいのか」「日本の外交方針が分からない」に戻っていった。

言葉だけ見れば、もっともらしい。
だが、中身を見れば空洞である。

では、共産党として日本は何を優先し、何を交渉の入口にし、どこで圧力をかけ、どこで対話の窓を残すべきだと考えているのか。
そこを聞きたいのに、また政権批判のテンプレートに戻る。

つまりこの会見は、論点ごとに考えているのではない。
最初から最後まで、
“何でも政権批判の材料に変換する共産党の癖”
が前面に出ているだけだ。

ここまで来ると政策論ではない。
ただの批判の使い回しである。

大きな声は出ている。だが、知恵はあまり見えない

政治家の会見で本当に見たいのは、声の大きさではない。
現実をどう動かすかという知恵だ。

今回の会見にあったのは、怒りの表情、強い語気、厳しい言葉だった。
だが、その先に何があるのかと問うと、驚くほど何も残らない。

「最悪だ」
「許されない」
「撤回せよ」
「説明しろ」

この四点セットを大きな声で回していれば、たしかに“戦っている感”は出る。
支持者も喜ぶだろう。
拍手も起きるかもしれない。

でも、それで何か動くのか。
日本の安全保障は前に進むのか。
エネルギー不安は和らぐのか。
拉致問題は進展するのか。
中東情勢の緊張は下がるのか。

当然、動かない。
なぜなら、共産党は怒りを並べているだけで、設計図を一枚も出していないからだ。

ここまで来ると、共産党は“野党”ではなく“反対依存症”である

本来、政党とは政権に対して別の道を示す存在である。
反対はその入口にすぎない。
ゴールは代案だ。

ところが今回の会見から伝わってきたのは、代案へ向かう意志ではなく、
反対している自分たちへの自己陶酔だった。

反対している共産党は正しい。
怒っている共産党は立派だ。
抗議している共産党は勇ましい。
その気分のよさに浸っているように見える。

厳しい言い方をすれば、これはもう政党としての仕事ではない。
共産党の反対依存症である。

何かを解決するより、反対している瞬間の高揚感の方が大事になっている。
だから、どの論点でも最後は同じ場所に戻る。
解決策ではなく、反対のポーズへ。

結論

要らないのは野党ではない。
反対しか芸がなく、反対しか能がなく、反対している自分たちに酔っている共産党である。

何でも反対。
だいたい抗議。
困れば説明要求。
自分たちの具体策は霧の中。
それで「追及した」と満足しているなら、政治ではなく自己満足だ。

議席を使ってやることがそれなら、かなり空しい。
拡声器を持って街角で叫んでいるのと、本質的に大差がない。

政治に必要なのは、
大声ではない。
抗議の回数でもない。
“怒っている顔”でもない。

必要なのは、現実の重さを引き受けたうえで、
それでも前に進める代案を出す知性と責任である。

今回の会見から見えたのは、その知性でも責任でもなかった。
見えたのはただ一つ。
反対だけはやたら上手い、しかしそれ以上には進めない共産党の限界だった。

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