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美術史第119章『アフリカ美術 前編』

  アフリカ美術は広義にはアフリカ大陸全体の美術、狭義には北部に存在したエジプト美術やローマ美術、イスラム美術などを除いた地域の美術で、今回は広義、狭義に関係なく以前の記事で触れたことのないアフリカの美術について書く。

ただ、アフリカは「大陸」であり、21世紀現在では北部一帯や西部・東部の一部はイスラム文化圏、エチオピアはキリスト教の独自の文化圏で、サブサハラ一帯は伝統宗教やキリスト教が混在するなど、まとまった文化圏ではないため、作られる美術もそれぞれの地域で大きく異なる。

・オレンジ色は全て互いに比較的近い「バントゥー系民族」
・赤はバントゥー系民族と起源が同じいくつかの系統
・青はセム系、ベルベル系、チャド系、クシ系などを含む「アフロ・アジア語族」
・緑は南部の先住民「コイサン」
・黄色はナイル系、ソンガイ系などを含む「ナイル・サハラ語族」
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:African_language_families_ja.svg)

また、現在では欧州の植民地化によって本来のアフリカの文化圏の区分や国境は関係なく国境が引かれており、キリスト教化されている地域も多く、国ごとの美術史を分けて語っていくことはできない。


(↓以前に書いたエジプトや北アフリカの美術の記事)

 現存する最古のまとまったアフリカの美術はエジプト美術ではなく、1万年前から北アフリカで描かれていた「タッシリ・ナジェール」に代表される大量の岩面壁画で、それらは「サハラン・ロックアート」として知られている。

サハラ岩絵は象や水牛、レイヨウなどの動物を大きく写実的に刻んだ「バブルス時代」、丸い頭の顔のない人間や野生動物が描かれた「ケルエスフ時代・円頭時代」、牛の放牧が行われ始めた紀元前40世紀頃からの「牧畜(牛)の時代」、それまで草原だったサハラ砂漠の砂漠化が進行し馬が導入された紀元前15世紀頃からの「馬の時代」、サハラ砂漠に駱駝がもたらされた紀元前2世紀頃からの「駱駝の時代」という様式区分に分けられ、モチーフが変遷し、特に「牛の時代」の時に最も数が多く、黄金期を迎えた。

タッシリ・ナジェール(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Running_Horned_Woman,_6,000–4,000_B.C.E.,_pigment_on_rock,_Tassili_n’Ajjer,_Algeria.jpg)
マンダ・ゲリ洞窟
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prehistoric_Rock_Paintings_at_Manda_Guéli_Cave_in_the_Ennedi_Mountains_-_northeastern_Chad_2015.jpg)
タドラルト・アカクス
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Libya_4924_Pictograms_Tadrart_Acacus_Luca_Galuzzi_2007.jpg)

 一方、南部アフリカ一帯の広い地域でも先住の狩猟民コイサン諸民族による膨大な岩面壁画「サン・ロックアート」が残されており、紀元前5千年紀から近代の19世紀まで描かれ、「コンドアの岩絵遺跡群」、「マトボ」「トゥウェイフルフォンティーン」「ツォディロ」などが知られ、「チョングニ」や「ニェロ(Nyero)」に代表されるコイサンの後から到来したバントゥー系民族の壁画もある。

これらは生活や宗教についてを描いたものだが、近代には牛を飼う黒人や馬に乗り銃を持つ白人も描かれていたとされ、現在では北方から到来した黒人や海外からの白人の支配でコイサンの居住地が大きく減った。

白塗りのシャーマンを描いた絵(ホワイト・レディ)
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:White_Maiden_of_Brandberg.jpg)

(↓保存状態の良い岩絵のギャラリー)

 サンとサハラ以外にもソマリランドの「ラース・ゲール」では地域・時代的にクシ語話者の祖先に当たる人々が描いたと思われる多く岩絵が残されている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Laas_Geel.jpg

 先史美術ではない、中世から近代までのサブサハラの美術、いわゆるアフリカ美術において最も繁栄したのは木彫りや青銅の人の像や仮面で、これらは西アフリカから中部アフリカの定住農耕民の間で発達し、仮面は場所によって秘密結社のシンボルや儀式の時の神がかりの時だけの神聖なもの、成人式などの通過儀礼でつけるもの、といった役割がある。

全体的に魔術、呪術、宗教と結びついており、成人、豊穣祈願、葬儀など様々な儀式の際に用いられやすく、その造形は写実性よりも象徴的な表現を取ることが多く、装飾性の強いものや奇妙に見えるウネウネとした造形を持つものが多い。

ダン族の仮面
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brooklyn_Museum_80.244_Dean_Gle_Mask_(2).jpg)

