苦いコーヒーと、なくなる景色
お気に入りの喫茶店が閉店するらしい。
その知らせを聞いたとき、
胸の奥で何かが小さく揺れた。
毎日のように通ったわけではない。
常連というほどでもない。
それなのに、
「なくなる」と聞くと寂しい。
人は案外、
利用した回数ではなく、
そこで過ごした時間に愛着を持つのかもしれない。
その店は実家の近くにある。
窓の外には田んぼが広がる。
春は水鏡。
夏は青々とした稲。
秋には黄金色の波が揺れる。
季節そのものを眺めながら、
コーヒーを飲めるような場所だった。
子どもの頃は、
たまに食べるハンバーグ&ナポリタンやミックスサンドがごちそうだった。

そしてコーヒーは、
驚くほど苦かった。
当時は子どもだったからだと思っていた。
ところが大人になり、
何年かぶりに訪れて飲んでみても、
やっぱり苦かった。
「今度こそブラックで」
そんな小さな決意を胸に注文し、
毎回あっさり敗北する。
結局、
ミルクと砂糖を入れる。
すると急においしくなる。
ここまでが一連の流れだ。
もはや私はコーヒーを飲みに来ているのか、
負けを確認しに来ているのか、
自分でもよく分からない。
店主は一人で店を切り盛りしている。
特別に愛想がいいわけではない。
けれど、
古びたテーブルや、
少し色あせたメニューには、
長い年月が静かに染み込んでいた。
たぶん人は、
場所そのものではなく、
そこに流れた時間に惹かれる。

そんな気がする。
ふと、
人との距離感も似ていると思った。
地元で知り合いを見かけても、
案外こちらから声はかけない。
ところが旅先で隣の席になった人が同じ県出身だと、
急に親しみを感じる。
海外なら、
同じ日本人というだけで安心してしまうことさえある。
相手のことを何も知らないのに。
不思議なものだ。
私たちは情報より先に、
どこか共通する景色を信じているのかもしれない。
今は何でも買える時代だと言われる。
けれど、
満足まで買えるわけではないらしい。
人を見ないで物を買う。
物を見ないで口コミを見る。
便利になったはずなのに、
何か大切なものを探している時間は、
むしろ長くなった気もする。

同じ景色を見ても、
見える色は人によって違う。
同じコーヒーを飲んでも、
苦い人もいれば、
おいしい人もいる。
だから分かり合えないこともある。
けれど、
まったく同じ景色を見ていないからこそ、
誰かの話を聞く面白さも生まれる。
閉店する喫茶店のことを考えながら、
そんなことを思った。
きっと最後の日も、
私はブラックに挑戦する。

そしてたぶん負ける。
ミルクと砂糖を入れて、
「ああ、この味だ」と笑う。
なくなるのは店だけじゃない。
あの日の自分も、
あの頃の景色も、
少しずつ遠ざかっている。
それでも記憶の中には残る。
少し苦くて、
少し甘いまま。
まるで、
あのコーヒーみたいに。

