美術史第120章『アフリカ美術 後編』
*この記事は119章『アフリカ美術 前編』の続きです。
イフェ、ベナン、イボ・ウクウなどで美術が繁栄したナイジェリアの他にも交易の中心地だったガーナ周辺に住むアカン人諸国なども独自の美術を発展させ、Akan goldweightなどとして知られる真鍮製の多様な彫刻が公正な取引を行うための重りとして使用されていたり、独特の剣の様式があったり、布地に印刷する概念や特定のフレーズを表すマーク「アディンクラ記号」があったりなど、多くの独特な文化があった。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ashanti_goldweights.JPG)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Akan_sword.jpg)
金属ではない木彫の仮面や人像では、西アフリカのマリのドゴン族やバンバラ族などや、中部アフリカのコンゴ民主共和国にあったクバ王国のクバ族やルバ王国のルバ族、ケニアのマコンデ族、コートジボワールの諸民族などが有名である。
ルバ族の彫刻作品ではバンブディエによって用いられたメモリーボードである「Lukasa」や、19世紀のNgongo ya Chintu (Master of Buli)という詳細不明な彫刻家の作品などで知られ、クバ族では多様な仮面が特に重要な役割を果たした。



(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Appuie-tête_Luba-RDC.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Brooklyn_Museum_76.20.4_Lukasa_Memory_Board.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Statuette_Holoholo-Musée_ethnologique_de_Berlin.jpg)
マリで有名なバンバラとドゴンは互いに近隣の民族だが、バンバラ様式は曲線的でドゴン様式は垂直的・幾何学的な要素が強く、バンバラのアンテロープを模った儀式用の像「チワラ」は独特である。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chiwara_Chicago_sculpture.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dogon_sculpture_Louvre_70-1999-9-2.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:DogonSatimbe1.JPG)
南東アフリカのケニアに100万人以上が住むマコンデ族は、20世紀に木彫りの伝統からそのまま現代的な彫刻が発展し、伝統的な儀式用の仮面(リピコ)だけでなく、短い丸太に無数の人々を透彫したウジャマー、様々な動作をしている精霊を彫ったシェタニ、人物の日常生活を描いたビナダムといった様式が作られ、独自の「マコンデ美術」を確立した。


(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Makonde_sculpture_Ujamaa.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Makonde_sculpture_Shetani_01.jpg)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Makonde_carving_1.jpg)
木彫りに優れるとされるコートジボワールのバウレ族、セヌフォ族、ダン族などは死者の魂を表現するために仮面を用い、儀式のための訓練を受けたダンサーなど以外が着用することはタブーとされ、それを被ることでその仮面が表すその存在が付けた人物に憑依すると考えられており、これらが単なる美術品ではなくしっかりとした祭具でもあることがわかる。

一方、アラビア半島と近いエチオピアでは古代から「アクスム帝国」が繁栄しており、アクスムやその前身のダモト王国などの時代には世界遺産のティヤ(Tiya)遺跡に代表される大量の巨大な石柱(ステッレ)が作られており、高度な彫刻技術が存在した。

4世紀にアクスムがキリスト教化されて以降は4つの福音書を収録した500年前後の「ガリマ福音書」に代表される装飾写本や12〜13世紀の王が岩をくり抜いて作らせた「ラリベラ岩窟教会」に代表される教会建築といったキリスト教美術が盛んとなり、装飾写本などの絵画の中で徐々にビザンツ(ギリシア)様式から自立し、エチオピア独自の大きい目や鮮やかさが確立されていった。


17〜19世紀にはエチオピア帝国の首都となった「ゴンダール」で多くの城や聖堂といった建築が作られ、エチオピア建築は繁栄期を迎えることとなり、中でも「ファジル・ゲビ」王宮群は世界遺産に登録されている。
また、エチオピアでは金属加工の技術も発展しており、真鍮や銅合金で作られた十字架や王冠の装飾に発揮された。

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ET_Gondar_asv2018-02_img03_Fasil_Ghebbi.jpg)


(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rouleau,_d%C3%A9tail,_ange_gardien,_Mus%C3%A9e_du_quai_Branly.jpg)


南部アフリカでは中世の大都市「グレート・ジンバブエ」の精密な大きな石造建築が有名で、その文化は伝説にも残らず消えたものの、遺跡の再発見によって街のシンボルだったと思われる鳥の像(ジンバブエ・バード)は広く使用されており、また、付近にあったマプングブウェ王国からも金の犀に代表される品々が見つかっている。
また、現代の南部アフリカではンデベレ人達のカラフルで幾何学的な家の塗装や、タンザニアのエドワード・ティンガティンガが生み出した動物などをポップに描く「ティンガティンガ」などが有名である。
(↓グレート・ジンバブエの画像集)

(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:UP_rhino.JPG)
その他の地域の歴史的な美術の例としては、以前の記事で書いたマリ帝国やソンガイ帝国などのスーダン美術や、スワヒリ文化の美術などイスラム系の美術がある。


(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lamu_door.jpg)
ちなみに、西・中部アフリカの美術は20世紀初頭にフォーヴィズムを創始したアンリ・マティスやアンドレ・ドラン、キュビズムを創始したパブロ・ピカソ、モディリアーニなどの画家に大きな影響を与えた。
アフリカ美術は、色彩や構図の変貌を促した浮世絵に続いて、抽象的・象徴的な20世紀以降の現代美術にかなり直接的に影響を及ぼし、この流れで西洋美術の写実の時代は完全に終わり、フランスではジャズなどの黒人文化が受容された。
↓現代芸術史の詳細はここから
これはアフリカ文化の影響力としても語れるが、美術の中心地でもあった強国フランスがアフリカ諸国を侵略し、無価値とみなされた大量のアフリカの美術品がフランスに奪い去られたことで、写実や技法が進みきってしまって停滞していた白人の若い芸術家たちの目に触れて起こった現象でもあり、現代ではアフリカへの美術品返還も進んでいるようだ。
https://www.bigakukai.jp/wp-content/uploads/2021/10/06_inagaki.pdf