 歴史的に見ると西アフリカの巨大国家ナイジェリアはアフリカの中で最も彫刻美術が繁栄した地域であり、その源流の一つにあたると思われる紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけてナイジェリア中央部の平原に存在した「ノク文化」では人間の頭部や全身、野生動物や家畜を象った、大きな目を特徴とする数多くテラコッタ製の土偶が生産され、斧を担いだ人物像やビーズ、ペンダント、ブレスレット、耳や唇にアクセサリーをつけた人物像など当時の格好のわかるような作品も多いが、その多くが日本の縄文土偶と同じように破壊されているため完全な状態のものはない。

また、紀元前6世紀から紀元後16世紀まではシャリ川流域、現在のカメルーンからチャドに存在したサオ文明でもテラコッタ製の土偶の生産が多く行われた。

ノク文化の土偶
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nok_sculpture_Louvre_70-1998-11-1.jpg)
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Africa_Nok_Male_Figure_Kimbell.jpg)
サオ文化の像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ciad,_cultura_sao,_statuette_antropomorfe,_dalla_regione_di_ndjamena,_IX-XVI_sec._02.JPG)

ノク文化などの古代勢力はニジェール川下流で栄えたブラ文化(Bura culture)、ナイジェリアのヨルバ人のイフェ、イボ人のイボ・ウクウ、マンデ人のジェンネ・ジェンノといった西アフリカの優れた美術を生産する都市国家の誕生に繋がった。

「ジェンネ・ジェンノ」は紀元前から中世まで栄え数万人の人口を誇った都市国家で、多くのグネグネっとした感じの独特な造形を持ったテラコッタの像が作られました。

ジェンネの像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Earthenware_maternity_scene,_Djenné,_inland_Niger_River_Delta,_1100-1400.JPG)
ジェンネの女性の像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mali,_jenne,_figura_femminile_in_ginocchio,_xv-xviii_secolo_01.jpg)

「イボ・ウクウ」は9世紀から栄え20世紀まで存続したナイジェリアのイボ人の「ニリ王国」の首都で、かなり大量のガラス製品や青銅美術が発見されており、これはアフリカで大量の青銅美術が生産された例としては最古級で、沿岸から陸上帝国(ソンガイ帝国など)を繋ぐ交易による大繁栄が見て取れる。

青銅の人面ペンダント
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Igbo_ukwu_face_pendant.png)
精密なカタツムリの青銅像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bronze_ceremonial_vessel_in_form_of_a_snail_shell,_9th_century,_Igbo-Ukwu,_Nigeria.JPG)

 「イフェ」はナイジェリアのヨルバ人などの小国家群の中でも、各地の支配者を承認する立場、日本で言うところの天皇的な立ち位置にあった王がいた都市国家で、その宮廷で非常に写実性の高い青銅製の肖像彫刻が10世紀から14世紀頃にかけて盛んに作られた。

16世紀にはヨルバの軍事的な覇権はオヨ王国の王に移り、イフェは宗教的な権威、春秋時代の周の王のような立ち位置になった。美術の様式はヨルバ族の国ではないがイフェの権威の下の国の一つである「ベナン王国」の宮廷美術に受け継がれた。

イフェの坐像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tada_copper_statue.png)
イフェ王の青銅マスク
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yoruba-bronze-head.jpg)
イフェ王のテラコッタ像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brooklyn_Museum_L54.5_Fragment_of_a_Head_(3).jpg)

ナイジェリア南部の沿岸に繁栄したベナン宮廷では青銅や真鍮の丸彫りもしくは浮彫りの非常に細密で優れた人物像が作られ、これは19世紀末のイギリスの懲罰遠征によって欧州に持ち去られたことで世界に広まり、「Benin Bronze」として国際的に最も知られるアフリカ美術の様式となっている。ベナン美術ではイフェ美術の写実性は失われ、より象徴的な方向に進んだと言える。

ベナンの頭像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Memorial_bust_of_a_king%27s_mother_iyoba,_Nigeria,_Benin_Kingdom,_early_16th_century_AD,_gunmetal_bronze_-_Ethnological_Museum,_Berlin_-_DSC02225.JPG)
ベナンの武人像
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Plaque-_Warrior_and_Attendants_MET_DT1231.jpg)
ブロンズの鶏
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rooster_Figure_MET_50.145.47_a.jpeg)

また、ナイジェリア中西部のEsieという町ではヌペ人が墓石として作った大量の石彫彫刻が存在するなど他の周辺民族も美術作品を残している。

ヌペ人の装飾鉄扉
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Carved_door,_probably_by_Sakiwa,_Nupe_peoples,_Nigeria,_c._1920-1940,_wood,_iron_staples_-_Hood_Museum_of_Art_-_DSC09183.JPG)


後編へ続く


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